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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
失われた神々
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捌拾陸  畏怖


 生き残った者たちの誰もが息をするのも忘れ、目を見開いてただ一点を見つめていた。暗雲を裂いて現れた赤い光の柱が、大地に降り立ったその一点を。

 言葉を発する者はいない。天を覆う黒雲から光が指すと言う神々しい光景の中にも何処か禍禍しさを感じ、これから訪れるであろう更なる災いの予感に襲われていたからだ。皆が凝視する中、何処からともなく発生した暗灰色の濃霧が街全体を覆い始め、見通すことが出来なくなっていく。

 

 誰かの唾を嚥下する音が大きく響き渡り、子供の嗚咽が追随する。幼子自身は何故自分が泣いているのか分からない。だが涙と嗚咽が止まらなかった。それは畏怖であった。己の矮小さを実感する事しか出来ぬ、神の鉄槌の如き天変地異を前にした人間の根源的な感情。

 泣き始めた我が子を抱きかかえるアデールの顔にも、言い知れぬ不安と恐怖が張り付いていた。子供を安心させようと開きかけた口からは「大丈夫よ」という言葉が音にならず、ただ抱きしめる事しか出来なかった。

 

 アデール母娘だけではない、ユーリもクリスも、アチェロもまた顔を蒼白にし、全身を震わせている。 誰もが未だ鳴動が止まず、濃霧に呑まれたエルボヌエルグに人知を超えた何かが降臨したのを本能で感じ取っていた。皆言葉もなく、ただ立ち尽くし息を呑んで消えたエルボヌエルグを見下ろす事しか出来なかった。どのぐらいそうしていたのか、沈黙を破ったのは屋台の主、クリスであった。


「一体どうなってんだ?あの赤い光......あれは?」


「......おそらく、ベルに取りついていたものが街の民を生贄にして何かを召喚したのだろう。数万人もの犠牲を必要とするもの......私の推測だが、あの赤い光の柱は......ベルの一族が祀り上げてきた女神だと思う」


 アチェロが深い霧に覆われたエルボヌエルグを見下ろしたまま、クリスの問いに答える。


「女神?神様だってのか?......神様がみんなを殺した?」


 クリスは譫言うわごとの様に神様が、神様がと呟き、身体を震わせながら街から目を離せずにいた。


「畜生、俺の街が消えちまった、家も屋台も、友達ダチも知り合いもみんな......。なんてこった、なんてこった......」


 街から視線を上げて、天を仰ぐと腰が砕けたように地面に座り込むクリス。子供をあやしながら幼馴染の男を見るアデールの顔には複雑な感情が浮かんでいた。悲壮な顔で濃霧に姿を隠したエルボヌエルグを見るアチェロの隣に立ったユーリは、思わず言葉を漏らす。

 

「本当にこれをベルねぇちゃんが?......嘘だろ?そんな、信じられない」


「......だが、事実だ」


 顔を顰め苦しそうに断言するアチェロに、ユーリは反論の言葉を唾と共に飲み込む。少年は僅かの間に兄弟に等しい存在と、母親であり姉であり慕っていた女を失ったことに激しく動揺していた。アチェロの視界の端で異国の男の体が動く。


「何処へ行く、ムサシ?」


「決まっておる。神に会いに行くのよ」


 丘に着いて以来一言も喋らなかった武蔵が口を開いた。その言葉にアチェロが目を剥く。


「正気か?街一つを軽々と飲み込む相手だぞ」


「だからこそよ。神とやらがどれ程のものか、力を見てみたい」


 双眸を好奇の光で爛々と輝かせている武蔵にアチェロは言葉を失う。これ程の惨劇を生んだ相手の力が見たいなど、正気の沙汰とは思われなかった。いや、違う。街にいる何かは、先ほどよりも更なる力を持っているのだ。


「私も行くよ」


 武蔵の正気を真剣に疑うアチェロの耳に、聞き覚えのある声が届いてきた。振り向けば、そこには今アチェロが最も殺意を抱く人物、赤蠍の女隊長の姿があった。全く気配を感じなかったことに、皆驚きを禁じ得ない。愛する人を失う切っ掛けを作った女を前に、アチェロの顔が憎悪に歪む。


「貴様、アンシェラ......」


「話は聞いていた、私も行くよ。神なんてものにお目にかかれる機会なんて、この先の長ぁい人生でも二度とないかも知れないからねぇ」


 アンシェラは全身甲冑にもかかわらず肉食動物の様に足音を立てることなく、丘の先にいる一行に、ゆっくりと近づいて行く。射殺すような目で睨みつけるアチェロ。


「貴様のせいでベルは......。殺してやる!!」


「煩いな。ぴーぴー喚かないでよ。まぁいいや、神様とお目にかかる前の準備運動で相手をしてあげよう。みんなには内緒にしておいてね、特別だよ?」


 お道化て冷笑を浮かべるアンシェラの左手が、腰の革帯に掛けてある巌窟王の柄を握る。


「止めておけ」


「止めるなムサシ!!この女のせいでベルがっ......街が腐海に沈んだのだ!!!」


 武蔵の制止に猛るアチェロが吠える。


「お主では勝てぬ。拾うた命、捨てるつもりか」


 アチェロの動きが止まり、ゆっくりと武蔵の方を向いた。武蔵の忠告でベルの最期の言葉が脳裏で蘇り、昂った感情が急速にしぼんでゆく。そうだ、今は未だ死ねない、こんな処では死ねないのだ、自分にはやるべき事がある。アチェロはアンシェラに対する殺意を飲み込んだ。


