第44話 世界の終わり
亜美子が感傷に浸れる時間はそう長くはなかった。
何、この嫌な感じ……お姉ちゃんの部屋からする。すぐに逃げなきゃッ!
亜美子は靴も履かずに、家を飛び出した。とにかく全力で走る。痩せて体力が落ちたとは言え、プテラノドンの怪物に遭遇した時とは見違えるような速さだ。
バリィィィィィン。窓ガラスが割れる音が後ろから聞こえた。黒い液体が、亜美子目掛けて突き進む。亜美子は後ろを振り返り確認する。
よし、しばらくは粘れそう!
いつかは必ず、追いつかれてしまうだろう。だが、亜美子は自分の限界まで走り続けることを選んだのだ。
その頃、隆も嫌な気配を感じていて、その方向へと走っていた。
何か大変なことが起きている。異常者の夜に使える奥の手が発動したのか? 亜美子ちゃん……無事でいてくれッ!
空が赤くないため、たぬきくんに変身することはできない。生身の隆は全力で走る。移動する嫌な気配の動きを予想して、回り込めるように走る。
右腕が全く動かないとはいえ、隆は生身でも足が速い。そこらのスポーツ選手では全く歯が立たないだろう。以前、京介の兄である清秋が、バケモノと称したのも納得できる身体能力だ。
隆は、ピンク色に光る二つの小さな光が見えた。その光は、どんどん自分に迫ってくる。
「あ……亜美子ちゃん……?」
それは目をピンク色に光らせた亜美子だ。そして、それを追ってくる黒い液体も見えた。隆は状況を察する。
亜美子ちゃん、奥の手を使ったのか。あの黒い液体は……異常者……? やはり異常者も奥の手を使っていたかッ! それなら僕のやることは一つだ!
「亜美子ちゃん! あとは任せろ!」
亜美子は隆に気が付いた。亜美子は大きな声で叫ぶ。その目からは涙が溢れている。
「隆くん! ごめんね! 私が全部悪かったよ! 酷いこと言ったり、物投げたり……! 本当にごめ……きゃッ!」
「亜美子ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!」
隆の目の前で、亜美子は体力の限界を迎える。そのまま、転んでしまった。
もう黒い液体から逃げることはできない。もちろん、隆も間に合わない。
……隆くんに謝ることができてよかった。
亜美子は心からそう思った。
それは一瞬で終わった。黒い液体が亜美子の体内へ、口から入ったのだ。
亜美子は微動だにしない。こんなことは今までなかったため、隆は様々な可能性を考える。そして、決意を固めた。
……最悪、亜美子ちゃんごとやるしかないな。
そして、思わず声が漏れる。
「ごめんね」
隆が何かしようとしたその時だ。
「おいおい。そう焦るなよ」
亜美子が喋り出した。いつもの、高い子供のような声だ。
その身体をゆっくりと起こす。先ほどまで、ピンク色に光っていた目は、元に戻っている。
だが、何もかも元通りではない。その声は亜美子ではあるが、喋り方が全く違うのだ。そう、それは異常者の喋り方だ。
「亜美子ちゃんに何しやがったぁぁぁぁぁぁ!」
隆の怒号に亜美子の姿をした異常者はニヤリと笑う。
「それがオレにもよくわからないんだ。特異点に殺されようと思って、挑発して目的を果たした。そう、思ったらこの様だ」
くッ……おそらく、死んでから発動する能力か……こんなやばい能力があったのか……
隆は何が起きたかは理解できた。だが、どうしても理解できないことがあった。
「亜美子ちゃんに殺されようとした!? どういうことだ!」
あまりの突拍子のない言葉に、隆はただ困惑することしかできなかった。亜美子の姿をした異常者は続ける。
「オレは満足したんだよ。だから、もうこれ以上生きていても仕方がないと思い、特異点に殺されようとした。それだけだよ」
「ま、満足!?」
「あぁぁ。自分でも気づかなかったが、オレはずっと愛する者を失う喪失感が欲しかったんだ。
夢奈が消えてくれたおかげで満足できたよ。オレ達は確かに愛し合っていた。だから得ることができた」
隆は亜美子の姿をした異常者を思い切り睨みつけて、渾身の怒りを込めて叫ぶ。
「てめぇぇぇぇぇッ! その名前を気安く口にするんじゃねぇぇぇぇぇぇ!」
亜美子の姿をした異常者は何か思い出したかのように頷く。
「あぁ。そうか。なんか色々ややこしい話だな」
隆は畳み掛けるように亜美子の姿をした異常者に言う。
「バカにするのも良い加減にしろ! 愛する者を失う喪失感だと!? 人を愛せるならこんなことできないだろ! おまえは狂っているただの異常者だ! 人を愛することなんて出来ないッ!」
亜美子の姿をした異常者は鼻で笑う。
「特異点……亜美子さんの姿のオレによくここまで言うねぇ。まぁ良いや。
もう、最後だ。おまえに教えてやるよ。何故オレが力を得て、怪物を二体、しかも広範囲に出せるようになったかをな」
「そんな話、今は関係ないだろ! 殺してやる!」
隆がまた何かをしようとした時だ。
う……なんだこれは……?
