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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
剣墓の丘
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陸拾肆 ギヤマン

 青々とした草が生い茂る丘の麓には、建材としてこの地方で一般的な楢を用いた木製の小屋が建っていた。草の間から所々顔を覗かせる巨大な玄武岩がこの地が火山帯であることを示している。今、素朴で頑丈そうなその小屋の扉を叩く者がある。黒い民族衣装を纏う異国の男であった。衣服も顔の造作もこの国に住む民たちとは隔絶しており、遠い異国からの来訪が伺い知れる。足には長旅に似つかわしくない、麦藁で編んだかのような粗末な靴らしきものを履いている。無造作に束ねた髪に、顔を覆う髭の色は黒。炯炯とした瞳も黒かった。

 袖から出る腕は太く逞しい。野盗と言われても否定しようのない風体をしていた。中にいる何者かが扉を開くのを待つ。程なく扉が開かれ現れたのは容姿が整った中年の女であった。白い下着の上に青の一枚繋ぎを着、腰を紐締めした姿はよく見かける農民の恰好であったが、それが不思議と女を美しく見せていた。


「何か御用でしょうか、旅の方」


 異様な風体の男を目の当たりにしても女は動じる素振りも見せず、笑みさえ浮かべていた。


「相すまぬ、この辺りに剣墓けんぼの丘なるものがあると聞いてきたのだが知らぬか」


「知っておりますとも。この道を真っすぐ進めば貴方の望む処へゆけるでしょう」


 女は徐に男の全身を確かめるように見ると満足気に頷き、農業に携わっているとは思えない綺麗な指で小屋の前の道を指した。右に左に折れ曲がる稲妻型の道は、緩やかな傾斜を描き丘へと続いているが、その先に何かがあるようには見えない。確かめる様な男の視線を受けても、女はただ無機質な笑みを口元に張り付けたまま佇んでいる。盗賊と見紛う男を真っすぐに見る瞳には感情の揺らぎが存在せず、すべてを飲み込むうろの様。笑い方を知らぬ異界の住人が人を真似ているかのような違和感。辺りには人の住む気配はなく、この小屋だけが孤独に建っている事が奇妙に現実感をなくしている。見渡す範囲内では畑もなく、辺鄙な場所で女がどの様な手段で活計を営んでいるのか想像もつかない。

 

 男は目礼すると女が示した道を歩き出す。女は日の光を浴びたこともないような染み一つない白皙の顔に、切り取った様な笑顔を浮かべ見送っていた。道を行き暫くすると辺りを靄が覆い始める。振り返ると靄にのまれ女も小屋も見えなくなっていた。周囲の景色も白く霞む。男はただ丘を目指し歩みを止めない。

 やがて靄は霧と変わり目の前でさえ見通せないほど視界が悪くなっていた。一歩先も見えぬ状態にもかかわらず男は無造作に足を踏み出し、なだらかな道を上り続ける。肌に触れる水気が体の熱を奪ってゆくが男はどれほどの事も感じていないようであった。奪われるより多くの熱が男の体内から溢れていた。霧に包まれた中では、時が経つ感覚も距離の感覚も失われ、誰かが見る夢の中にでも迷い込んだかの様。もうどれほど歩いたのだろうか、とうに頂上付近にまで辿り着いてもよいと思われたとき、突如霧は晴れ、白一色となった世界が色を取り戻す。

 

 視界が開けた先では見渡す限りの大地に、数えきれないほどの武器が突き立っていた。それは話に聞いた剣墓の丘そのままの光景であった。男が目にしたこともないような無数の武器が墓標の様に大地から生えている。その向こう、空に途轍もなく巨大な七色に輝く光の幕が揺蕩う様は、この世のものとは思えぬ情景であった。


「ようこそ、剣墓の丘へ。此処は時間と空間が歪み重なる特異な場。同じく歪の者である汝に相応しいとも言える、放浪者よ」


 気配に敏な男に全く感じさせず、声の主は悠然と武器の列の中に立っていた。それは突然その場に現れたと言ってもいいほどの唐突さであった。そして異国の男 武蔵の事を知っているかのような口振り。

 声の主は黒い長外套を羽織り黒い長袴ちょうこを穿いた、武蔵と同じく全身を黒に染めた男であった。背丈は武蔵と同じほど、体格は痩身。だが貧弱な気配は微塵もなく、鍛え抜かれ余分な肉が一欠片もない引き締められた肉体と言う印象を見る者に与える。長く整えられた髪も、やや眼尻が下がった目に嵌まる瞳も黒、肌だけが異常に白く碩儒せきじゅの如き風貌。口には張り付けたような淡い笑みがあった。手には鍔と柄の装飾が見事な銀色に煌めく大振りな剣が握られている。


「何者だ?俺を知っておるのか」


「我らの間に言葉は必要ない、そうであろう放浪者よ」


 言って声の主は武蔵へと襲いかかる。最短の距離を最速で振るわれた合理的な一撃をだが武蔵は身を捻り余裕をもってかわした、はずであった。しかし着物の胸部は破れ、血が流れ出ている。武蔵の顔が険しくなった。傷を手で触り状態を確かめる、深くはない。問題なのは見切ったつもりの斬撃で傷を負わされたことだ。生半な相手ではない。身体に染み込んだ習慣で腰に手をやるが掴もうとした指が空を切る。本来ならある筈のもの、無ければならないものが無かった。失われた事を悔やむ間もなく長外套の男が迫る。


