博士が作ったロボット
わたしが生まれて初めて目にしたのは、わたしを作った博士の顔だった。
「どこか異常はあるか?」
「いいえ。正常に作動しています」
生まれて初めての会話は確認作業だった。
生まれた場所は第一研究室。気温はおよそ十八度。白い部屋の中は自分の他にも多種多様の機械が並んでいた。
博士が手を差し出したので、わたしはプログラミング通り、まだ使い慣らしていないエンジンとギアを連動させ、温度のある博士の掌へと手を伸ばした。
わたしは博士に作られたロボットだった。
博士はとても有能な科学者であった。人はその道の第一人者と博士のことを呼ぶらしい。
現に博士は天才だった。それまで誰も思いつかなかったような機械を次々に発明した。
博士の脳内には知識だけでなく、知性が満ち溢れている。知識だけが埋め込まれているわたしのメモリでは、博士には遠く及ばない。
わたしは博士に作られたのだから、博士の持ちうる全ての知識を有しているはずなのに、わたしは博士にはなれなかった。博士の知性はわたしにプログラミングされなかったのだ。
「博士。お茶をお持ちしました」
「そこに置いて。その後は庭の花の世話をしてくるんだ」
「了解しました」
博士の指示に従い、わたしは屋外の花壇へと向かった。
庭仕事はわたしの日課である。博士からそう命令された。
赤と、白と、黄色の花をつける植物の葉に虫がついていないことを確かめ、雑草の処理にかかった。メモリのデータから、植物の若芽と雑草を間違うことはない。きれいに処理を終えた後は、プラスチック製のジョウロに水を入れ、適量の肥料を加えて、植物に水をやった。
プログラムされた通りの仕事を、わたしは毎日繰り返す。
「博士。お茶をお持ちしました」
「ああ。この後はいつも通り花壇に」
「了解しました」
その日もわたしは仕事をするために花壇へ向かった。しかし目の前に広がる光景は、前日まで見ていたものとまるで違い、わたしはこの仕事を与えられて初めて博士に助言を求めた。
「肥料のやりすぎのようだ」
植物をよく観察した博士は、そのような判断を下した。
「データに不備があったのでしょうか。プログラムに忠実に肥料は与えられました」
「データが悪いのではない。お前は花の気持ちを考えなければならなかったのだ」
「気持ち、ですか?」
「そうだ」博士は頷いた。
「しかしわたしはロボットです。気持ちとは、生命体の持つ不規則な事象です。規則性のないものを、わたしには理解することはできません」
「できるはずだ。なぜならお前は、このわたしが作ったのだから」
博士にしては珍しく、根拠のない言葉であった。
植物を枯らして数日後、博士は黒い猫を連れてきた。
「次はこれの世話をするんだ」
「了解しました」
腕に抱えた猫はしきりに暴れたが、猫の脆い爪でわたしの体が傷つくことはなかった。
植物を枯らしたような失敗を再び犯さぬよう、わたしは細心の注意を払った。データに忠実に、決まった時間に猫に餌を与えた。規則正しくしていれば、生命体も正常でいられるはずである。
しかしある日、猫が鳴き声を上げ続けた。今までになかった事態にわたしは対処しきれず、猫の言語を理解することもできないので、わたしはまた博士を頼った。
わたしの腕から猫を受け取った博士はしばらく猫の体を撫で、何かに気がつくと、わたしにブラシを手渡した。
「ブラッシングをしてあげなさい」
「了解しました」
博士の指示に従い、ブラシを猫の体に撫でつけると、猫は何事か叫びながら大きく跳び上がった。
「もっと力を弱めて、優しくするんだ」
「優しく、ですか?」
優しくとはどの程度の力加減かわからなかったので、ともかくわたしは力を緩めてブラシを動かした。すると段々猫は心地よくなっていったのか、初めの反応が信じられない程に大人しくなり、とうとうわたしの腕の中で微睡んだ。
「博士。猫の世話はわたしでなく、博士の方が適任であると提案します」
