漆拾壱 醜悪な男
話好きの評に違わず、アデールの口は言葉を紡ぎ続けていた。
「警吏も屑ぞろいだけど、この街で最悪なのは領主よ。あいつらが貧民窟の犯罪者を取り締まらなかったのも金を受け取っていたからよ。そしてそれは領主の真似をしてるだけ」
「どういう事だ」
「あらゆることに税をかけているのよ。家を建てれば建築税、結婚しようと思えば結婚許可税、子供を産めば出産税、相続税に死亡税、年に一月の賦役、通行税は年々高くなって物の値も上昇してるわ。で私たちから搾り取った金を有力貴族に貢いで地位を保ってるの」
女は怒りに任せて不満を零す。
「金、金、金。強欲で好色の豚野郎。何百人って女が泣かされているの、その息子がまた......」
「やめて!!」
アデールの話を遮り突然、女の甲高い叫声が響く。アデールが声のした方へと視線をやると盛大に顔を顰めた。
「あれがこの街の領主の馬鹿息子、フェリシアンよ」
「ほぅ」
アデールが目で指したのは、若い女にちょっかいをかける薄い金色の髪を肩まで伸ばした痩身の若者であった。鷲鼻が自意識の高さを、薄い唇が酷薄さを表しているように見える。特徴的で派手な刺繍が施された装束に身を包み、柄の悪い取り巻きを連れていた。
「あんま見ない方がいいわよ、どんな因縁つけてくるか分からないんだから」
武蔵が見ていることに気づいた破落戸が大股で歩いてくる。
「言ってる傍から。お客さんも歯向かわない方がいいわ。適当にやり過ごして」
小声で告げるとアデールは明後日の方を向いて、無関係を装い皿を拭き始めた。
「何だぁ?異人、じろじろと見やがって。何処の未開の地から出てきやがった、何か文句でもあるのか?」
武蔵は近寄ってきた男をただ見る。男の血走った眼と武蔵の静かな視線が交錯する。
「へっ、面白れぇ。やってやんよ」
目を逸らさない武蔵に激高、殺気を纏った男が腰に下げた短剣の柄に手を伸ばした。
「やめておけ」
今にも襲い掛かろうとしていた男の背後から制止する声がかかる。取り巻きの男が怒りに歪んだ顔で振り向くと、印象的な鷲鼻の持ち主の姿があった。口には取って付けたような笑みが張り付いている。本人は高邁な気品を纏わせているつもりらしかったが、まるで功を奏していなかった。破落戸は何とか怒りを抑え、歩いてくる鷲鼻の為に道を空ける。アデールからチッと舌打ちがした。
「いいんですか、フェリシアンさん」
「高貴なる私は下賤な者にも寛大だ。異人よ、私はお前のような者でもこの街にいることを許そう」
男の問いかけに答えながら鷲鼻の持ち主、フェリシアンは蔑んだ目で武蔵を見下ろし、次にアデールを見た。女は視線を合わさず俯いていた。
「これはアデールではないか。あの夜はいい声で鳴いていたな、何時でも訪ねて来るがいい、我が家の門は常に開いているぞ。また、共に楽しもうではないかクク」
情欲に盛った目で嬲るようにアデールの豊満な肢体を凝視すると、淫靡な空気を残して踵を返す。
「命拾いしたな、猿野郎。今度ここらで見かけたらぶち殺してやるよ」
粗暴な男は殺意を込めた目で武蔵を睨み付け、臭い息とともに捨て台詞を置くと主人の後を追った。去りゆくフェリシアンの背に向けて女が「死ね」と小声で吐き付ける。アデールが視線を上げると武蔵の黒い瞳が見つめていた。何処までも真っすぐな眼に、気圧されたように目を逸らす。二人の間に無言が漂った。
「......さっきも言ったけど女手一つじゃ生活が苦しくてさ、子供も食べ盛りでますます入用って時に親が倒れちゃって」
寂しげな色を宿した目で下を向いたまま、アデールが口を開く。
「そんな時に声をかけてきたのがあの糞野郎でさ、一晩付き合えば金貨二枚やるって言われてね......。迷いに迷ったんだけど結局その誘いに乗ったわけ。行為が終わってお金を要求したら銀貨一枚寄こして「それがお前の価値だ」とか言いやがったの、あの屑。相手は領主の息子でしょ、逆らったら何されるかわからないから泣き寝入りよ」
武蔵は何も言わず、ただ聞いていた。苦痛を堪えるようにアデールの顔が歪む。
「結局助けてくれたのはクリス、貴方に此処を教えたエッテカルを売ってる男。幼馴染でね、私を見かねて所帯を持たねぇかなんて言ってきたわ」
アデールは大きな溜息をつき天を見上げた。
「今思うと馬鹿だったと思う」
「馬鹿だったなぁ」女の後悔の言葉が空に吸い込まれていった。
醜い男は憎悪していた。風のように現れ混沌と化した貧民窟を瞬く間に制すると同時に、自分たちを掌握した若い男を。
醜い男は憤っていた。新しく貧民窟の首領に収まった若い男が打ち出した砂糖のように甘い方針に。