「むぅ!!」


 襲い来る大剣を、咄嗟に地面から生えた柄を握り引き抜いて受ける。本来ならば地中深く埋まった剣は容易く抜けるものではなかったが武蔵の剛力が可能とした。剣と剣が交錯した瞬間、断末魔の高い叫びと共に武蔵の手にしたものが破砕、銀の光を散乱させる。長外套の男の剣がそのまま僅かも軌道を変えることなく武蔵の右肩を削ってゆく。追撃を避けるため大きく下がり距離を取った。肩から肘を辿り袖から覗く手首まで赤い筋が流れていた。浅い傷ではない。恐るべき剣であった。そしてそれを使いこなす使い手。深い知性を漂わせる男の黒い双眸が武蔵を見る。


「どうした?武器がないのならば好きなものを取ればいい。ここには無数の武器が汝の手に収まるのを今か今かと待っているぞ」


 武蔵は鼻から息を吸い、口から長く吐いて気を練る。近くに突き立つ武器の長い柄を握りそのまま引き抜くと先端に両刃がついた槍が現れた。穂先を男に向けて構える。肩の傷は浅くなかったが動くのに支障はない。


「それでいいのか?ではゆくぞ」


 武蔵は長さの利を使い、男が踏み込む寸前に槍を突き出す。線ではなく点の攻撃。動きの起こりを全く見せない電光石火の突きを、男は首を傾けると言う最小限度の動作だけでかわした。一瞬の後、僅かに掠めたのか、男の頬に赤い蚯蚓腫れが浮かび上がる。


「槍を使えるのか、大したものだ。武士はあらゆる武器を修めると言う。確か武芸十八般、そう言うのであったか?」


 頬を指でなぞりながらの声には称賛の響きがあった。


「何故日ノ本の言葉を知っておる?」


 男は今確かに武士、そして武芸十八般と口にした。この世界に日ノ本とつながる何かがあるのか。返答の代わりに男は踏み込んできた。武蔵は大地に突き立つ武器を盾とし、間合いに入るなり槍を突く。男は体を揺すり紙一重で躱す、だが二段目がほぼ同じ機で突かれた。

 連突。

 男は迅雷の如き速さで迫る槍を難なく剣で受け逸らす。耳をつんざく様な高い金属音と火花。男の剣と交錯した穂先部分が削れていた。男が一歩踏み出し剣の間合いとなる。男の剣が斜め下から間にある盾とした武器毎切り上げられる、少しの抵抗もないように金属棒が破砕、武蔵は頭部を背後に反らすが、数十本の髪が宙に舞った。背を傾けながら柄の中央付近を持つ左手と後方を握る右手を交差させ槍を半回転、石突を男目掛けて振り上げる。それを男は剣の柄頭で受けた。武蔵の膂力でもびくともしない。外見からは想像もできない力強さ。一歩足を退き、即座に手を反転させ槍が回転、鋭い穂先が頭上から男を襲う。

 

 読んでいたように剣が一閃され、穂先と衝突。またも粉々に破壊された。まともに打ち合う事さえできない。振り上げられていた剣が翻り武蔵目掛けて振り下ろされる。身体を縦にして躱すとその勢いを利用して穂先のなくなった槍を旋回、石突を男の側頭部へ叩き込む。男が左腕を畳んで防御、肩に激突。その衝撃で柄は真っ二つに折れた。短くなり穂先を失った槍の柄を男目掛けて放る。剣で払った男の意識が僅かに逸れた隙に武蔵は新たな武器を掴んでいた。手にしたのは切っ先に行くにつれ幅広の刀身を持つ曲刀。

 

 男が持つ恐るべき剣に対し受け身は不利と判断、地を蹴り土煙を上げて踏み込む。泰然と佇む男の間合いに入る寸前、武蔵の空いた左手が傍らに突き立った片手剣の柄を掴み引き抜いていた。左右の手に握られた曲刀と剣を同時に振り挟撃。男は退くことで躱す。武蔵の両腕が交差した隙に攻勢に転じ頭部を狙い剣を振り下ろした。身体を回転させて避け、遠心力を利用し振り向きざま曲刀を振るう。光の尾を引いて走るが男が跳ね上げた剣によって易々と防がれていた。悲鳴の様な高音。剣と交錯した部分から曲刀の刀身は破砕し光の粒子をまき散らす。破壊された刀身の破片に紛れ、曲刀の柄を握る武蔵の人差し指が勢いよく跳ね上がっていた。男の目に向けて数滴の血の滴が飛ぶ。肩の傷から流れ、指先にまで届いていた血を利用したのだ。

 

 間を空けず、流れるように左手に持った片手剣を撃ち下ろした。だがその攻撃さえも読まれていたのか、男が片腕で掲げた剣によって防がれていた。高音が響きまたしても片手剣が砕け散る。攻撃のような防御。男の剣の前ではどの武器もまるでギヤマンで出来ているようであった。長外套の男の眼前に広げられた白い掌に咲くのは赤い花。顔には余裕の笑み。ぎりっと歯軋りの音が響く。武蔵は刀を欲していた。長外套の男が持つ剣と打ち合える刀を。


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