第9話 初めての友達
前回のあらすじ
鬼になった大原先生は亜美子に狙いを定める。逃げる最中、亜美子は転んでしまった。
だが、亜美子は鬼にならなかった。夢奈は自らを犠牲にして亜美子を守った。
亜美子の目から涙が溢れてくる。自分が不甲斐ないせいで、夢奈を危険に晒してしまったからだ。今、何分経ったのだろうか。開始から5分をすぎると夢奈を死なせてしまう。
仮にたぬきが助けにきて時間が戻っても、誰かが死ぬのは絶対に嫌だった。クラスメイトの誰にも死んで欲しくない。その中でも特に、夢奈が死ぬことは耐えられない。亜美子は涙でグシャグシャになる。
「動けるようになったら、すぐに私にタッチしてぇ! 私が鬼になるから!」
「それはできないわ。亜美子は時間が巻き戻っても怪我が治らなかったんでしょ? 私なら例え死んでも何とかなるわ」
「そんなこと言わないでよ! 嫌だよ! 嫌だよ!」
亜美子は泣き続ける。グラウンドにいる人達は、二人が話している言葉の意味を当然分かっていなかった。しかし、校舎にいる男は違ったようだ。
「……思い出した。前に会ったことあったな。まさか、君も特異点だったとはね」
これは偶然か。それとも何かの因果か。校舎にいるこの男は公園で二人を見ていた男だった。あの時、男は一瞬だけ亜美子に興味を持ったが、すぐにどうでも良くなり忘れていたのだ。
しかし、今の彼は違う。亜美子と初めて会った日を思い出し、かなりの興味を持ってしまったのだ。
亜美子は前に会ったという言葉と、特異点という言葉が引っ掛かった。だが、今はそんなことを気にしていられる状況ではない。
「夢奈ちゃん! 考え直して! 私を鬼にして! 鬼にしてよぉぉぉぉ!」
「亜美子を鬼になんてしないわ」
亜美子は夢奈に赤い霧を自分に移すように必死でお願いをしたが、全く聞き入れてもらえない。
そうだ! これならできるかも!
そろそろ夢奈が動ける頃だと思い、亜美子は強行手段に出る。
夢奈に近づくとその右手を掴む。夢奈は避けるそぶりすら見せない。
亜美子は夢奈の右手を、自分の肩に当てる。夢奈がタッチする気がないなら、自分から当たりにいこうと思ったのだ。だが、赤い霧は微動だにしない。
「何で? 何で? 赤い霧が私の方に行かないの?」
「私の意思で触れないとダメみたいね」
「そんなぁ……」
もうダメだと分かっていても、亜美子は何度も、何度も、自分の体に夢奈の手を当てる。
「早く、私を鬼にしてよ夢奈ちゃん……」
亜美子の顔に夢奈の手が当たる。夢奈の手は涙で濡れた。自分のために流してくれた温かい涙は、これから死ぬというのに夢奈を温かい気持ちにさせてくれる。
「亜美子は本当に優しいわね。私、亜美子の親友になれて良かったわ。あの時、話しかけてくれて本当にありがとう」
2006年4月21日。
夢奈と亜美子の出会いは小学5年生の時だ。そこで初めて二人は同じクラスになったのだ。
夢奈はずっと一人で過ごすことが多かった。何でもできるように見える夢奈だが、苦手なこともある。その一つが自分から人に話しかけることだ。
だから、夢奈は積極的に友達を作ろうと思わなかった。人間が嫌いなわけではない。ただ同じ学校というだけで、何の共通点もないクラスメイトに、必要以上に興味を持てなかっただけなのだ。
夢奈はいつものように教室で一人で本を読んでいた。
「あ、あの……」
突然、小さな声で声をかけられた。声をかけて来たのは小柄で髪の長い可愛らしい女の子。夢奈はその子と初めて同じクラスになったので名前さえ知らなかった。
「ん? 私に何かようかしら?」
女の子は、恥ずかしそうにもじもじしながら言う。
「私……加藤亜美子って言うの……あの、良かったら、私と友達になってくれませんか?」
ほぼ初対面の女の子に面と向かって、そんなことを言われたのは初めてだ。
何、この子。変なの。
夢奈はおもしろくなってしまい、声を出して笑う。不思議とこの子のことをもっと知りたいという興味が湧いたのだ。
そして、何より自分と友達になりたいと言ってくれたことが嬉しかった。夢奈は無意識のうちに友達を求めていたのだ。
「ごめんね。和泉さん。私、変なこと言っちゃったよね……」
今にも泣き出しそうな亜美子の肩に夢奈は手を乗せる。人に触れるのも触れられるのも苦手だったはずが、自然と手が伸びたのだ。夢奈の顔も自然と笑顔になっていた。
「うん。すごく変なこと言ってるね。私は夢奈で良いわ。これからよろしく、亜美子」
