第30話 誕生日、笑顔を君に
2009年11月30日。
ピンクのブラウスで制服を着た亜美子が玄関で靴を履いている。この時間なら、学校なら亜美子の足でも朝のホームルームの5分前には教室に着く。
この日も危うく寝坊しかけた亜美子であったが、4歳くらいの自分が全然しらない女の人から注意される夢を見て、目を覚ますことが出来たのだ。何を注意されたのかも、どんな顔の、どんな声の女の人に注意されたかも覚えていない。
だが、そんなことはどうでも良い。今日は大切な日なのだ。靴を履き終えた亜美子はカバンの中を確認する。
よし。忘れてない。大丈夫!
遡ること、二日前。亜美子は雑貨屋Dream Houseにいた。
「亜美子ちゃん、そろそろ決まったかな?」
隆は少し困っているようだ。
「待って! もうすぐだから!」
それもそのはず、時刻はもう15時を過ぎているのに、亜美子は開店からずっと何を買うか悩んでいたのだ。結局、買うものを決めたのは、それから1時間後だった。
「ちょっと高いけどこれにする!」
嬉しそうな亜美子の手には細いネックチェーンが握られている。
「このチェーンなら、あのネックレスにも合うと思うよ。僕からのプレゼントということで半額にしてあげる」
「本当に? やったぁ! 夢奈ちゃん絶対に喜ぶぞぉ!」
あれから戦いはさらに激化した。地区外での戦闘及び二体同時の戦闘が大半を占めるようになる。過酷な日々ではあったが、あの砂浜の一件依頼、隆の表情はどこか明るくなっていた。そんな心境の変化が影響してか、それとも右手がない身体に慣れたのか、たぬきくんのパワーも全盛期ほどとはいかないが、かなり向上している。
隆は嬉しそうに飛び跳ねる亜美子を微笑ましく思った。
「和泉さんによろしく伝えておいてね」
「そういえばさ、ずっと何となく気になっていたんだけど」
亜美子が突然、隆に尋ねる。
「ん? どうしたの?」
「何で夢奈ちゃんのこと、和泉さんって呼ぶの? 私のことは亜美子ちゃんなのに」
隆は妙に優しい声で説明する。
「基本的に僕は女性には名字にさん付だよ。亜美子ちゃんは特別かな」
亜美子は少し頭を捻って考える。
あぁぁ! わかったぁ!
何故、自分だけ名前にちゃん付けなのか何となく答えが出た。亜美子が口を尖らせる。
「隆くん、私のこと子供だと思ってるんでしょ!? ひどーい! 一応、まだ夢奈ちゃんより年上だよ? 私は14歳で夢奈ちゃんは13歳!」
「いやぁ。そういう意味じゃ……」
困った隆はただ笑うしかなかった。
「よぉし! 前に言っていた宝石を見せてくれたら許してあげる!」
「わかったよ。ちょうどピンクのを仕入れたんだ。それで手を打とう。ただし売り物だから絶対に触らないことね」
隆は時々、お客さんに頼まれて高価な宝石の仕入れもやっている。そのことを亜美子に話していたのだ。
「もちろん! ありがとう隆くん!」
隆はしぶしぶ宝石を見せることにした。
亜美子は二日前に買ったプレゼントを確認し、カバンを閉じる。そして、立ち上がり玄関の扉を開ける。
季節はもうすっかり冬になっていた。空を見ると雲行きがどうも怪しく、いつもよりも肌寒い。
そういえば、今日は結構強い雨が降るって言っていたな。
亜美子は傘立てにある、ピンクの傘を手に取った。そして、学校へと向かう。
亜美子が、校舎に入った時だ。空から、しとしと雨が降ってきた。それはどんどん強さを増していき、あっという間に土砂降りに変わる。
セーフ! 間に合った!
亜美子は胸を撫で下ろし、上履きに履き替え教室へ向かう。思った通り、朝のホームルームの5分前には着きそうだ。
雨の予報のため、みんな少し早めに登校しており、学校に着いた生徒は亜美子が最後のようだ。
五階分ある階段を上りきり、教室がある廊下にたどり着いた時だ。2年2組の扉が激しく開く。教室の中から、背の高い女子生徒が物凄い速さで出て来た。
「あ! 夢奈ちゃん! おはよう!」
亜美子に気づいているのかいないのか、何も言わずに夢奈は横を通り過ぎる
夢奈ちゃん、どうしたんだろ?
