ふんどし旗
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うおっ、見たかよつぶらや。腰パンとか、すっごく久しぶりに出くわしたぜ。
「社会の窓」と一緒でしょ、ああいう風にズボンからパンツがはみ出ているのって、ファッションなのか? 突っ込まないことが、優しさなのか?
下着の類いって、普段は人に見せる予定がないからこそ、ついおざなりにしちまうことがあるけど、いざという時は気合いを入れるもんだよな。あと、小学生だかの時にブリーフか、トランクスかで、色々と論争があったっけ……。
――何? ふんどしを締めているパターン?
いや、今どきの若いもんはさすがに……いないよな? もっとも若いもんに関してだがな。現役でふんどしを着用している人、身近で知っているぜ。田舎に住んでいる俺のじいちゃんだ。
それもな、そこではふんどしに特別な意味合いを持たせているんだよ。ちっこい時に体験したが、よく覚えているぜ。
……なんだ、興味があるのか?
少々、シーモネーター気味になるぞ。構わないか?
デリケートエリアに関しては、古来、様々な逸話が存在する。
俺が印象的なのは、武田信玄のものかな。彼は厠のことを「山」と呼称したらしい。
その心は、「山には『くさき』が絶えないから」とのこと。「草木」と「臭き」をかけた、シャレとなっているわけだ。
じいちゃんの田舎でも、似たような「くさき」の概念があるんだが、もっと直接的なもの。いわゆる「体毛」をこそ草木に認めたんだ。それを多く生やす者こそ、活力豊かな生命として敬われるべき存在、とみなされるのだとか。
そして性質上、毛深くなるのはどうしてもオスが多い。よって、じいちゃんの田舎では手足に毛がぼうぼうで、ひげも虎か熊みたいに顔の輪郭を埋め尽くしている人も珍しくない。
髪も女性顔負けの長さだ。本とか舞台に出てくる、長髪の修験者のイメージそのままって感じだな。
そして、ここからが問題なんだが……じいちゃんの田舎だと、人の身体というのは二種類の「頂き」を持っており、そこに強い力が蓄えられていると信じられているんだ。
ひとつは頭頂部。ふさふさと髪を生やしているのは、頭の豊かな自然にこそ力が宿るという考えからだ。天の恵みを一番受けやすい場所、ともみなされているらしい。
もう一点、こちらは大地の恵みを蓄える場所と言われている。それは俺たちが常日頃、地面と接している足より伝わるとのこと。そのため、すね毛を初めとする、足全体の毛の生え方も重要視されている。
で、その力が集まる頂きとみなされているのが……股ぐらだ。
――おい、こら。笑うんじゃねえよ! こちとら真剣に話しているんだぜ!
上方の恵みが頭に集まり、髪の毛が生えるのならば、下方の恵みもまたそこに集まり、毛を豊かに生やす。当然、その茂り具合というのが評価の対象となる。
子供のうちは、この世に生を受けてから時間がさほど経っておらず、そのため恵みを十分に享受できていないとされ、毛が少なくともさほどおとがめはない。
だが、15歳の誕生日を迎えた男は、大人の仲間入りを果たしたとされ、その時点で毛が薄い者には、修行と称した罰則がある。
一週間に一度、指定された沼の水に浸かることになるんだが、単なる水浴びでは済まない。
水の中での倒立だ。30秒を一回として、規定の回数をこなすことになる。
なぜ、このようなことをするのか? 代々伝わっている教えによると、股ぐらの毛が薄いのは、足に溜まった恵みを、十分に吸い上げることができていないからだという。
そのため、流れる水が高きから低きへ落ちるように、股ぐらもまた足より低き位置へ持って行かねばいけない。そのためには、逆立ちをすることが重要とされたんだ。
そしてそれを、地上ではなく、水中で行うことによって、人体の重要箇所である頭を最も低く、最も命が危険な水の中へと置くことができる。その死の危険こそが、怠惰に眠っている力を、呼び起こすきっかけとなるとも。
水の浮力が手伝うこともあり、倒立姿勢に移行することは、地上よりもずっとたやすい。慣れている者だったらそのまま自力で30秒粘り、少し間を置いて二回目、三回目に臨む。罰則とはいえ、事故が起きてはまずいから、大人たちが足を押さえるなどの補助に回ることも許されていたとか。
小さい頃に、その様子を見させてもらったが、あれは衝撃的だったなあ。某推理小説に出てくる、死体がひっくり返って、水から足だけ出しているあのシーン。あれがいくつもいくつも並んでいるんだぜ? ひとつ残らずふんどしを締めた状態でよ。
