玖拾伍 冒険者たち
魔素を吸収し酸素を生み出す光苔が照らす薄明りの中、大剣を帯び全身甲冑を装着した男は大きな音を立てながら、その重さを忘れたかのように我武者羅に走る。時折背後を振り返っては、迫り来る危機から逃れるために顔を歪め、必死の思いで足を動かしていた。
「何故だ、何故なんだ!?どうしてこんな事に......」
混乱する頭で生み出された思いが言葉となって口から零れ落ちる。
「置いてかないでくれぇ!!!ハインツぅ......来るな、来るなぁ!!ああああああああああああああああ!!!」
ハインツと呼ばれた男の背後から届いた断末魔の絶叫が迷宮内を木霊する。最後の仲間を失った、その悲しみよりも恐怖が上回る。何故自分たちがこのような目に遭わなければならないのか、冒険者ハインツの思考は僅かの時を遡る。
簡易結界を張り休憩をとっている、まだ年若い冒険者の一党の姿があった。皆疲れた顔で、ある者は薬水を飲み、またある者は乾燥した果物を食べている。
「......俺たちも何時までもこんな低層じゃなく、もう少し深く潜らないか?」
動くことを重視した軽装備の男が地面に胡坐をかきながら口を開く。その言葉は疲労で塗り固められたように重い。
「俺もそう思うぜ、このままじゃ稼いだ金は傷の回復代や装備の消耗による修理に消えるばかりだ」
「そうだな、金を稼ぐはずが迷宮に潜ると出費の方が大きくなることもある。思い切って下を目指すべきだ」
片手剣を腰に差し盾を背負った中肉中背の男と、樫の杖を持ち薄汚れた白装束に身を包んだ男が同意する。
「何を言っている?此処でさえ覚束ないのに下層へ行くってお前ら死にたいのか?」
最も体格の良い重装備の男が、下層へ行くことに賛同する者を諌める。
「六層には紅火花が生えてるんだろ?あれを売ればいい金になる」
「だが人食い大蜥蜴や粘体生物の特異種がいる。俺たちの腕では対処できない可能性が高い」
「だからまともに相手をしなきゃいいのさ、さっと行って、さっと帰ってくる」
弓を背負った痩身の男が前方の空間を右手で薙ぐ。
「ヨーセフ、お前まで......。そんなに上手くいくなら皆やってるだろう。甘い夢を見るな、一歩づつだ。それしか道はない」
ヨーセフと呼ばれた男を呆然と見ながら、重装備の男が首を横に振る。
「ハインツ、お前の言葉はもう聞きあきた。一歩づつだと?俺たちはこの層でどれだけ停滞している?このままじゃじり貧だ、ここは賭けに出るべきだ」
「ルーセルやローンド、デウィルなんかを目標としてきたが、残念ながら俺たちは選ばれなかった、才能が無かったんだ」
中肉中背の男が俯きながら大地に失意の言葉を零す。他の者も肯定するように黙り込んだ。
「お前も同じ意見なのかカイル」
重装備の男ハインツが沈黙を破り、仲間の会話に黙って耳を傾けていた茶色の色褪せた法衣の男に言葉を投げる。
「私たちは悪循環に陥ろうとしている、ヘッテの言うとおり迷宮に潜れば出費が嵩み、取り戻そうとして無茶をし、更に金を浪費する結果になってしまっている」
ハインツは口を噤み続きを促す。
「私も基本的には貴方の言ってることに賛成だ。だが言葉でいくら言っても彼らは納得しないだろう。危険を承知で一度下を目指してみても良いのではないかハインツ」
カイルの言葉を聞いたハインツが仲間を見渡す。誰もが覚悟を決めた目をしていた。結党して半年、仲間がここまで一致して意見をしてきたのは初めての事だ。もし自分が此処で強引に引き止めれば解党になることは容易に想像できた。選択の余地はない。
「......分かった、下層を目指そう。だがくれぐれも用心しろよ。そして命の危険を感じたらすぐに逃げる、それでいいか?」
皆が黙って頷いた。
「ほらな、楽勝だろ!!見ろよ紅火花が採り放題だぜ!!」
ヘッテの得意げな声が迷宮内に響く。仲間から飛び出た男の前一面に紅色をした花が咲き誇っていた。
「へへっ、こりゃ漸く俺たちにも運が回ってきたんじゃないか」
「これだけありゃ暫くは何もしなくていいぜ。ここんとこ潜り続きで疲れが溜まってたからな」
「あぁ、これで借金を返せる。もう少しで追い込みかけられるところだったんだ」
「まとまった金になりそうだ。傷んだ装備を新調できるな」
仲間の喜びの声を聞きながらハインツは厳しい顔で後ろに立つカイルに囁く。
「......何か可笑しいぞ」
「あぁ、そうだなハインツ。この階層にいるはずの大蜥蜴や粘体生物が見当たらない......一匹も」
「上級者たちが一掃してったんだろ?心配し過ぎなんだよお前らは」
二人の会話を聞き咎めた狩人のヨーセフが、杞憂だと一笑に伏す。
「さ、とは言え長居は無用だ。とっとと採っちまってずらかろうぜ、ん?どうしたヘッテ?」
