伍拾玖 結末
「甘いな。この程度の事で卑怯ですか。それなりの経験を積んできたように見受けられたがどうやら誤りだったようだ」
ジョジョは唇を噛む。確かに男の言うとおりだった。闘いのさなかで一瞬でも気を抜いた自分が悪い。衆目の中での一騎打ちという事で何処かしら油断していたのかも知れない。
しかも最初の一撃で重傷を負ってしまった。この出血ではもうどれほども動けぬであろう。
相打ち。
事ここに至れば最早命を捨ててシャルルと共倒れの道を選ぶ他ない。
「その目、相打ち狙いですかな。やれやれ型通りの思考と行動をする御人だ」
闘争しているとは思えない柔らかな光を宿した目は看破していた。こちらの考えは読まれている、しかしそれでも行かねばならない、待つ時間は残されていないのだ。ジョジョは仕掛けた。
正眼に構えたまま踏み込む。全身を隈なく覆う鎧によって刺突剣が狙う個所は自ずと限られてくる。兜を被っていない剝き出しの頭部。
案の定、シャルルは斜め横に動き、顔に向けて鋭い突きを放ってきた。ジョジョは剣で受けそのままシャルルへと走らすが、手甲のような椀鍔で防がれ流されてしまう。
距離を開けたシャルルは右手で握った刺突剣を掲げ、体を縦にして前後に体を揺らす。剣の切っ先が小刻みに楕円軌動を描く。
鋭い踏み込みから斜め前へ移動し再びジョジョの頭部を狙った。正眼に構えて相手の正面に立っていればシャルルの刺突剣が有効な個所は殆どない。
狙われる部位が分かっていればいくら鋭い刺突も躱すことが容易であった。頭を振って避けるとそのまま返しの突きを放つ。シャルルが身体ごと退いて回避。同じような光景が繰り返される。その間にもジョジョからは血が失われてゆく。焦りが先走りそうになる中、シャルルの動きに疑問を感じていた。
いくら全身を鎧が覆っているとは言え頭部への狙いが露骨過ぎる。何かしらの作意を感じる。だがもう自分には時間がない。厚い生地に滲んだ血が大地へと滴り落ちる。
ジョジョは下段に構えた。敢えて頭部をがら空きにしシャルルを誘う。それを見た男が口を開く。
「いいでしょう。このまま長引かせて勝っても後味が悪い。貴方の策に乗りましょう」
憎らしいほどの余裕の笑みを浮かべるシャルル。左手で刺突剣を握り、前後に体を揺らす独特の動きで構える。ジョジョは下段のまま迎え撃つ。揺れるシャルルの姿が消えた。一瞬で距離を詰め正面からジョジョの心臓を狙った一撃。
ジョジョの目に勝機の光が灯る。身体を捻り右上腕部に刺突を受ける、鈍く光る腕当てをシャルルの刺突剣は乳脂の様に貫き、先端は腕を通り抜け脇にまで届いていた。激痛をこらえる。
思った通り、シャルルは心臓を突いてきた。恐らく最初に鎧が覆われていない場所を狙ったのは思考の誘導のためだ。その後の攻撃個所も頭部に絞ったのは刺突剣では金属の鎧を貫けないという先入観を持たせるため。
刺突剣は鋭く速い、だが急所に決まらなければ致命傷を与えにくい武器でもある。狙い通り、急所は外した。力を込めて肉を締める、これで刺突剣は抜けぬ筈だ。
シャルルは間合いの内、今から退いても左手に握る自分の剣が振られる方が早い。ジョジョは勝利を半ば確信した。
だがシャルルは退かなかった。ジョジョの策など読み取っていたかのように刺突剣の柄から手を離し逆に踏み込んでいた。
「なっ!?」
シャルルの右の掌底が弧を描き無防備のジョジョの顎を捉える。意識を刈り取られ、膝から崩れ落ち甲冑の重い音と共に大地に伏した。一瞬の出来事であった。余りにあっけない幕切れに皆声もない。戦いを制した男は感情を昂らすこともなく穏やかな目でジョジョを見下ろしている。
無音の静寂を破ったのはエーレンであった。
「お見事。貴方の勝ちです、シャルル卿。で、ジョジョ様をどうなさるおつもりで?」
「さて、このまま放っておくか。それとも止めを刺すか」