隆は思わず怯んでしまい、数歩後退りする。
亜美子の姿をした異常者から、禍々しい黒いオーラが出始めたのだ。
それはまさに、人間が巨大な兵器を見た時の感覚だ。異常者はそんな力をいつでも使える。戦わずして、圧倒的な戦力の差を感じた。まさに、個人と国家の戦力差だ。
異常者は嬉しそうに話す。
「オレが強くなったのは、夢奈と身体を交えた日からだ。特異点である夢奈と、精神的にさらに深く強く結びついたことによりオレは強くなった。あの時は仮説に過ぎなかったが、今日はこの力で確信したよ」
異常者は、特異点と結びつくことによってさらに強くなる。隆は理解せざるを得なかった。
今の異常者は亜美子と一心同体。精神的にも肉体的にも最も強く結びついている。異常者が特異点との結びつきで強くなるなら、このでたらめな力も納得できる。
……やはり、亜美子ちゃんの親友も特異点だったか。
かつて隆が戦った黒い蜘蛛の怪物、それは隆の恋人の変わり果てた姿であった。
森の中で同じ種類の怪物を見た時、隆は特異点が怪物にされたと思ったのだ。
亜美子の姿をした異常者は、さらに話を続ける。
「この力こそが愛の証。完全に覚醒はしていなかったが、特異点である夢奈との愛を証明したんだよ。だから……この力でこの世界を破壊しようと思う」
隆は静かに言う。
「……破壊? 言っていることが、支離滅裂だ。もう良い。おまえが消えろ」
亜美子の姿をした異常者も静かに言う。
「消えるのはこの世界だ。今から世界の終わりが始まる」
亜美子の姿をした異常者の顔が狂気で歪む。もはや、狂気としか表現でいない表情だ。そして、声高らかに叫ぶ。
「グリシュニモォォォォォォォォォォォォォォスッ!」
黒い楕円形の光が、亜美子の姿をした異常者を包む。まるで黒い光の繭だ。その光が人の姿に変わると、周りに放たれた。
黒い光が街を飲み込む。人が、生き物が、建物が、自然が、一瞬にして跡形もなく砕けていく。
亜美子の姿をした異常者は変身していた。
ホワホワした丸い袖、胸元から縦に三つ付いた下に行くごとに小さくなるハート、ヘソが出る若干短い丈、上下にハートと逆さハートのフリルが付いたスカート、膝よりも長い靴下、前にハートが付いたヒール。
何もかもが亜美子が変身した時の服装だ。たが、その色は黒く染まっている。
顔は大きく違っていた。髪の毛は黒く結んでおらず、そのまま垂れ流しだ。そして、顔には無機質な般若の面が付けられている。
その姿は、黒い魔法少女だ。
変身しただけで、一つの街が荒野になってしまった。言うまでもなく、生身の隆も一溜まりもないはずだ。
だが、隆は傷一つ負っていなかった。全身から白いオーラが出ている。
「おまえも何かあるのかな」
般若の面の口は動かず、声だけが出る。その声は、異常者と亜美子の声が混ざり合った不協和音のようだ。
隆は、今までの思いの全てを込めて言う。
「今日ここでおまえを殺すッ!」
ポン。高い音が鳴り、隆は50メートルくらいの高さの煙に包まれた。
なんとかして、亜美子ちゃんを取り戻したかったが、あの力じゃ無理だ。全力でやらないと僕が殺される。……約束、破ってごめんね。
1999年9月15日。
この日、は祝日で学校は休み。隆は恋人と公園で待ち合わせしていた。だが、金髪を逆立てた隆は遅刻してしまい、走りながら恋人の元へと向かう。
「ごめん遅れた!」
「その顔! どうしたの?」
恋人は隆の遅刻が、もはやどうでもよくなった。隆の頬に大きな痣があるのだ。それが気になりそれどころではない。
「あぁ……これは……とりあえずベンチに座ろうか」
二人はベンチに座る。
「で、どうしたの? その痣」
「数日前、うちの中学の1年生が、隣の市の高校生から集団リンチされて、カツアゲされたのは知っているよね?」
「知ってるよ! その話、聞いた時は本当に怖かったよ」
「で、とりあえず昨日、報復に行ったわけだ」
