伍拾 正体
武蔵はアベルへ依頼した護衛対象の親子がいる屋台広場へと向かっていた。広場につくと快活に声をあげ、通行人に笑顔を向けて菓子麺麭を売る母と娘の姿が目に入る。離れ過ぎない距離の日陰で、鋭い視線を周囲に向けるでもなく自然体で二人を見守るアベルが武蔵に気が付くと、目で合図を送ってきた。
「リグテュスはどうしたね?一緒ではないのか」
開口一番、怪訝な顔でアベルが尋ねた。辺りを見渡すが森人の姿はない。
「時を置かず来るであろう」
「ふむ、何かあったのかね」
長い指で綺麗に整えられた髭を触りながらアベルの琥珀色の瞳が武蔵を映す。
「何もない」
武蔵は首を回し親子を視界に入れながら素っ気なく言った。それに気づいたアベルが
「こちらも何もないよ。灰狼の残党も逃亡に必死であの親子を気にする余裕などあるまい。もう大丈夫だと思うがね」
「俺もそう思うておった。今日限りでお主への依頼を終わらせるとしよう」
頃合いと感じていた武蔵が同意する。
「そうか」
飄々とした気を纏う男は穏やかな目で今も客に声をかけている親子を眺めていた。それは優し気な慈愛が含まれた目線であった。この男なりに思うところがあるのかも知れない。武蔵は懐から革袋を出すとアベルへと差し出す。
「依頼の報酬よ」
「確かめても?」
武蔵は無言で頷く。
アベルが口の紐を緩めて中を覗くとイルティア金貨が三枚入っていた。前もって決められた額よりも二枚多い。俯いていた端正な顔を上げる。
「いいのかね?」
「お主はよくやってくれたのでな」
「私の出番は無かったが、有り難く貰っておこう」
皮肉と受け取ったのか苦笑いを浮かべ、革袋を眼前に掲げてから上着の衣嚢へと仕舞う。徐に武蔵が広場の入り口に目を向ける、釣られるようにアベルも倣う。二人の視線の先にはリグテュスの姿があった、隙の無い動作で近付いてくる。
「お待たせしました」
武蔵へ目をくれる事無くアベルへ向かって言った。どういう顔で武蔵と接すればよいのか分からなかったからだ。壮年の男は白い歯を見せて森人を迎える。
「美しい女性に待たされるのも男の器量の内だよ。さぁ行こうか」
「護衛はいいのですか?」
アベルは答えず視線で森人を誘導した。男が目で指した先には冒険者風の四人組が笑顔でこちらに応えていた。
「まぁ大丈夫だとは思うが念には念を入れてね。たまたま顔馴染を見かけたので彼らに頼んでおいたのだ」
アベルの問題ないかと言う顔に森人が首肯する。
両手を広げるとアベルが先導する形で広場を後にした。
三人がいるのは武蔵がリグテュスに連れられてアベルに紹介された店であった。鼻腔を擽るような高く薫る店内は満席であったが店主がアベルの顔を見るなり奥にある個室へと案内する。
真紅の深い絨毯が敷かれ、木製の豪奢な卓と椅子が置かれている、乳白色で四方を包まれた瀟洒な部屋であった。各々の武器を立てかけ席に着くと店主自らが注文を取る、武蔵の興味は香ばしい中にも熟した果実の様な匂いがする黒い水に注がれていた。
「珈琲は初めてかね?」
「こーひーと言うのか、あの黒い水は」
珍しく好奇心を露わにした武蔵をアベルが見咎める。武蔵を見る細めた目は面白がっているようであった。軽く知識を披露する。
「帝国の使節から齎されたものでね、私たちが口にする事になってまだ日が浅い。百聞は一見に如かず、実際に味わってみるほかないな」
「うむ」
アベルは武蔵から目を閉じ珈琲が薫るのを愉しむリグテュスへと視線を移した。
「リグテュスも珈琲でいいかね?」
「はい」
「では珈琲を三つ、あぁ、あとお勧めの焼き菓子もつけてくれ」
子供が悪戯をする時の様な笑みを浮かべて森人を見ると、傍らで立つ店主へ注文を追加した。焼き菓子と聞き恥ずかしそうに目を伏せた森人の耳が反応する、仕草とは対照的に嬉しさを表すように大きく左右に動いていた。
「畏まりました」
