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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
失われた神々
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捌拾壱  赤蠍

 

 勢いを増す火の赤と、燃え上がる煙の黒が混じり合う路上でアチェロたちと赤甲冑の集団の視線が交錯していた。


「あの赤い鎧は伯爵が飼っている赤蠍、か」


「確か伯爵直属の部隊で命令されればどのような酷いこともするっていう......。何故私たちの名前を?」 


 赤蠍を凝視しながらアチェロが漏らした言葉に、背中のベルが反応する。アチェロはベルの疑問に答えられない。部分的に記憶を失っているベルは自分が警吏を皆殺しにしたことを覚えておらず、当然追われている事も知らないからだ。

 赤い集団の突き刺すような視線が青年と背負われる女に集中する。アチェロはベルの盾となってそれらを受け止め、そして自分たちが置かれた状況に歯軋りをする。赤蠍が出てきたと言う事は、今回のこれは伯爵の指示と見て間違いない。警吏虐殺の咎人の追跡を伯爵が直々に指揮を執り、追手として赤蠍を向かわせたと推測される。この街区への放火という暴挙を伯爵が容認したのならば、この機を幸いにと懸念していた貧民街の一掃に乗り出したという事なのだろう。追手が自分たちを名指しで追ってきたという事実は、フェリシアンから父親である伯爵に話が上がった事を意味する。まさかこれほど早く正体がばれ、所在地まで突き止められるとはアチェロにとって想定外であった。


 苦渋に顔を顰める青年の瞳が火の海に飲まれる街を映す。事態は既に貧民街を仕切る組織の内輪揉めという段階を大きく越えていた。この区画を少しでも良くしようとアチェロの助けを借り、粉骨砕身してきたベルが結果として伯爵の介入を招き、貧民街を存亡の危機に陥れてしまった事は大いなる皮肉と言えた。


「捕らえろ」


 先頭に立つ上官と思しき男が背後の赤甲冑へと指示を出す。部下の赤蠍が炭化した嘗ては人であった黒い塊を蹴散らしながら、険しい表情を浮かべるアチェロへと歩を進める。五人が五人とも尋常ではない魔力を放っていた。


「ちっ」


 アチェロがベルを背負ったまま右手で腰に差した剣の柄を握る。五人の赤甲冑が揃って剣を抜き、青年と女へと近づこうとするも異国の男によって阻まれていた。立ちはだかる男は魔力をまるで発していない、しかし気圧されたように進む事が出来なかった。その様子を見ていた上官の右眉が吊り上がる。

 

「ここは俺が預かろうではないか」


 武蔵が赤蠍に目を向けたままアチェロに向かって言った。異邦の剣士の意を汲み取った青年の視線が少年へと向く。


「ユーリ、来い!!」


 アチェロが武蔵の背後で棒立ちするユーリに呼びかけ踵を反そうとすると地面が光りを放ち、足元から巨大な蔦が生まれ絡みつく。黒煙に隠れ赤蠍の後衛による捕縛魔法が発動していた。アチェロは掴んでいた柄を鞘から抜きざま、次々と発現する蔦を片手で薙ぐ。足に絡まっていた蔦が断ち切られ青い光となって宙に溶けていく。しかし三重四重と生み出される蔦の前に剣が追い付かず、螺旋状に巻き付かれてしまい背負ったベル毎動きを封じられてしまった。全身に力を籠めるがびくともしない、それどころか蔦が肉に食い込んでくる。


「ぐぁっ......」


「ぁあっ!!」


 体を締めつける力は更に強まり、呼吸もままならず二人の顔が紅潮してゆく。握っていた剣が手から離れ地面に落ちて鈍い音を立てる。ユーリはどうしていいか分からずただ立ち尽くすのみ。熱気によるチリチリとした肌の痛みがやけに強く感じられた。


「ユーリ、逃げ、て」


 苦痛に顔を歪めるベルが肺に残った空気と共に言葉を絞り出す。赤蠍の冷ややかな目が、締めあげられ今にも窒息しそうな虐殺の咎人と思われる男女へと向けられていた。顔を真っ赤に染め、声にならない苦鳴を漏らすアチェロとベルへ鬼丸国綱が一閃。幾重にも螺旋を描き二人の体を覆っていた太い蔦が光の散乱となって消滅する。多重展開された捕縛魔法がただの一振りによって破られたことに瞠目する赤蠍の後衛。

 前衛である六人の赤甲冑も、眼前の光景に息を呑み目を見張った。強い拘束から解放されたアチェロは立っていられず膝をつき、背中のベルと共に貪るように酸素を求め大きく口を開くが、熱気と煙を勢いよく吸い込んでしまい噎せ返ってしまう。目からは涙が、口から涎が垂れ地面に黒い染みを作る。武蔵はアチェロを一瞥。


「ゆけ」


「がはっ......かっ、感謝する、ユーリ!!」


 噎せながらの青年の呼びかけで、少年の体が電流に打たれたかのように軽く痙攣し足が反射的に動く。アチェロはベルを背負ったまま何とか息を整え、口元と目を拭い剣を拾って立ち上がるとユーリを連れて炎の勢いが弱い方へと駆けだした。五人の赤甲冑がすぐさま後を追おうとするも刀を掲げた武蔵によって再び阻まれる。前衛と後衛が揃った十人もの集団と対峙しながら異邦の剣士の目には聊かの怯えもない。たった一人の男によって無慈悲な存在として知られる赤蠍の誰もが動けずにいた。どうするのかと九人のマナ使いの視線が先頭に立つ上官へと注がれる。指示を待つ部下の無言の気配を感じながら、男が武蔵へと問いかけた。


「貴様、何者だ?何故我らの邪魔をする」


「あの娘にはまだ用がある。お主らに渡すわけにはゆかぬ」


 上官が訝し気に目を細め、火に照らされる目前の異人を眺める。手に片刃の刀剣を持ち黒の民族衣装に身を包んだ、自分たち白き民とは全く異なる風貌を持つ男であった。アチェロらとどのような関係にあるのか皆目見当もつかない。劫火を映す獣のような目の奥に狂気が垣間見えたような気がした。

 

 同じように武蔵もまた赤い集団を見る。どの者も強い魔力を放ち、隊としての練度も高そうであった。武蔵の口が開き犬歯が剥き出しになる。肉食獣の笑みであった。

 眼前の男の相貌を見た赤蠍は思わず息を呑む。自分が獲物にでもなった感覚を受け、武蔵と相対していた十人の背筋が凍る。


「遊んで行け」

 

 言った武蔵のマナが突如として膨れ上がり、烈風となって赤蠍を襲う。上官が瞬時に反応し腰に下げられた鞘から白銀に輝く長剣を抜いて構えた。それに続き部下の五人も陣形を作り、背後では後衛による呪文の詠唱が赤く染め上げられた闇夜に響く。炎に炙られる街区の一画で戦いが始まった。


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