「ほ、報復!? だから昨日、学校休んだの!?」
恋人は目を丸くして驚く。さすがに隆でも高校生相手に喧嘩をするとは思っていなかったからだ。
「まぁそんなところだ。とりあえずリンチに参加した六人と、その高校で一番強いやつを人気のないところに呼び出した。まず六人を相手に戦ったよ」
「え! ひ、一人で!?」
さらに、驚く恋人を見て、隆はおかしくなってつい笑ってしまう。
「違う違う! 流石に一人で六人も相手にはできないよ! あそこは県内最強のヤンキー高校だからね! ちゃんと西田も連れて行ったよ!」
「あぁ。確かに西田くんも休んでいた……」
たった二人で六人と喧嘩をしていた。そのことに、恋人は若干引いているようだ。
隆は続ける。
「六人はほぼ無傷で倒せた。いよいよその高校で一番強いやつだ」
「もしかして、その人にやられたの!?」
隆はまたもや笑いながら、首を横に振る。
「違う違う! その後、西田とどっちがそいつとやるかで喧嘩になって、その時あいつに殴られたんだ。結局、俺が勝ってその高校で一番強いと戦おうと思ったら……もう、逃げられていた」
恋人は、はぁとため息をつく。
「二人とも本当にバカなんだから」
隆はニコニコしながら言う。
「まぁ良いじゃないか! 俺や西田がいるからうちの学校の生徒は、近隣の学校の奴らに喧嘩売られたりカツアゲされたりしないだろ?」
本当にその通りで恋人は全く否定できなかった。強い二人がいるから、学校の平和が保たれている。
さらに二人は1年生や小学生まで鍛えているので、当分は安泰だ。
ちなみに、隆は感覚だけで喧嘩をしているため、人に教えるのが絶望的に下手だった。一方、清秋はとにかく教えるのが上手で、隆は清秋の指導のサポートをしていた。
いくら平和に貢献しているとはいえ、恋人は喧嘩をした隆を快く思えず皮肉を言う。
「変身した私がいたら、もっと学校は安全なのにね! 私の方が強いからね!」
隆は痛いところを突かれた。たぬきくんに変身した隆は、生身の隆よりも圧倒的に強い。だが、変身した恋人はそれ以上に強いのだ。隆はむきになってしまう。
「待て! 俺だっておまえにまだ言っていない最強の必殺技があるんだぞ!」
「え? 何それ!」
恋人は興味津々だ。隆は得意げに話す。
「夜になればたぬきの力を全て解放できるんだ! それを使えば間違いなく俺が最強だぞ!」
「ダメ。そんなことしないで」
突然、恋人の声が暗くなる。隆は突然のことに困惑する。
「まぁ、夜には怪物は出ないし使うことは……」
恋人が隆の言葉を遮る。
「そう言う問題じゃないの! とにかくやめて!」
恋人は泣き出してしまった。隆は、なぜ使って欲しくないのか理由は聞けなかった。だが、約束はした。
「わかった。何があっても絶対に使わないよ」
2009年12月24日。
なんでおまえが泣いたか、今ならわかるよ。これを使うと僕は……もう、明日の朝陽を拝めないのだろ?
隆の身体も白い煙と混ざる。そして、その姿を変えていく。
「そうかこれならオレともやりあえそうだな」
そこにはもう隆の姿はなかった。
そこにいるのは50メートルの獣人。二足歩行で立つその姿は、全身真っ白な毛で覆われている。頭身は人間のようだが、手が異様に長い。長くて立派な尻尾もある。
その顔はたぬきのマスコットの様ではない。実際のたぬきをさらに凶暴化したような顔だ。そして、目が燃えるように赤い。まさに白いたぬきの怪物だ。
「コロス……コロス……」
隆の自我がなくなってしまったのか。獣の唸るような声で、白いたぬきの怪物は言う。隆は自分の全てを犠牲にして、圧倒的な戦力の差を埋めたのだ。
夜の闇の化身のような黒い魔法少女、夜の闇に混ざらない白いたぬきの怪物。世界の終わりを賭けた戦いが幕を開ける。
第三章 Passion-受難の目醒め-【完】
【次章】最終章 Shining-明日の光へ-




