下ネタ取締り委員会
宇宙のとある空間を巨大な黒い塊が飛翔し通過している、それは宇宙空間に浮び屹立された二つの透明な壁になされた角へと迷い込んでしまった。
極彩色の不可思議で美しい天幕に覆われた世界である。浜辺だった、海面には空から注がれた色とりどりの光が写されていた。潮騒が聴こえている。海面の様々に変幻している色彩を割って一筋の金色が通過していた……
ズドーーン!
突如浜辺に落とされたのは神々しい黄金で。
「うへへへっ。これをただの金塊と見なそうものか! 建造物の表面ばかりか内部の細密な箇所にまでことごとく金色に塗られた金閣寺」
今しがた空から産み落とされたばかりの国宝級の建造物の隣りに立つ男、派手な和服の出で立ちはいかにも江戸時代の豪商といったところか。
「このボケはですな……金箔をものの見事に貼り付けたあの金閣寺を凌駕して、これは内部構造全てに至るまで金塊を使って造られた金閣寺の決定版、一体いくら掛かってんだよってところが笑いどころでしょうな」
そう云うと商人は不敵な笑みを続けながら歩いていきやがて消えてしまった。
「ダメだ」
ツルのような一声、甲高い、カッチリとスーツ姿に包まれた七三分けに黒縁の薄メガネの生真面目そうな男の声色は、ツルの鳴き声に似ていた。
「びっくりするわ!」
もう一方の男はネルシャツにジーンズ姿のありふれた風采の男である。
「これは下ネタに相当する」
「どこがだよ!」
この平生オーロラに包まれた不思議な世界は、ある特別な磁場によって独自の秩序が形成されていた。この世界の人間の脳内に芽生えたボケが現実として顕現する。それは生まれた瞬間に天幕より地上へと降り注ぐのであった。
「ふん! 汚らわしい……そもそも金など世界の諸悪の根源……下ネタだ」
「極論すぎる!」
そしてスーツ姿の男こそ、世界の下ネタを取り締まる『下ネタ取締り委員会』の役員であった。
「そもそもどうしてアンタらは下ネタにこだわって取り締まろうとしているんだ? 不思議でならないぞ」
「そんなもの決まっている、この世界はある日突然人々のボケが顕現するという異常現象に見舞われることとなり、以降それが世界の常識となるまで多くの日を待たなかった。純粋にボケが生み出されていた月日は尊いなあ……」
役員は遠い目をする。
「しかし人々は欲望の権化と云えよう。多くの輩がボケと称して様々なご都合主義を横行していった……瞬く間に世界の秩序は乱れてしまったのだ。アナタにだって皆まで云わずともお分かりでしょうが! よって世界のありとあらゆる下ネタは取り締まらねばならないのだ」
「しかしねえ……」
「世界はもはや破綻の危機を迎えている……下ネタの横行によってな! 国家予算はすでに赤字だといえる」
「やめとけやめとけ! だったら金塊でできた金閣寺なんて消しちゃいけないだろ、総額一体いくらになると思ってるんだよ」
「キサマ!」
「何だよ急に、ハイテンションすぎる!」
「世界に名をとどろかせた大泥棒の話は知っているか」
「曖昧模糊か! どの大泥棒だかまったくイメージできない……」
「あれだ、一番ベタな大泥棒をイメージせよ」
「ざっくりしてんな! 第一そういう大泥棒って本当にいるのかよ、実際聞いたこともないんだよね」
「疑い深いですねえ……まったく夢がない男だ」
「うるせえ」
「やめましょうやめましょう」
「はっ?」
「お肌のトラブルの元です」
「何がだよ……じゃあ屋内に戻れ」
「お肌はトラぶった後だ」
「じゃあもう気にすることはないだろ」
「金の象三が降ってきたようなものだ。殺すしかないだろう」
「象三って何だよ」
「象さんだとルビが機能しないので……」
「無理やりだな! 象さんと打てば象さんにだってルビは振れるの! そもそもエレファンってなんだよ……」
「見てください。沖のほうへ三嶋雪男が流れていきます」
「安直な展開だな! せめてルビは雪男にしといたれや!」
「例えばアレなんてどうでしょう、突然降って湧いたように現れた世界の国宝。ツタンカーメン王の金の像などは」
「失礼な物言いだな、アレは発掘されただけだと思うけど」
「昨日までまるで存在していなかったはずのお宝がですよ、確固たる地獄のセキュリティに守られて世界中で展示されていくのです、不思議とは思いませんか」
「そりゃ発掘されるまではね!」
「……まあいいでしょう。しかしです! 世界中へと熱い関心をもたらして発信された大ニュース、その核でもあるお宝が忽然と消えてしまうのですよ。不思議とは思いませんかねえ」
「……はあ」
「つまり、大泥棒がやってのけたのだ」
「なんというか……意味が分からない」
「予告状が飛んできましてね、セキュリティはさらに厳重に敷かれていたのです。最新型のレーダーはネズミ一匹さえも通さないそうですよ。キャベツでも人肉でもこま切れにしてしまう!」
「キャベツなら千切りな!」
「そう……お宝こそボケだった、下ネタだったのです、だから取り締まられて世界から消え去ってしまったのです」
「アンタらのせいだったのか!」
「そして……世界の注目を集めた愉快犯、忽然と消えてしまった大泥棒も下ネタだった」