明らかに様子がおかしい。教室に戻ってきてから話を聞こうと思い、そのまま教室へ向かう。戦いで身体能力が向上した亜美子でも、夢奈の速さには追いつけないため、そうするしかなかったのだ。
亜美子は教室の前に着くと、ドアを勢いよく開ける。
「みんな! おはよ…………何これ……」
亜美子は目の前の光景に戦慄した。全身から汗が吹き出し、身体が冷えていくのがわかる。目の前の光景はとても受け入れられるものではない。夢奈が教室を出て行った理由を理解してしまった。
クラスメイトは教室の前の方に集まっており、殆どが亜美子を見ている。床には壊れたノート型パソコンが落ちていて、明らかに異様な空気だ。
そして、何故か麗美がうずくまって泣いており、他の女子生徒が慰めている。さらに、黒板にパソコンでプリントされた画像が数枚貼られている。
そんな中、クラスでも目立つ男子生徒が亜美子に深刻な顔で話す。
「驚くのも無理ないよな。おまえはずっと騙されていた。あの和泉はこういう奴なんだよ」
黒板には貼られた紙には、とんでもないものが印刷されていた。
窓のない派手な部屋の大きなベッドの上で、煙草を吸う下着姿の夢奈だ。その首から、青い石のハートのネックレスがかけられている。煙草も珍しいピンク色であり、疑いの余地もなく夢奈だ。ただそれは、盗撮されたような画像だった。
「そうだよ! あいつはやばいって!」
「優等生のふりした不良だ!」
「亜美子は不良が苦手だよね?」
「これ以上、絶対に関わっちゃダメ!」
「和泉は本当に最低の女」
「亜美子は騙されてるよ!」
「みんな、亜美子のために言っているんだよ?」
クラスメイトが口々に、夢奈と縁を切るように言う。亜美子は下を向いてプルプル震え出す。そして、思い切り空気を吸い込む。
「黙れッ!」
聞いたこともないような亜美子の怒号に、教室は一瞬で静まり返る。その声は他の教室にまで響いた。亜美子は、いつもよりも低い声でボソリと言う。
「煙草吸っていることくらい、知っていたよ」
その言葉に教室がざわつく。だか、誰の言葉も亜美子の耳には入らない。全てが雑音の様だ。
亜美子はクラスメイト全員を思い切り睨みつける。これでも数々の怪物を倒し、死線をくぐり抜けてきた。そんな亜美子に本気で睨みつけられた、クラスメイトは身の危険を感じるほど震え上がる。
何事かと覗きにきた他のクラスの生徒達も、逃げる様に次々と自分達の教室へ戻っていく。
「確かに夢奈ちゃんが煙草吸ったのが悪いかもしれないよ? でも、こんな写真貼り付けて……何? 正義のつもり? 最低だよ。誰か止めなかったの?」
クラスメイト全員が亜美子を見ることができなかった。中には、泣き出してしまう生徒や、過呼吸を起こしてしまう生徒、震え上がる生徒までいる。クラスを明るくしてきた亜美子が、クラスを恐怖で埋め尽くしているのだ。
「なんか言えよッ!」
亜美子のその言葉は、さらに泣き声を増やすだけだった。亜美子は再び下を向く。そして、虚な声で言う。
「もういいよ。あんた達全員……同じクラスってだけで、もう友達でも何でもない。……親友、探しに行ってくる」
亜美子はその場にいるクラスメイト全員に絶交宣言をした。カバンを持ったまま、教室の扉を開ける。するとすぐ近くに一人の男子生徒が立っていた。
「亜美子。大丈夫か?」
「……京介」
京介の目に映る亜美子は別人のようだった。無表情であるがグツグツとマグマのように煮える怒り。それが顔から溢れ出ているのがわかる。それでいて目がとても悲しそうだ。
京介もさすがに怖かった。だが、好きになった女の子が、こんな状態になったのを放っておけなかった。
「和泉さん、探しにいくんだろ? オレも一緒に行くよ」
「来ないで」
感情がこもってない亜美子の言葉が、二人の間に心の壁を作る。それでも、京介は諦められない。
「頼むよ! 俺も亜美子のために何かしたいよ!」
亜美子は何も言わずに、走り去った。京介の足なら、簡単に追い付けただろう。だが、心の壁に阻まれたのか、その場から一歩も動けなかった。
