肆拾捌 罵倒
克肖会バイロン支部を出ると直ぐにツィトスが横を歩く武蔵へと声をかける。
「ムサシさん、怒っていますか」
何も言わず武蔵を利用したことを言っているのであった。
「俺をうまく使いおったな」
武蔵は歩みを止め、ツィトスの顔を正面から見据えると言った。
青年は破顔する。
「ムサシさんが私の思惑を酌んで動いてくれたお陰で無駄な死傷者を出さずに済みました。本当に助かりました、お礼は弾まさせて頂きますよ」
「ふん」
全く悪びれず人懐っこい笑みを浮かべたツィトスに武蔵も苦笑せざるを得ない。
武蔵は真顔に戻るとツィトスを見た。
「証もなく話術のみで己の望む成果を相手より引き出すとは大したものよ」
「いやぁ、貴方にそんなこと言われるなんて照れますね。でも先ほども言いましたが克肖会の役割は終わっていました、黙っていてもバイロンを去ったでしょう。私はその言質を取ったにすぎません」
そうは言っても青年は嬉しそうに微笑んだ。
「お主のした話は真か、この街は権勢の争いに巻き込まれておるのか」
「そうですね、状況証拠からの推測ですから確実とは言えませんが、当たらずとも遠からずと言ったとこでしょうか。大枠では外れていないと思いますよ」
「何時の時代も何処の世も同じか、人の欲とは実に浅ましきことよ」
此処では無い何処か、遠い祖国を見る様な目でしみじみと言った。いや、かくいう俺とて貴人共が求むる権が剣に代わったに過ぎぬ。剣に狂う己も同じ穴の狢かと自嘲的な笑みが零れる。
「誰もが自らの欲望を追い求める、それが人なのでしょう」
ツィトスが皮肉気に呟いた。武蔵は遠くを見ていた目を戻すとツィトスへと向ける。
「フィルモアと言ったか、何やら意味ありげな事を言うておったが」
「えぇ、確かにフィルモアのあの最後の言葉が気になります。まさか未だ何か企んでいるのか。いや、あの女の任務は終わったはず。これ以上何かする意味が」
そう言うと武蔵の存在も忘れ鼻の下に手を当て思索に耽る。大通りの真ん中で佇み、何やらぶつぶつと独り言を言うツィトスを、通行する人々が奇異な目で見ていく。はっと我に返ると
「すいません、考え事をすると周りが見えなくなっちゃって」
「思い当つるものはあったか」
「分かりません、現時点では判断がつきかねます。あっ、そうだ忘れないうちに。ムサシさん、これロラン討伐の報酬と今回のお礼です。受け取ってください」
そう言って上着の衣嚢から音を立てる銭袋と共に一枚の紙を取り出すと武蔵へと差し出した。
「ロラン討伐が金貨50枚、付き合って頂いたお礼として金貨10枚。計60枚お確かめください」
武蔵は受け取った革袋の紐で縛られた口を開くと一枚を抜き取り検める。この国で最も流通する初代イルティア王の横顔が刻印されたイルティア金貨と呼ばれる貨幣であった。鈍く黄金色に輝く金貨は確かに十枚ある。渡された紙を見ると蔦が複雑に絡み合う文様が四方を取り囲み、中央の余白にはイルティア金貨と記された横に、この大陸諸国家で広く使われるアィドニヒ数字で五十と書かれていた。
「この紙は何だ」
「それは小切手です」
武蔵が説明を求めるべく無言で促す。
「小切手とはこれを銀行に持っていけばそこに書いてある金額を受け取れる引換証みたいなものです。貨幣は重く嵩張るから便利なんですよ」
「銀行とは何だ」
こちらの世に来て武蔵の語彙にない聞きなれぬ言葉が文字通り山ほどある。それはこの国の文明が日ノ本より進んでいることを意味し、武蔵にとってはそれが楽しく感じられる、常に新しい発見とでもいうべきものが存在するからだ。己の見識が広まっていくという事は即ち世界を知るという事、剣の腕が上がっていくのと同じ感覚を持つ。
「銀行とは個人や商人、貴族からお金を集めて運用したり、何らかの理由で金を求める者に貸し付けたりする機関の事です」
「幾ら借りられる?」
「返済能力さえあれば幾らでも」
武蔵の好奇心は疼く。
「金を借りて返せぬ時はどうなる」
「担保を取っていたり、額に応じて労働で返したり、銀行自身が損を被るという事も勿論あります。裏の人間がやってる性質の悪いところだと奴隷として売られたり、見せしめに一家惨殺なんて話もざらですね」
「相手がマナ使いであったら」
「勿論より強いマナ使いを送るでしょう」