「なぜだ?」
「わたしには気持ちというものが理解できません。ですから、わたしに世話を命じるのは非効率的であると考えます。植物を枯らしたように、わたしはまた猫を死なせてしまうでしょう」
わたしの言葉に博士は少し考え込んだ。そして口を開いた。
「わたしは人間を作りたかった」
「人間は生命体です。生殖により個体数を増やすのでは?」
「そうではない。わたしは『心』を持ったロボットを、人間を作りたいのだ」
植物を世話させたことも、猫の面倒をみさせたことも、全て無駄なことではない。完成品の製作への過程なのだ。博士は言った。
「猫の世話はお前が続けるんだ」
「了解しました」
わたしは命令に、プログラムされた言葉を返した。
それからというもの、わたしは猫の行動に目を光らせた。いたずらをして机の上の資料を撒き散らしたり、壁で爪を磨いだり。猫はとにかく自由奔放であった。そして好き勝手に動き回った後は、いつも自慢気に鼻を鳴らした。それは猫が己の意思、すなわち『心』に従った行動をした満足心からくるものだと、わたしは分析した。
わたしは機械ゆえに、猫よりも力が強い。物事の解析能力や計算速度は猫より優れている。
しかし『心』を持っていないというただ一点で、わたしは猫よりも劣るのだ。
博士の実験は失敗するのではないか? 疑問を抱いたわたしは成功確率を計算してみた。しかしエラーが発生し、計算結果は出なかった。
『心』とは規則性のないものである。ある一定の法則に従わないものを計算することができないのは当然であった。
「ニャー」猫が鳴いた。時刻を確かめる。博士のコーヒーを用意しなくては。結局わたしはプログラムに従い、行動した。
あれから幾年かが過ぎた。わたしはかつて花を枯らした花壇に猫の死骸を埋めていた。整備すれば理論上は永久に稼働し続けられるわたしのようなロボットとは異なり、猫のような生命体には寿命というものが存在する。猫にも他生命体と等しく寿命が訪れた。
データには死期を悟った猫は飼い主のもとを去るとあったが、猫は実験室の机の下で、いつもの昼寝をするかのように丸くなっていた。机の下は猫のお気に入りの寝床だった。
猫の死を博士に報告すると、博士は庭に埋めてやれと言った。人間には埋葬の文化がある。死骸を土の上に放っておけば、そのまま自然に還るものを、わざわざ埋葬という手順を踏む人間は、『心』が最も発達した生物らしかった。
「博士。猫の埋葬を終了しました」
「そうか。その後は、わたしの」
中途半端な指示であったが、わたしは内容を理解した。「了解しました」博士も猫と等しく、死期が目の前に迫っていた。
博士の節くれのある指が、わたしの頬を撫でた。頬の温感センサーが作動した。
「わたしの生涯最大の実験は、とうとう成功しなかったか。天才博士と人々に呼ばしめたにも関わらず」
博士の目には涙が浮かんでいた。わたしは返事ができなかった。代わりに頬に当てられた博士の手を、両手で包み込んだ。
「博士の体は、どちらへお埋めしましょうか?」
「そうだな……猫の隣へ。その上には花を植えてくれ。色とりどりの花を」
「了解しました」
博士には家族がなかった。唯一家族と呼べるものは、博士より先に逝った猫とわたしぐらいなものだと博士は言った。
花の種を埋めた後、二度とは花を枯らせまいと、わたしは決心した。
やがて博士の心拍が弱まっていき、完全に停止した。わたしは床に膝をついた。
静かな部屋はいたずらをする猫の物音も、博士がコーヒーをすする音もしなかった。そうしてわたしは二人の死を実感した。
何か意味もなく叫びたい衝動に駆られた。猫のお気に入りの机を無茶苦茶に壊してしまいたかった。今までにない思考回路が、突如としてプログラム上に現れた。しかしエラーが表示されることはなかった。
博士の実験は、博士の死をもって成功した。
博士は天才だった。