陸拾参 旅路
会話が一区切りし運ばれてきた食後の珈琲を飲んでいると扉が開かれた。引き締まった身体を持ち目に強い力を蓄えた壮年の男が部屋に入って来る。
「この男はうちの、バイロン冒険者組合長エーレンだ」
ドニスが珈琲を不味そうに飲んでいる武蔵へ男を紹介した。エーレンは隙のない動作で武蔵の目前まで歩いてくる。その瞳には童のような好奇の輝き。
「やっと会えたな。あんたがムサシか。ツィトスやアベルから色々と聞いている、むぅ」
弾んだ声で言ったエーレンは顎に手を当てながら武蔵を見て何やら唸っている。
「凄いな、俺は目利きが自慢で一目見れば大体相手の力量が分かる。だがあんたは底が知れないな。これで病み上がりってんだから信じられん。いやぁ、俺も見たかったよ、あんたと来訪者の戦いを!!」
武蔵は組合長の感嘆の言葉をただ黙って聞いていた。子供のように燥ぐエーレンだったが、何かを思い出したように宙を仰ぎ、視線を泳がすと困ったように後頭部を触る。急に大人しくなった組合長の態度に、見ていた人々が訝しむ。
「唐突だがムサシ、お前さんに会いたいと言っておられる方がいるんだが」
「構わぬ」
男の態度から己にとって良からぬ事態が待ち受けているのは明白であったが武蔵は承諾した。
精悍なエーレンの顔に、安堵と苦々しさが混じった複雑な表情が一瞬浮上し、すぐに沈んでいった。
「ドニス、こっちへ」
組合長はドニスを呼ぶと、声が聞こえぬよう部屋の端に行き何やら囁いていた。無言で聞いていたドニスの目が見開きエーレンを睨みつける。開きかけたドニスの口をエーレンが目で制す。「分かったな」「あぁ」という声がアベル達の耳に僅かながら聞こえてきた。険しい顔のドニスは扉へと向かい、出ていく間際振り返ると何か言いたげな目で武蔵を数舜見つめたが、閉ざされた口が開かれる事はなくそのまま去り、エーレンが戻ってくる。
「では付いてきてくれ」
殆ど残っている珈琲椀を置くと、武蔵は立ち上がりエーレンの後をついてゆく。薫りは良いがどうしても苦みのある味が好きになれなかった。足音がいくつも重なるのを聞き咎めたエーレンが振り返る。
「お前たちまでついてくることはないぞ、ベルカ、貴方まで」
アベルにツィトス、ベルカが連れ立って後に続いていた。帰る素振りが全くない三人にわざとらしく大きなため息をつくと、了承したように再び背を見せ歩き出す。建物を出て大通りを横切る、灰狼が消えたことで活気を取り戻した街には賑わいと喧騒が戻っていた。
先頭を行く組合長に顔見知りが声をかけてゆく。浮かぬ顔のエーレンはそれらに適当に言葉を返し、重い足取りで目的地を目指した。最後尾の武蔵が僅かに顔を向け背後を気にしたが気付く者はいない。暫く行くと人気のない開けた場所に出た、そこで足を止める。待っていたのは若き領主代行でありトゥールス公爵の嫡男ジョジョであった。
警吏長との戦いで大きな傷を負ったジョジョであったが、顔色は良く傷は完全に癒えているようだ。エーレンがジョジョの眼前で足を止めた。
「連れて来ましたよ。ムサシ、この方はバイロンを治めるトゥールス公爵のご子息、ジョジョ様だ」
エーレンが振り返って武蔵を見、左手でジョジョを示しながら紹介する。ジョジョは冷たい眼差しで武蔵を一瞥し、続いて背後で立ち並ぶアベルらに視線を移す。
「この者らは」
「私の友人に部下、この方はバイロンの顔役の一人、ベルカ老です」
紹介を受けたベルカは一歩進み出ると慇懃に礼をした。
「お初にお目にかかります、私は商工組合の相談役をしておりますベルカと申します」
「商工組合の、貴方とは後で話がある。今はこの者に話を聞きたい」
重々しく頷いた青年から放たれた有無を言わさぬ強い口調に、老人は目礼して下がる。ジョジョは厳しい表情で武蔵と相対した。
「貴様が灰狼と揉めていた異国人か」
武蔵は何も答えないことで是とした。
「来訪者の娘と街中で戦ったのも貴様で間違いないな」
「そうだ」
重く低いがよく通る声で言った。武蔵を見るジョジョの瞳に、刃のような鋭い光が奔る。
「そうか。貴様を内乱罪で追放処分とする。今すぐこのバイロンより立ち去れ」
「!?」
淡々とした口調で発せられた言葉にアベルとツィトスの目が驚きに見開かれる。どういう事かと苦虫を嚙み潰したような表情のエーレンへ視線を走らす。だが男は首を振るだけで弁解をするつもりはないようであった。
