第32話 歩いて帰ろう
暗い空。降り続ける雨。汚れた制服。亜美子の笑顔は、陰鬱になってしまった秘密の場所に咲く一輪の花の様だ。
「私ね、クラス全員と絶交しちゃったの!」
「ぜ、絶交!?」
夢奈は目を丸くして驚く。亜美子がそんなことをするなんて思っていなかったのだ。気がつくと涙は止まっていた。
「うん! もうあんな人達どうでもいい! みんなに夢奈ちゃんと縁を切るように言われたけど、逆にみんなと縁を切ったよ!」
夢奈は食ってかかる。ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「亜美子は私と違ってみんなから愛されているのよ? 動画の話をしなかったのも、私と縁を切るように言ったのも、亜美子のことをみんなが気遣ったからだわ!」
「うん。確かにみんなが気を遣ってくれたかもしれない。でも……」
「でもじゃないわ! 私とだけ縁を切れば、亜美子は楽しい学校生活が過ごせるの! 早く学校に戻って、みんなに謝るべきだわ!」
亜美子の優しい目に夢奈が映る。夢奈は視線を逸らさずしっかり見つめる。
「私ね、気づいたの。友達なんて、夢奈ちゃんだけいれば良い」
学校生活を思い返すと、夢奈は亜美子といる時以外はいつも一人でいた。一方で、亜美子は男女問わず、いつも誰かと楽しくおしゃべりしていた。
夢奈は、その輪の中に入ろうとも思わなかった。また、亜美子を取られたような嫉妬もなかった。ただ、唯一の友達である亜美子の楽しそうな姿を見るのが好きだったのだ。
亜美子の楽しみを、自分が奪ってしまう。そんな事実に夢奈は耐えられなかった。
「ダメ! 絶対にダメ! そんなの良くないわ! 亜美子はたくさんの友達に囲まれて欲しいの!」
「それで良いの! 大切なのは数じゃないよ! たった一人の一番大切な友達がいればそれで良いの! 他の人には嫌われても憎まれても良いの!」
もう亜美子の瞳には夢奈しか映っていないようだ。亜美子は明るい、希望に満ちた声で続ける。
「クラスの人はもう許せないよ。でも、あの人達を憎むより、夢奈ちゃんとたくさん楽しいことしたいの! 夢奈ちゃんがいてくれるだけで、私の学校生活は楽しいの!」
私といるだけで楽しい……?
その言葉がじんわりと夢奈に染みる。たが、夢奈が想像する未来は悲惨であり、悲しみながら言う。
「これから、私に対するいじめが始めると思うの。正義感に駆られた人間ほど残酷な存在はいないわ。
……おそらく亜美子もいじめにあうと思う。それで学校生活が楽しめるの?」
亜美子は頼もしい力強い声で答える。
「大丈夫! 楽しめるよ! 私が夢奈ちゃんを守るから! こう見えても4月からずっとこの世界の平和を守ってきたんだよ? 私、強いから! もし、それでもダメだったら、二人で学校行くのやめようよ!」
亜美子はいじめにあうことは覚悟していた。だが全く恐れてはいなかった。例え、いじめにあっても夢奈と二人なら絶対に乗り越えられるという自信があったからだ。
亜美子は悪戯っぽく笑う。
「学校に行くのやめた時は、夢奈ちゃんが勉強教えてね! 小学生の時みたいに諦めないでね!」
夢奈の表情が少しずつ柔らかくなっていく。絶望の氷で固まってしまった心が、愛という炎で解けていくのだ。夢奈の心に神々しく慈悲深い、そして柔らかく暖かい光が差し込んでいく。
夢奈は気がつくとふふふと笑っていた。この日、初めての夢奈の笑顔だ。亜美子が大好きな夢奈の笑顔だ。
「亜美子に勉強を教えるのは至難の技だわ。……でも、もしその時が来たら……私、一生懸命教えるわね」
二人は同時に声を出して笑った。何がおかしかったわけでもなく、自然と笑い声が出てきたのだ。冷たい雨が降り注ぐが、二人は暖かい。
笑い終えると、夢奈は穏やかに言う。二人の笑い声が夢奈の苦しみを消した様だ。