「ごめんな。俺、何もできなくて……」
京介は涙を流す。
学校の近くのアパートの一室。その窓際に一人の男が立っている。窓からは学校の正門がよく見える。しばらくすると、雨の中、傘もささずに門から飛び出してくる亜美子の姿が見えた。
「お、特異点が動き始めたか。……まずはそっちへ行くかぁ。それにしても、相変わらず足が遅いな」
亜美子の姿に異常な笑みを浮かべ、一人で笑い始める。
「まだ時間がかかりそうだから、もう少ししたらオレも動くか。場所は大体わかる。もし違ったらそれもまた一興。このままでも悪くない」
異常者は、真っ黒な液体で何かを漬け込んでいるゴミ袋を、少し大きめのリュックに入れた。
亜美子は土砂降りの雨の中を走る。最初は、夢奈の家に向かった。だが、家には誰もいないようだった。居留守を使われている可能性もあるが、亜美子は夢奈がいそうな場所に心あたりがあったため、そっちへ向かうことにしたのだ。亜美子はその場所の入り口に着く。
「思った通り。最初からこっちにしておけばよかった」
息を切らした亜美子は、森の中へと続く新しい足跡を見つける。そして、少し休むとすぐに、森の中へと入った。
どうして……どうして、こんなことに……
土砂降りの雨の中、夢奈はカバンを地面に置き、秘密の場所に一人で佇む。携帯電話を開き、何度目かわからない電話を拓也にする。
トゥルルルルルルル。トゥルルルルルルル。トゥルルルルルルル。
何度コールしても繋がらず、「おかけになった電話をお呼びしましたがお出になりません」のアナウンスが流れるだけだ。メールも何十通も送ったけど返事がない。
「あぁッ!」
夢奈は携帯電話を地面に投げ捨てると、崩れるように地面に膝をつく。走ってきたせいで、泥だらけになってしまった制服がさらに汚れる。
もはや、涙さえ流れない。夢奈は自分の身に起きたことが、どこか受け入れられずにいた。
「なんで……よりによって今日に……うッ……」
一連のでき事が頭を駆け巡る。それは吐き気を催し、朝食べてきたものを全て戻してしまった。全身の不快感が、あれが現実だと物語る。
そんな時、雨音に交ざって誰かが近づいてくる音が聞こえた。
「夢奈ちゃん!」
夢奈が後ろを振り向くと、少し離れたところから亜美子が走って向かってきていた。傘もささずに走ってきたため、全身びしょ濡れで、制服も泥だらけだ。
夢奈は思い切り声を出す。
「私に近づかないでッ! 何しに来たのッ!?」
亜美子は立ち止まる。夢奈に初めて拒絶されて心が折れるほど、悲しかった。だが、必死に笑顔を作り、カバンから包装された小さな箱を取り出す。
「これ! 渡しに来たの! 今日、誕生日でしょう?」
「いらない!」
夢奈はすかさず、亜美子に怒鳴る。亜美子は誕生日プレゼントをそっとカバンにしまう。
夢奈は感情のまま続ける。
「何でここにいるってわかったの? 私のことなんて放っておけばいいのに!」
亜美子はまっすぐ夢奈を見つめる。
「家にいないなら、ここにいる気がしてさ。ごめんね。私がもっと早く学校に着いていればこんなことにならなかったよね……」
亜美子は目に涙をいっぱい浮かべて、頭をさげる。だが、夢奈はそれを呆然と見ているだけだ。
頭を上げた亜美子が続けて喋る。
「私、夢奈ちゃんを放っておくことなんて出来ないよ。だって夢奈ちゃんは私のしんゆ……」
「私にそんな資格ない! 私は穢れた女なの!」
亜美子はナイフで心を刺されたかの様な気持ちになった。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「そんなことないよ! 夢奈ちゃんは汚くなんてない!」
亜美子の必死の訴えを、夢奈は鼻で笑う。
「クラスの人から何も聞かされていない様ね。何があったか全部話してあげる。話を聞いたら帰って」
雨はさらに勢いを増す。夢奈は勢いのまま、苦しそうに話し始めた。




