肆拾陸 真の灰狼
灰狼の長、ロランが倒されたという話は疾風のようにバイロンを駆け巡った。今は何処の店も路上も市井の民の家でまで老若男女を問わずにこの話題で持ちきりであった。
「聞いたか」
「ロランがやられたって話か」
「あぁ。これで灰狼も終わりだ。もう名前が通ってる奴は一人もいねぇ、残ってるのは雑魚だけだ」
「栄枯盛衰、あれだけ横暴な振る舞いをした灰狼も終わりはあっけないもんだな。で、誰がロランをやったんだ?」
「異人だって話だぜ」
「異人?何処のもんだ、まさかイスベリア人か?」
「違う違う、そんな近隣じゃねぇ。俺たちとは全く違う顔立ちらしい。少なくともこの辺りじゃ見ねぇ顔だとさ」
「へぇ、そう言えば毒蛇のピエール、魔術師の小セブラン、大盾のリュファスも異国の剣士に殺されたんじゃなかったか?」
「だからそいつだよ。他に剛力ピトーもやったそうだ」
「本当か!?元々あいつらはこの辺の小悪党どもを束ねてた奴だぞ。そしてそいつらを率いていたロランまでやっちまうとはな。何者だその異人は」
「さぁな。森人のいい男だって話もある。最近よくつるんでるそうでな」
「森人って精霊使いのリグテュスの事か? かーっ!!俺も一遍でいいからお相手仕りたいぜ」
「しゃぶりつきたくなるような良い女だからな。俺たち宇立の上がらない冒険者には高嶺の花さ、諦めて相応の夜鷹でも買うんだな」
「言ってくれるじゃねぇか」
「怒るな怒るな。警吏も動く気配はないっていうしこれでこの街も落ち着くかな」
「漸く安心して迷宮に潜れるってわけだ。どうだ?久しぶりに探索に行くか」
「あぁ。俺もそう思ってたんだ、あいつらにも声掛けねーとな」
街の諸所で交わされる会話を吹き抜ける風が攫ってゆく。
太陽が中天に差し掛かるころ喧噪な大通りを二人の男が歩いていた。雲一つない晴天で、季節外れの強い日射が濃い影を落とす。
「フィルベック、どうしますか?」
「そうだなぁ、ロランが異人に殺されて今更雑魚を狩ってもなぁ」
フィルベックと呼ばれた二メトロンはありそうな大男が後頭部を手で掻きながら空を見上げる。くすんだ金色の短い髪は天を衝き、仰ぐ瞳は空と同じ青い色をしていた。
「そういえばドニスから聞いたんですが灰狼狩りをしていた冒険者四隊四十人が消えてしまったそうです」
大男は興味を引かれたようで後ろに付き従う痩身の男に目を向ける。フィルベックほどではないが長身に無駄な肉を削ぎ落としたような引き締まった肉体を持ち、頭が小さく手足が長い。
この国に多く見られる金色の髪の下に続く眠たげな眼には聡慧な光が宿る。
「何時の話だ?」
「昨日から今日にかけての話です。妙なんですよね、時間的にロランでもないようだし、今の灰狼にそれほどの使い手がいるはずがない。しかもですよ四隊を率いる内、二人の隊長は上級使だったそうなんです」
首を捻る部下の顔を見ながら、フィルベックの脳裏に冒険者組合長エーレンハイドの言葉が蘇る。
ここには怪物がいるのかも知れない。俺達が想像もつかないほどのな
「もしかすると灰狼の頭は他にいるのか」
顎を摩りながらのフィルベックの独白が敷き詰められた石畳に落ちた。
「え?でも今までそんな話聞いたことありませんよ」
痩身の男は思わずフィルベックを見上げる。大男の眼には子供のような好奇の光が爛々と輝いていた。
「面白いじゃないか。俺たち探求の団がこの謎を解明してやろう」
よく発達した顎に太い笑みを浮かべながら天に向かって宣言した。部下の男はやれやれと溜息をつきながらも付き従う男と同じように口元を綻ばせていた。
冒険者組合所内のある部屋の一室では、胡桃製の重厚な木目をした大きな長方形の机を囲むように三人の男が椅子に座り、何やら談義をしていた。
「と言う事だ、どうするね組合長」
ドニスが問うた。
「まさか、灰狼の団長に消されたと言う事か?ロランというのはそれ程の男か?」
「いや、腕は立つのだろううが四十人の冒険者を相手に勝てるとはとても思えん。それ以前に時間的に見てロランの所業ではないと断言出来る。ロランが異人に倒された後に消息を絶ったと思われるからな」
組合長は瞑目して天井を仰ぐ。椅子の背に凭れて僅かの後、目を開くと机に指で音を立てながら言った。
「援軍でも駆けつけたか?」