このままで済ますつもりはなかった。生き残った仲間の中にも若い男が気に入らない者は無数にいる。皆、若い男が示した力の前に仕方なく従っているだけだ。その鬱憤が日々溜まっていくのを、醜い男は手に取るように感じていた。こいつらを利用して、若い男をその座から引き摺り下ろしてやる。そして絶望の中で殺してやるのだ。あの屈辱の日から、そう固く心に決めていた。
醜い男の目は細められ、中央に鎮座する褐色の瞳に嗜虐の光が灯る。既に警吏から言質は取った。後は
「くっく、待っていろアチェロ」
醜い男の口が歪み、覗いた乱杭歯の隙間から怨念の如き言葉が吐き出された。
孤児院に新たな朝が訪れていた。南イルティアに昇る太陽の強い日差しは、大地に濃い影を落とす。季節は初夏であるのに早朝から汗ばむ陽気であった。燦燦と陽光が降り注ぐ中、顔に幼さが残る女が一人建物の外に出て、空を見上げながら両手を組んで伸びをしている。ベルであった。
「あついね、おねぇちゃん」
眉根に皺を寄せ、目を瞑って筋を伸ばす心地よい痛みに浸っているベルの背へ何者かが声をかける。瘦せ細った六、七歳ほどの、栗色の長い髪を持ち藍色の目をした内気そうな女児であった。
「そうね、アンヌ」
振り返って答えたベルの目が一瞬、見開かれていた。目前の幼子が自分から話しかけてくるなど殆ど無かったからだ。いや、違う。初めてだった。だがその思いを悟られることなく笑顔を向ける。
「もうここでの生活に慣れた?」
「うん」
アンヌと呼ばれた女児は微笑んだ。小さな口は言葉を紡ぎ続ける。
「ここはいいところ。まいにちごはんも食べられるし寝るところもあるから」
「そう、よかったわね」
はにかみながら大きく頷くと栗色の髪も揺れた。アンヌは一月前にアチェロが連れてきた子供であった。貧民街にある朽ち果てた廃屋の隅で、膝を抱えて一人震えていたそうだ。
アチェロが偶然通りがからなかったら命はなかったかも知れない。今も痩せすぎであったが、来た当時は本当に骨と皮だけと言っても過言ではない状態であった。本人はあまり語りたがらなかったが、話の断片を繋ぎ合わせると、どうやら親に捨てられたらしい。院に連れてこられそのまま伏せてしまったが、ベルの献身的な介護で危機を脱し、最近漸く少しだが肉が付き、肌の色がよくなってきていた。
「ありがとう、おねぇちゃん」
「どうしたの、急に」
「かんびょうしてくれたときのお礼、いってなかったから」
アンヌは目を伏せて上目遣いにベルを見上げている。幼子の感謝の言葉を聞いたベルの顔には喜色が溢れ、更に慈愛が足されていた。仕事と日々の雑事に追われ、心身に溜まっていた疲れが吹き飛ぶ。
貧民街で暮らす子供たちの多くは人を信じられないでいた。本来なら誰より愛情を注いでくれる筈の存在に真っ先に裏切られるからである。親だ。親に裏切られ捨てられた子は心を閉ざし、病んでいく。過酷な環境が拍車をかけ、人を傷つけることを厭わない小さな怪物が生まれるのだ。
ベルはそんな子供たちを一人でも減らすべく孤児院を開院した。寝食を共にしたからと言って子供たちが打ち解けてくることはない。時間だけが僅かに彼らの厚く閉ざされた扉の鍵を緩めてくれる。少しずつ、少しずつ人の温もりで凍てついた心を溶かしていくしかなかった。
ベルはアンヌが謝意を示してくれたことが無性に嬉しかった。完全に心を開いてくれたわけではない、それでも一歩を踏み出してくれた。
貧困と死が隣人のこの街区で人が生きていくことは容易い事ではなかった、子供ならば尚更だ。
ベルとて全ての子供を救えるなどと言う傲慢な考えは持っていない。だが一人でも不幸な子を癒し、世界は悪い事だけではなく良いこともあるのだと知ってほしい、生きていくに値すると思って欲しいのである。その子らが大人になり、恵まれない子たちを善き方向へと導く、この連鎖が機能すれば世界は今よりも少しはましになるだろう。それがベルの目標であり、豊穣の女神キュリアが持つもう一つの顔である慈愛の女神が説く教えでもあった。
「そろそろ皆起きてくるわね、朝ごはんの用意をしなくちゃ。アンヌ、手伝ってくれる?」
「うん」
情愛を湛えた瞳が包むように女児を見つめ、優しく手が差し出される。一瞬躊躇ったように動きを止めた小さな指が、今度は迷うことなく大きな手を掴んだ。ベルを見上げるアンヌの顔もまた明るく綻んでいた。手を繋ぎ揃って孤児院へと戻っていく二人を朝日が照らしだす。ベルの先にある道は遮られることなく陽光を反射し、未来の展望は開けていると示唆しているようにも見えた。そう、世界は可能性に満ちているのだと。




