肆拾伍 鬼火
武蔵は部屋で起きた惨状を一瞥すると、口を開け呆然と自分を見つめるロランを見据えた。
狂気を孕んだロランの相貌が驚きから憎しみへと変化し、更に歓喜の表情を浮かべる。
「へ、へへ、会いたかった、会いたかったぜ異人野郎。テメーだけはこの手でやらなきゃ気がすまなかったんだ、くっく、かっかっか、ははははははははは!!!」
気が触れたように哄笑し、寝台に立て掛けてあった双剣を掴むと、狂気の世界に身を沈めた男から強大な魔力が迸り、一直線に武蔵へと迫る。狂乱と憎悪の力を借りたロランの攻撃は一筋の光のようであった。武蔵は右手に握った剣を流れるように上段に構えると左手を柄に添え、ただ振り下ろした。弧を描く白銀の光と直線に走る二条の剣光が衝突する。
武蔵の持つ長剣は間に在ったもの全てを断ち切り石床深く潜り込んでいた。
一撃。
一撃の元に灰狼を率い狼藉の限りを尽くした男の身体は、武蔵に触れることなく、右手の剣を突き出した状態で頭頂部から股間まで縦に分割された。尋常ではないほど見開かれた目には既に光はなく、二つに分かたれた口には己の勝利を確信した狂気の笑みが張り付いたまま。
即死であった。
頭部からは脳が覗き、腹部の断面からは大量の血と共に腸が零れその他の臓腑も露となる。むぁっと生臭い匂いが武蔵の鼻を衝く。
あとは倒れるだけとなった時、突如蒼い光が部屋を照らし出した。ロランの体内から魔法式が噴出、命の光を失い虚ろとなった目に青い鬼火が燈る。
そのまま倒れるだけであった左右の半身が踏み止まっていた。
「ごぼれべヴぇヴぇえええええええ」
断ち割られた気道から血を溢れさせ、言葉にならない擦過音を上げながら、左右に分かたれた身体より双剣が光の尾を引いて武蔵を挟撃する。それは先ほどの攻撃よりも更に鋭く速い。
「ちぃっ」
躱し切れぬと読んだ武蔵は剣を捨てると、一歩踏み込む事で打点をずらし、腕を交差させて左右から襲い来るロランの両手首を掴んで斬撃を防いだ。
片足とはとても思えぬ膂力で左右から双剣が迫る。ロランの双眸の鬼火が更に青く大きく燃え盛った。筋力を制御する枷が破壊され、異常な力が篭り毛細血管が破裂、腕が黒ずみ骨からは軋む音。
己の身体を厭う必要の無い死者の途轍もない力が武蔵を襲う。そうはさせじと武蔵の腕も瘤の様に盛り上がる。ロランの体内から溢れる魔法式が光ると筋力強化の魔法が発動、全身の筋肉が肥大し抑え込む武蔵の腕を一気に押し切るように見えた。しかし武蔵もまた渾身を震わせその力についてゆく。拮抗。
僅かでも力を緩めれば忽ち武蔵を切り刻むだろう双剣は、だが届くことはなかった。犬歯を剥き出しにした武蔵が吠える。
「ぬぉう!!!」
一瞬の気の爆発。
骨が粉々に砕かれ肉が引き千切られる音が伽藍とした倉庫内に響き渡る。青竹を握り割る武蔵の握力がロランの両手首を握り潰していた。異常ともいえる力が籠っていた手首と言う支点が失われた事によりロランの両半身が大きく体勢を崩す。
重力に引かれて落ちる手首つきの双剣を両の手で掴むと左右の半身を同時に薙ぎ払った。強化された肉も骨も妨げとならず剣は走り抜け、縦に続き斜めに切断。幾つもの断片となったロランの肉体は糞尿と臓物臭をまき散らし床に散乱した。
「術でもかけられていたか」
未だ手首がついたままの双剣を捨てると落ちていた長剣を拾い血振り。
一振りするだけで輝くような刀身が現れ綺麗に血糊が払われた、拭う事無くそのまま鞘に収める。床に倒れ身動き一つしないクレールへと屈みこむと、命の炎が今にも消えようとしている身体に手を触れ、心の臓を正確に探り気を当てた。一度大きく痙攣すると口から血が溢れ、クレールの目が僅かに開く。