「説明を願おう」
アベルが代弁してジョジョに問う。その口調に侯爵の子息を敬う気配は微塵もない。
「その必要はない、私が直に見分をし下した判断だ」
言い切ったジョジョの双眸には強い決意が見て取れる。翻意させることは限りなく不可能に思われた。
「見分をしたと言うならムサシが灰狼を壊滅させた事は知っているだろう、エーレンからも今回の騒動の顛末を聞いているはずだ。なのに何故!?」
「なるほど、そういう事ですか」
憤るアベルに得心したようなツィトスの言葉が重なった。眼光鋭くツィトスを振り返ったアベルが続きを待つ。怜悧な光を宿らせた瞳でツィトスはまっすぐジョジョを見据えた。皮肉気に歪められた口から言葉が紡がれていく。
「克肖会を追求すれば教会との対立が鮮明になり事を構える覚悟が必要となります。警吏を罰すれば公爵のバイロン統治の過失を認めることとなる。警吏は公爵直轄の組織ですからね。此度の騒動の責任を被ってもらう第三者が必要不可欠です。関わりがあった中で後ろ盾がなく、どのような処罰をしようと何処からも非難が来ない最適な人物、それが異人であるムサシさんと言うわけですか。なるほど、理に適っている。確かに今回の騒乱の責任を擦り付けるには打って付けの人物です」
「全てを武蔵の咎として片づけるつもりなのですか!?」
ツィトスの皮肉を込めた解説が終わったと同時に、若い女の澄んだ声が背後から響く。皆が振り返った先にいたのはリグテュスであった。一人を除いてその場にいた全員が驚くほど完全に気配を殺し後をつけていたようだ。アベルが質す。
「リグテュス、何時からいたのだ?」
「貴方方を大通りで見かけたので後についてきました」
「気配を殺してか」
「えぇ、何やらエーレンの様子がおかしかったので」
リグテュスはそう言って翠の瞳を眉間に深い皴を作っているエーレンに向ける。
「ツィトスの言ったことは事実なのですか」
「その通りだ。誰かが責任を取らなくてはならない」
答えたのはエーレンではなくジョジョであった。己の判断に僅かの迷いもない様に断言した。森人は助けを求めるようにその場にいる者の顔を見る。ツィトスと目が合った。だがその目は思いのほか冷めていた。
「だから言ったでしょう。これが人の世界、人のやり方なんですよ」
リグテュスは納得がいかない。武蔵との間に隔絶された距離を感じていた森人であったが、だからと言って理不尽を見過ごすのは生まれ持った善性が良しとしなかった。更に口を開きかけた時、武蔵の手が肩に置かれた。
「もうよい。俺は構わぬ」
「そんな!?何故貴方だけがこのような目に合わなければならないのですか?」
「もとよりこの地に長く留まるつもりはなかった」
「しかし!!」
尚も収まらない森人を退かせ、前に出て若き領主代行と対峙する。
「代わりに求むるものがある」
「聞こう」
目前の異国人がどのような要求をしてくるのか、苛立ちを抑え青年は答えた。
「来訪者の娘との戦いで借り受けた剣を砕いてしもうた。東の通りにある鉄屋に金を払うておいてくれぬか」
「断る!!」
即答であった。
「貴様が街中で来訪者と戦ったせいで、どれだけの家屋が倒壊し街路が破壊されて損害が出たと思っている?この上金を請求するなど恥を知れ、薄汚い蛮族め!!」
突如豹変し、口汚く罵倒を始めたジョジョに驚きを露にするアベル達。出会ってまだ間がないとは言え、エーレンには礼節を弁えた青年に見えたが、違っていたようだ。白き民に珍しくない典型的な異人種嫌いの傾向が顕著に出ていた。地政学的にトゥールスに生きる人々は異質なものに強く偏見を持ってしまうのかも知れない。
憎々し気に武蔵を見る瞳には殺意の色さえ見て取れる。まずい、その場にいる誰もがそう思った。異邦の剣士はこのような態度を取られて黙っている様な男では無い。
しかし思いに反して武蔵は何の反応も見せなかった。ジョジョを映す瞳は路傍の石でも見るかのよう。それが気に入らなかったか、更に罵ろうと口を開きかけた時
「およしなさい」
止の声が割って入る。その声の主はリグテュスでもなくエーレンでもなくアベルでもない。ツィトスでもなかった。好々爺然とした老人、ベルカであった。
