第11話 魔法の言葉
前回のあらすじ
殺虫剤の怪物に大ダメージを与えたたぬき。霧が晴れていく。
だが、たぬきが見たものは、両手と下半身全てが溶けた今にも死にそうな亜美子だった。
「これはなかなか見られないよ。もっと見せて」
校舎の声がそう言うと、殺虫剤の怪物のへこんだところ全てに目が現れる。
たぬきはそんなことはどうでもよく、目の前の光景にただ絶望し、言葉を失う。
「お願い! お願い! 亜美子を助けて! 助けてよ!」
「助からないよ。もうすぐ死ぬ。時間が戻ってもこの子は無理だよ」
心ない校舎の声に、同じく絶望した夢奈であったが、それでも必死に助けを求め続ける。校舎にいる男は嘲笑い、さらに挑発する。
「さぁ、どうする? どうする?」
たぬきの頭に昔の記憶が蘇る。
14歳くらいの少女との記憶。この学校と同じ制服を着た少女と楽しくおしゃべりをしている、なんてことない日常の風景だ。ウェーブのかかった長くて黒い髪の少女と、一緒にお話ししているだけ。それだけなのに幸せだった時間。
たぬきは思い切り目をつぶり、何かを吹っ切るようにカッと見開く。
オイラは、オイラは……今、目の前にいる亜美子を、亜美子を……死なせたくない。
たぬきは亜美子のところまで走る。
絶対に、絶対に死なせたくない。絶対にッ! 例え、亜美子に憎まれても……死なせたくないッ!
亜美子のもとにたどり着くと右手を亜美子の身体にそえる。すると亜美子の身体の周りにピンクのオーラがフワッと現れ始める。
「おいおい。まさか、また同じ過ちを繰り返すのか? おまえも無事じゃすまないぞ?」
大袈裟に心配したかのような声が、校舎から聞こえてきた。それはあまりにもわざとらしく、感情がこもっていないのは明らかだ。対照的に、たぬきの感情は爆発する。
「過ちでも構わないッ! 無事じゃあなくても……構わないッッッ!」
たぬきの右腕にも同じようにピンクのオーラが現れる。
「うぉぉぉぉぉ! もっとだ! もっとだぁぁぁぁぁぁぁ!」
オーラは激しく光り始め、亜美子の身体を包んでいく。そして、たぬきの右手も同じように激しく光り、ピンクの光を亜美子の方に放つ。
すると、亜美子を包んでいた光が、楕円型の球体になった。まさにピンク色の光の繭だ。
たぬきはその光景を見ると、ニヤリと笑い地面へ倒れた。
ポン。
不思議な音と共に煙が出て、たぬきを包む。煙が消えると、たぬきの代わりに誰かが倒れていた。驚きのあまりか、夢奈の涙が止まる。
「え……あなただったんですか……?」
それは夢奈の知っている人物だった。
亜美子はピンクの光の繭の中で目を覚ます。
「ここが天国?」
亜美子は自分の身体を確認する。
「手足が……戻っている。なんだか力もみなぎってくる。私、死んでない」
ここはすごく心地が良い。亜美子はずっとここにいたいとさえ思えた。だが、亜美子は強い意志でそれを振り切る。
「ずっとここにいちゃダメ。行かなきゃ。この力があればなんとかなりそう」
亜美子の頭にある言葉が浮かぶ。忘れていた言葉を思い出したかのような感覚だ。
何故、自分がこの言葉を知っているか、この言葉が意味するものは何か、亜美子は全くわからない。だが、今この言葉を言う時だと本能が訴えている。亜美子は力強く言う。
「キュルラン・キュルラン」
横たわっていたピンクの光の繭は縦になり、その形がだんだん人の姿へと変わっていく。そして、完全に人の形になると、眩しいピンクの光が放出された。
「亜美子! 亜美子!」
「心配かけてごめんね」
夢奈は嬉しさのあまり声をあげる。てへっと笑う亜美子は傷一つなく立っていた。
亜美子は身体の内側から、とんでもないエネルギーを自分に感じている。そして、その姿は大きく変わっていた。
真っ黒な髪の毛は金色になり、濃いピンクのハートと薄いピンクの逆さハートが交互に四つ着いた髪飾りで結ばれ、縦巻きのポニーテールになっていた。
服は薄いピンクを基調としていて、袖は白くホワホワして丸い。胸元から濃いピンクのハートが縦に三つ付いてついており、下に行くごとに小さくなっていく。その服は若干短く、ヘソが出ている。
薄いピンクのスカートは上下にハートと逆さハートの白いフリルがついていて、太ももが少し見える。
膝よりも長い白い靴下を履いており、薄いピンクのヒールの前には、濃いピンクのハートが付いている。
まさに、この姿こそが魔法少女だ。
