漆拾参 造反
賑わう店内は荒くれ者たちの濃い体臭で満たされ、怒声や罵声が所狭しと飛び交っていた。太い腕で麦酒杯を掲げ、騒がしくする男たちの間を、年若い女給たちが忙しく動き回る。一人の女のよく発達した尻を武骨な手が撫でると嬌声が上がり、どっと下卑た笑いが起こる。酒場だった。
「おい、聞いたかよ」
「何の話だ?」
店内の片隅の卓で痩身の男が連れに仕入れてきたばかりの話題を振る。
「坊ちゃんの取り巻きに聞いたんだがよ」
「だから何の話だ、というか坊ちゃんって誰よ?」
連れの体格のいい男が凶悪な顔を顰め、勿体ぶった話し方をする痩身の男への苛立ちを隠さず麦酒を呷る。苦笑した痩身の男が口を開くが喧騒で何も聞こえない。
「もっとでけぇ声で話せや、全く聞こえねぇよ」
「ベルがフェリシアン坊ちゃんの誘いを断って激怒させたんだと!!」
痩身の男の張り上げた声が騒々しい店内を貫き、体格のいい男の耳に届くと目には理解の色が浮かんだ。
「あぁ、その坊ちゃんね。へぇ、まぁあの気持ち悪い野郎に簡単についてく女の方が珍しいと思うがな」
「その話、もう少し詳しく聞かせてくれよ」
突然横から何者かが割って入る。二人揃って訝し気に声の方を向くと、何時の間にか頭巾を被った男が立っていた。頭巾の男は当然のように四人掛けの空いた席に腰を下ろす。知り合いのようで二人の口から文句が出ることはなかった。
「グスタヴォか、何でも坊ちゃんが通りを歩いてたらベルを見かけて気に入ったらしく、今晩の相手をさせてやるとか声をかけたんだと」
「それで?」
「にべもなく断られて体震わせてたとさ、そりゃぁすげえ怒り様だったらしいぜ」
「そうかフェリシアンの坊ちゃんがベルをね。くっく、こいつぁいい。こっちに風が吹いてきやがった」
グスタヴォと呼ばれた男が体を縮めて口を歪めると乱杭歯から息が漏れる。何か良からぬ事を企んでいそうなグスタヴォに、好奇心を煽られた二人は目線を交わすと卓の上に乗り出し体を寄せた。
「何の話だ?」
問われたグスタヴォの目に危険な光が宿る。
「お前らに聞きたいことがある、アチェロの奴についてだ」
そう言ってグスタヴォは嗤った。
そこは貧民街の最奥に位置する、周囲に似つかわしくない一際豪華な建物。アチェロは未だ慣れぬ静寂に包まれた大屋敷の執務室で一人考え事をしていた。それを中断させたのは大勢の人の気配であった。玄関の扉が荒々しく開け放たれ、廊下を踏みつけ迫りくる足音。ただ事ではない、瞬時に判断しアチェロは臨戦態勢をとった。
轟音。
執務室の重厚で頑丈な樫の木製の戸が、蝶番から解き放たれアチェロへ向かって吹き飛んでくる。凶器と化した戸を、体を僅かに反転させるだけで躱すアチェロ。部屋の主を通り抜け、置いてあった机に衝突し激しい音と共に砕け散った。
アチェロが入り口に目を向けると、人相の悪い筋骨隆々な男が先頭を切って部屋に入ってくる。次に禿頭の男、槍を持った男、続いて金属の音を立てて全身甲冑の男、最後に頭巾を被った男が現れ、アチェロの前で足を止める。
「よぅアチェロ」
グスタヴォは右手で頭巾をとり、顔を見せてアチェロと対峙した。醜悪な相貌が露となるが、グスタヴォを見るアチェロの顔にはさざ波ほどの感情もたたない。
「私に何か用か」
アチェロはグスタヴォだけではなく、いつ仕掛けられてもいいように背後に立つ男たち全員を視野に入れながら問うた。男たちの誰もが先の騒動を生き残り、小さな派閥を抱えている顔役であった。グスタヴォは人差し指をアチェロに向けて突き出す。