「ありがとう! 夢奈ちゃん! よろしくね! でも私、変な子じゃないからねぇ」
亜美子が嬉しそうに言うと、夢奈はふふと声を出して笑った。
クラス全員の視線は、いつのまにか二人に向けられていた。それもそのはず。夢奈は初めて学校で笑ったのだ。誰も見たことなかった、笑顔の夢奈がいる。
奇しくも、ちょうど3年前の出来事だ。
2009年4月21日。
夢奈にとって亜美子は初めての友達。だから何があっても守りたいのだ。
校舎の男は、そんな夢奈の気持ちをせせら笑うかのように言う。
「一個、言い忘れた。鬼は走る気がないと…」
男が言い終わる前だった。突然、夢奈は地面に膝をつき、そのまま倒れる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
喉が裂けたかのような悲鳴を上げ、のたうちまわる。
「どうしたの夢奈ちゃん!」
亜美子はすぐにでも夢奈を抱きしめたかった。だが、自分が触れてしまうと、余計に痛みを与えてしまうと思うと何もできない。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ」
夢奈は白目を向いて、ただただ痛みに叫んでいる。もう異常事態で心が壊れてしまったのか、他の女子生徒達は魂が抜けたようにそれを見ていた。校舎からの声が喋り始める。
「あぁ。遅かったか。走る気がないと、激痛が身体中に走りるんだなぁ。走る気があれば、すぐに痛みがなくなるよ。すぐに走れるから走りなよ」
馬鹿にしたような口調で発せられたその言葉聞いて、亜美子は泣きながら叫ぶ。
「お願い! 走って走って! 走ってよぉぉ!」
それでも夢奈は走らない。それには理由があった。激痛のあまり言葉で説明できる状態ではなく、亜美子に伝えることはできなかったが、夢奈は気づいていた。
鬼が走れば走るほど霧が狭まっていき、逃げられる範囲が狭くなるのだ。鬼が走り続ければ5分も待たずに、霧に飲まれて全員死ぬ。
そう、これは鬼ごっこというゲームではない。単なる殺戮にすぎないのだ。
「走らないと死ぬよ」
嘲笑うような声が校舎から聞こえてくる。
「お願い誰か助けてよ! 誰か夢奈ちゃん助けてよ!」
亜美子はもう助けを呼ぶことしかできなかった。
「残念。助けは来ません。この子は死にます」
それでも亜美子は助けて、助けてと叫び続ける。夢奈の意識がなくなっていくその時だ。
パリィィィィィィィィン。
ガラスが激しく割れるような大きな音が聞こえた。それと同時に、何かが上から降ってくる。ついに助けが来た。そうなれば、どんなに良かったことか。
自体はさらに悪化する。殺虫剤の怪物が上から降ってきたのだ。
殺虫剤怪物は、まるで人間が蟻を踏み潰すように大原先生を黒い足で潰し、グラウンドに立っている。大原先生は、自分が死んだこともわからないうちに、誰からも悲しまれることも、惜しまれることもなく死んだ。
「クルシィィナァァァ」
亜美子からは離れた位置だったので、二人が踏み潰されることは免れた。
女子生徒達が悲鳴を上げながら逃げる。だが、何人かは霧に触れてしまい、手足を失い芋虫のようになってしまう。悪臭と絶叫に包まれたグラウンド。地獄とはまさにこのことだ。しかし、事態は急変する。
殺虫剤の怪物が動き出す前に、何かが霧の方から弾丸のように飛んできたのだ。それは殺虫剤の怪物にぶつかり、黒く大きな身体を吹き飛ばした。
殺虫剤の怪物は霧の中へと消える。それと同時に夢奈から赤い霧が消える。夢奈の体から痛みも消える。だが、まだうまく喋れないようだ。
「待たせたな亜美子」
殺虫剤の怪物が吹き飛ばされ、代わりに茶色いたぬきのマスコットみたいな生き物がいた。相変わらず、男性の裏声みたいな変な声だが、それさえも頼もしい。
「やっぱり助けに来てくれたんだ」
「……やっぱり覚えていたか」
亜美子はたぬきが自分の名前を知っていることが気になったが、今はそんなことを聞いている場合ではない。
助かるという希望が出てきた。涙が止まり、安心し切った亜美子にたぬきは言う。
「これから始まったばかりだぞ。油断するんじゃあない。おまえは絶対に死んではいけない」
殺虫剤の怪物は霧の中で起き上がっていた。霧の中で怪しい影のように見える。たぬきはその目を鋭く睨む。
「ずいぶんと、ふざけたことをやってくれたな! 覚悟しろ! クソ殺虫剤野郎!」
唯一の希望はたぬきに託された。反撃が始まる。