咲き乱れる紅火花の中でヘッテが立ち尽くしたまま動かずにいるのをヨーセフが不審に思う。
「おい、ヘッテ?」
ヨーセフの問いかけに、ゆっくりとヘッテが振り返った。
「!!!」
ヘッテを除いた全ての者の表情が凍り付く。ほんの数秒前までヘッテであったその顔は、極限まで水分が抜かれた木乃伊のようになっていた。頭蓋骨に皮膚が張り付いただけの顔からはまるで生気が感じられない。体も二回り以上細くなり、身に着けた装備が浮いていた。振り返ったまま倒れ込むと枯れ木が折れるような音を立てて崩れ去る。突然の出来事に呆然とするしかない仲間の冒険者の目の先、ヘッテがいた場所には人形の影としか認識できないような何かが立っていた。
「なな、何が起きた!?」
「何だ?あ、の、影?」
「へへ、ヘッテがここ、壊れちまった......」
冒険者たちはヘッテを襲った惨劇に頭が追い付かない、混乱の極みにあった。
「落ち着け!!!」
ハインツが怒声を上げると恐慌をきたしかけた仲間が我に返る。
「何も考えるな!!逃げるぞ!!カイル!!」
「巨土掘大壁削」
ハインツが呼びかけるとカイルが自分たちと影の間に杖を向け、紡いでいた魔法を発動する。高さ3メルトン、厚さ2メルトン、幅10メルトンの土壁が大地から出現。見えざる脅威から冒険者たちを覆い隠す。
「今の内だ、走れ!!!」
声を張り上げたハインツの目の端で巨大な土壁が音もなく崩れ去る。
「な!?」
「あぁああぁぁぁ......」
最後尾、もっともヘッテに近かった軽装備の男ブルゾイの顔が急速に木乃伊化していく。その背後には、ずたぼろの黒い頭巾を被った何かがいた。顔がある部分には闇の中にただ二つの青白い光だけが灯っている。先ほどまで影としか認識できなかった何かは明確な形を取り始めていた。
「ゆ、幽鬼!?」
白装束の男サームが逃げながら詠唱を始める。
「天にまします神よ 願わくば御身の力を与え給へ 清き力と清浄な言の葉をもちて悪しき御霊を滅ぼし給へ 浄化聖典死霊消滅」
呪文を唱え終わると、振り返りざま幽鬼と断じたものへと樫の杖を向けて浄化魔法を放つ。人外の黒い衣で覆われた足元に魔法陣が発現、白い浄化の炎が立ち上る。だが幽鬼は何の痛痒も感じていないように白魔術師へと迫る。
「浄化魔法が通じない!?」
驚愕に開かれたサームの双眸に映ったのは、伸ばされた幽鬼の腕が己の胸に埋まる光景。そこから命そのものが吸い取られていくのが感じられた。痛みは無かった。
「サーム!!!」
振り返ったハインツの目に飛び込んできたのは、胸を貫かれたサームの変貌した姿。見る見るうちに木乃伊化していく。どうやら幽鬼は生命力を吸い取っているようであった。幽鬼がサームの胸から手を抜くと、生命力を吸い取られ干からびた体は大地に接触し砂の様に崩れ去った。主を失った薄汚れた白装束が、ふわりと舞う。陽炎のように揺らめきながら存在する幽鬼は動きを見せず、冒険者達の前にただ在った。顔を蒼白にし呆然とするハインツを守るようにカイルが杖を掲げ幽鬼の前に立つ。
「......私が食い止める。ハインツ、貴方はシューゲルと逃げろ」
「何を!?俺も!!」
莫逆の友の思いがけない言葉を聞き、激しく動揺するハインツを制するようにカイルが視線で促す。
「あれを見ただろう、サームの浄化魔法を無効化する素振りもみせなかった。いくら中位とは言え、だ。ただの幽鬼ではあるまい、おそらく上位種か或いは特異種。貴方が持つ剣ではあれを傷つけることはできないだろう」
「だが!!!」
この場をカイルに任せるということは見捨てることを意味した。煩悶し引き下がる事が出来ないハインツにカイルは諭すように語る。
「私の魔法なら勝てぬまでも時間稼ぎぐらいは出来るかも知れない。どのみちこのままでは全滅だよ、ハインツ」
「......カイル」
仲間である前に友である男の命を捨てさせるしか道はないのか、身を引き裂かれるような絶望がハインツを支配する。カイルは全てを受け入れ、澄み切った顔に微笑みを浮かべてハインツを見つめる。
「やはり貴方が正しかったな。私たちには下層は早すぎたのさ」
「すまん、すまない......カイル」
詫びることしか出来ぬ不甲斐ない己に激しく自己嫌悪に陥る。ハインツの強く握りしめた拳から血が滴り落ちた。
「許してくれ、カイル......」
少し離れた場所で黙って成り行きを見守っていた中肉中背の男シューゲルは、苦しそうに顔を歪め言葉を漏らした。カイルは穏やかな表情で目を瞑る。
「いいさ。さぁ行け」
幽鬼は冒険者の最後の別れを待ってくれていたかのように動き出す。
「行くぞ、シューゲル」
ハインツとシューゲルの生存のための逃走が始まった。