「今日はお前さんにお別れを言いに来たのさ。俺たちぁ、お前の助け合って品行方正に生きましょうって方針がどうにも気に食わなくてなぁ、袂を別たせてもらうぜ」
「ではどうするというのだ、以前の強き者が弱き者から奪う、獣のような世界に戻すとでもいうつもりか?」
目の前で反旗を翻されてもアチェロは顔色一つ変えずに更に問う。
「そうだよ、所詮、この世界は弱肉強食よ。この国を見ろよ、王様や貴族たちが庶民から税を吸い取って俺たちが想像もつかないようないい暮らしをしてるじゃねぇか。奴らは食らうだけだ、何も齎さねぇ。俺たちが同じことをして何が悪い。教えてくれよアチェロ」
「馬鹿な。弱きを挫き、市井に生きる民草に迷惑をかけるなど人倫に悖る。お前たちが本気ならば私にも考えがある」
そう言って剣を抜いた。アチェロの身体から剣気が迸る。即座に男たちが反応、忽ち室内は殺気で満たされた。だがグスタボの顔から余裕が消える事はない。
「いいのか、アチェロ。俺たちも馬鹿じゃねぇ、何の策も持たずに来たと思うか?」
アチェロは口を開くことで僅かでも気が散るのを惜しむように黙っている。
「既に警吏には話が通してある」
「何だと」
泰然としていたアチェロの声に初めて感情が混じる。瞬間的に先日の警吏の言葉を思い出していた。「一つ忠告しておくよ、アチェロ。下の連中をしっかり躾けておかないと寝首をかかれるぜ」
嫌味だとばかり考えていたが、どうやら今回の事を示唆しての忠告だったらしい。奴らにしてみれば、金さえ払われれば此処を治めるのが誰でも構わないのだろう、自分でも、このグスタヴォでも。
そして貧民街が再び騒乱になり、多数の死傷者が出ようとも歯牙にもかけないのだ。いや寧ろ掃除の手間が省けたと喜ぶのかも知れない。グスタヴォは更に畳みかけるように言葉を紡ぐ。
「警吏だけじゃねぇ、領主様にも伝手があんだぜぇ、こっちは。お前が俺たちに手を出したら、さて、どうなるんだろうなぁ?」
アチェロは何も答えなかった。警吏の話はおそらく真実だろう、だが領主にも通じていると言うのは俄には信じがたい。グスタヴォがはったりを言っているのか材料がないため判断できなかった。そもそもアチェロはグスタヴォの事を良く知らないのだ。
「確かグスタヴォと言ったか、何が望みだ」
「確か、確かか......。若い首領殿は俺のことなど眼中にねぇわけだ」
上目で睨み付けるようにアチェロを見る瞳には暗い光が灯るが直ぐに何処かへと消えていった。
「まぁいいさ。今日のとこは挨拶だけだ。また会おうや、アチェロ」
グスタヴォは背中を向けると、佇む男たちへ顎を上げて外へ出るよう促し執務室を後にした。グスタヴォに男たちが続く。最後尾の男が立てる甲冑の音が聞こえなくなるとアチェロはようやく剣を収めた。
戸が消えた入り口を見つめるアチェロの顔に苦い表情が走る。とうとう恐れていた事が現実となってしまった。不満が高まっているのは身をもって感じていたが、まさかこうも早く、しかも組織立って造反が起きるとは。
朧気にしか記憶にない、あのグスタヴォという男の手腕なのか。闇討ちや暗殺といった手段を取らず、わざわざ反旗を宣言しに来たということは相当な自信があるとみて間違いない。領主に伝手があるといった話にも信憑性が出て来る。
「どうしたものか」
アチェロの口から重い言葉が零れ床に落ちたが、それを拾ってくれる仲間はいなかった。