「亜美子は本当にすごいわね。この世界の平和を守って、みんなを守って……こうやって私のことも守ってくれる。」
亜美子はその言葉に照れてしまう。
「いやいや、私なんて隆くんに助けてもらってばかりだし……隆くんがいなかったら、多分100回くらいは死んでいたかもしれない……」
亜美子は力なく笑う。そんな亜美子を夢奈は微笑ましく見る。
「私もね、変身できたら良いのにって思うの。変身できたら、亜美子だけを危険な目に合わせなくて済むし。
もしこの世界の平和を守ったら、私も亜美子みたいにみんなから愛される人間なれるかもしれない……なんてことも考えちゃうのよ」
亜美子は無邪気に言う。
「夢奈ちゃんなら、世界の平和なんて守らなくても、必ずみんなから愛されるよ! だって私、夢奈ちゃんが大好きだから!」
夢奈も照れてしまい、思わず目を逸らす。だが、すぐに改まって亜美子を見つめる。
「亜美子……今日はありがとう」
夢奈はにっこり笑う。その両目から涙が一筋ずつ流れている。暖かい涙が流れているのだ。亜美子もつられて笑い、一筋の涙を流す。
「お礼なんていいよ。そんなことより、寒いしもう帰ろう。誕生日プレゼントも渡したいし」
「そうね。歩いて帰りましょうか」
夢奈は立ち上がり、カバンと投げ捨てた携帯電話を拾う。携帯電話を開くと、画面が真っ黒になっていた。電源のボタンを押しても全く反応しない。
「携帯電話、壊れてしまったようね」
「それなら! 私と同じ機種に買い替えちゃいなよ!」
「誕生日プレゼントに家族から買ってもらうのも良いわね」
「やったぁ! 夢奈ちゃんとお揃いだ!」
はしゃぐ亜美子に夢奈は苦笑いする。
「まだ、買ってもらえるって決まったわけじゃないけど……」
携帯電話には様々な思い出の写真やメールが入っていた。もちろん、もう見ることはできない。
だが、そんなことは夢奈にとっては大した問題ではなかった。本当に大切なものは、ちゃんと記憶の中にある。夢奈と亜美子、二人が共有できる記憶こそが宝物なのだ。
夢奈は一歩一歩、亜美子へと近づく。自分自身で作ってしまった心の壁を、一つ一つ壊していく。二人の明るい未来へ突き進むように。
亜美子も微笑みながら、夢奈が自分のところに来るのを待つ。またいつものような二人に戻れる。亜美子も夢奈も、それが何よりも嬉しかった。
だが、亜美子まであと半分の距離まで進んだ時だ。
「夢奈!」
二人は突然の声に驚くも、その方向に振り向く。
「拓也さん!」
いつの間にか傘をさしていない拓也が、先ほどまで夢奈がいた付近にいるのだ。夢奈は、考えるよりも速く、来た道を駆け足で戻る。
雨は激しさを増し、強い風も吹いてくる。夢奈から先程までの穏やかな表情はなくなり、必死に拓也に訴えかける。
「大変なの! 私達のホテルでの動画がネット上にアップされてしまったの! 誰かが盗撮したんだわ!」
亜美子は違和感を覚えた。
なんで、拓也くんがここにいるの? 確かもっと遠くに住んでいるって、夢奈ちゃんが言ってたよね……それに、気配もなくあんなところに……まさか……また異常者が!
亜美子の頭に最悪の可能性が過ぎる。
「夢奈ちゃんッ! こっちに走ってッ!」
だが、もうすでに遅かった。拓也は夢奈の後ろに回っていたのだ。
右手に持ったナイフを夢奈の首に当てている。拓也の雰囲気も、別人のように変わっていた。明らかに普通ではない、薄気味悪い異常な雰囲気に。
「あぁ。全部知っているよ」
夢奈の頬に浅い切り傷が一つ出来ていた。血が流れる。切られたことさえ、亜美子も夢奈自身も気がつかなかった。
夢奈から声が漏れる。先ほどよりも怯え、ガタガタ震えている。
「ど、どういうこと……」
殴りつけるような暴風雨の中、拓也は舌を出し笑う。




