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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
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陸拾  恐れ

 目を開く。意識の覚醒と同時に手が刀を探すが見当たらない。上半身を起こそうとするも節々が痛み、思うように身体が動かずもたついているところへ声がかかった。


「お目覚めですか、武蔵」


 声の主は美しい女であった。武蔵が伏す寝台の横にある椅子に腰を掛けたリグテュスが、淡い笑みを向けていた。どうにか身体を起こすと武蔵の頭が廻りだす。来訪者と呼ばれた少女との闘いで二振りの剣と刀は破砕し折れていたのであった。探しても見つからぬわけだ。そして己が気を失ったことを思い出す。


「ぉ、れは」


 声は掠れ言葉を紡ぐことができない。口が乾ききっていた。意識した瞬間、異常に喉が渇いていることに気づく。渇きを癒すべく武蔵の目が近くの台に置いてある水差しを見つけると、敏感に察知した森人が湯呑に水を注ぎ差し出した。目礼して受け取ろうとするが、手が震え上手く湯呑を掴めない。並々と注がれた水が湯呑より溢れ、寝台布を濡らした。見かねたリグテュスは湯呑みに手を添え武蔵の口元へ持って行ってやる。

 湯呑を口に宛てがわれ喉を鳴らして飲んだ。干上がった大地が雨を吸収するように、喉を通った水が身体の隅々に染み渡っていくのを感じる。ただの水が信じられないほど美味い、甘露であった。だが全く足りない。五度、お代わりをし漸く渇きが収まった。すると今度は耐え難い空腹に襲われる。


「ふふ、次は食べ物ですか」


 察しがいい森人は水差しの隣に置いてあった鍋から玉杓子で深い皿へよそうと、匙と共に武蔵へと渡す。見れば黄みを帯びた白濁色の汁物であった。強張った手で匙を掴み、掬って口へ運ぶ。


「味はどうですか?」


「美味い」


 つかえる事無く言葉が出た。微笑みを浮かべるリグテュスの長い耳が小さく左右に動く。


「それは良かった。その馬鈴薯の汁物はツィトスが貴方のために作ってくれたのですよ」


「礼を言わねばな。代わりをくれぬか」


 瞬く間に食べ尽くす。とても一杯では足りなかった。何度もお代わりをし、鍋の中身を全て平らげたがそれでもまだ腹は満ちなかった。


「昏睡状態から回復したばかりなのです。食べ過ぎない方がいいでしょう」


 鍋を空にして尚物足りなさそうにしている武蔵を、半ば呆れた表情で見つめるリグテュス。魔力を極限まで使用し、昏倒して五日間寝たきりであったのにこの食欲はどうだ。既に消化を始め血肉となっているのか、見ている間にも血色が良くなっていくのを感じる。恐ろしい程の回復力だった。


「俺はどれほど寝ていた?」


 開け放たれた窓から差し込む日差しに目を細め、視線を外にやると太陽が南中へと駆け上がりつつあった。


「丸五日です」


「そうか」


 言うと両手を見、次いで起こした上半身を見る。来訪者の少女から受けた傷が癒えていた。震えが収まった両手を握り腕に力を込めて動きに支障がないかを確かめる。


しておる。これはお主が?」


「えぇ。見かけ以上に深い傷もありましたが完治しているようですね」


 障りなく動く武蔵の腕を見て言った。

 武蔵はリグテュスのよく整った顔を凝視すると頭を下げる。


「随分と世話をかけたようだ。かたじけない」


「構いません。友である貴方の傷は私の傷でもあります」


「友、か」

 

 ぼそりと呟く。その反応にリグテュスは面白くなさそうに口を開く。


「私と友では不服ですか」


「いや、お主の様に美しい女性にょしょうを友としたことが無かったのでな」


「よかったではありませんか」


 傲然ぶって言い放つ森人に武蔵はくつくつと笑う。リグテュスも顔を綻ばせる。真顔に戻ると疑念を口にした。


「俺が倒れた後のことを教えてくれぬか」


「貴方が気を失った後ですか」


 一つ息を深く吸うとリグテュスは語りだした。








 背を向けたアナイスは数歩歩くと何かを思い出したように足を止め振り返る。その視線は倒れ伏した武蔵へと駆け付けたリグテュスに向けられていた。少女から敵意は全く感じられなかったが、無意識に腰の細剣の柄に手を当てる。


「そうそう、忘れていました。これは私を楽しませてくれたその人への御褒美です」


 言って少女は足元の地面を指差した。巨大な魔方陣が展開し、発光。光が収まった其処には地に伏す四十人もの武装した人の姿が。その中に知った顔を見つけたのか、命懸けの観戦を生き残った数人の冒険者から息を呑む声。来訪者の前では迂闊に駆け寄る事も出来ず、歯がゆそうにただ立ち尽くす。

 そんな冒険者など歯牙にもかけず、先程までとはまるで異なるアナイスの明確な意思の光を宿した紺碧の瞳が森人の翠の双眸を見据える。


「その人に伝言をお願いします。もっともっと強くなって私を楽しませてください、と」


 リグテュスの答えを待たず、愉悦の響きを残して今度こそ少女は何処かへと歩き去った。後に残ったのは、家屋が倒壊し炎上して煙を上げる戦場の跡地のような中、生死が定かではない四十人が大地に横たわる異様な光景であった。家を焼いて出る煙が鼻をつき、むせそうになるも数人の冒険者が倒れている者達へと駆け寄り安否を確かめる。


 全ての者に息があるのを確認すると冒険者の口から歓喜の声が上がった。




「以上です」


 語り終えた森人が武蔵を見る。

 リグテュスの声にも武蔵は反応せず沈思黙考していた。


「どうしました?」


 森人が怪訝そうに尋ねる。武蔵は落としていた視線を上げた。


「あの娘、恐るべき手練れであった」


 万感の思いが籠った武蔵の言葉であった。


「そちらですか。四十人もの冒険者がどうなったのか気にならないのですか」


「感興なし」


 本当に関心がないさまにリグテュスは苦笑する。この者らしい、とも思った。

 

「それにしても完敗でしたね。来訪者相手に一人で挑むからです」


 何気なく話題を変え呆れたように言う。


「何を言うておる。俺は負けてなどおらぬ」


 意外な言葉を聞いたように武蔵が答える。女は虚を衝かれた顔。目の前の男が何を言っているのか分からなかった。


「敗北とは闘いを続けられぬ事を言うのだ。肉を裂かれ、焼かれようとも俺はこうして生きておる。生きておる内はこの遊戯は終わらぬ」


 虚空を見つめる黒い瞳の奥で狂気の炎が燃え盛る。まただ、そう思った。武蔵が時折見せる常軌を逸した戦いへの渇望。リグテュスは懸念する。この狂気が何れ武蔵自身を焼き尽くしてしまうのではないかと。


「俺が恐ろしいか」


 森人の憂いに気付いた武蔵が問う。


「貴方の激しい感情に当てられて心が揺さぶられているだけ」


 言い淀むリグテュスを真っすぐに見る武蔵の信実な視線が偽りを許さない。


「いえ、恐ろしいのでしょうね」


 素直に認めた。武蔵は目を伏せた森人から視線を外す。


「そうか」


 それきり会話は途切れ沈黙が部屋を埋め尽くす。

 女が友と称した男との間には大河の如き隔たりがあるようであった。

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