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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
失われた神々
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漆拾玖  追手

 燃える赤い太陽が沈み、透徹した蒼い光を纏う月が支配する世界。夜の帳が下り暗闇が天地を隈なく覆う。光照の魔法が発動し、辺りを昼間のように照らし出しているその場所は混乱を極めていた。訓練場を兼ねた広場には夥しい死体が転がり、血と糞尿と臓物の匂いが混ざり合った異臭を放つ。

 体液が溢れただの骨と皮となり果てた嘗ての同僚の上を制服姿の男たちの怒声が飛び交い、嗚咽が降り注いでいた。平地だったはずの地面は、どういうわけか凹凸おうとつが激しく、躓くものが後を絶たない。声を張り上げ指揮を執っている五十代の体格の良い男の元に部下が駆けつける。


「何か分かったか」


「はい、近隣の者が日暮れ直前に二人が出ていくのを見たそうです。ほぼ入れ違いですね」


 壮年の男の問いに部下が頷く。


「それで?」


「顔を隠していたそうなので分かりません。ただ二人のうち一人は担がれていたそうです。担いでいたほうは男、担がれていたのは体つきから女ではないかと言っておりました。南へ向かっていたそうです」


 部下の報告を聞き、指揮官が顎に手を当てる。


「ふむ。......南か」


「市門には常に複数の番がおりますし、今のところ不審な者が出ていったという報告は来ておりません。時間的にも遠くへは行けていないはず。となれば怪しい者でも然程目立たぬ貧民区に潜んでいるのではないかと。方角にも一致しますし」


 部下の男が述べる推測を、瞑目して聞いていた指揮官が顎を触りながら口を開く。


「ふぅむ、動くには今一信頼性に欠ける話だな。他に何かないのか」


「残念ながら。どうしますか」


「取り合えず南へ向かって聞き込みがてら貧民窟を捜索するほかあるまい。街の出入り口は厳重に封鎖、夜の闇に紛れて脱出を図るつもりだろうからな。それと捜索する連中には必ず複数で行動するように伝えておけ。仮に二人組と遭遇しても手を出すなともな。たった二人で五十七人のマナ使いを殺した相手だ」


 正確には二十八体の躯が確認されただけで残りの二十九人は行方不明であったが、未だに連絡が取れない事を考えれば殺されたと考えるのが自明であった。指揮官の男がさらに口を開きかけたところで入口の方が騒がしくなり、何やら言い争う声が聞こえてくる。後衛による分析の魔法を終え、感染の疑いがないと判断された躯の処理を始めようとしていた警吏たちの手と足が止まり視線が集中する。指揮官と部下の男も騒動のほうへと顔を向けた。

 

「何だ?」


「分かりません......あの甲冑は、赤蠍の連中ですね」


 顔を顰めて部下が吐き出すように言い、指揮官の男も渋い顔となった。入口付近にいた警吏たちを押し退け、赤い全身甲冑を纏った十二人が真っすぐ指揮官へと歩いてくる。先頭に立つ薄い金色の髪を短く刈り込んだ長身の男が、中性的な顔立ちに笑みを浮かべながら頭半分ほど低い指揮官へ見下ろす形で声をかけた。


「ごきげんよう、ボードワン」


「伯爵直属の私兵である貴女が何の用かねアンシェラ。ここは我々警吏の管轄だが?」


 思いのほか高い声が薄い唇から漏れる。男ではなく女であった。ボードワンと呼ばれた指揮官が不愉快さを隠しもせずに言葉を返す。それに対し男と見てもかなりの長身の女、アンシェラが大仰に長い手を広げてから己の体を抱きしめた。


「あぁボードワン。それが我らがお優しい伯爵様は今回の件をお聞きになって貴方方には荷が重いだろうと、私に全てをお任せになる判断を下されたのです」


 女は「これを」と言って絶句するボードワンに、取り出した羊皮紙を見せる。そこには全権を赤蠍の隊長であるアンシェラに委ねると伯爵直筆で書かれ家紋が押されていた。


「分かってもらえたかな?では情報を共有しようじゃないか。何か有力なものはあったかね?」


 勝ち誇った笑みを浮かべボードワンを見下ろすアンシェラの口調が変わる。その後ろでは十一人の赤甲冑が一糸乱れぬ立ち姿で待機していた。苦虫を噛み潰したよう顔をしたボードワンが後ろに控える部下の男へと顎を上げる。男は一歩進み出て一瞬悔しそうな表情を浮かべると口を開いた。


「......どうやら首謀者は男と女の二人組かと思われます。女は衰弱しているか怪我をしている可能性があり、南の方角へ消えたと」


「へぇ、男と女の二人組ねぇ。ここから南と言ったら貧民街区かな」


 女の酷薄そうな青い瞳に何かを察したような光が宿るのをボードワンは見逃さなかった。


「何か知っているのか」


「くく......。二人組は我々が追う、貴方たちはここでごみの後片付けでもしておけばいい」


 言ってアンシェラは鼻をつまむ。


「貴様ッ!!」


 同僚を侮辱されたと感じた部下の男がアンシェラへと詰め寄ろうとするがボードワンが腕を上げて止める。女を見上げる指揮官の目には憤怒の炎が燃えていた。


「今の言葉、覚えておくぞ」


「どうぞどうぞ、お好きなように。ではごきげんよう、たった二人にいいように蹂躙された無能な警吏さんたち」


 嘲笑を浴びせながら背を向け入口へと向かうアンシェラ。一言も発さず控えていた十一人も、恥辱に耐え顔を赤くするボードワンに冷ややかな視線を残しながら後に続く。アンシェラの言葉は広場にいた警吏たちの耳にも届いていた。数十もの怒りの籠った目が向けられるが、長身の女は平然と背中で受け鼻歌を歌いながら去っていった。