ふむと何かを考え込む武蔵を見てツィトスが
「マナ使い専門の追っ手にでもなろうと考えているんですか」
「逆よ」
「逆?」
「返さねば金主がマナ使いを追手として放ってくるのであろう、なかなかに面白き事になりそうではないか」
愉しそうに口を歪ませた武蔵の黒い瞳の奥で狂気が熾火の様にちりちりと燃えているのが分かる。それを見たツィトスの項がざわつく。初めてこの男は危険だと認識していた。力や魔力の多寡などではなく、根源的な闘いへの欲求が常人とは比べられぬ域へと及んでいる、それがツィトスを警戒させる。武蔵は青年の変化に気づいたように
「戯言よ」
言ってくつくつと笑った。ツィトスを見る黒い瞳からは剣呑な光は跡形もなく消えていた。
「ふ、怖いな」
溜息と共に素直な感情を吐いた。噂を聞く限り、そして極短い時間ではあるが出会って今までの言動から、この男は狂人などではなく常識を備え、感情に振り回されることなく己を律する事が出来る為人と推察される。しかし
「俺への用はこれで終わりか」
「えっ?ええ、ありがとうございました。では私は此処でお暇します」
知らず、また考え込む癖が出ていた。自分の中に生まれた異邦の剣士への警戒感を間違いなく悟られただろう。更にこの後の案件がツィトスの気分を落ち込ませる。
「浮かぬ顔をしておるな」
重い雰囲気を身にまとわせた青年に武蔵が気づく。
「今からもう一件用がありまして、それを考えると気が重いのですよ」
前方を見たまま沈痛な表情を浮かべるツィトスに武蔵が問う。
「何処へゆくのだ」
「ムサシさんにも関わりのある処ですよ」
青年がこれから訪ねる場所を告げる。それを聞いた武蔵が言った。
「俺もゆこう」
思いもかけない武蔵の言葉にツィトスの呼吸が一瞬止まる。
「いいんですか、貴方にとって気分のいい話にはなりませんよ」
武蔵が目だけを動かしてツィトスを見る。
「お主も言うたではないか、関わりがある、と」
青年は瞑目し俯くと僅かに思考してから顔をあげた。
「分かりました。行きましょう」
武蔵とツィトスは連れだって大通りを進む。多くの人々が街中に繰り出し賑やかな声が広く響いていた。どの顔も明るく、人が奏でる雑多な音が街を以前より華やいで見せた。
然したる会話もなく二人の男が無言で歩んでいると横の路地から大通りに出て来る麗人の姿があった。女にしてはかなりの長身で颯爽とした身のこなしで武蔵達へと近づいていく。
透ける様な美しい金色の髪を風になびかせ陽光を跳ね返す白銀の鎧が目に眩しい。森の精霊人リグテュスであった。
「あぁ、武蔵、探していました」
無表情だった玲瓏な顔に僅かに笑みが浮かぶ。
「これはリグテュスさん、今日もお美しい。厚い雲で閉ざされた私の心に一筋の陽光が差しました」
その声に初めて気が付いたように武蔵の隣に立つ青年へ女の目が行く。武蔵にはツィトスの声が弾んでいるように聞こえた。この青年も森人に心寄せる一人なのかもしれない。
「相変わらずですね、ツィトス。それにしても珍しい組み合わせですね。武蔵はツィトスと知己だったのですか」
「ついさっき知りおうた」
そうですかと言うと森人は武蔵に向き直る。お互いの視線の位置が殆ど変わらない。清澄な翠の瞳に武蔵の姿が映る。
「アベルが貴方に話があると言うので探していたのです」
「そうか。少しばかり用がある、今暫く待つようアベル殿に言うておいてくれぬか」
リグテュスの金色の髪から顔を覗かせる長く尖った耳が左右に動く。
「お邪魔でないようでしたら私もご一緒します」
武蔵はツィトスを見る。
「構いませんよ、男二人ではむさ苦しいですからね。リグテュスさんがいてくれれば場も華やぎます。これは役得だ、では行きましょうか」
ツィトスは嬉しそうに微笑みを浮かべて二人を促した。
ツィトスは外壁の一部が大きく壊れたこじんまりとした店の前に立っていた。崩れ落ちた壁から中の様子が伺える、幾つもの棚が倒れそこに置かれていたと見える無数の硝子瓶が破砕し床に散乱していた。片づけられた痕跡はなく破壊された時のまま手つかずなのは明らか。青年が木製の簡素な扉を叩く、が返事はない。
「失礼します」
言葉をかけ扉を開く。鍵は掛かっていなかった。商品の保存上の問題からか家は北向きに作られており日当たりが悪い。窓は閉じられ、故に昼間なのに店内は暗く破壊された箇所から差し込む僅かな光に浮かび上がる荒れた光景は、見る者に欝々とした感情を抱かせた。
