漆拾弐 愚かな男
領主の息子フェリシアンは取り巻きを引き連れ、商店が立ち並ぶ通りを我が物顔で歩いていた。店の売り子も主人もすれ違う人々も、誰もが目線を上げず俯いている、それが心地よかった。そうだ、私はお前たちとは違う、選ばれた側の人間なのだ。私と目を合わせられるのは選ばれし人間だけだ、ひれ伏せ。それだけが無能なお前たちが出来る唯一つのことだ。心の中で声高に叫び、悦に入っていた。思わず顔が綻びそうになるが引き締める。表に出してはいけない、それは卑しい下々の人間のすることだからだ。
フェリシアンは自分を特別な人間だと信じて疑わなかったが、特段何かに優れているわけではなかった。凡庸な容姿に、才覚、身体能力は愚鈍で、魔力も持ち合わせていない。貴族に生まれついたという事のみが選民思考の拠り所であった。自分には連綿と続く高貴な青い血が流れている、フェリシアンにとってはその一点のみが重要なことだったのだ。生まれや地位、財力など圧倒的な力の前では毛ほどの意味もなさない事を、幸か不幸かフェリシアンは知らずに生きてこれた。
街の民が高貴な自分にひれ伏し敬っている、本気でそう考え心地良い気分で歩いていると穀物を扱う店で主人らしき男と言い争っている女を見咎める。
「おい、あの女を知っているか」
立ち止まるとフェリシアンは女を指して取り巻きに言った。肩で切り揃えられた金色の髪を揺らし、綺麗というよりは可愛らしい顔立ちの年若い女が何やら店主に訴えていた。問われた取り巻きの一人が女の容姿を記憶と照合し、引き出して答える。
「あれは......アチェロの女ですよ。確かベルと言ったかな、貧民街でガキ集めて孤児院を開いています」
「アチェロ?はて、誰だったか」
フェリシアンは割れた顎に手を当て首を捻る。
「去年の暮れに貧民区の新しい首領に収まった男です」
「あぁ、そんな事を言っていたな」
フェリシアンはまるで興味がないように呟く。長身の取り巻きがベルを見ながら尋ねた。
「あの女がどうしたんです?」
「いい女ではないか」
貴い者にはあるまじき下卑た笑みを浮かべながら答えるフェリシアン。おっといけない、高貴なる者が決して下々の人間に見せてはいけない表情であったと自覚するが、そもそも自分は特別なので何も問題はないと結論付ける。
「そうですか?俺は好みじゃないですわ」
「皆が美しいと言う女は飽きた。ああいう愛らしい女がいいのだ」
「そういうもんですか」
分かるような分からぬような表情で長身の破落戸が頷く。隣に立つ肥満気味の男が神妙な顔でフェリシアンに忠告する。
「でも気を付けてください、確かあの女、魔力持ちですぜ」
「そうだ、思い出した。前の頭だったウバフがあの女を犯そうとして返り討ちにあったことから貧民窟の騒動が始まったんだよな」
「ほう、可愛らしい顔をして手練れとは、ますますそそられるぞ」
舌なめずりをして、尚も店先で抗議を続けているベルを視姦でもするかのように凝望する。先と同じく、その様はとても高貴な人間の振る舞いではなかったが指摘する者は当然いない。取り巻きたちはやれやれといった感じで目線を合わせていた。
「連れてこい」
情欲に盛るフェリシアンの言葉に男たちは顔を見合わせる。話の通りならあの女は相当な使い手のはずであった。何といってもウバフは力で貧民窟を牛耳っていた男である。そのウバフを例え油断していたとはいえ退けた力量は到底侮れるものではなかった。下手をすれば命を落としかねない、ウバフの二の舞はご免、誰もがそう思い動けずにいた。
「何だ、臆しているのか。これだから下賤の者は。いい、私自ら声をかければあの女も逆らえまい」
躊躇して動かない取り巻きに業を煮やしたフェリシアンはベルに向かって歩き出す。領主の息子に何かあれば当然自分たちもただでは済まない、取り巻きたちは渋々フェリシアンにつき従う。
「そこな女」
店主へ切々と訴えているベルの背にフェリシアンが声をかける。女の肩越しに一早く招かれざる客に気づいた穀物店の店主は、頭を垂れていた。金色の髪を揺らしてベルが振り返る。
新緑の若芽のように瑞々しい、生気に溢れた顔がフェリシアンの双眸に飛び込んできた。
「おぅ」
思わず感嘆の息が零れる。フェリシアンの青い瞳には、今まで会ったどの女よりも光り輝き、魅力的な存在として映っていた。
「あの、どうかされましたか?」
口を開けたまま固まってしまった青年を見て、ベルは心配そうに言葉をかける。背後に控えるように立つ取り巻きたちも困惑気味であった。
「あ、あぁ......、問題ない」
やっと我に返ったフェリシアンは狼狽していた。顔は紅潮し、胸は激しく動悸を打つ。幾度か深い呼吸を繰り返し、どうにか落ち着けてから眩しいものでも見るかのように目を細め口を開いた。
「女よ、ベルと言ったか。お前に今宵の供を許そう」
ベルは目の前の男が口にした言葉の意味を理解できなかった。
「あの、何を仰っているのか分からないのですが」
「これだから下々の者は、言葉も解さないというのか。喜べ、お前は選ばれた。誉れ高い私と一夜を過ごせる権利を得たのだ、光栄であろう」
