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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
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伍拾伍 人外


  少女を中心に吹き荒れる魔力の圧に上級使のアベルが、精霊使いのリグテュスが身動き一つできない。武蔵だけが笑っていた。


「信じられない。あのマナは異常です、相手の力は人の領域に留まるものではありません」


 吹き飛ばされぬよう体を両腕で庇いながら滅多に感情を表に出さない森人が唇を震わせる。が、きっと噛みしめると覚悟を決めた光が翠の瞳に宿った。

 美しく透き通る声音で歌うように詠唱を始めたリグテュスを武蔵が長剣を翳して止める。 


「手出し無用」


 共闘を拒否する武蔵の言葉に森人は唖然とする。思わず叫んでいた。


「貴方は何を言っているのです!?単独で戦って勝てる相手ではありません!!」


「これは俺の戦いよ」


 視線を少女から離さず殺気を身に纏わせ武蔵は言った。


「邪魔をするならお主から斬る」

 

 リグテュスが絶句する。戯れなどではない、武蔵の背中が本気だと言っていた。

 何時の間にか少女を中心に吹き荒れていた魔力が止んでいる。二人のやり取りを黙って聞いていたアベルが口を開く。


「本当に一人でやるつもりかね?私の見立てでは我ら三人がかりでも勝利の見込みは二割もない。君一人なら」


 アベルはそこで区切り


「皆無だ」


 断言した。常に諧謔を絶やさなかったアベルの瞳に憂惧の色、言葉には畏怖が篭っていた。


「なればこそ」


 愉しいのではないか、そう言って武蔵は獣の笑みを浮かべる。死線を幾度も潜り抜けてきたアベルでさえ思わず慄然とする。そんな武蔵をアベルはまじろぎ一つせずに見ると語りだした。


「ムサシ、私のここには傷が刻まれている」


 そう言って己の胸を指す。疼痛を堪えるような顔をしていた。


「先に話した通り私はあの娘と剣を交えることなく敗北した。闘う前に屈服したのだ。その屈辱は今も私の心を縛り苛む。粉々に砕け散った剣士としての誇りを取り戻すにはその元凶を排除する以外にない」


 武蔵はアナイスの方を向いたまま耳だけを述懐するアベルへと傾ける。


「あの少女の敗北だ。君に託していいか」


「俺の知った事ではない」


 にべもない。アベルの顔を激情が過る、がすぐに何処かへと消え去っていった。一つ大きく息を吐くと


「そう言うと思ったよ。構わん、私が勝手に君に託すのだから。ムサシ、珈琲店での言葉を覚えているか?私に奢らせてくれよ」


 アベルは何も答えない武蔵の肩に手を置き想いを委ねると、傍らで佇むリグテュスの手を掴み大きく距離を取ろうとする。

 森人は強い力で握られた手を振りほどこうとするが、男が自分を真っ直ぐ見つめる真摯な目に逆らう事が出来なかった。リグテュスは漸く悟る。これは武蔵の闘いなのだと。

 最早自分に出来る事は武蔵の勝利を願う事だけ。美しき森人はただ願った。


 武蔵から爆発的な気が放たれる。余りに強い気の放出が大気に干渉し空気が膨張して突風が巻き起こる。リグテュスが感嘆を呑み込んだ。

 未だ武蔵の力を見誤っていた事を思い知らされる。だが人外の如き少女の前ではその武蔵のマナも見劣りがした。武蔵が見せた魔力も霞むほどの強大な力が少女から感じられる。


「一つ聞かせよ」


 人を超えた力を持つ存在と対峙した武蔵が問う。声が僅かに震えている。無論恐怖ではない。歓喜であった。

 

「何です」


 武蔵の尋常ならざる気を感じても、少女は顔色一つ変える事がない。


「アナイスと言ったか、お主、何物だ?人ではあるまい」


「残念でした、私は人です。少なくともこの肉体は」


 武蔵を見る少女の目は何処までも虚ろであった。


「くっく、中身は別物という事か」


「さぁ」


 武蔵は犬歯を剥き出しにすると、高純度の精霊銀で作られた長剣をだらりと下げる。武蔵の気に呼応するように眩いほどの輝きを放っている。白光を発する剣身が下からアナイスをめ付けていた。