「ムサシ君だっけ?やっぱり強いマナ使いは話が分かるねぇ」


 武蔵を指差しアンシェラが愉しそうに笑っていると、唐突にユーリが口を開いた。


「俺も行く」


「君は駄目だよ。アチェロ君でも荷が重いんだ。はっきり言おう、足手纏いだ」


 アンシェラが冷ややかな目でユーリを見下ろして、顔の前で長い人差し指を左右に振る。


「本当にねぇちゃんがやったのか、この目で確かめたいんだ」


 俯いて心情を吐露するユーリの両肩に、膝を落としたアチェロが手を置き少年の目を覗き込む。


「ユーリ、お前はここに残れ。そして私たちの戦いを見届けてくれ」


「私たちって。だから君も足手纏いだって」


 皮肉気に口を歪めながら、左手を振って拒絶する長身の女をアチェロは睨みつける。その双眸には覚悟を決めた者特有の光があった。アンシェラが目を細めて、その視線を受け止め数秒、不意に背を向ける。


「ま、好きにするさ」

 

 アンシェラの背中を睨んでいたアチェロは視線を外すと、ユーリに向き直って口を開く。 


「もし、私たちが戻ってこないようならプールヴォロンに言って見たことを役人に話せ。事の顛末を伝える者が必要だ。分かったな」

 

 ユーリは俯いたまま何も言わない。アチェロは両手で少年の頭を挟み、強引に顔を上げさせる。


「分かったな」


「......分かった」


「よし」


 黙って成り行きを見ていた武蔵がクリスとアデール母娘に声をかけた。


あるじとアデール、お主らは急ぎ此処を離れよ。何が起こるかわからぬ」


「あ、あぁ、分かったぜ旦那。助けてくれたこと感謝してる。この借りは何時か返すぜ、死ぬなよ」


「私からも。今こうしてこの子といられるのは貴方のお蔭よ、お客さん。ありがとう」


 アデールが子供を軽く掲げる。幼子はそうすれば恐怖が消えると信じているかのように、母親の胸に深く顔を埋めていた。武蔵は一つ頷くと


「金は持っておるか」


「いや、着の身着のまま出てきちまったもんだから......」


 武蔵は懐から羊皮紙を取り出すとクリスへと差し出した。


「何だいこれ?」


「イグニス金貨とやら三十枚分の小切手だ」


「イグニス金貨ッ、さ、三十枚!?そんな大金いいのかよ!?」


 受け取ったクリスが驚きの声を上げた。アデールも目を丸くしている。


「構わぬ、俺のものではないからな。そこな男のものよ」


 武蔵が目線でアチェロを指した。


「達者でゆけ」


 そう言うと武蔵は興味をなくしたように背を向け丘を下りだした。鼻歌を歌いながら、その後をアンシェラが追う。困惑気味のクリスが、アチェロへ声をかけようとするが、何と言っていいか分からない。


「あんた、これ......」


「いい、持って行ってくれ。最早私には不要なものだ。だが一つだけ。暫くプールヴォロンで滞在して貰いたい。そしてこの少年が現れたら半分を分けてやって欲しい」


「あ、あぁ。勿論構わないぜ。感謝するよ、助かる」


 クリスの承諾と謝意に、アチェロは黙って頷いた。子供を抱きかかえたままアデールはアチェロへと歩み寄ると、そっと顔を寄せる。


「ありがとうアチェロ。言っても無駄だと思うけど命は大切にして」


「私も貴女に感謝を。貴女が協力してくれたから私たちは何とかやってこれた。ベルも同じことを言うだろう」


 アチェロを見るアデールの目に、見る見る涙が溜まっていく。零れ落ちる瞬間、それを見られたくないように後ろを向いた。何とも言えない顔で二人を見るクリス。実はユーリが警吏に絡まれた時、助けてやってくれと武蔵に依頼したのはクリスであった事をアチェロは知らない。これから死地に向かおうとする青年が、少年の頭を軽く撫で、顔に手を当てる。