「なんか。姿まで変わっちゃった」
亜美子は自分の姿を軽く見てから、自分の近くで倒れている人を見る。
「え……」
その姿に、ただ涙が溢れてくる。
「初めて会った時、どこかで見た気がすると思った……こういうことだったんだ……」
瞬時にこの人があのたぬきで、自分を助けてくれたと理解したのだ。この人物は亜美子も知っていた。
「雑貨屋さん……ごめんなさい。私のせいで……私のせいで……」
「良いんだよ。それより、もし、できたらで良いから、僕が回復するまであれと戦ってくれないかな?」
店主は優しい声で亜美子に微笑む。しかし、その右腕は完全に消失していた。夢奈もそれに気付き、思わず息を呑む。
亜美子は涙を拭いて力強く頷くと、殺虫剤の怪物を睨みつける。殺虫剤の怪物は体力が回復したのか、すでに起き上がっていた。しかし、もう霧を出す力は残っていないようだ。
「ほぉーこういうの久々だなぁ」
校舎の声からはしゃぐ様な声が聞こえるや否や、亜美子は殺虫剤の怪物に突っ込んだ。店主は見守る。
「あれはなかなか速いぞ」
そのスピードはたぬきこと店主さえも驚くものだ。
「喰らえ化け物!」
殺虫剤の怪物は全く反応できず、亜美子の一撃を食らう。しかし、カーンという音とともに亜美子の手が痺れた。
「頑張れ! 亜美子!」
夢奈の応援が聞こえる。だが、あまりダメージを与えられていないようだ。
「もう! なんなのぉ!」
亜美子はがむしゃらに殴り続ける。自分の手が痺れても何度も殴る。あまりのスピードに殺虫剤の怪物は反撃できない。しかし、全くと言っていいほどダメージがない。
「何で全然効かないのぉ!」
「まだ力が出しきれないか…」
店主が悔しい顔で戦いを見ている。すぐに加勢したいが、まだ身体が動きそうにない。
「あぁ! もう!」
亜美子は手が動かなくなってきたので、殺虫剤の怪物から距離をとる。すると今度は殺虫剤の怪物が攻撃を始める。それを見た、店主の悔しさは増していく。
「あと少しなのに……」
殺虫剤の怪物は先程の戦いでかなり弱っている。そのため、殴る蹴るの攻撃は亜美子に全く効いていないようだ。亜美子はその場から一歩も動かない。まるで弱い風に当たっているかのように。
少しすると亜美子はガタガタと震えだし、ボソボソと何かを言い始めた。
「夢奈ちゃんに痛い想いさせて……雑貨屋さんのことも傷つけて……みんなや私を殺しかけて……」
亜美子の身体にピンクのオーラが現れる。大気がバチバチと揺れ動く。
「なんか、嫌な予感がするぞ……」
店主の呟きを簡単にかき消す大声で、亜美子は叫んだ。
「ふざけんなバカァァァァァァァァァァァァッ!」
亜美子の全身から眩いピンクの光が放たれる。その光が校舎や体育館、学校の敷地内にあるもの、いや、学校の外にあるものまで全て飲み込む。
ゴゴゴゴという音を立てて全ての建物が崩れ去っていく。夢奈も店主もあまりの眩しさに目をつぶった。
光が消えたあとは瓦礫の山だ。しかし、夢奈も店主も傷一つついていない。殺虫剤の怪物はというと、目があったところ全てから黒い液体を流し倒れていた。
力を使い果たした亜美子は倒れ込み、変身が解け体操着姿になってしまう。そして、そのまま気を失った。
「まだ倒しきれなかったか……そろそろ行けそうだな……」
店主は小さい声で言うと、そのまま立ち上がる。そして、倒れている殺虫剤の怪物のところに歩く。ゆっくりと、何度も何度も転びそうになりながら歩いていく。
「とどめは……僕が刺さなきゃ……」
殺虫剤の怪物の前に立つと、ポンという音ともに煙が出て、右腕のないたぬきの姿に変身した。
たぬきは、失った自分の右腕を一切見ない。かわりに、敵である殺虫剤の怪物を睨みつける。深く息を吸い込む。
「これで終わりだぁぁぁぁぁ」
たぬきは叫ぶ。そして、残りの力を全て込めてた左手の拳を怪物にぶつける。
ゴォォンと鐘のような音が鳴り、殺虫剤の怪物から流れていた黒い液体が透明に変わる。それが消えると、洗い流されるかのように、空が青くなっていく。
殺虫剤の怪物を倒したのだ。
瓦礫の中で男は生きていた。本来なら死ぬはずの瓦礫の下敷きになっても、怪我一つしていない。
「こんなことになるなんて……これからが楽しみだなぁ」
男は不敵に笑う。
こうして時間は巻き戻り、たくさんの犠牲者を出したこの戦いも、怪物と共に歴史から消滅したのだ。