 対して少女は武器も持たず、構えも取らずただ立っていた。それだけの事でアナイスから放出される魔力の大きさに思わず足が退きそうになる。

 彼我の差は圧倒的。武蔵にとって絶望的な戦いが始まった。




 初めの一歩を踏み出したのは武蔵であった。速くも遅くもない、ただの歩み。少女が間合いに入るや否や、やぁと挨拶でもするかのように剣を切り上げた。見ていた誰もが捉えきれなかった武蔵の動きを、だがアナイスの目はしっかりと把握していたのか手を翳して優しく受け止める。

 フィルベックとの戦いを見ていた冒険者たちはそこで武蔵の動きを止まるものとみていた。あの大男ですら少女の剛力の前に成す術がなかったのだから。

 だが現実は違った。

 武蔵の全身の筋肉が盛り上がる。踏みしめる石畳に蜘蛛の巣状の亀裂。地面を蹴った反動を腰から背骨、そして腕へと過不足なく伝える。不動と思われた少女の華奢な体が浮いた。

 宙にある間に手を離し後方に退避、その僅か先を長剣が走り抜けていった。

 武蔵が空いた距離を詰める。踏み込みと共に振り上げた剣を翻し切り下ろした。剣閃でしか確認できない長剣を、少女は目で追うことなく正面を向いたまま腕を頭上に掲げ難なく小さな掌で包んでいた。

 

「ぬんっ」


 掴まれたことなどお構いなしに武蔵は握った長剣に力を籠める。

 斬鉄。

 フィルベックの巨体から繰り出された超重量の大斧をも受け止めた少女の手が分断され、長剣が大地を穿った。おぉっと野次馬と化した冒険者からどよめき。

 武蔵は追い撃ちをせず長く息を吐くと剣を下げ、構えとも言えない構えを取る。

 少女は痛みを微塵も感じていないように己の断ち割られた掌を眺めていた。赤い血肉の奥に白い骨が覗いている。不思議な事に血が一滴も流れていなかった。


「凄いですね。私の肉体を断つなんて。あの大きい人とは違うようです」


 大きい人と言われたフィルベックは、冒険者の輪の外で顔見知りの魔術師から治癒魔法を受けていた。出血は止まり臓器の損傷は回復しつつあったが腹部に空いた穴は開いたままであった。

 傍らに立つツィトスは超級のマナ使い同士の戦闘を僅かも見逃さないように凝望していた。克肖会のフィルモアが語った真の灰狼の恐ろしさを噛みしめながら。あの少女ならば可能と思われた。四十人もの冒険者を何の痕跡も残すことなく消し去ることも。

 未だ血の気が戻らぬ顔のフィルベックが胡坐をかきながら賞賛の声を上げる。


「凄い男だな。あの娘の手を斬りやがった」


「えぇ、大したものです。しかし」


「あぁ。このまま終わるような相手だったら俺は今こんな所で這い蹲ってないぜ」


 二人の男は磁力に捉われたように異邦の剣士と人外の如き力を振るう少女に視線を戻す。


 数多の人々が見守る中で驚くべきことが起こっていた。

 アナイスの手首まで両断された手が時間を巻き戻すかのように再生していく。骨が肉が神経が見る見るうちに繋がっていった。傷一つない白く瑞々しい肌の手を下ろすと、何事もなかったかのように少女が武蔵を見た。


「もしかして待って貰っていましたか」


「どうなっておる」


「特異体質なんです」


 怪訝な顔の武蔵に何でもない事のように少女が言う。

 斬撃が効かぬのか。武蔵の思考に疑念が生まれた。透き通った湖面に汚濁を一滴垂らしたように忽ち広がりかける。だが直ぐに打ち消した。戦いの場に要らぬ考えを持ち込めば疑心暗鬼となり、剣を鈍らせ敗北を招き寄せてしまう。効かぬのならば効く部位を斬ればいい。頭部や胴体を両断されて尚復元するとは流石に思えなかった。

 

「少しお待ちください」


 言ってアナイスは無防備にも背中を晒して冒険者の群れをかき分け、驚きに目を丸くするフィルベックとツィトスの処まで歩いていくと足元に落ちている大斧を拾い上げた。


「お借りします。命を救ってあげたのだから構いませんよね」


 言葉もない大男を尻目に、己の肩幅以上の大きさを誇る巨斧を木の棒でも持つように軽々と抱え武蔵が待つ場所まで戻る。


「お待たせして申し訳ありません、素手だと分が悪いようなので。これで互角ですね。さ、やりましょうか」

 

