ノェウ防衛戦Ⅲ
――ノェウ広場より外れた宿
潜入から戻り、今は部屋で休んでいた。
レンガ造りの安い宿であるが、寝るだけならそう不便はない。
湯あみができないのが難点であるが、天空都市ではそもそも水は貴重だ。
外を見ると相変わらず、インテリジェンス以外の種族が、食料や生活必需品を運んでいる。
商業地区のいたるところには、「圧政からの解放」や「英雄のおごり」等の野党のポスターが貼っており、その中で野党の代表が笑っている。
居住区には、あまり貼られていないのは、支持者が労働者だからだろう。
どのように相手が動くのかは今だに分からない。
気分転換に魔道具を作成する事にした。
結局は、なってからでしか分からないだろう?
クンヘルやナーセットに買ったプレゼントを、いじるかなとも思ったが、なかなかいいアイディアが思いつかなかった。
仕方なく、手持ちのナイフ五本に、《亡者》《狂者》のサーキットを刻む。
グリップには魔石を埋めこむことができるように加工した。
死霊術とは外道の所業であり、ちょっと中二心がくすぐられる。
「我は闇の使徒レオナール。この世界に混沌を振りまく――」
ドン!!
「ちょっ!」
中二台詞をはきつつ、右手で顔の中央を覆い、左手は右手の肘を支える、カッコいいポーズ(笑)をやっている最中の大きな地震?で心臓が止まるところだった。
その後も、九回ほど同じような音が鳴り、商業区のあちこちから砂煙が上がる。
何が起こっているのかは分からなかったが、のっぺきならない状態であることは理解できた。
宿を飛び出し、一番近い煙のあがった方向へ、駆けていく。
途中、獣の咆哮が鳴り響く。それに合わせるように幾つもの咆哮が山彦のように返ってくる。
石畳の小路を抜けると、少し広い通りにでる。
多くの人が、慌てふためいている。
混乱が混乱を呼ぶ状態で、人々が逃げまどっている。
轟音と共に、獣人の労働者らしき人が、十メートル程吹き飛ばされていた。
体の半分は、破損し内部がむき出しになっている。
その加害者は、それには目もくれず、次の獲物を狙っている。
それは、陸の竜、ベヘモト。四足歩行で象のような分厚い皮に覆われ、牙は鋭く口からはみ出している。強大な身体により、突撃と薙ぎ払いだけで、その場を支配してしまう。
また一人、人の姿を失った死体が空を舞う。
ベヘモトに向け走りながら、腕輪に力を込める。
【召喚】
青銅の剣が右手に収まる。
《硬化》《伸縮》により、ベヘモトの薙ぎ払いが届かない距離で、振り下ろす。
「しっ!」
ズコッ!
《硬化》を行っていても、ベヘモトの肉を断つことができない。
ほどなく、薙ぎ払いを行ってくる。
反射的に、避けると風圧で、後ろの建物が爪で引き裂かれたような跡ができる。
まともに当たっていたら、体は粉々になっていただろう。
「これはまずいな」
体制を立て直し、更に一閃を加えるが、やはり傷一つ付ける事が出来ない。
怒り狂ったベヘモトは、こちらに突進を仕掛ける。
まわりの建物を薙ぎ払いながら、一直線に駆けだす。
横にそれながら回避すると、今まで立っていた所が、ベヘモトの突進により、クレーター状の穴があく。
「当たらなければ、どうとゆう事でもないのだよ!」
流星のごとく、連続で斬撃を加える。
「まあ、当たっても、どうとゆう事でもない奴もいるか……」
怒りの表情で、こちらを見やるベヘモトが、突撃の構えを見せる。
《俊足》によるバックステップで、突進、薙ぎ払いを次々と避けて回る。
【インビジブル】を併用して、ベヘモトにとっては、夏場の蚊といい勝負になるほど、うっとうしい相手であろう。
ほどなく、都市の先端まで追いつめられる。
ベヘモトは勝利を確信し、歓喜の咆哮をあげる。
薙ぎ払いの構えに入る。
それと同時に、ベヘモトへ向かい全力で走り、股の間をすり抜ける。
ベヘモトの真下の位置まで来たら
【召喚】
保存用に作った複数の串を取り出し、地面へ突き刺す
【アイスウェポン】
全力でマナを注ぎ込み、地面に含まれた水分を凍結させ、膨張させる。
膨張によりもろくなった地面に、剣を突き刺し、全力で《伸縮》を行い、地面を削りとる。
ベヘモトは、バランスを崩し、前のめりに落下していく。
自重も相まって、この高さなら絶命するだろう。
巨体がどんどん縮小していくのを確認し、逃げてきた道を引き返す。
広場に向かうと、ただでさえ開けていた広場は、あちらこちらで建物が倒壊しており。
人の形を保っていない死体が転がっていた。
噴水は、ただ無造作に水を吐きつづけ、近くにあったノェウの石像は粉々に破壊されていた。
