第40話 私の血塗れのクリスマス
駅の構内はすっかりとクリスマスムードだ。5メートル程の大きなクリスマスツリーが飾られている。
クリスマス・イヴとはいえ平日の昼間のため、そこまで混雑はしていないだが、いつもより人通りは多い。
そんな中、異常者はいた。
「今日はいい日だ」
何を考えているか全くわからない、無表情で呟く。
閉め切られた部屋。亜美子は目を覚ます。世間はクリスマス・イヴであるが、そんなことはもう関係ない。
夢奈を失ってから三週間以上が経った。あれ以来一度も学校へは行っていない。その間に冬休みが始まってしまった。
心配してお見舞いに来たり、連絡してきたりするクラスメイトはいない。
ただ、違うクラスの京介だけは心配して連絡をくれている。亜美子はそれを全て無視しているが、一日一通、必ずメールが入る。京介の優しささえ、もはやどうでも良いのだ。
亜美子は目を覚ましたが、動かずにベッドで横になっている。食事も、生命を維持する最低限しかとっておらず、たった3週間で異様に痩せてしまった。その姿は病人そのものだ。
亜美子の心があった場所には、もはや痛みしか存在していない。そして、その痛みに悲鳴をあげることもできず、ただ無抵抗に呆然と苛まれているのだ。
目覚めてからいくらか時間が経過した。亜美子にはそれがどのくらいかもわからない。
そんな時だ。ふと一日一回は浮かぶ疑問が、頭に浮かんでくる。亜美子はそれを抑揚のない小さな声に出す。
「私……死んでいるの……? 死んでいないの……? 確認しなきゃ」
亜美子は起き上がり、机の引き出しからカッターナイフを左手で取り出す。カチカチ、カチカチと刃を伸ばしていく。
カッターナイフを持ったまま、右の袖を捲り上げる。亜美子の右腕にはたくさんの生傷が出来ていた。
あの日から、一度も怪物は現れていない。そのため、変身したら一瞬で治ってしまう傷もこうして残ってしまうのだ
亜美子は右手首にカッターナイフの刃を当てる。
たちまち、亜美子の手首は赤くなる。そして、ボトボトと垂れている。右手首の身体的な痛みと、目の前の流動する赤が脳へと届く。
「……あ。私、今日死んでいない」
またしてもその声に抑揚はない。亜美子は、自分の手首から流れる血を、呆然と見ている。新しいその傷は、どの生傷より長く深い。
手首を切る。これが亜美子の日課だ。
今の亜美子は確かに死んでいない。だが、生きているわけではない。ただ、毎日が同じように苦痛に過ぎ去っていくのだ。
だが、今日はいつもと違う。赤く染まったのは手首だけではなかった。それはカーテンの隙間からでもわかる。空が赤く染まったのだ。
亜美子は嫌な気配がする方向を薄ら感じていた。亜美子の家からは電車を使っていくような距離だが、変身すれば問題ない。
普段から苦痛の中にいるためか、感じ方は前より弱くなっている。それでも、場所は把握できているのだ。
亜美子はニヤリと笑う。それは以前の明るい笑顔ではない。本来笑ってはいけないものを、笑っている笑顔だ。以前の亜美子なら絶対にできなかった表情である。そして、妙に陽気な声で言う。
「キュルラン・キュルラン」
ピンクの光の繭が亜美子を包み、それが人型に変わる。そして、ピンク色の光が放出されると、変身した亜美子がいた。金髪の縦巻きのポニーテールも、ピンクを基調としたハートが散りばめられた戦闘用の姿も以前とは変わらない。
だが、顔つきは変わり果てていた。顔は笑っているのだが、全く楽しそうではなく目が死んでいる。痩せすぎてしまったその顔からは以前の活気は感じられない。
亜美子は自分の部屋の窓を破壊し、以前よりもゆっくりと現場へ向かった。
たぬきくんは現場へと向かっていた。もうすぐで、到着する。
……亜美子はもう来ないかもしれない。そうなるとオイラが二体を相手にすることになる。今日で、最期になるかもな。
たぬきくんは死を覚悟した。
駅からは人が溢れるように、逃げていく。たぬきくんの姿を見て、更なるパニックになる人々もいた。だが、そんなことは気にせず、駅の構内に入り現場まで進む。
「メリークリスマス!」
煙草を吸いながら異常者は元気に言う。その後ろには、全長5メートルの手足が生えた真っ黒なクリスマスツリーと、人間サイズの真っ黒なサンタクロースが立っている。
「クルシイィィィナァ」
「クルシィナァァァァ」
二体とも嫌な雄叫びをあげる。そして、駅の構内には今夜クリスマスを楽しむであろう人々が、バラバラの肉片になり散らばっている。
「あの時、亜美子をあんなめに合わせて……絶対にに許さないぞッ!」
「そう怒るなよ。今日は特異点が元気かどうか様子を見に来ただけだ。それにしても遅いなぁ」
もちろん、亜美子はまだ来ていない。このまま来る確証もない。異常者はタバコを床に捨て、足で踏みつけて火を消す。
「まぁいいや。しばらく、相手してやるよ」
黒いサンタクロースの怪物は宙に浮き、黒いクリスマスツリーの怪物はたぬきくん目掛けて動き始めた。
たぬきくんは二体に注意深く意識を集中する。
サンタクロースはシールドで動きを封じるか……だが、何かしらの対策はされているはずだ。油断せずにいこう。