 少女の突拍子もない行動にも気を削がれる事無く武蔵は集中していた。

 石畳を粉々に踏み砕き一瞬で距離を詰め、武蔵が斬りかかる。

 武蔵の剛力を乗せた長剣をアナイスのか細い腕が振るう巨斧が難なく弾く。武蔵の腕には重い重い衝撃。少女の魔力を乗せた斧は武蔵の長剣以上に白く輝いていた。武蔵の追撃にアナイスは遅れることなくついてくる。だがその動きはぎこちなく訓練されたもののそれではなかった。少女は反射神経だけで武蔵の目にもとまらぬ攻撃を苦もなく防いでいた。

 

 同じ精霊銀製でありアナイスの強大過ぎる魔力で強化された大斧を砕くことは武蔵の力を持っても至難である。真っ正面から撃ち合っても勝機が見えない。

 歴戦のマナ使いでも目視できないほどの速度で振るわれる大斧を長剣で受け、いなし、逸らせ攻勢に転じる。武蔵の重く鋭い攻撃をアナイスは軽々と防ぐ。

 固唾を呑んで見守る冒険者たちの目では、火花が散る様でしか両者の動きを確認できなかった。


 少女は片腕で振るう大斧で武蔵の長剣を封じ、空いた手でフィルベックの腹部を貫いた手刀を突き出してきた。足を半歩動かし体の向きを変えて躱す。

 武蔵の動きを追ってアナイスが巨斧を横に薙いだ。武蔵は背を逸らし地面に片手を当て後転して回避。

 

 直ぐに体勢を立て直し少女と幾度目かの対峙をする。 

 武蔵は戦い方を変える必要を感じていた。

 少女の鉄壁ともいえる防御を破るためには策が必要であった。


 鼻から息を吸い口から細く長く吐き整える。

 武蔵は力勝負に持ち込もうと少女が持つ巨斧を狙い剣を振るう。アナイスは正面から受け止め武蔵の思惑通りとなった。大斧と長剣が火花を散らして激しく衝突、互いの身を噛み砕こうと絡み合う。

 流石の少女も片腕では武蔵の剛力を支えきれず巨斧の柄を両腕で握り耐える。 

 拮抗。

 武蔵の全身が小刻みに震えていた。少女は無表情。徐々に均衡が崩れ天秤が武蔵に傾く、かに見えたがアナイスの巨斧が容易く押し戻した。武蔵の目に勝機の光。

 

 アナイスの押す力に逆らわず力を抜く。だが少女の重心が揺れることはなかった、代わりに僅かな隙が出来る。長剣を引いたまま手首の返しだけで斧の柄を握るアナイスの指を狙う。

 少女が瞬時に手を離した巨斧の柄を撃ち上空へ弾き飛ばした。それだけでは終わらない。地面に手をついた時に拾い、口に含んでおいた石畳の欠片を少女の顔目掛けて吹いた。迫りくる礫をアナイスは反射的に左手で掴んでしまう。

 決定的な好機が生まれていた。

 武蔵が吠える。


「ぬおぅ!!!」


 渾身の力を込めた一撃が少女の異常な魔力と反射神経、そして筋力からなる鉄壁の防御を突破する。電光石火の打ち下ろしが身体に届いたと思われたその時、紫電が発生し長剣が大きく弾かれていた。

 結界であった。


「ちぃっ」


 舌打ちして大きく距離を取る。

 

「直接攻撃までも弾くとは信じられん。魔法結界の次は物理防御結界か、一体どうなっている!?」


 アベルの感嘆とも驚嘆ともとれる言葉に、険しい顔で傍観していたリグテュスが横目で反応する。一見武蔵の優勢にも見えるが、要所要所で攻めきれない。それどころか森人の目には少女が未だ力を出し渋っているようにも見える。勝負の世界は非情である。もしも、たらも、ればもなく、奇跡の逆転もない。そこにあるのは冷酷なまでの力の差が齎す結果のみ。リグテュスには武蔵の勝機が見えなかった。

 アベルもまた同じようなことを考えていた。おそらく武蔵は勝てない。今、自分に唯一出来るのは少女の力を測る事であった。少女の動きを、闘い方を目に焼き付け徹底的に分析するのだ。次へと繋げるために。


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