 すぅっと浮き上がるような感覚と共に意識が急速に覚醒する。くっついてしまったような重い瞼を開ければ歪んだ男が覗き込んでいるの見えた。目の焦点が合うに従いそれがアチェロである事が分かる。


「ここは......私、一体......?」

 

「ベル!!あぁ、ベル!!私が誰か分かるか!?」


 アチェロは世界の終わりを告げられた預言者のように悲壮な顔をして問う。男の言っている意味が分からず、僅かに首を傾げながら声を出すが、口の渇きでつっかえてしまう。


「何、を言っているの?アチェロ、でしょ?」


 アチェロは喜びを爆発させベルの顔を優しく両手で包むと額を合わせた。


「どうしたの、アチェロ。あの水、を貰えるかしら、喉、渇いちゃって」


 青年の何時にない積極さに戸惑いながらも、ベルは照れ臭そうに微笑む。アチェロは泣き笑いのような表情を浮かべ名残惜しそうにベルの顔から手を離すと、湯飲みに水を注ぎ上半身を起こした彼女に差し出す。


「ありがとう」


 ベルは両手で受け取ると口に当てゆっくりと時間をかけて飲み干した。二度お代わりをし漸く喉の乾きが癒える。ベルが一息ついたのを見てアチェロが口を開いた。


「心配したんだ。もう君は君じゃなくなったのではないかと」


「何を言っているのよ。私が他の誰かになっていたとでも言うの?」


 あどけない顔で話すベルをアチェロはまじろぎもせず見つめる。


「何も覚えていないのか」


「何の事?それより子供たちは?ここは何処なの」

 

 部屋を見回すベルの口から矢継ぎ早に質問が飛ぶ。アチェロはベルから視線を逸らすと地面に落として答えた。


「子供たちはいない、ここは前にも話したことがあった貧民区の隠れ家だよ」


「いないってどういう事?何故そんな苦しそうな顔をしているの?」


 顔を上げて華奢な肩に手を置くと、ベルの目をしっかり見据えアチェロは事実をはっきりと口にした。


「ベル、落ち着いてよく聞いてくれ。子供たちはグスタヴォによって殺された」


 青年の言葉を聞いた女の双眸が見開かれる。


「そう......夢じゃ、なかったのね」


 アチェロから両手で持つ湯飲みに目を落として呟いた。再びベルではなくなってしまうのではと恐れていたアチェロは、彼女が意外にもあっさりと子供たちの死を受け入れた事に胸を撫で下ろす。


「何処まで覚えているんだい」


「扉を開けて......真っ赤だったわ。そこで記憶が途切れてる」


 俯きながら弱々しく首を振るベル。


「......そうか。ベル、君に一つ聞きたい事がある。昨日から君がしていた首飾りなんだがあれはどういったものなんだ?」


「ねぇちゃん!!」


 部屋の扉が勢い良く開き、アチェロの言葉に被せる様に子供の声が響く。ベルの視界に飛び込んできたのはユーリであった。少年は部屋に入るなり立ち止まりベルを見つめる。ベルもまたユーリを見つめていた。ユーリは寝台の横まで来るとベルの手を両手で握り嗚咽を漏らしだす。


「......良かった。貴方は無事だったのねユーリ」


「ごめん、ごめんなさい......。俺が留守番をほったらかしにしたばっかりにみんなが、みんな......家族......のに」


 自責の念に駆られる少年の背中にアチェロが手を置く。


「それは違うぞ、ユーリ。お前がいてもどうにもならなかった。寧ろお前は運が良かった。悪いのは私だ、私の考えが及ばぬばかりにあの子たちを殺してしまった」


「違うのよアチェロ。私なの、私があの男を怒らせたから」


 ベルの思わぬ告白に息を呑むアチェロとユーリ。


「グスタヴォに会ったのか?」


 驚きをもってアチェロが問う。


「えぇ、貴方たちが帰ってからあの男が来たの、自分につけって。勿論断ったわ、でもその時の言葉に酷く怒ってた。後悔するぞって言って帰っていったの。......だから、私のせい」


 ベルが目を伏せる。もう少し他に言いようがあったのではないか、そうすればグスタヴォがあのような凶行に走ることもなっかたのではと考えると悔やんでも悔やみきれない。少年はくしゃくしゃにした顔を上げ、ベルの悲嘆に暮れた顔を見ると、手を握る両手に力を入れて激白する。


「そんなの、全然ねぇちゃんのせいじゃない!!俺がいれば、そのグスタヴォって奴なんかっ......」


「ユーリ」


 涙が止まらない少年の頭をベルの手が優しく撫でる。赤く腫れた目でベルを見るユーリの姿は、母親に捨てられまいとする子供のようであった。


「ねぇ、ちゃんが、無事でよかった。ねぇちゃんまでいなくなると思ったら、俺、俺......」


 ベルはユーリの頭を抱えて引き寄せた。暖かい胸にいだかれ少年の心は落ち着いていく。武蔵は部屋の入口に立ち感情の籠らない黒い瞳で三人を見つめていた。


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