漆拾 巷談
武蔵は通りを歩いていた。領主館や聖堂、商工組合所に市庁舎と言った中枢機関が建ち並ぶ中央広場から、東に延びる大通りだ。道の両側に整然と並ぶ黄土色で統一された三階建ての家屋は、最上階まで石造で開口部は拱門で支えられている。興味深げに眺める武蔵の反対側から小忙しく駆けてくる者があった。男はすれ違いざま顔を上げ武蔵を見ると目を丸くして足を止めた。
「あんた、まだこの街にいたのかよ!?あの糞警吏が仕返しに、つっても何もしてねーか、来るかもしれねーぜ?」
昨日、武蔵が食した屋台の店主であった。驚きと興奮で大声を上げるが、武蔵の泰然自若、毛ほども気にしてない様子に、男の顔が固まった。腰に両手を当て、俯いた口から笑いが零れる。
「へっ、まぁいいやな。あんたならどうにでもなりそうだ」
「何処へ行く」
今にも駆けだしそうな男の忙しい感じに尋ねた。
「何処って、材料切らしちまってな。買い出しよ」
武蔵は僅かだが気落ちしたように息を吐く。
「どうしたんだい?」
「お主の処で飯を食おうと思っておったのでな」
「お、嬉しいねぇ。けど買い出しに行って仕込みをしてってやると小一時間はかかっちまうぜ」
武蔵の腹が盛大に鳴る。余りの音に店主が驚くばかりか、近くを歩いてた人までもが何事かと振り返っていた。
「おぅ、こらまたすげぇ音だ。どれだけ腹減ってんのよ」
「この辺りで良い処はないか」
「そうさなぁ」
男は細い顎に手を当て、僅かに考えると口を開く。
「アデールって大年増がやってる店が直ぐ近くにあるぜ。こいつの作るランポワズはなかなかのもんだ。世話好き、話好きの女でな、貧民街の世情にも通じてるから、あんたが助けたガキの話とか、まぁ色々聞けるぜ」
「ではそこへ行くとしよう」
「おぅ、悪かったな。これに懲りずにまた来てくれよ異国の旦那」
店主はアデールの店までの道順を教えると、慌ただしく駆け出して行った。少し行った所で足を止め振り向く。
「昨日は見事だったぜ、まさか剣を抜かずに追い払っちまうとはな。あんたに頼んだ俺の目に狂いはなかった。流石俺」
顔を綻ばせ前を向くと、今度こそ走り去った。
男の振る舞いに武蔵の口が歪む。教えられた通りに道を行くと、長身で肉付きの良い三十路を幾つか越えたと思われる女が屋台を構えていた。目尻が下がった大きな目と、厚い唇に色が漂う男好きのする女であった。
手元の鉄板では穀物粉を水で溶いたと思われる物が薄く延ばされ焼かれている。前に立つ武蔵の気配に気づき、顔を上げた目には僅かの驚き。
「あら、異国のお客さんね」
直ぐに瞳から感情は消え失せ、淡く微笑む商売人の顔になっていた。
「一つ貰おう」
「中に入れるものが選べるけど」
女、アデールの愁いを含んだ青い双眸が武蔵を見る。
「何がある」
「豚の塩漬け肉に燻製肉、鳥の燻製肉、腸詰肉、後は卵ね」
「全てだ」
「え?」
武蔵の言葉にアデールが聞き返す。
「全て入れてくれ」
「全部入れたら食べきれないわよ?......あぁ貴方、マナ使いなのね」
武蔵の腰を見て勝手に納得したように頷くアデール。手際よく鉄板の上で腸詰肉を焼き、程なくすると皮が弾け、溢れた肉汁が鉄板に焦げて辺りに食欲を刺激する香りが漂い始めた。
「出来たわ」
そういって女が差し出すのは、焼いた生地を扇形に畳んだ珍妙な食べ物であった。生地の中に様々な物が詰め込まれ膨れ上がっている。手だけで食べられるよう工夫したのだろう、熱くないように扇で言う要の部分に木の皮が当てられていた。武蔵は女から受け取ると口を開き食らいつく。
「お口に合うかしら」
上目遣いで不安げに問う女にも武蔵は反応せず、咀嚼し呑み込むと呟く様に言った。
「これは蕎麦か」
「そう、蕎麦を挽いて水と塩でこねてから寝かせたものなの。ランポワズって言うのよ、どう?」
アデールは左手を右脇に挟み、右手を頬に当て科を作る。ランポワズをあっという間に腹に収めた武蔵は口を開くと
「美味い」
「よかったわ」
艶のある笑顔で女が言った。顔を傾け武蔵を見つめる。
「お客さんってさ、もしかして昨日警吏に絡まれてたユーリ、男の子を助けたって人?」
「あの童はユーリと言うのか」
「えぇ、ちょっと前までこの辺りで悪さしてた子なの。そうか、やっぱりお客さんだったのね」
「知っておるのか」
女は答えず訝しそうに武蔵を見る。得体の知れぬ異国の男の思惑を見定めようとする眼であった。
「お客さん、どうしてうちに来たの?偶々通りがかったとかじゃないでしょ」
「えってかるを売る男から勧められた」
「あぁ、道理で。私の事なんて言ってた?」
アデールは合点がいったように頷き、体に張っていた僅かな緊張が解かれる。
「世情に通じておる、と」
「そうね」
「大年増とも言っておった」
「あいつ......」
色白な女の蟀谷に血管が浮かぶ。