黒いサンタクロースの近くにシャボン玉のような光が出現する。黒いその身体はそれに触れると、シールドに包まれてしまった。黒いサンタクロースの怪物は身動きが取れなくなる。
その様子を異常者はニヤニヤと笑う。
「クルシイィィィナァ」
黒いクリスマスツリーの怪物の右の拳がたぬきくんに迫る。たぬきくんはそれに自分の左の拳をぶつける。
ドォォォンと鈍い音が駅の構内に響く。たぬきくんは違和感を覚えた。
確かに相手にダメージが通っている。だが、殴った時の感覚が違うぞ。
黒いクリスマスツリーの怪物の右拳に血がついている。たぬきくんは、自分の左手をちらっと確認すると皮が擦りむけて、血が出ていた。
そうか。包み込むシールド使用した反動で、防御力と痛覚神経が弱くなっているのか。使用しても動けるようになったと思ったが、こんな副作用があるとは……
たぬきくんは、黒いクリスマスツリーの怪物の攻撃を避けていく。だが攻めないと勝つことはできない。
……せめて刺し違えてもこいつだけは倒す。
たぬきくんは攻撃に転じる。黒いクリスマスツリーの怪物の攻撃を避けつつも、殴る蹴るの反撃に出る。
「オラァァァァァァッ!」
相手は回避が上手くなく、攻撃の全てが当たる。黒いサンタクロースの怪物の動きにも十分に警戒しながら、黒いクリスマスツリーの怪物に攻撃していく。
だが敵もやられているだけではない。
「うわぁッ!」
たぬきくんの隙をついて拳や足を当ててくる。その度にたぬきくんは吹き飛ばされるが、すぐに起き上がり向かっていく。
クソッ! 痛覚神経がどんどん麻痺していく! 今の自分のダメージがわからないッ! だがやるしかないッ!
たぬきくんが左の拳で、黒いクリスマスツリーを殴ろうとしたその時、とんでもないことに気がついた。
なんだこれは……
肩から下の感覚が全くないのだ。たぬきくんは攻撃をやめて、黒いクリスマスツリーの怪物と距離をとる。そして、左腕を確認する。
「なんてことだ……いつやられたんだ」
たぬきくんの左腕が全て無くなっていた。傷口から血が流れている。すると今度は体が右に傾き始めた。
「まさかッ!」
右足も全てなくなっていた。たぬきくんは倒れながら、左足に目をやる。影のようなトナカイが、自分の左足に噛みつき、食いちぎって消えたのだ。
痛覚神経が麻痺しているため、痛みは全く感じない。たぬきくんはそのまま床に倒れてしまった。
異常者は静かに言う。
「やっぱり、手足の方が弱いんだな。あの蜘蛛と同じだな」
「うぅ……ここまでか」
たぬきくんの普段の防御力なら、こんな攻撃では傷一つ付けられなかっただろう。だが、シールドの副作用で防御力が落ち、黒いクリスマスツリーの怪物との戦いで体力が低下していたため、四肢を失うほどのダメージになってしまったのだ。
この攻撃をしたのは言うまでもなく、黒いサンタクロースの怪物である。
シールドを貼られる前にあらかじめ影のようなトナカイを放っておいたのだ。
このトナカイの攻撃力はそれほど高くないが、攻撃する時にだけ実体化する。そのため避けるのがかなり難しい。体力はかなり少なく、五回も噛み付けば消えてしまう。だが、それでも今のたぬきくんの四肢を奪うのには十分であった。
たぬきくんは、黒いサンタクロースのシールドを解除する。そしてうつ伏せに寝て、自分自身を守るためのシールドを貼る。
だが、シールド平面であるため、サイドが空いている。これでも貼らないよりはマシだ。
「オレとおまえの10年はこれで終わりかぁ」
異常者は本当にそう感じているか定かではないが、寂しそうに言う。
たぬきくんはその姿を保つのに精一杯で、少しでも体力を減らさないため何も言わない。そんなたぬきくんを異常者は残念な目で見る。
「無視かぁ。酷いなぁ。よし、とりあえず死ぬか」
クソッ! 一回でも攻撃を受けたら変身が解けるッ! シールドでも多分防ぎきれない……よし。一か八かやるしかないッ!
二体の怪物がたぬきくんに向かう。そして、各々がシールドの隙間を狙ってくる。
「クルシィナァァァァ!」
「クルシィィィィナァ!」
たぬきくんの身体に攻撃が入りそうになったその時だ。
ポン。
奇妙な音が鳴り、たぬきくんの身体が煙に包まれる。カァァァァン。激しく物があたる高めの音が、それに重なる。
その音は明らかに、生物に当たった時の音では無い。それはたぬきくんへの攻撃が失敗したことを意味していた。
異常者は軽蔑したように言う。
「おまえ、随分と生きることに縋るね」
「黙れ」
左手と両足を失い倒れている隆が吐き捨てる。その身体はシールドの膜に覆われていた。血も止まっている。
この技は、たぬきくん自身には使用出来ないが、もしかしたら隆になれば使用できると思い一か八か使ってみたのだ。
異常者は隆を鼻で笑う。
「でもこれが保つのもいつまでかな?」
「そんなこと知らないね」
この時、すでに隆は気がついていた。これはたぬきくんの力が残留しているだけに過ぎず、おそらく長くは保たないと。
駅の前。人々は逃げ切り、もはや誰もいない。この場にはピンク色に光る人型の何かがいるだけだ。それは、あまりにも人間らしい雰囲気がなく、まるで無機物のようだ。
ピンク色に光る何かは、人が歩く速さで駅の中へと向かっていく。




