第48話 幸せの魔法
気がつくと、亜美子は全く別の場所にいた。先程の真っ暗な液体の中とは対照的な、真っ白な空間。
液体の中ではないが、右も左も広ささえわからない。無限に続くような感じがする。だが、不思議と怖くはなく、むしろ穏やかな気分になれる。
亜美子はこの空間で唯一、有限に思えた自分の身体を見る。
あれ? 制服?
何故か、学校の制服を着ていた。いつものようにピンクのブラウスだ。そして、学校にいる時は胸元にしまっている、ピンクの石のハートのネックレスが出ている。ピンクのハート型の石はキラキラと輝く。
亜美子は、何気なく前を見ると信じられないものがあった。
「これ、隆くんが言っていたやつみたい……」
先ほどまで、確かに何も存在していなかった。だが、亜美子の視界に存在しているのだ。
それはピラミッドだ。
あまりにも巨大で、もはや山のようにしか見えない。それは、人工的に作ることができるものではない。だからと言って、自然が生み出すにはあまりにも正確すぎる。
神が生み出したもの、または神そのもの。亜美子は、そうした超越者の存在を感じずにはいられなかった。
それは、隆が見たピラミッドとは明らかに違う。
まずは大きさ。亜美子は、まるで遠くから富士山の全体を見ているかのようにピラミッドを見ている。隆の口ぶりからここまでの大きさではなかっただろう。
そして、決定的に違うのは色だ。隆が見たピラミッドは右がピンクで左が青と言っていた。だが、亜美子の目の前に現れたピラミッドの色は一色しかない。綺麗な薄紫一色だ。
「亜美子」
亜美子は突然後ろから名前を呼ばれた。少し低い、優しい少女の声。
え……嘘……
その声は誰よりもずっと聞きたかった声だ。自分が奪ってしまった大切な声。亜美子はすぐにでも振り向きたかったが、同時に振り向くのが怖かった。
鼓動が早くなる。全身から汗が噴き出す。身体もプルプル震えてくる。様々な感情が亜美子の中に渦巻く。
また、責められるのは全然いいよ。でも、私、会う資格あるのかな……? 私、会っていいのかな?
だが、亜美子の心の奥からはずっと声が聞こえてくる。自分の本心の声だ。
会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい……
心の奥底からの想いはどんどん膨れ上がる。亜美子は意を決した。
資格なんて無いかもしれない。それでも私は…………会いたいッ!
亜美子はそのまま振り向く。
すると、何故か自分のいる場所が2年2組の教室になっていた。亜美子は自分のクラスの自分の席に座っているのだ。他の席には誰も座っていない。ただ一つを除いて。
亜美子はすぐに自分の席を立ち上がり、その席に走る。クラスから消えてしまったはずのその席へ。
「夢奈ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
亜美子の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。青いブラウスで制服を着て、青い石のハートのネックレスを胸元で輝かす少女。夢奈はにっこりと亜美子に微笑む。
「ずいぶん探したわ。見つかって良かった」
亜美子はあと半分くらいで夢奈の席に着くところで立ち止まる。
「あら? どうしたのかしら?」
心配そうな夢奈に、亜美子は泣きながら言う。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私のせい……夢奈ちゃんのこと殺しちゃった……私、最低だよ……ごめんなさい。ごめんなさい……」
亜美子は、言葉にならない言葉で夢奈に謝り続ける。我を忘れて謝り続けている亜美子は、夢奈が椅子を引き、席を立ったことにさえ気づいていない。夢奈は亜美子の側まで来るとその頭を撫でる。
「大丈夫よ、亜美子。亜美子達がやってきたことは間違いじゃないわ」
亜美子の涙が止まる。ずっと欲しかった夢奈の温もりがその涙を止めたのだ。落ち着きを取り戻した亜美子が喋ろうとすると、夢奈はそっとその手を退ける。
「でも、私、夢奈ちゃんの存在をこの世界から消しちゃったんだよ?」
「この世界から消したのは私の存在じゃないわ」
「え?」
夢奈は亜美子に優しく微笑みかける。
「亜美子達が消したのは、悲しみよ」
「か、悲しみ?」
亜美子は何のことか分からずきょとんとしている。夢奈は丁寧に説明する。
「怪物にされた人間は二度と元には戻らないわ。もし、怪物にされた人間の存在が消えなければ、その人と関わった人には悲しみが残ってしまうの。だから、亜美子は誰も悲しませないように一人でその悲しみを背負っているのよ。だから……」
夢奈は深々と頭を下げる。
「ごめんね。亜美子。亜美子や照井さんだけに辛い思いさせて……私がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったわ。本当にごめんなさい」
教室の床に夢奈の涙がポロポロ落ちる。亜美子はそっと、夢奈の頭を撫でた。
「謝らなくて良いよ。夢奈ちゃんは何も悪くないもん」
夢奈が頭を上げようとしたので、亜美子はその手を退ける。亜美子の瞳には夢奈、夢奈の瞳には亜美子が映る。
「亜美子……」
「夢奈ちゃん……」
二人は抱き合い、声を上げて泣いた。ただただ泣き続けた。教室に二人の鳴き声が反響していたが、いつの間にか二人は秘密の場所にいた。
涙が枯れるまで泣いたのか、二人は抱き合うのをやめる。最初に話したのは亜美子だ。