顔を赤く染め上げたまま顎を逸らし、見下すようにベルを見つめる。本人は隠せているつもりであったが、緊張しているのは一目瞭然であった。店主は俯いたまま、取り巻きたちは息を潜めて成り行きを見守っていた。
「あの、よくわかりませんがお断りします」
ベルは不可解な表情を浮かべて、はっきりと拒絶すると未だ頭を下げたままの店主の方に向き直る。
「ご主人、また伺います。今日はこれで失礼します」
そう言って呆然と佇むフェリシアンの横を通り過ぎ、足早に去っていくベルの背中を取り巻きたちは無言で見送った。次いで自分たちの主へと視線を戻す。フェリシアンは顔を茹蛸の様にして天を仰ぎ肩を震わせていた。端正とは言えない顔が醜く歪み、食いしばる歯からはギリギリと音が漏れる。
屈辱であった。
選ばれし自分の誘いを、貧民街の娘が蹴るなど絶対にあってはならぬことであった。憤怒の震えは止まらない。
遠目に様子を窺っていた街の者たちは、下を向いたままフェリシアンと同じように体を震わせていた。
それは頭がいかれたお坊ちゃんの八つ当たりの対象にされでもしないかとの恐怖からくるものではなかった。体が震えていたのは、余りの滑稽さに笑いを堪えるので必死だったからだ。フェリシアンの横暴に不満を溜め込んでいた者たちは心の中でベルに喝采を送る、が決して表情に出さない。子供のような癇癪持ちの領主の息子に目をつけられれば何をされるかわからないからだ。そして最後にベルの身を案じた。
破落戸たちは見て見ぬふりをしてフェリシアンの次の行動を待っている。
「ゆくぞ」
絞り出すように出された言葉に、男たちは思わず背筋を寒くした。前方を睨み付けるように見る青い瞳には、我執にとらわれた理不尽な憎悪の光が激しく瞬いていた。
少年は自分の身体に異変を感じていた。警吏によって負わされた大怪我が、尋常ではない速度で回復している。一日で目の腫れは引き、皮膚が捲れ上がった箇所には肉が盛り上がっていた。
怪我の治りだけではなかった。ここ最近、体の奥底から力が溢れてくるのだ。そういえば黒い男から逃げた時も、商店街通りから貧民街まで休むことなく走り続ける事が出来た。食事の際、木製のお椀を掴めば罅が入る。雑巾を絞れば千切れた。身体能力が以前とは比べようもなく大きく上がっている。自分が何か別のものになってしまうような、得体の知れぬ怖さがあった。
不安に思う一方で少年には心当たりがあった。体に漲るこの力は、おそらく魔力と呼ばれるものなのだと。もしそうならば僥倖である、少年、ユーリはそう考える。魔力に目覚めれば、一般人とは隔絶した力を得る事になる、そうなれば孤児院の子供たちの、何よりベルの助けとなれる。
気分が高揚するが、しかし直ぐに消沈する。問題が二つあった。一つは魔力に波があるのだ、大人をも上回る力が出たと思えば、突然十二歳の子供相当に戻る。まだ完全に覚醒していないのか、酷く不安定であった。そして二つ目、こちらはより深刻であった。魔力に覚醒した子供は徴用され、国の専門機関へと送られるのだ。そうなればこの街とも孤児院の皆ともベルとも遠く離れ離れになってしまう。
国家はマナ使いを重要な資源と考えていたため、より多くの人材を獲得しようと輩出する数によって税を優遇する制度をとっていた。それ故、貴族や有力者たちは自らが治める領地から一人でも多くのマナ使いの卵を送り出そうと、血眼になって探し求めた。密告制度を用いる領主もいる。
ここエルボヌエルグも例外ではない、いや、寧ろ酷いとさえ言えた。強欲で抜け目がない領主として知られるエルボヌエルグ伯爵は、有力者に貢物をすることで地位を保ってきた男である。中でもマナ使いは最上級の献上品と言えた。
今はこの国の事実上の支配者と言われる宮宰に取り入ることに執心しており、虎視眈々と機会を窺っている、と言った話が子供のユーリの耳にも入ってくる。そんな男が領内のマナ使いを見逃すはずがない。警吏や街に放たれた密偵の監視の目を誤魔化せるとは思えなかった。
見つかるのは時間の問題と言えた。ユーリの脳裏にベルと仲良く談笑する精悍な男が過る。凄惨な状況をどうにかしようと立ち上がったベルを助け、貧民窟を制した男アチェロ。アチェロは頼りになる男であったが、ユーリの見たところ貧民区を完全に掌握しきれていないように見えた。通りを十歩歩けば不満が落ちているような有様だったからだ。鬱積した憤懣はいつ爆発するかわからない。万が一アチェロに何かあればそれはそのままベルの、孤児院の仲間たちの危機に繋がる。
だからこそ今、此処を離れるわけにはいかない。己を闇から掬い上げ、肉親以上の愛を注いでくれるベルの傍を離れるわけには。自分だけの話ではない、孤児院の皆にとってもベルは姉であり、母親であり、生きていく道を照らしてくれる唯一無二の光なのだ。
以前アチェロはベルとの会話で信頼できる仲間がいないと零していた、もし自分がマナ使いになれば、未熟ながらも何かしらの助けとなれる。しかし徴用の手から逃れるのは不可能に思われた。どうしていいのかユーリには分からない。ベルにはまだ気づかれていない筈だが、相談すれば間違いなく王立学院へ行けと勧めるだろう。その方がユーリの為になる、と。何よりも子供たちを優先に考える人だから。
少年は迷っていた。