中年の正装をした店主は慇懃に頭を下げ厨房へと戻ってゆく。沈黙。アベルはリグテュスの武蔵への態度に違和感を覚えていた。戻ってきて以来、視線を合わせようともしない、言葉も交わしていなかった。だが今それをこの場で問い質すのは愚策と断じ脇へ置いておこうと決める。
アベルは辺りに人の気配がないのを確かめると武蔵を、次いでリグテュスを見、口を開いた。
「君達は処刑人と言う言葉を知っているかね」
「知らぬ」
「知りません」
二人の否定の言葉にアベルはゆっくり頷くと話し始めた。
「処刑人とは市井の民がマナ使いによって不当に害されたときに復讐に力を貸す者の事だ。同情や憐憫、或いは金と動機は様々だが処刑人とは総じて魔力を持たぬ人々の側に立つ」
「く」
説明を聞いた武蔵が口の端を歪める。
「どうかしたかね」
「俺の前にも処刑人とやらが現れそうなのでな」
リグテュスが苦い顔をした。武蔵を見る森人の瞳に困惑と哀憐が同時に宿る。その様子にアベルが目で問うが森人は首を振って応えた。
「それで?その処刑人が何だというのですか」
妙な空気になった場を戻すべくリグテュスが続きを催促する。森人が武蔵を探しに行った間に何かあったと確信したアベルだが素知らぬ顔で言葉を連ねた。
「私もその処刑人の一人でね、灰狼がこの街に現れて暫く経った頃にある依頼を受けたのだ。灰狼を潰してくれとね」
「貴方が処刑人、そして灰狼討伐の依頼を受けていた」
森人の翠の瞳を受けアベルが微笑で応じた。
「私は依頼を受けたよ、既にその頃見過ごせない程度には暴れていたからね。で、敵前視察と言うか力量を確かめに行ったのだ。ここらで比較的名の通ってた悪党どもはいたが個別に対処していけば十分勝機はあると見た。勿論ロランに対してもね」
琥珀色の瞳が武蔵を見た。マナ使いとして灰狼の団長ロランを倒した武蔵への対抗心が垣間見える。
武蔵は無関心にリグテュスも黙って話の続きを待つ。
「まぁ灰狼は存続し、私も生きている事から大方の想像はつくと思うが結論から言えば私は依頼を断念した」
「何故です?勝算はあったのでしょう?」
「灰狼の荒くれ共の中に一人場違いともいえる少女が混じっていた」
アベルはリグテュスの問いには答えず話を続ける。
「少女?」
森人が訝しげに反芻する。
「それでどうなったのだ」
武蔵が初めて尋ねた。
「かなりの距離を取って観察していたのだが、突如振り返った少女の目が私を射抜いた。確実に少女は私を把握していた。身体が震えたよ、陳腐な言い方だが格の違いを感じた」
「格の違い?上級使の貴方が?」
「そう、上級二位の私が目線があったそれだけの事で、その少女の底知れぬ力量に震えたのだ。一人ではどのような手段を用いても勝てぬと諦めざるを得なかった」
アベルは深く息を吐いた。常に余裕を失わない男が初めて見せる自尊心が打ち砕かれた面持ち。
「しかし灰狼に少女はいませんでした」
「そうだ、私が見たのもその一度限りであった。だが私は確信したよ、その少女こそが灰狼なのだと。ロランや幹部連中など物の数ではない、少女を倒さねば灰狼は潰れないとね」
その時の事を思い出したのかアベルは畏怖が含まれた微笑を森人へ向けた。
「何故今になってその話をするのだ」
瞑目し腕を組んだまま武蔵が問う。
「聞いたよ。冒険者が四十人ほど行方不明だと。灰狼の残党にそんな力はない、あるとしたら」
「その娘という事か」
「その通り」
アベルは椅子に深く背を預けたまま重く頷いた。
「克肖会のフィルモアという女が真の灰狼の恐ろしさを知る事となると言うておった」
武蔵は克肖会であった出来事を搔い摘んで話した。
「克肖会バイロン支部長のフィルモアがそう言ったか。ではやはり再び現れたという事だろう」
何時もの洒落た雰囲気は消え失せ、厳しい表情を浮かべた顔が武蔵とリグテュスを見ると言った。
「真の灰狼が」