「考えられる可能性としては高い。まさか突然妖精に攫われたとか、笛吹男に連れられて四十人ぞろぞろと街の外へ出掛けて行ったまま何処かへ消えたとかじゃない限りな。念のため言っておくと門番に確認を取ったがその様な話はないそうだ。ただ灰狼に我々の知らない戦力が残されていたとも思えんが」
そう言って二人ともに口を閉じ思索に耽る。そこへ机で書類整理をしながら黙って話を聞いていたツィトスが口を開いた。
「この件、私に任せてはもらえませんか」
その声に物思いから覚めると、二人してツィトスの方を見て、何かに思い当たるような顔をした組合長が意味ありげに言った。
「あいつらに会いに行くのか」
「えぇ」
組合長とツィトスの間ではそれだけで意思の疎通が図られていた。疑問顔のドニスだけが置いてきぼりにされる。
「何だ?何のことを言っている?」
ドニスの疑問に組合長とツィトスは目線を交わしたまま答えない。
「好きなだけ連れて行って良いぞ」
組合長が顎で冒険者が集う一階を指す。
「いや、一人心当たりがあるのでその方と行こうと思います」
「一人?何か考えがあるのか?」
意外な言葉に若干驚いたような表情でツィトスを見る。
「はい」
ツィトスの顔には自信が満ちていた、恐らく何かしらの策があるのだろう。話についていけないドニスの眼が何度も二人の間を行き来していた。
「分かった、任せる」
「はい、承りました」
言うと椅子から立ち上がり出口へと向かう。思案気な組合長と事態を全く呑み込めないドニスの目がツィトスの背中を追っていた。
「さて、と。話題のあの人は何処にいるのかな」
背後からはドニスの説明しろと組合長を問い詰める怒号が聞こえてくる。
両手を組んで伸びをしながらの独白には僅かな緊張が含まれていた。
件の人物を探すために一階で談笑をしていた冒険者から情報収集をする。その者はどうやら地走り亭という飯屋がお気に入りらしい、そこでよく見かけると何人もの冒険者から話を聞くことができた。複数から同様の話という事で情報の確度は高い。丁度今は昼食の時間だ。ツィトスは日の光が降り注ぐ通りへと駆け出した。
ツィトスは地走り亭の前に立っていた。繁盛しているようで、走ってきたため息が切れているのを整えている間にも、少なくない人数が出入りしている。最後に一つ深呼吸をすると目の前にある木製の扉を開いた。
店内を一瞥。噂と違わぬ姿の男が周囲の視線を集めながら食事をしていた。無事見つける事が出来、安堵する。男が座る席まで歩いていくと、娼婦にした時と同じように胸に手を当て腰を折り慇懃に礼をする。
「初めまして、お噂はかねがね。私は冒険者組合で書記官をしておりますツィトスと申します。以後お見知りおきを」
声をかけられても男は構わず食事を続ける。ツィトスが求めた異邦の剣士、武蔵の姿がそこにあった。食べる事も体を作る一環と捉えている武蔵は邪魔をされるのを好まない。
食卓には山のように皿が積み上げられ、引っ切り無しに女給が厨房とを行き来する。たっぷり十人前以上の料理を平らげるまで傍らに立ち続ける男を歯牙にもかけなかった。今も青年はただ立ち続けている。
「俺に何用か」
肉叉と小刀を置くと漸く口を開く。三十分は待たされた筈だがどのような感情も顔に浮かべずツィトスは要件を簡潔に述べる。
「ムサシさん、この後時間がありましたら少しばかりお付き合い願えませんか」
硝子製の水飲みを口に当てている武蔵を上目遣いに伺う。武蔵がツィトスを見、初めて視線が合った。
黒く濡れたような双眸に飲み込まれるような感覚を受ける。測り知れぬ力にツィトスは怖気を震う。
「構わぬ」
「良かった、では私の後についてきて下さい。あっここの食事代はこちらで持たせて頂きます」
胸を撫で下ろしたように言い勘定を済ませに行くと、その額に軽く目を見開き顔を強張らせながら支払った。飯屋の扉を開いて武蔵が出るのを待つ。武蔵は水を飲み干すと立ち上がり出口へと向かった。路上に出たところで武蔵の背に声をかけるものがあった。
「異国の人」
武蔵が振り向くと地走り亭の女将が肥満気味の体を揺すって追いかけてくる。目の前で足を止めると肩で息をしながら言った。
「もう、うちに来ないでおくれ」
些かも表情を変えず武蔵が問うた。
「何故だ」
「アナクレトの事さ。あんたのせいじゃないって頭ではわかってるけど駄目、あんたの顔を見るとあんたさえいなければ、あの子もあの子の店もこんな事にならなかったのにって思っちまうのさ」
