第47話 腐った海に揺られて
10年にも及ぶ隆と異常者の戦いは、隆の死で決着がついた。黒い光の巨人は、青い血溜まりに横たわる白いたぬきの怪物の亡骸を見下ろす。
「まぁこんなものか」
黒い魔法少女の声が、黒い光の巨人からつまらなそうに響く。
「普通に人を殺した時の感覚と、何も変わらなかったなぁ」
黒い光の巨人が、首と両腕のない白いたぬきの怪物の亡骸を踏みつける。断面や傷口からは、青い血がさらに勢いよく吹き出す。それは青い血溜まりに流れ込む。青い血溜まりは湖のように広がっていて、人間の足首ほどの深さまである。
「これからどうしようかな」
黒い魔法少女は、黒い光の巨人の心臓の位置で考える素振りをする。本当にちゃんと考えたか定かではないが、すぐに答えが出る。
「よし、とりあえず日本から破壊するか」
何故、破壊しようとするのか。そんなことを問える者さえ、もうこの世界にはいない。黒い魔法少女になった異常者と戦える存在はこの世界にいないのだ。地球上の全ての国が攻撃を仕掛けても、勝ち目はないだろう。
夜の闇の中、黒い光の巨人は青い血溜まりの中をゆっくり一歩進む。
オーラでできた黒い光の巨人に足音はない。だが、この一歩一歩が地球滅亡へのカウントダウンである。全ての生命に迫る死という終わらない夜が、歩み寄っているのだ。
10歩にも満たない距離を進んだ時、最初の異変に気付く。
「ん?」
黒い魔法少女は、自らの頭に触れる。そこにはあるはずのものがなかった。
「髪が……ない……?」
異変はさらに起きる。今度は口の中に何やら異物が現れたのだ。黒い魔法少女は、それを般若の面から地面に吐き捨てる。青い血溜まりは小さな音を立てる。
「歯が抜けた……?」
自分の身に何が起きたのかわからないようだ。黒い光の巨人の歩みが止まる。
「な、なんだこれは?」
動きを止めた黒い光の巨人は、一瞬にしてその姿を消したのだ。黒い魔法少女は真っ逆さまに墜落していく。身体が全く動かず、青い血溜まりに衝突し、青い飛沫が上がる。
街を破壊し尽くしてしまっため、余計な光は存在しない。黒い魔法少女は青い血に浸かりながら、綺麗な星空の下で仰向けに倒れている。
「身体がおかしい。痛い……今までで一番痛いッ……」
黒い魔法少女はあらゆる種類の身体の痛みを同時に感じていた。喋ることはできても、他に身体を動かすことはできない。
この痛みは、生身の人間なら一瞬でショック死してしまうほどだ。幸か不幸か、黒い魔法少女はこの痛みで即死することができない。
「回復しなければ……」
黒い魔法少女の身体から黒いオーラが出る。全ての力を身体の回復に回す。
「何故だッ!」
般若の面の口から黒い液体が噴き出す。いくら、回復しても回復が全く追いつかないのだ。
痛みもなくなるどころか、増す一方である。地球に迫っていた死の足音は、どう言うわけか黒い魔法少女の方に向かっているようだ。
さらに、電気を消したかのように、黒い魔法少女の視界から星空が消えた。視力がなくなったのだ。
身体中の穴という穴から、黒い液体が流れてくる。青い血と黒い液体は混ざることなく、マーブル模様を描く。
この時、やっと何が起きたか気がついた。
「……これは……毒かな」
白いたぬきの怪物の血には毒がある。
あたり一面に撒き散らされた毒が、黒い魔法少女の身体を蝕んでいるのだ。それは常に攻撃されていることを意味する。よって、いくら回復しても全く追いつかないのだ。
「……解毒しよう」
黒い魔法少女は自分の力の全てを、自分自身と周辺の浄化のために使うことにした。濃い黒いオーラが動かない身体から広がる。
「まだ足りないのか」
黒い魔法少女の意識はここで途切れた。自らを仮死状態にすることにより、自分の力の全てを浄化に割り当てたのだ。青い鮮血が夜より深い闇に包まれていく。
真っ黒な空間。
黒い魔法少女こと異常者の意識がなくなると、亜美子はそこで目を覚ました。
「ここは……?」