「そういえばあの青い光、夢奈ちゃんだったの?」
夢奈は頷いてから言う。
「どうやら、あの男の中に私のエネルギーが残っていたみたいね」
「え? エネルギー? どう言うこと?」
何のことかさっぱり理解できていない亜美子。夢奈は少し考えてから言う。
「おそらくだけど……私も特異点だと思うの」
「……やっぱり、夢奈ちゃんもそうだったんだね」
不思議と亜美子は驚かなかった。夢奈が特異点であるということをすんなりと受け入れられたのだ。
夢奈の表情が引き締まる。
「だから、私も一緒に戦えると思うわ。亜美子、一緒に戦いましょう! あの男のこと、絶対に許せないわ。この世界のゴミを一緒にぶち殺してやりましょう!」
亜美子は思わず吹き出してしまう。
「夢奈ちゃん、そんな乱暴な言葉使っていたっけ?」
「あら? 私は本をたくさん読むから亜美子よりも、乱暴な言葉に詳しいわよ? 亜美子にも教えようか?」
二人は思わず大笑いしてしまった。二人が笑い終えると、亜美子は力強く頷く。
「一緒にあいつを倒そうね! でも……」
「どうしたのかしら?」
亜美子は寂しそうな顔で言う。
「……もう、ここには戻れない気がする。夢奈ちゃんとお話しできるのも、最後な気がする。だから、もう少しだけお話ししたい」
夢奈は寂しそうに言う。
「確かに、これが最後になるわね。私もいつまでもここにいられないし、もう少しお話ししましょうか」
「大丈夫なの?」
不安そうな亜美子に夢奈はにっこりと微笑む。秘密の場所に優しい風が吹く。
「ここは時間の流れが違うから、ある程度は大丈夫よ。お話しましょうか」
亜美子は満面の笑みを浮かべる。夢奈が大好きな亜美子の笑顔だ。
「あと、あの男に伝言があるのだけど……」
夢奈が伝言を言うと、二人はいつものように楽しくおしゃべりを始めた。今が世界の存続をかけた戦いの最中であるに関わらず、とても穏やかだ。時間を忘れて、ただ楽しくお話しする。
「亜美子……」
「……もう時間かな」
「そうね。そろそろ行かないといけないわ」
「夢奈ちゃん。泣かないでよ」
「亜美子の方こそ泣いているわ」
「だって寂しいから」
「大丈夫よ。お話しするのはこれで最後だけど、私は亜美子の記憶の中で生きていけるわ。だから、絶対に勝って。私も力を貸すわ」
「夢奈ちゃん。ありがとう」
「お礼なんていらないわ。私、本当は亜美子の代わりに戦いたかったもの」
「夢奈ちゃんは本当に優しいね」
「ありがとう。亜美子だから優しくなれるのよ。……さぁそろそろ行きましょうか。照井さんにもよろしくね」
「うん。隆くんにも伝えとく。絶対に勝とうね」
「大丈夫よ。きっと魔法の力で、まだある幸せを守れるわ。私達の幸せの魔法は無敵だから」
「そうだね。私達の幸せの魔法は……負けないッ!」
「キュルラン」
「キュルラン」
夜の闇に浮かぶピンクの光の球体と青い光の球体。その二つが一つになる。そして、強力な紫の光を放つ。
その光が消えると、変身した亜美子が青い血溜まりに立っていた。その服は少しだけ変わっており、色は大きく変わっていた。
普段なら金色の毛はラベンダー色になっている。縦巻きのポニーテールは、濃い紫のハートと薄い紫の逆さハートが交互に4つ着いた髪飾りで結ばれている。
服は薄い紫を基調としていて、袖の色は変わらず白くホワホワして丸い。胸元から濃い紫のハートが縦に三つ付いてついており、下に行くごとに小さくなっている。服の丈は伸びており、へそが出ていない。
薄い紫のスカートは上下にハートと逆さハートの白いフリルがついている。白いタイツを履いており、薄い紫のヒールの前には、濃い紫のハートが付いている。
ピンクと青を混ぜたような、紫の魔法少女が誕生したのだ。亜美子は、白いたぬきの怪物の首を見つめる。
「隆くん、ありがとう。隆くんが戦ってくれたから、戻ることができたよ」
亜美子は白いたぬきの怪物の亡骸に開いた左手を向ける。四分割された白いたぬきの怪物の亡骸と青い血は、黒いオーラをかき消し紫色に光る。その光は一箇所に集まり、大きな光の塊を作る。
紫の光の塊はどんどん小さくなっていき、人の形に変わる。光が消えると、目を閉じた隆が横たわっていた。
「……姿だけでも元に戻せてよかったよ」
亜美子は再び、開いた左手を隆に向ける。隆の亡骸は2メートルほど浮き上がり、半透明の紫の光の球体に包まれた。それはたぬきくんが得意だったシールドのようなものだ。
亜美子は、隆の亡骸を目の当たりにして、泣き出してしまいそうだった。その気持ちをグッと堪える。
黒い液体が動き出したのだ。それが一瞬にして人の形を形成していく。
「浄化の手助けありがとうね」
黒い液体は喪服姿をした異常者へと変わっていた。ニヤニヤ笑う異常者を亜美子は睨みつける。
「今から全ての決着をつけるッ!」
「ふーん。そうなんだ。残念。もう、君に殺されようと思っても、できないよ。虫けら一匹が、人間を殺せないようにね」
亜美子を見下した異常者の全身から黒いオーラが、滲み出る。その禍々しさは変わらないどころか、余計に強くなっている。亜美子と夢奈が抜けたことにより力の純度が増したのだろう。
亜美子の身体からは紫色のオーラが出る。
「今までの私と一緒にしないで」
禍々しい黒いオーラとは対照的な聖なるオーラ。それには夢奈の思いが宿っている。この力があれば、今の異常者とも十分に戦える。
「まぁ。やってみるか」
異常者はニヤリと笑う。
二人の姿は一瞬にして消える。世界の存亡を賭けた最終決戦は、異次元の領域に達したのだ。