ジョジョの腕を穿ったままであった刺突剣を引き抜きながらのシャルルの言葉にアニエスとバスティアンの顔色が変わる。エーレンだけは無表情。懐から出した布で剣の先端を拭うと鞘に戻す。
「ふ、冗談だよ。エミール、この方の手当てを頼みたい。あぁ、これは命令じゃない、私はお前の上司ではないからな。依頼さ。後で公爵家の御子息様からたっぷりと謝礼を受け取れるはずだ」
警吏の列に並ぶ誰かへと声をかけ、そうだろう、とエーレンを見る。
「えぇ、私が請け合いましょう」
列の中から中年の男とそれに付き従う若い男女の二人が進み出ると、シャルルの前を通り過ぎる時に一礼をし、倒れたまま微動だにしないジョジョの診察を始める。
エミールと呼ばれた中年の男が詠唱を始め、未だ出血が止まらない右脇動脈の損傷の回復に入る。若い男女は補助式を構築していた。シャルルは拾い上げた外套を羽織ろうとして動きを止める。
強大な魔力の波動を感じ取っていた。
彼方を見ると誰に言うことなく「始まったようだ」と呟く。
遅れて感じ取ったエーレンらも同じ方向を見る。遠く離れた場所で何者かが戦っているのだ。シャルルは外套を羽織り顔を戻すと
「では私は失礼するよ。私を追うかね?」
「いえ、我らの任務はジョジョ様が貴方との一騎打ちを了承した事で終わっています。貴方の追討は含まれていない」
遠方の強大な魔力の持ち主に気を引かれながらエーレンは首を振った。
「そうかね」
微笑を浮かべ重心が軸足から移ろうとする直前、エーレンの言葉が男を留める。
「私から一つ聞いても?」
シャルルは答えず足を止めたままだ。エーレンはそれを肯定と受け取り言葉を繋ぐ。
「貴方は初めからジョジョ様の命を奪う気はなかったのでは?」
「これでも私は公爵家の一員だからね。大事な跡継ぎ候補をこの手で殺めるわけにはいかないだろう」
秀麗な顔に柔和な表情を湛えて言った。
「ならば何故宮宰に与したのです?」
「一つと言った筈だ、エーレンハイド組合長」
「これは失礼しました。シャルル・ドゥト・ゴール元警吏長」
組合長が大仰に腰を折る。
エーレンの皮肉に苦笑いを浮かべたシャルルは、意識を失ったまま回復魔法を受けるジョジョを一瞥すると背中を向け通りの方へと歩き出す。警吏の面々は複雑な表情を浮かべて見送っていた。灰狼を黙認し治安の悪化を招いた警吏長への憤りを隠さない者。混乱に乗じて街の民や商人から小金をせびった事が露見して、自分も罰されないかとびくつく者。それぞれの思いを込めた視線が遠ざかる背中へと注がれていた。
アニエスが心配そうな顔で、バスティアンは詰まらなそうにジョジョへと近づいていく。
「シャルル様!!」
タンベルクがその背に声をかける。男は振り向かず手を挙げると歩を速め街の中へと消えていった。
武蔵は満身創痍となっていた。全身は血の雨を浴びたように真っ赤に染まり、ある箇所は焼け焦げ、またある箇所は肉が裂け骨が覗き、またある箇所は抉れて消失していた。
魔法の複数同時展開を始めたアナイスの前では成す術もなく躱すことに徹していたが、避けきれず損傷は蓄積し見るも無残な姿へと変わり果てていた。動かないのか血が滴る左腕はだらりと下がったままだ。
好奇心に目を輝かせ、武蔵と来訪者である少女を囲んでいた冒険者の姿はない。
周囲一帯の家屋はアナイスの魔法により破壊され炎上し、さながら戦場の様相を呈している。被害は冒険者にも及んだ。少女が発動した魔法は武蔵と冒険者の区別なく、範囲にある物全てを平等に殺傷したからだ。
来訪者の無慈悲な力は冒険者が展開した魔法結界をいとも容易く貫き、麦の穂を刈るように命を散らしていった。仲間の死を前に昂揚した感情は一気に静まり、漸く事態を正常に受け止めた冒険者たちは負傷した者の内で息があるものは担ぎ、死者は放置したまま蜘蛛の子を散らすように逃げていった。今は僅か数人が残るのみ。余程腕に覚えがあるのか、死を賭してもこの戦いを見届けたいのか、何れにしても常識の箍が外れた類の者たちであった。