真っ直ぐに見つめてくる武蔵の視線に耐え切れず顔を逸らして答えた。
「失礼ですが子供を殺したロランを討ったのはこの人ですよ。言わば敵討ちです。それに子供の店が破壊された件も灰狼が誰かと勘違いしてこの人に襲いかかったのが原因と聞いています」
武蔵の隣で傍観していたツィトスが口を挟んだ。
「そんな事あんたに言われなくとも分かってるさ、だけどこの想いはどうしようもないんだよ」
苦しそうに胸を掴む。武蔵はただ黙って見つめていた。
「よかろう。今まで旨い飯を馳走になった」
女将は泣きそうな顔になると背を向け地走り亭に戻っていった。ツィトスは他人事ながら遣り切れない思いを感じていた。そっと武蔵を盗み見る、だがその顔からはどのような感情も読み取れなかった。
ツィトスはこちらですと言うと武蔵を先導し歩いていく、幾つかの角を曲がり進むと神殿を模した宗教施設と思われる建築物が見えた。十字が象徴となっているようで建物の其処彼処に記号化され装飾されていた。躊躇することなくその建物に入っていく。
入り口に掲げられた石製の表札には克肖会 バイロン支部と彫りこまれていた。
大きく開けた玄関を潜った先は広間となっており、数人の関係者と思われる男たちが屯していた。建物内は純白で統一された荘厳な雰囲気で巨大な大理石の柱が建物の荷重を支えるため何本も天に向かって走っている。支給されたと見える揃いの鎧を装備し、剣を佩いた男たちから無遠慮な視線が訪問者へと投げかけられる。
「どうも。お初にお目にかかります、わたくしバイロン冒険者組合 書記官ツィトスと申します。支部長のフィルモア殿にお取次ぎください」
青年は臆することなくその場にいた男たちに向けて大声で要件を告げた。
「無礼ではないかね、事前の連絡もなしに訪問されてもフィルモア様に取り次ぐ事はできない。日を改められよ」
克肖会の団員たちの後ろから、甲冑の音を立てながら年長の上司らしき男が現れて言った。年は四十代、手入れされた濃い茶色の髪を持ち、明るい茶色の瞳に整えられた髭の下にある口は一文字に結ばれている。その顔は謹厳実直を思わせた。
「そうか~、これは困ったな。ねぇムサシさん」
名前を呼んで振り返り、わざと武蔵に注意が行くよう仕向ける。武蔵を捉えた克肖会の団員たちの目に驚きと理解の光が燈ったのを見てツィトスの口が歪む。流石克肖会、情報収集にも余念がない。
克肖会の団員は息をのんで武蔵を見つめた、この男が灰狼壊滅のきっかけを作り、灰狼の長を倒した異国の剣士なのだと。
黒い蓬髪に放置された濃い髭が顔を覆い、太い眉の下の双眸には熾火の様にちりちりと燃えるような狂気の光。
身体の線を覆い隠す異国の服の上からでもわかる逞しい筋骨。存在すべてが異彩を放っている。
確かに見た者を身構えさせずにはおれぬ、ただならぬ雰囲気を身に纏っていた。
「まるで脅しの様に聞こえるが、我が克肖会はこの程度で譲歩はしない。出直しなさい、なんなら力尽くででも構わないのだぞ」
壮年の男の背後にいた団員が何時でも動けるよう身構え、僅かに殺気を放つ。その言葉を聞いた途端、武蔵が
「ほぅ」
と言うと抑えていた気を解放する。一瞬で装飾から壁面まで純白で統一された広い部屋内に気が満ち、軋むような音がした。圧倒的なまでの力に団員たちが気圧される。
だがまだ終わりではなかった。さらに膨らんでゆく、空間内で留まり切れなくなった気は更なる広い場を求めて壁をそして硝子製の窓を振るわせ始めた。
建物全体が鳴動する。
何か重いものが床と接触したような鈍い音が立て続けに響く。団員の中から耐え切れなくなり失神する者が出始めていた。耐え忍んでいた壮年の男が、抗うべく震える手で剣を抜こうと柄を掴んだ時であった。
「そこまで」
高所からかけられた高い女の声が気に満ちた空間内を伝播する。厳しい顔つきをした三十代と思われる長身の女が、動きやすいよう短く揃えられた金色の髪を上下に揺らしながら階段を下ってくる。甲冑を纏わない軍装で、その輪郭は女特有の丸みを帯びたものではなく、鍛え抜かれた男と見紛う線を示している。軍人のような厳格な雰囲気を身に纏い、温かみをまるで感じさせない氷塊のような青い瞳がツィトスを見下ろしていた。