「ではユーリ。お別れだ。ここに被害が及ぶようなら、すぐに逃げるのだぞ。最後にこれだけは言っておく、......ベルはもういない」


 ユーリから返事はなかった。













 エルボヌエルグは濃緑色の深い霧に覆われていた。濃霧が視界を遮り、僅かな先さえ見ることは適わず、街の中がどうなっているのか確認することが出来ない。


「これは困ったね。中がどうなってるのか全く分からない、罠が張ってあってもね」


 言ってアンシェラが地に生える茎の長い雑草を選び、霧へと近づけ触れさせると忽ち腐れ落ちた。


「ふむ。腐った土と同じ性質があるようだ」


 ぼそりと呟いたアンシェラが巌窟王を手に取ると、そのまま横一閃。霧に向かって斬りつけた。巌窟王の強力な無効化能力によって広範囲に渡って霧消するが、周囲の霧がすぐに空いた空間を埋め尽くしてしまう。アンシェラは巌窟王を一振りしてから鞘にしまい、振り返ると肩を竦めた。


「どうする?」


 アンシェラの行動を見ていたアチェロが武蔵に問う。武蔵は答えず腰から鬼丸国綱を抜くと、柄を両手で逆手に握り気を込める。アチェロもアンシェラも黙って武蔵の行動を見つめていた。体内で練り上げた気は丹田から背骨を昇り鬼丸国綱へと注がれてゆく。武蔵から溢れる気は留まるところを知らず、大気に干渉し周囲が陽炎のように揺らめく。既に途轍もないものになっているその気を鬼丸国綱は苦もなく吸収していた、だがまだ止まらない。更に高まり続ける武蔵の気に比例するように地鳴りが大きくなっていく。アチェロの顔に驚愕の表情が浮かぶ。アンシェラさえ目を丸くし思わず叫んでいた。


「ちょ、待......」


「応!!」


 気合と共に鬼丸国綱を地面へと突き立てた。無音。半球状に力場が構築され、衝撃波が発生。音を超える速度で街を飲み込み更に拡大。遅れて轟音が一帯を駆け抜ける。アチェロとアンシェラが巻き込まれ大きく吹き飛ばされていった。空高く巻き上げられた大量の土砂が、辺り一面を広範囲に渡って覆うが、時と共に薄まり、やがて治まった。武蔵は深々と埋まった刀を大地から引き抜き、一振りすると鞘へと納める。


「酷いじゃないか。一言ぐらい声をかけてよ」


 武蔵の後方で土塗れになり、愚痴を言いながら起き上がるアンシェラに負傷した様子は見られない。左手には巌窟王が握られていた。咄嗟の間に曲剣を抜いて地面に突き立て吹き飛ばされるのを防ぐとともに結界を構築し、完璧に衝撃波を受けきった動きには、やはり非凡なものがあった。


「......ムサシ、君凄いね」


 思わず感嘆の言葉がアンシェラの薄い唇から漏れる。先程まで長身の女の眼前にあった毒々しい色をした濃霧は、一片残らず消え去っていた。それどころか腐海と化した地も元に戻っている。長らく続いていた大地の鳴動も止んでいた。武蔵は答えず、真っすぐ赤い光の柱が降りた地点を見つめる。だが闇があるだけであった。


「ぐぁ......」


 アンシェラの足元から呻きが零れる。面倒そうに腰を屈め地に当てた右手を引き上げると、アチェロの姿が。


「こんなのでも今は一応、仲間だからね」


 そう言って前方へ軽々と放り投げる。身を守るどころか衝撃波によって完全に失神していたアチェロを、如何なる思惑でかアンシェラは庇っていた。


「が、はっ」


 背中を打った刺激で意識が戻る。アチェロは焦点が合わない目で起き上がると辺りを見回した。やがて虚ろな目に光が灯る。


「ここは?あぁ、そうか、さっきのムサシの一撃で吹き飛ばされ、気を失っていたのか」


「やれやれ、先が思いやられるよ」


「何っ!?」


 小馬鹿にしたようなアンシェラの言葉にアチェロが敏感に反応する。そんな二人に構う事無く武蔵は街へと歩き出した。既に夜は明けていても可笑しくなかったが、空に蜷局を巻く暗雲と言う名の大蛇によって陽が遮られているのか、夜のような闇が辺りを包んでいた。魔力によって強化された視力でも、どれ程も見通せない。三人が踏みしめる大地は元に戻っていたが、一面平らになっていた。存在していた建造物や樹木が全て消え、土地の傾斜も無くなっている。そんな見渡す限り平面と化した街の中で、ただ一つ建造物らしき大きな黒い影が見えた。武蔵はそれに向かって近づいていく。


「ムサシ、あれって」


 そう言って武蔵の横に並んだアンシェラが黙り込む。お道化た態度が鳴りを潜め、長身の女の顔には珍しく真剣な表情が浮かんでいた。一歩歩くたびに空気が重くなり、闇が濃くなっていく。アンシェラの顔を一筋の汗が流れ、滴となって地面に落ちていった。


「......大地が戻っている、もしかして先ほどのムサシの攻撃で?」


 辺りを見回しながら、二人の後を歩くアチェロが呟く。ふと目線を武蔵が歩く先に向けると息を呑んだ。足が止まり、呼吸をするのも忘れていた。


「何だ、あれは......?」 

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