「来訪者の力、伝え聞くのに些かの誇張もない」
アベルの冷静な声が家屋が燃える音に混じる。古伝や伝承に記憶される来訪者の存在、天変地異にも例えられるその力は決して過言ではない。怜悧な光を湛えた瞳で観戦するアベルの横で、感情を露に厳しい表情で武蔵を見つめるリグテュス。沈着と激情、普段とは正反対の反応を見せる二人は冒険者の躯が転がる死屍累々の中、無傷。
リグテュスこそは来訪者と同じく異界の住人を祖に持ち、人類を超える力を持つ精霊人であった。その強大な精霊力で結界を張り冒険者を容易に屠ったアナイスの魔法を防いでいたのだ。
探求の団の団長であるフィルベックも、副長で魔力が枯渇したことにより失神したハィガニーもツィトスと知己の冒険者の手によって避難していた。
圧倒的な力を振るう少女は、周囲が炎上し躯が散乱する様にも何の感慨も抱く事無く武蔵を見つめている。
「結局貴方もこの程度ですか。私の貴方に対する興味も尽きました。もうお仕舞いにします」
少女の無感動な声が戦場と化した街路に落ちる。赤く染まった武蔵の視界がゆっくり己へと手を向ける来訪者を捉えていた。
感情を表さない顔のままアナイスが掲げた手の先に呪紋が展開。強大な魔力が注がれてゆく。誰の目にも明らかな闘いの終焉が訪れようとしていた。呪紋を見たリグテュスが顔色を変え咄嗟に防御結界を作り出す。
魔力が凝縮、補助式により武蔵へと向かって真空の道が構築され上位射出魔法が放たれた。同時に少女の背後で爆発。光の奔流が武蔵を飲み込む。
息を呑んで見守る森人の翠の瞳に映ったのは、アナイスの魔法発動直前に何を狂ったか武蔵が大地に向かって剣を突き立てる様であった。
光。
熱。
爆風。
来訪者より放たれた光の筒は一瞬で大通りを駆け抜けたかに見えた。結界の中で魔法の余波を防ぐリグテュスもアベルもそして発動した少女も武蔵の死を確信した。
世界を焼いたと思われるほどの眩いばかりの光が収まったそこに、ある筈のない武蔵の姿があった。赤い光に薄く包まれている武蔵を見て、アナイスの目が大きく見開かれる。少女が初めて見せた感情の発露。
着物がぼろぼろになり全身から蒸気を上げるが、武蔵の気はかつてないほど高まり迸っていた。武蔵は己の気を最大限に高め長剣に注ぎ込むことで、柄頭の魔石に秘された力を発動させ魔法を防ぐ力場、対魔法結界を構築したのだ。結界、これが鉄の精霊人が武蔵に説明した魔石の効果であった。注がれた武蔵の気と来訪者による魔法との狭間で耐え切れず魔石は剣身と共に砕け散っていた。
上位魔法は不完全ながらも防がれ仮初の物理現象は干渉時間の限界と共に消失する。
武蔵は剣身が粉々に砕け散った長剣の柄を投げ捨てると、少女がこの戦いが始まって初めて見せた一瞬の感情の隙に攻勢に転じた。
地面が爆ぜる。大地を奔る疾風の如き踏込で距離を詰めると、雷の速度で腰に差した刀を抜きざま斬り上げた。少女を囲む空間に紫電が発生。一際大きな光を発すると刀は半ばから折れ宙高く飛んでいった。
鉄の精霊人によって鍛錬し直された刀は少女が持つ結界を切り裂いた、だがそこまでだった。少女の感情の灯らない瞳に浮かぶ二度目の驚きの光。
「まさか力場を構築して魔法を防ぎ、尚且つ私の物理結界をまたも切り裂くとは。前言を撤回します。やはり貴方は面白い」
少女は好奇へと転じた光を宿す目を細めて言った。未だ余力を残している少女に対し武蔵の気は尽きていた。極限まで高めた気で魔法を凌ぎ、残った全ての力を振り絞って踏込からの居合にかけたのであった。
だがそれも少女には届かなかった。武蔵には今、僅か一滴の気力も体力も残されてはいない。それでも、それでも敵の前で膝を屈することは武蔵の自恃が許さなかった。