「貴方様も人の上に立つ御方ならそのような事は思っても口にしない事です。為政者が特定の民を優遇する、或いは嫌悪する先にあるのは圧政でしょう」
先達者の諫言にジョジョは武蔵を一瞥すると苦々し気に口を閉じる。やはり人とは分からないものだ、公爵家の御曹司がこのような一面を持っているとは。エーレンはそう思った。
ジョジョに一見で人を判断するのはやめろ、長い時をかけてさえ人の本性を見抜くの至難と忠告したエーレンであったが図らずともジョジョ自身が証明する形となった。
「エーレン組合長、後の事は頼む」
ジョジョは盛大に舌打ちをし、武蔵を射殺さんと睨みつけ、苛立たし気に足音を立て去って行く。遠ざかるジョジョの怒気を孕んだ背中を見つめていたベルカは「困ったものです」と言うと振り返った。
「鉄人には私が代金を支払っておきましょう」
「お願いする」
精霊銀の長剣の値を聞いて腰を抜かさなければよいが。武蔵はベルカの身を案じた。それとも商工組合の相談役にとっては大した金額ではないのだろうか、武蔵には分らない。そんな武蔵にエーレンが緊張を伴って声をかける。
「どうするムサシ、お前さんの力があればあの坊ちゃんを斬ることぐらい容易いだろう。ただそうなると我々も不本意ながら彼を護るために剣を抜かねばならん。世俗の柵ってやつだ」
「先程も言うた。この地に留まるつもりはない」
武蔵の言葉にエーレンは長い息を吐いた。ドニスへの指示が無駄に終わった事に心から安堵していた。ジョジョからは武蔵が伏せて意識がない間に殺せないかとの提案もあったが、そんな事をすればリグテュスやアベルと敵対する、冒険者の中にも心を寄せているものが多数あり、決してこれからのバイロン統治に寄与しないだろうと言って必死に留めた。
渋々己の案を引っ込めたジョジョに、エーレンが提案したのは追放であった。此度の騒乱の責を全て武蔵に被らせるというジョジョの考えは覆そうになかったからだ。病み上がりを狙ったのも策の内、万が一戦闘になった場合、出来うる限り迅速に武蔵を無力化し、街を離れた処で解放するつもりだったのだ。来訪者と戦い生き残った男をこんな事で死なせるわけにはいかなかった。
「そう言って貰えると助かるよ。灰狼を破った勇者にこのような仕打ちは俺としても遺憾だ。それとこれはあんたの荷物に数日の食糧。あんたが伏せている間にアベルが泊まっていた宿を引き払い預かっておいたのだ」
ばつが悪そうに麻袋を差し出すエーレンを武蔵の濡れたような黒い瞳が見る。受け取りそのまま視線をずらすと沈痛な面持ちの森人の姿があった。未だ武蔵が追放処分となったことに納得がいかぬようであったが、それだけではなかった。またも目の当たりにした人類社会の在り方に怒りと悲しみ、そして深い失望を感じていた。白皙の美貌には倦怠感が陰の様に付き纏って見える。
「お主には世話になった。また何処かで会うこともあろう。その時に借りは返す」
武蔵の凪のような穏やかな態度に開きかけた口を閉じ、暫し逡巡すると首肯した。
「分かりました。また会いましょう」
そう言うと「これを」と指先程の大きさの魔石を差し出す。赤く濡れたように輝く石には何かの紋様が彫り込まれていた。武蔵がリグテュスを見る。
「これを持っていれば貴方の居所を探知できます。武蔵の事です、強きものを求めて当て所無く放浪するのでしょう?」
見透かされている、武蔵は鼻でふっと笑い受け取った。真顔に戻ると透徹した黒い瞳が森人の翠の双眸を見据える。
「一つ言うておく。人と人は分らぬからよいのだ」
女はきょとんとした顔をした。
「容易く分かってしもうては面白くないではないか」
武蔵の言葉を理解した森人は瞠目する。自分の短い時で答えを得ようとする性急さや、異なるものの考え方を受け入れようとしない頑なさ、見たくないものから目を逸らそうとする視野の狭さを見通したかのような言葉であった。不意に笑いが零れる。笑いは止まず、直ぐに哄笑となった。二人のやり取りの意味を理解できない他の者たちは、奇異な目で笑い続けるリグテュスを見る。一頻り笑い終えると、この街に来て以来、人との、そして武蔵との価値観の差異に澱のように積もっていた陰が消え失せていた。嵐が去った後の清清しい空のような晴れた笑顔であった。
「そうかも知れません」