「ふふ、まぁいいわ。せっかくだもの、聞きたいことがあったら答えるわよ」
怒りながら笑うという特異な芸を見せ、アデールは顔の前で手を逸らせる。
「いらぬ」
「え?」
蠱惑的な顔が間の抜けたものとなった。
「俺には興味なき事、それより今食したものを五つ貰おう」
「お客さん、変わってるわね。普通は自分が助けた相手の事知りたくなるもんじゃない?」
アデールが表情を戻し大きな目で覗き込むように見るが、武蔵は瞑目して取り合わない。
「はいはい、ランポワズ五つね」
アデールは一つ息を吐き、そそくさと生地を鉄板の上に伸ばしてゆく。
「お客さんが助けた子はユーリって言ってね、貧民街の子なの。母親は流行り病で早くになくなって父親は誰かもわからない」
武蔵が手と共に口も動かすアデールをじろりと見る。女は悪びれた様子もなく続けた。
「独り言よ。相手がいるのに黙っているのも気詰まりでしょ」
武蔵が再び目を瞑る、その態度を是と取ったのか女の口は滑らかに廻りだす。
「で、あの子は一人で生きていかなきゃいけなくなったんだけど、周りの連中も似たような境遇で他人を助ける余裕なんかない。そうなると子供が生きていく手段なんか限られるわよね」
「盗みか。ここを勧めた男が言っておった」
「そう。この辺りでしょっちゅうやってたわ。皆、事情は分かってるから大目に見てたんだけど、悪さをするのはユーリだけじゃなくてね。貧民街の連中がやりたい放題、警吏も見て見ぬふりでもう皆、頭に血が上ってたのよ。ある日、溜まりに溜まったその怒りが偶々盗みをしたユーリに向かって、店主に半殺しにされちゃったの。誰も止めなかった。皆殺気立ってて私も怖くて動けなかったわ」
昨日屋台の主から聞いた話が繰り返されていた。武蔵は腹の虫が空腹を訴えるのを堪え耳を傾ける。
「そんな異様な状態の中、ユーリを助けたのがベルって娘でさ。魔力に目覚めて学院に徴収され、兵役を終えて戻ってきたところだったの。ビックリしたと思うわよ、数年ぶりに故郷に帰ってきたら街の皆が囲んで子供を痛めつけてたんだから。ベルが怒り狂う店主を何とか説得して、盗みの金を払うことでその場は収まった。後で、あの娘言ってたわ、ユーリの件はまだ序の口だったって」
アデールは小気味よく音を立てる生地の上に卵を落とすと、艶冶な厚い唇で苦笑する。
「ベルも貧民窟出身でね。とは言っても、あの区画が貧民街になるよりずっと前からあった、何とかって神様の巫女の家系らしくて、あの子の母親もその親も代々あの場所で暮らしてたそうなの。不思議なことに完全な女系家族で生まれてくるのは必ず女、そして魔力を持ってるらしいのよ」
「ほぅ」
話の内容に興味を覚えたように武蔵が相槌を打つ。生地の傍らで腸詰肉を転がしながら、アデールの口は言葉を紡ぎ続けていた。
「当然のようにベルも魔力に目覚めて王立学院に入ったんだけど、その間に母親がならず者達の仲裁に入って命を落としてしまったの。父親が早くに病気で没していたから長い事二人だけで生きてきたのよ。本当に仲の良い親子だったから、さぞ辛かったと思う。色んな事があって七年勤め上げて戻ってきたのはいいけど、あの子が出て行った時より更に物騒な区画になっててさ。もう本当に酷くて窃盗、恐喝、暴行、強姦、殺人なんでもござれって状態だった。それを見かねて何とかしようと立ち上がったの」
屋台の前を通り過ぎる人々が、黒尽くめの異国の男へ好奇の視線を残していく。手を動かしながら、その光景を目を細めて面白そうに眺めるアデール。
「当時貧民街を仕切ってたのがウバフって残酷な男で、当然ベルが目障りよね。で、ベルを犯して慰み者にしようとしたらしいんだけど、あの子もマナ使いじゃない。返り討ちにあったらしくて、強面で売ってたのに面目丸つぶれ。あっという間に部下に殺されて、いよいよ貧民街が可笑しくなった時に現れたのがアチェロって男。この男が収拾がつかないと思われてた貧民街をさっと纏め上げたの。ベルの軍隊時代の同僚だとか恋人だとか色々噂になってて、私も気になったから直接聞いてみたのよ。あの娘は友人って言ってたけど、アチェロの方はそう思ってないのが見え見えでね、初々しいわ。私もあんな頃があったな」
「何故そこまで子細を知っておる」
「元々ベルとは顔馴染みだったのよ、あの娘が街を出ていく前からのね。一回り以上違う私をおねぇちゃんって慕ってくれてたわ。それに女ってのはこの手の話が大好きだから。私は仕事柄、貧民街の女たちとも付き合いがあるし漏れて伝わってくるのよ」
「仕事柄とは」
「夜は酒場で女給の真似事やってるの。これだけじゃ食べていけないからね。ベルに、貧民街の女たちに勤まる仕事がないかって聞かれたから、私の職場を紹介してあげたのよ」
そう言うと両手に持ったランポワズを武蔵に向かって差し出した。




