玖拾参 迷宮
猥雑な音が轟き、耳が痛くなるような喧噪があった。活気があり、人の数も多い、そこは人種の坩堝であった。大国ヴァルケンヘイツ第二の都市ヴォーゲン。この地域の支配者である白き民、南方に住む肌の色が黒い黒き民、白き民に似ているが肌が浅黒い灰の民、遥か東方から来たという顔の彫りが浅く、小柄な黄の民と言った人類は勿論、森の精霊人、鉄の精霊人、草原の精霊人、小さき精霊人、成人男性よりも頭三つ分は大きい巨躯を持つ、古の巨人の末裔と称される巨人族までもが往来を闊歩していた。
どの人種も異なる種へ向けて奇異や好奇の視線など向けない、この場所では皆が皆当たり前のように存在していた。そんな中でも男は異彩を放っていた。種族を問わず、すれ違う者が皆、ちらと視線を送っていく。至る所が解れ、すり切れた黒い民族衣装を纏い、袖から覗く腕は太く、筋肉の束は樹木のようにうねる。相貌から黄の民だと思われるが、その体躯は白き民や黒き民にも見劣りしない。纏う衣服が黒なら、髪も髭も瞳の色までもが黒かった。髪は蓬髪、顔は濃い髭に覆われ、太い眉の下にあるやや吊り上がった大きな目は炯々としていた。見る者が見れば瞳の奥に狂気の炎が燻っていることに気づく。腰に緩やかに反った異国の刀剣を差し、背には木刀と言うには小さ過ぎる、木塊とでも呼ぶべきであろう代物が吊り下げられている。異様、という言葉に相応しい男であった。
異国の男、武蔵は老若男女、異種族で溢れる大きな門の前に立っていた。歓声や怒声、勧誘の言葉が飛び交い途轍もない騒々しさ。野望に燃え、夢に焦がれた目をする者、冷徹に値踏みする者、誠実に職務に励もうとする者、甘言で騙そうとする者、怖気づいている者、食い物にしてやろうと企む者、ここでは様々な思惑が渦巻いていた。
門の前の広場に屯する人々の周囲には簡易的な市が開かれており、交渉する声が途切れることがない。門の中、迷宮へ赴くために必要な物は全てここで賄える。武器防具は勿論、携帯灯火、治癒魔法や補助魔法、攻撃魔法が封じられた術符、人体に必要な栄養分を水に溶かした薬水、各種の解毒剤、気付け薬、麻薬。鉄の精霊人の精緻な手作業が作り出す魔道具なども売られていた。そのどれもが街の商店で購入できるものよりも若干割高ではあったが。また迷宮内で貴重な物を手に入れた者が手早く換金出来るよう、専門の商人もいた。
鈍い輝きを放つ開かれた門の入口には十二人の全身甲冑の護衛が配備されており、横には受付がある。少し離れた屯所には常時二十名を超える兵が待機していた。受付では記帳が行われ、個人、あるいは徒党の名称、人数、入った時間が記されていく。迷宮へと繋がる門に入っていく者たちは皆、一人の例外もなく魔力を放っている。マナ使いであった。その事実が示すのは迷宮が途方もなく危険だという事。魔力を持たぬ一般の民が入れば、それは命の危機を意味する。
津波の様に騒音が押し寄せる中、武蔵の前には落ち着きがなく周囲を見渡している少女がいた。気の弱そうな朴訥とした少女であった。柔和な笑みを浮かべた青年が人込みを掻き分け、近づいていき声をかける。
「君、一人?もしかしてここの迷宮は初めて?良かったら僕と徒党を組まない?」
「え?あの私」
「職業は何?位階は?」
青年は少女が答える前に矢継ぎ早に質問を重ねていく。
「え、と、治癒術士、五位です」
「それはいい!怪我したら治して貰えるね。僕は剣士で中級二位だから低層だったら問題なく君を守れるよ。どう?一緒に」
言って青年は腰に下げられた銀色の鞘を触る。
「あの、私、友達と待ち合わせで......」
「そうなの、で、友達は?」
少女が断りの言葉を入れる前に話を進めていく。
「まだこの街に来てないようだから、その、ちょっと下見に来たんです」