亜美子はもちろん、ここがどこかもわからない。ただ一つ、わかるのはここが液体の中だということ。光が一切なく、液状化した闇のようだ。
自分の身体さえ全く見えない。ここに溶け込んでしまいそう。いや、意識がなかった時はこの場所と一体化していたのかもしれない。
「私……どうしたら……」
亜美子はもはや何を考えたらいいのかさえわからずにいた。ただ、この液体の中を漂う。クラゲのようにゆらゆらと揺れる。
だが、しばらくすると、身体に水が入るように、記憶が流れ込んできた。先程の戦いの記憶だ。
「きゃぁぁぁぁぁッ!」
頭が割れてしまうかのような、勢いで流れ込む記憶。亜美子はその全てを自分のものとして取り込む。
「………………そんな……隆くんが……」
亜美子は隆の死を知った。意識がなかったとは言え、自分の力が原因で隆を死なせてしまった。そのことを知ってしまったのだ。
亜美子は思い切り目をつぶり頭を振る。そして目を開く。その目は考えるべきことを、今やるべきことを見つけたのだ。
「……私はまだ戦える。早く出口を探さなきゃ」
本当は悲しみたい、本当は自分を責めたい、本当は泣き叫びたい。だが、そんな時間はもう亜美子には残っていなかった。
自分がどういう状態かさえもわからない。それでも、一刻も早くここから脱出する方法を考えなければならないのだ。
あらゆる負の感情を闘志の炎で焼き尽くす。そして、灰になった負の感情を吐き出すように唱える。
「キュルラン・キュルラン」
物理的な変化は何も起きなかった。だが、この言葉は亜美子の心を強くした。
「必ず見つけてやるッ!」
今できることはがむしゃらに泳ぎながら出口を探すことだけだ。もともと、運動が大の苦手で泳ぐこともできなかったため、そのフォームは不恰好だ。だが、着実に進んでいる。
右か左か前か後ろか上か下か。光が一切ないこの場所ではどこに進んでいるのか全くわからない。それでも進んではいる。この場所から、脱出しようとしているのだ。
どれだけ動いたのだろうか。時間の感覚はない。液状化した闇を泳ぎ続ける亜美子は、諦めずに出口を探す。だが、その動きが突然止まる。
「これは……」
空が赤くなり、怪物が現れた時の感覚。それを、濃くしたかのような嫌な感覚が、亜美子を襲ったのだ。亜美子は自分のいる場所を理解した。
私、異常者の中にいる……
亜美子は再び動き始める。ここがどこかわかっても、出口がわかったわけではない。それでも必死に泳ぐ。この腐った海で溺れるわけにはいかない。
これ以降、時間の経過はわかるようになっていた。亜美子は肩で息をする。
……なんか苦しくなってきた。急がなきゃッ!
焦る気持ちと裏腹に、亜美子の動きはどんどん遅くなっていく。
亜美子は最後まで気が付かなかった。本来なら、この黒い液体の海で一瞬たりとも身体が保たないのだ。
だが、亜美子は怪物を食べていた。それにより、異常者のエネルギーの一部が体内に入っていたのだ。そのため、ここで身体を保つ事ができている。亜美子が生きていて、動けるのは奇跡なのだ。
しかし、それは長くは続かない。まるで、酸素ボンベの酸素を消費していくかのように、異常者のエネルギーが無くなっていく。
「ハァハァ……」
亜美子はもがく様に泳ぎ続ける。もう全てが限界に近い。だがその時だ。
「あれは、何?」
それはこの暗闇の中では異様に目立つ。遠くに小さな青い光の球が見えたのだ。それは、こちらに近づいてくる。
亜美子は最後の力を振り絞り、全力で泳ぐ。もう、呼吸も出来ていない。身体も痛い。それでも、気力だけで泳ぐ。
青い光の球も亜美子にどんどん近づき、あっという間に距離を縮めた。亜美子はその光に手を伸ばす。
青い血の中に横たわる黒い魔法少女。その身体から、拳くらいの大きさの青い光の球が出て来る。そして、それに連れられたように、同じくらいの大きさのピンクの光の球が出てくる。二つの球体状の光は、並ぶ様に空中に留まる。
黒い魔法少女の体は、黒いオーラを残したまま、黒い液体へと変わった。