「そっちもかいな!」
「そう……そして厳重に敷かれたトラップさえ下ネタなのだ」
「何だそれ」
「そうなってくると世界の注目とやらも誰かのボケではないかと思えてくるのだよ」
「止めどないな! アンタちと妄執が過ぎるんだよ」
「世界とは無限後退の産物なのだ!」
「それはアンタのことだからな!」
「よって下ネタとして取り締まらざるを得ないのだ!」
「詭弁じゃねえか! もはやアンタこそが下ネタだよ!」
「なぬ!」
「アンタがそうやって止めどなく取り締まってしまうから何でもかんでも消えてしまってるんだ」
「キサマはある少女の話を知っているか」
「えっ」
「どこにでもいるような普通の少女だ。彼女、少し手グセが悪くてね、クラスメートのA君が文房具を買ってきたとしよう、気づかぬうちに転げるような、消しゴムでもいい。それまでなかったようなとても馨しい香りのするニオイ付きのものだよ」
「……」
「一ヶ月後、クラス中の皆がもつほどに流行ってしまったのだ。少女は転げていた流行りのニオイ付き消しゴムをそっとポケットにしのばせて、翌朝彼女の筆箱からは同じ消しゴムが取り出されることに……」
「悲しいがありそうな話だな」
「ここで重要なことはその消しゴムがそれなりに使い古されてあったということではない」
「それも重要だと思うが……!」
「そうではなく初日にA君が落としてしまった消しゴムを拾ってあげたB君の代わりに彼女がそれを拾っていたとして、その最悪なタイミングであっても彼女はその消しゴムをポケットにしのばせてしまっただろうということだ……」
「相当なレベルの常習犯だな!」
「無論最悪すぎるタイミングのせいで後ほどクラス会の議題にまで発展してしまった。たかが消しゴム一個だとキサマみたいな汚らわしい大人たちは云うだろう」
「失礼な!」
「問題は消しゴム一つのたかだか100円程度の値段にあるのではなく、それまで誰も見たことのなかったレアアイテムの紛失事件というスキャンダラスな部分にあるのだ」
「まあ分からなくもないけどね」
「彼女は追いこまれてしまった、そこで彼女はこう思う。自分はこれから恐ろしい目に遭おうとしている、ならばいっそのことクラスごと消えてしまえばいいのだ。そうすれば自分は辱めにあわずともすむのだから……」
「ずいぶんと危険な!」
「そうしてクラスは彼女の密告によって下ネタと扱われることとなり翌朝、彼女を除いたクラス全員が謎の失踪をとげてしまうのである」
「待て待てー! そんな改ざんあってもいいのかよ……」
「世界はね……汚らわしさに満ちているのだよ。だから取り締まらざるを得なくなるのだ」
「改ざんのほうが酷いと思うけど」
「そもそも。少年Aがどういういきさつであのレアアイテムを手に入れたのか知っているか?」
「まさか……」
「そう、それも誰かのボケに過ぎなかった」
「んなアホな」
「そしてそういった汚らわしい下ネタなんて消えてしまえばいいのさ! だから少女の存在に関わりなく、いずれにせよあのレアアイテムは消失してしまう運命にあった、ということだ」
「何なんだ一体……すべてはアンタの妄執じゃないかよ」
メラメラメラメラ……
燃えている、あの、金塊で出来た金閣寺が燃盛って……融解を始めた金塊はドロドロと地面へ流れ出して……再び固まった金、美しく金色に舗装された地面、ツタンカーメン王の如く、金閣寺のボケを放った商人は金の融解物に生き埋めとなって死相を地面に紋様させているのだった。
また、地面の、金と、それ以外の境界線をグラウンドゼロと呼び死者を悼むとともに記念碑としてこれからの後世へと引き継がれることとなった。
以上、報告になります。
「ご苦労」
「誰だよアンタ!」
揺れる価値、考える、そうやって単なる海から無数の思考の波が現れ出して押し寄せていくのである。
世界の灯を誰かが、まるで蝋燭の火のように。世界に放たれたボケ、下ネタを消すのと同じ要領で、これをひと息に吹き消してしまうことで、世界は下ネタとなり、全ては消え去っていく、世界も、私も、そう、あなたさえもね……
「何だって!」
そんな形のない世界に住んでいるのが我々だということでしょう。しかし、不思議だとは思いませんか? これまで存在していたはずの世界も、私も、あなたさえも忽然と消えてしまうのです。しかし、それはどこへ行くのでしょうね……?
「消えてしまうんじゃないのか? ゲームにリセットをかけるように」
あなたはリセットの本質も理解していないようですね。ええ。それは消去されて新たに始まっているように思えるでしょう。しかし、リセットとは情報のさらなる上塗りにすぎない。
「でも……」
いいえ、反駁する必要はありません。ええ、我々は誰も知覚するもののいない世界へと飛ばされていくのでしょう。唯心論的に、誰にも知覚されぬ以上存在しないとされ……しかし、やはり確固として存在するのです。さあ、お消えなさい……
「……この下ネタ野郎!」
フーーーっ…………
っと世界の灯は消され、世界は消え去ってしまった。
宇宙空間から巨大な黒い塊が解き放たれていき、それは別の空間へと、移ろい、消えていくので。