笑みを浮かべたまま頷いた。今迄余りに自分は森の精霊人としての主観でしか人の世界の物事を見ていなかったのではないか。人には己の利益のためなら他者を出し抜き、時に血を分けた肉親でさえ排する極めて利己的な面がある。同時に無償で命を擲ってまで他人を救おうとする者もいる。両極端を併せ持つのが人なのだ。おいそれと一つの物差しで測れるものではない。だからこそ森人の中にはない答えを求めて自分は森を出、人の世界に足を踏み入れたのだ。
毅然とした態度を取り戻したリグテュスの隣にアベルが進み出る。女の陰鬱が差していた先程までとは異なる、輝くような横顔を見て眩しそうに目を細める。思わず言葉が口から零れた。
「ムサシ、君には敵わんな」
アベルの真意を知ってか知らずか、常のように武蔵は泰然自若としていた。何も言わず真っすぐ己を見る武蔵にアベルは苦笑する。
思えばこの男との付き合いも長いようで短かった。リグテュスを介して知り合い、母子を守るという依頼を受けたのはほんの数日前だ。その僅かな間に武蔵が灰狼壊滅の口火を切り、団長を斬って幕を閉じた。そして自分が戦わずして敗れた少女に挑む武蔵を見て憧憬を感じたのであった。
「ムサシ、こんな結果になって残念だ」
嘘偽りのない本音だった。
「お主にも世話になった」
「また会おう。私も剣士としてこのままでは気が済まない。君に届くよう腕を磨いておくよ」
武蔵が頷く。アベルは何かを思いついたように口を開いた。
「君が助けたあの母娘に何か言伝があれば聞いておくが?」
「無用」
断じた武蔵の素っ気なさに戸惑いを見せるアベル。
「君も分からんな。彼女たちを救うために自ら剣を振るい私を雇うまでしたというのに」
思ったままの事がそのまま言葉となった。武蔵は何も答えない。その黒い瞳には如何なる感情も浮かんでいなかった。灰狼が壊滅した今となっては武蔵があの母娘を気にかける必要もないと言えばない。だがアベルには何処となく薄情にも感じられた。武蔵が口を開く、しかしそれは親子に全く関係のない事であった。
「あの冒険者の娘に伝えておいてくれぬか。そのまま生きよ、それが連れの者の最期の言葉であったと」
「分かった。伝えよう」
アベルが了承するのを見ていたリグテュスは心中穏やかではなかった。果たして今の彼女にその言葉が届くのだろうか。灰狼の長ロランに凌辱されたエメルは未だ床から離れることが出来ていない。体の損傷は回復に向かっているが、犯され、何より幼馴染を殺されるという精神に負わされた深い傷がエメルから立ち上がる気力を奪っていた。
「もう一つ、この辺りに打刀を打てる鍛冶に心当たりはないか」
「ウチガタナとは君が持っていた片刃の緩く反った剣の事か?鉄人が打ったものにも満足できなかったのだろう?彼らに無理なら諦めるしかないな」
アベルは武蔵が来訪者の少女に切りつけた際に握っていた剣を思い出す。この一帯では見ない風変りな剣であった。
「そう言えば」
二人の会話を聞いていたエーレンが何かを考え込むように宙を見つめる。武蔵が黙って続きを待つ。
「そう言えばここから七日程東に行くと剣墓の丘と呼ばれる場所があるそうだ。なんでもそこには古今東西のあらゆる武器が墓標のように丘に突き立ってるとか、もしかしたらそのカタナとかいう剣もあったりしてな。まぁ信憑性のまるでない噂に過ぎん話だが」
「礼を言う」
「おいおい、あくまで噂だぞ」
「構わぬ。どのみちゆく当てのない旅よ」
武蔵は皆から一歩退いた位置で立っているツィトスを見た。武蔵が自分を見ていることに気づいたツィトスの口元に冷笑が浮かぶ。それは武蔵へ向けられたというより己を含む人間社会に対してのものに思われた。
「馬鈴薯の汁物、美味であった」
皮肉でも言われると思っていたツィトスであったが、場違いともいえる武蔵の言葉に呆れかえる。
「こんな目にあって貴方って人は。まぁいいです、お互いに生きていれば見える事もあるでしょう。その時はまた利用させてもらいますよ」
別れ際の青年の減らず口に武蔵の口元が綻ぶ。ツィトスも笑っていた。そんな二人を見ていた者たちからも自然と笑みが零れた。笑い終えた後にはしんみりとした空気が包む。
武蔵はリグテュス、アベル、エーレン、ツィトス、ベルカを見た。
「ゆく」
短く言うと希望や野心に目を輝かせた若き冒険者たちが列を作る城門へと歩き出した。そこから延びる街道が何処へ繋がっているのか武蔵は知らない。