近くの市場の方に目をやると、潰れた商品や人であっただろう肉塊、露店の骨が散乱している。生存者はいない者かと思われたが、倒壊したテントから、小さな羽の生えた少年が泣きながら出てきた。
「ひぐ……お父さん……ぐっ……お母さんどこ?」
少年には申し訳ないが、ここにいる生者は、僕を含めて二人だろう。
諭す暇はないので、そのまま強引に安全な場所へ避難させる為、
近づこうとした時
「こっちへ来なさ――」
少年の上半身が一瞬にしてなくなる。
真横からの物凄い風圧。
建物には爪で引っ掻いたような跡。
少年の下半身は、血をこぼしながら、無残に崩れ落ちる。
横の建物から、ベヘモトが顔をだす。
先ほどと同じ手で、やるしかないと考え、後ろを振り返った先に、別のベヘモトが現れる。
挟み撃ちされてしまった。
また、前のベヘモトの後ろには、更に一体控えているようだ。
三体の化け物を倒すことはできない。
あざ笑うように、三体が距離を詰めてくる。
「万策尽きた……か」
ここで総集編をやって、命を引き延ばすことができればどんなにいいか。
いや、引き延ばしただけでは、絶命する運命は変わらないか。
自分も潰れたトマトのように、赤い肉塊になるのかと考えて、青銅の剣を腰の下まで下げる。
『ごめん……クンヘル、ナーセット……』
目を閉じる。平和は日本にいた時には、死の実感など後期高齢者になってからしか感じることができないと思っていた。
当たり前のように今日を過ごし、当たり前のように明日が来る。
その瞬間、目を閉じてもわかるほどの閃光が走る。
轟音と共に、一瞬にして静寂が訪れる。
目を開けると、二体のベヘモトは、それぞれ腹と顔をえぐり取られていた。
その先には、槍が地面に突き刺さっていた。
「そこの者怪我はないか?」
「お陰様で……」
そこに飛んでいるのは、英雄ノゥエ。六枚羽は青白く輝き、普段は無いが、頭にハロが輝いている。
「おお、ご客人か」
「覚えていただいていたとは、光栄です」
「お主の忠告さえ真に受けていれば、このような事にはならなかったろうに」
「いいえ、問題は、この混乱に乗じ都市を落下させることですから」
「ふうむ、地下に急がなければな」
「私もお連れください」
「それはできぬ、外部の者を立ち入らせるわけにはいかぬ」
「そうですか……」
会話をしながらも、槍を引き寄せ、最後の一体に向かい
【テンペスト】
風と雷が最後のベヘモトに襲い掛かる。
激しい裂傷と雷で肉が焼かれ、崩れ落ちてゆく。
英雄は伊達ではないな、力の差を思い知らされた。
ぐらりと眩暈を起こしたような感覚が走る。
軋むような音が、島全体に鳴り響く。
直後、軽い浮遊感に襲われた。
島がゆっくりではあるが、落下し始めたのである。
「遅かったか……」
そう言い残すと、地下に向かいノェウは飛び去って行った。
今さら向かったところで、何ができるわけでもない。
静観するだけでは、このまま落下に巻き込まれてしまう。
落下を止める方法は無いか思案し、《落下》のサーキットを地面にかく。
力をこめるも、落下が止まることはなかった。
町人の多くは、羽がはえているわけではない。
都市が落下すれば、多くの犠牲が出ることは間違いない。
町の様子が知りたく、居住地区へかけていく。
多くの建物にヒビがはいり、建物の一部は崩れ始めていた。
町は、ベヘモトの混乱から、更なる絶望へ落とされている。
自らの無力を呪う。
目前に迫る死に対し、それに抗う手段がないのだ。
この世界に意識を得てから何度目だろう?
死を意識するようになったのは。
それは、自分の思考に土足で入ってきて、思考の大部分を奪い取る。
まともな考えではそれに対抗する手段が無ければ、自分自身が異常となればよい。
自分では、何もできない状況を変えるには、他人を利用するしかない。
それが例え大切なものだとしても……。
黒い思考が、死への恐怖を埋め尽くす。
以前、植え込みに土葬した鳩を掘り出す。
既に、微生物により体はボロボロになっている。
それに向かい、《亡者》《狂者》のサーキットを刻んだナイフを一本突き刺す。
生命力から作成した魔石を取り出し、埋めこみに埋める。
死んだはずの鳩がアンデッド化し、動き始める。
メモを取り出し、いくつかの文字をしたためる。
鳩には、目的地へ飛行する以外の思考を破壊した。
口の中に、メモを入れて解き放つ。
冷めた目で、その鳩を見送る。
落下する都市は、黄昏の水平線が見える位置まで、落下していく。
落下の速度は、日没の太陽と同じよに徐々に加速している。
ノェウは何もできなかったのだろう。
そして、商業地区の混乱の中へ、足を踏み入れるのであった。
次回がノェウ防衛戦最終回