もう笑えばいいのか、怖がればいいのか……10年も生きていない子供が見るもんじゃなかったぜ、まったく。
――お前はいいよな。さっきから笑いをかみ殺すだけのポジションでよ。
だが、これらも全部、ある行事のための大事な布石なんだとさ。
じいちゃんの田舎では、一年に二回。春と秋にお祭りが開催されるんだが、その際にふんどしを使い、旗を作るのだそうだ。
各家で男の人数分をこさえる必要がある。こいつはすべて女の手によって作られなくてはいけなくて、男はその制作の場に立ち会うことはできないのだとか。女での居ない家などは、隣近所の女たちが力を貸す。
長く身につけているものほど良いとされ、どの男も必要最低限のローテーションを組める数のふんどししか用意がされないそうだ。以前は一枚だけしか持たない、という猛者もいたが、衛生面で問題があったらしく、かえって恵みを汚すものとして、良い目はされなかったらしい。
そうして作られた旗は半年間、家の軒先へ立てられ続ける。何でも、家庭を守るための護符のような役割を果たすのだとか。その成果が試されたことは過去、数回あり、じいちゃん本人も、体験したことがあるらしい。
じいちゃんが15歳当時、初めて罰則を受けた時のことだ。徹底した水中での倒立を経験させられたじいちゃんは、くしゃみが止まらず、少々、頭がぼうっとしていた。
その日のお使いが済ませて、家へ帰ろうとしたところ、村の外れである女の人に声を掛けられたんだ。
ぱっと見たところ、自分の母親に似ている。だが、母親の口元には小豆が張り付いたかと思ってしまうほどの、大きなほくろがあるのに対し、その女性の口元は、にきびひとつないきれいなものだったとか。
彼女は自分を、母親の妹だと語り、母親に会いに来たのだと語る。
当時は戦争が終わって間もなく、長い間、音信が不通だったとしても、おかしい話じゃない。じいちゃんの両親に関しては、兄弟がたくさんいるとは聞いていたものの、まだ実際に会ったことがない人も多かった。
――一応、親にうかがいを立ててみれば、解決するかな。
じいちゃんはそう思って、案内役を買って出たそうなんだ。
彼女はじいちゃんに先導してもらっている間、初めてここへ来たかのように、周囲をきょろきょろと見回していたそうだ。聞いてみると、母親がここに嫁入りしてから、久しく会っていないのだという。
「そんなものなのかなあ」と思いつつ、家の前まで来たじいちゃん。門の前には自分が今年、初めて加わることになったできたての旗に加え、毎年の父や兄の分のふんどし旗が立たせてあったんだ。
ところが、二人が門柱を潜ろうとした時、身体ごと後ろへ転げてしまいそうになるくらいの突風が、前方から吹き寄せたんだ。
正面にあるのは母屋。敷地の一面を覆うその図体は、風に対する大きな壁となってくれている。この方角から強く吹かれるという経験はじいちゃんにはなかった。
「あっ」と短い声が、じいちゃんの背後から届く。振り返ると、母親の妹が門柱にかけた旗に絡まれていた。
自分のものも含めた、三本の旗。その旗地を成す、ふんどしだったものたち。それらが、まるで彼女が自分から手繰り寄せたかのように、全身に巻き付いていたんだ。
立てかけていた旗たちは、「まだ足りない」とばかりに、おのずから次々と倒れていき、残りの生地も惜しみなく彼女へ絡みつけていく。あれよあれよという間に、彼女の足下すらふんどしたちの向こうへ隠されてしまった。
「さすがにまずい」とじいちゃんは彼女に駆け寄ったんだが、どうしたことか、引っぺがそうとする生地の向こうに、感じるであろう彼女の身体の感触がない。向こう側へ渦を巻いて引き込まれていたふんどしを、苦労して解いて見ても、やはり彼女はいなかった。
狐につままれたかのような気分で家に入り、母親へ話したところ、顔色を変えられたそうだ。母親の妹は、戦時中にすでに死んでいるはずだ、とのことだった。
その翌日から、じいちゃんは布団から起き上がれないほどの激痛と高熱に、しばらく悩まされるようになる。母親たちも、栄養のつくものを苦労して用意をしてくれたものの、結局、一ヶ月近くを布団の中で過ごしてしまったそうだ。
死者が会いに来てくれたというと、いかにも美しい話ではあるが、母親の妹の場合は引き込む相手を探していたのだろう。それも、自分と血がつながる者たちの中から、母親たちを選んで……。
ふんどし旗たちはその異変に気がつき、身体を張って、家の中へ母親の妹を入れないようにしたのだろうな、と話していたよ。