少女はそんな武蔵を興味深そうな眼差しで見ている。
「そういえば前にも似たような状況がありましたね」
全くと言っていいほど感情の籠らなかった声に楽しげな声質が加わっていた。武蔵は言葉もない、既に気を失わないことに力を注ぐのに精一杯の状態だった。朧な頭の片隅で、確かに名も知らぬ村での状況をなぞっているようだと思った。アナイスは全身から愉悦の気を散じ武蔵を見つめている。
「まさかあの長剣にこんな力が隠されていたとはな。それにしても、あれ程の術者が放った上位魔法を防ぎ攻撃に転じるとは」
アベルの口から漏れる吃驚の声。光に呑まれた武蔵の死を受け入れてしまっていたので、今もって目前で起きた現実が信じられないでいる。帰ってきたのは感情が抑制された森人の言葉。
「試していたんだと思います」
「試す?」
アベルは隣に立つ美貌の女の横顔を見る。未だ厳しい顔を解かないリグテュスの視線は武蔵に注がれていた。
「武蔵は長剣の魔石の力を使って魔法を無効化出来ないか試していたのです」
「一見深そうに見える武蔵の傷は全て動きに支障のない身体の末端に限られている事かね」
「その通りです。この戦いの内に全てを防げないまでも威力を減衰出来る事を確信したのでしょう」
感嘆を浮かべたアベルは武蔵へと目線を戻す。
「凄い男だ。私の中で幾度となくムサシの認識が塗り替えられているよ」
僅かの時の中で次々と見せつけられる武蔵の強さに何度驚いたことか。アベルは武蔵に憧憬を感じている自分に気が付く。
「ですが戦いはまだ終わっていません。渾身の一撃も阻まれ、命と引き換えに武蔵は残った魔力の全てを失ってしまいました」
森人が諦観を込めて言った。武蔵はよくやった、まさか来訪者相手に一人で挑みここまで粘るとは予想もしていなかった。だがここまでだ、もはや武蔵にはいかなる策も、そしてそれを実行する力も残されていない。
「さて」
少女の声と共に周囲に複数の呪紋が瞬時に展開、発動を待つだけとなる。森人が堪らず動こうとした時、武蔵の後姿が目に入る。その背が来るなと言っていた。これは俺の闘いだと。
瀕死であり絶体絶命の危機であっても武蔵は己の矜持を曲げようとしない。もしここで戦いに介入すれば仮に生き残っても武蔵は決して許さぬであろう。
リグテュスとアベルは動くのも侭ならず絶望的な目で眺めている事しか出来なかった。
武蔵の虚ろな目は少女の姿をただ捉えているだけ。少女の口が最後の言葉を開きかけた瞬間、頭上で紫電が発生した。折れて天に舞っていた刀が少女を空から襲ったのだ。結界によって阻まれ刀が光の粒子に分解されていく。狙ったものなのか偶然か。
すると少女から木の葉が地面に落ちた時のような微かな音がした。服の胸の位置に切れ目が出来、白い柔肌が露出する。その事実に衝撃を受けたように少女の目が大きく見開かれた。そして声をあげて笑った。それはたどたどしい笑い方であったが確かに笑い声であった。
「ふふふ、はっはっは、本当に貴方は私の心を弾ませてくれます。まさか防御結界を三層まで斬って私の装束にまで届かせるとは。 私が視た現実とこれほど隔たりが出来たのはこの世界に来て初めてですよ。いや、私自身何処かで確信していました、貴方こそ演算により導かれる未来を否定するものだと」
目を細め愛おしそうに武蔵を見つめる。感情のなかった少女の内から次から次へと新たな感情が生まれてきていた。その変化に誰よりも少女自身が驚く。
武蔵は遠くなる意識の中で、滾るような少女の熱い視線を受け止めていた。
「今日はここまでにしておきましょう。また、近いうちにお目にかかります」
少女は弾んだ声で戦いの閉幕を告げた。武蔵にとっては否応もない、掠れ行く意識に残ったのは少女の去り行く小さな後ろ姿。その記憶を最後に暗闇に飲まれた。
リグテュスの叫ぶ声が何処か遠くで聞こえた気がした。