「ごめんください」
大きな声で奥の部屋へと向かって叫ぶ。暫くすると何かを引きずる音が近づいてきた。素人の手で作られたと思われる不細工な松葉杖をつき、包帯が巻かれた足を引きずりながら女が現れる。慟哭したような真っ赤に充血した目の下には酷い隈が出来ていた。頬はこけ唇が青い、まだ二十代と思われるが、哀しみに疲れ切ったその顔は老婆にも見えた。死人のような顔が訪問客を見る、ツィトス、リグテュスと移動し、武蔵に視線を留めると目が見開かれた。突如としてかさついた唇から絶叫が溢れる。
「ああああああああああああああああああ」
意味をなさない言葉が吐き出された。全身を使って叫んだ女は体勢を崩し松葉杖が脇から外れ前のめりとなって床に倒れこんだ。はぁはぁと大きく喘ぐ音だけが静まり返った暗い店内に響く。ツィトスが抱え起こそうと近付いた時、女が顔だけを上げ武蔵を見た。
「貴方のせいよ!!貴方が灰狼なんかと街中で闘わなければ私たちの店は壊されず、あの子も死ぬことはなかった!!」
痛罵を浴びせた。憎悪に顔が歪み狂気の炎がちらつく瞳で武蔵を睨みつける。
「全部貴方のせいよ、この蛮族ッ」
怨嗟の声をぶつけられても武蔵はただ黙して受け止めていた。いたたまれず森人が母親へと言葉をかける。
「それは違います、ご婦人。武蔵はただ一方的に巻き込まれたのです。悪いのは灰狼であり野放しにしていた警吏です」
奇しくもそれはツィトスが地走り亭の女将へと口にしたのと同じ内容であった。リグテュスの言葉にも母親の武蔵への厭悪は僅かも緩まない。それを平然と受け武蔵は懐から取り出した皮袋を、視線に殺意を込めて睨み続けている母親へと放る。
女は拾う素振りも見せず皮袋は重い音を立て地面へと落ちた。落下した拍子に口を縛っていた紐が緩み、中から金貨が顔を覗かせ床へと散らばった。
「お主の子が命を落としてまで得ようとした金よ」
女は散在する金色の貨幣を憎憎しげに見る。
「こんなものいらない!!息子を返して、あの子を、アナクレトを返してよッ!!!」
近くにあった一枚を手に取ると武蔵へ向けて力の限り投げつける。金貨は大きく逸れて武蔵には当たらない。壁にぶつかる音がし、何処かへと転がっていった。
「お主はよくとも娘はどうするのだ、金も無くどうやって生きてゆく」
武蔵の視線の先、女は背後の扉から恐る恐る顔を出してこちらを覗いていた幼い娘を見やる。母親の目に宿る狂気が薄れ僅かに理性の光が差す。
「おかぁさん」
娘の母親を心配する声に、思わず足を引きずりながら駆け寄り抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫よ」
娘の目から涙が溢れ母親に縋りつく。二人の嗚咽が陰鬱な部屋に響いていた。ツィトスは視線を逸らし、森人は胸に手を当てやり切れない思いで眺めている。母親の肩越しに幼女の泣き腫らした目が武蔵を見た。
「おじさんのせいでお兄ちゃんが死んだんでしょ?おかーさんが泣いてるのもおじさんのせいなんでしょ?」
娘の瞳に憎悪の黒い炎が灯る。
「ぜったいにゆるさない!大きくなったらやっつけてやる!!」
幼子の目は子供とは到底思えない憎しみに燃え盛っていた。その姿にリグテュスは人の持つ負の感情の底知れぬ闇を垣間見た気がした。ツィトスは母と娘の絶望の深さを目の当たりにし、ただ立ち尽くす事しか出来ない。
親子の肉親と店を失った哀しみと憎しみ、怒り、あらゆる感情の全てが武蔵へと向けられていた。武蔵は一方的に灰狼から因縁をつけられ降りかかった火の粉を払っただけである、この男が取った以外にどのようなやり方があったというのだろうか。その場に居合わせ直に見ていたリグテュスは胸を締め付けられる思いであった。かける言葉も見つからずそっと武蔵を伺う。
武蔵はぶつけられた言葉と幼女の憎悪の眼差しを僅かも余すことなく受け止めると、口の端を吊り上げ嗤っていた。自嘲とも愉悦ともとれる顔を見て森人は絶句する。
「それも一興」
言って踵を返した異国の男の後姿から目を離す事が出来ない。黒衣に身を包むその形貌は、人の業を超える更なる闇を纏っているようであった。