「丁度いいじゃない。僕が付き合ってあげるよ。友達のためにも慣れておいた方がいい、君、若いよね、除隊組?」
「え、あ、はい。その、友達に誘われて......冒険者になろうって」
「そうか。従軍していた時にも迷宮には入ったと思うけど、各迷宮によって勝手が全然違うからね。僕の様な熟練者とならいい経験になると思う。それとも」
青年は言葉を区切り、憂い気な瞳で少女をじっと見つめた。
「僕じゃ不安かい?」
青年の計算された表情に、少女は顔を赤くして俯く。
「え、と。じゃぁ、お願い、します」
少女を見る青年の目に一瞬、邪な光が過るが気づかれる前に消えた。
「じゃぁ、取り合えず食事でもしながら迷宮内での役割分担とか諸々、作戦を練ろうか」
「え、あ、はい」
青年と少女は街中へと消えていった。
記帳の列で並ぶ武蔵の横を、二十人近い集団が通り過ぎていく。先頭を行くのは長身を精霊銀製の鎧で覆い、大剣を背負った男。獅子の鬣の如き金色の髪の下にある彫りの深い顔は自信に満ち、強者の風格を身に纏わせていた。ふと何かに気づいた様に視線を投げる。先にいたのは武蔵。男の青い双眸と武蔵の黒い双眸が交錯する。男は肉食獣の笑みを浮かべると視線を戻し迷宮へと向かう。
次いで魔術師らしき黒い法衣に身を包んだ人物、精霊銀製の軽鎧を着用した遊撃手、大盾を背負った全身甲冑姿の大男が続く。誰もが歴戦の匂いを身体から発していた。八人目までは冒険者の様であったが、九人目からは皆、大きな荷物を背負っている。徒党を見送る商人風の男の横を最後尾の荷物を背負った男が通った時、目線が交わされたが気づく者はいなかった。門番たちが次々と声をかけていき、先頭の男が太い笑みを浮かべ手を上げて応えていた。
「おぉ、いよいよ金獅子の大遠征が始まるのか。十二階から先は未知の領域、未だ誰も踏破していない未踏の地だからな、それにしても隊の半分以上が運び屋かよ。長丁場は覚悟の上ってか、今回は気合入ってんな」
「奴ならいける、いや奴じゃなきゃ無理だ」
「へぇ、やけに買うね。賭けるか、奴らが十五階に達することが出来るか」
「金貨1枚。金獅子ローハンに」
「いいぜ、のった」
武蔵の隣にいた中年冒険者二人組の会話が聞こえてくる。内容から察するに徒党の名を金獅子と言い、風貌から先頭を行く男がローハンらしい。
「おい、貴様の番だ」
受付の中年の男に促され、武蔵は必要事項を記入する。記帳された帳面を見た男が感嘆の声を上げた。
「おぅ、貴様、黄の民の癖にやけに達筆だな、まぁいい。一人か、貴様は初めてだろ?ほれ地下三階までの地図、銀貨五枚だ」
「これは木戸銭か」
机の下から地図を取り出すと、放り投げるように置いた男に武蔵が尋ねる。
「いや、あくまで地図の代金だ。なるべく犠牲者を出さないための配慮ってやつよ。迷宮に入るための金はかからん」
「そうか」
「無理はしないことだ。それが迷宮潜りの鉄則よ。特に一人で潜る時はな」
受付の助言を聞いているのかいないのか武蔵は応えることなく銀貨を五枚置くと、地図を掴み開かれた地下迷宮への暗闇へと入っていく。
「へっ、ふてぶてしい野郎だ。次!!」
受付の男の大声も周囲の騒音に呑まれる。
「前衛募集だ!!出来れば激しく出入りのできる速度重視だ!!中級二位以上!!」
「治癒系求む!!高位階大歓迎!!女性は更に歓迎!!」
「俺は中級一位の斧槍士だ!!俺を使いたい奴はいないか!?」
「地下六階の地図がなんと銀貨七枚だ、お買い得だぜ!!」
「こっちは銀貨六枚だ!!」
「ふざけんな、俺様の商売の邪魔すんな、あっち行けや、穴倉野郎が!!」
「てめーが行けよ、さぁ買った買った。この糞野郎より安くするぜ!!」
迷宮前広場で勧誘や売り込みの声が激しく飛び交い、喧騒が止む事はない。