「何か言い遺す事はあるか」
武蔵が重い言葉を吐いた。最早この若い男を助ける術はなかった。武蔵に出来るのは最後の言葉を聞いてやる事のみ。
恐らく武蔵の姿も武蔵の言葉も認識できていないであろう、だがクレールは文字通り最後の力を振り絞り言の葉を紡ぎだす。死に逝く男の前には故郷の景色が広がり、少しだけ幼くなったエメルが目に涙を浮かべ顔をくしゃくしゃにして叫んでいた。「私は弱い人を守る」その姿を少し離れた場所から見ていたクレールは眩しそうに目を細めた。そう、クレールにとってエメルは無常な世界の暗闇を照らす明かりのような存在であったのだ。
「エ、メル その ま ま いき て」
そう言い残すと静かに目を閉じそれがクレールの最後の動きとなった。同じ村に生まれ、同じ村に育ち、同じ時期に魔力に目覚め、誰よりも同じ時を過ごした男は最後まで幼馴染の事を想って逝った。数瞬の間男を見つめると武蔵は寝台に縛り付けられている女の元へ行き縛鎖を斬る。
まだかろうじて息はあったが双眸は瞬きもせず虚空を見つめ、全身からは大量の出血、衰弱も激しく危険な状態であった。乾いて失明せぬよう目を閉じてやる。
とても武蔵の手に負えるものではない。そこへ倉庫の外で待たされていたベアーテ達が音を立てて駆け込んでくる。床に散らばるロランの残骸に眉根を寄せ、寝台の上で躯の様に仰向けになっている血塗れのエメルを見ると悲鳴を上げる。
「エメル!!そんな!!クレールはっ!?」
叫ぶベアーテの目に床に横たわるクレールが映った。エメル以上に傷つけられた身体を見て絶句する。
三人は一斉に仲間だった男の横に跪く。
「クレール」
一目で死者とわかるその余りの肉体の損壊に再び言葉を失った。
「その者は死んだ。今は女子を診よ。急ぎ手当てをせねば持つまい」
武蔵の言葉に顔を蒼白にしていたベアーテが我に返ると仲間の治癒術士クララを見る。
「クララ、エメルを、早く!!」
クララは頷くと寝台へと駆け寄り、僅かの動きも見せない女の身体を詳しく診た。見る見る顔色が変わっていく。
「駄目だよ、ベアーテ、こんなの!こんなの私の手に負えない!!」
目に涙を溜めて頭を振り半狂乱となっていた。エメルたちの捜索に協力してくれていた冒険者達が騒ぎを聞きつけ、入り口あたりに集まり始める。
「高位の治癒術士はおらぬのか」
武蔵の問いにも冒険者達からの答えはなかった。
「どうしたら、どうしたらいいのさ!!クレールを失ってエメルまで!!」
ベアーテが大粒の涙を流しながら寝台に縋りつく。クララとコルドナは互いに抱き合って嗚咽を漏らしていた。皆が己の無力を噛み締める。
絶望の空気が倉庫内を覆いつくしていた。
「私がやりましょう」
倉庫内に響いた救いの声にベアーテが真っ先に振り返る。武蔵が造り出した歪な入り口に立っていたのはリグテュスであった。長い足で煉瓦の瓦礫を乗り越え、相変わらずの無表情で寝台へと歩いていく。その顔からはどのような感情も読み取れない。
「出来るのか?」
すれ違いざまに武蔵が問う。
「分かりません」
寝台の横で歩みを止めそう言うと、エメルの惨状を見た森人の白皙の顔が顰められた。それは明らかな嫌悪、そして怒り。一瞬で表情をなくすとリグテュスの口から朗々と言葉が紡がれ始める。美しい声音は歌を歌っているかのよう。森人の身体に魔力が漲り、魔法式が構築され前方の床に光の線によって魔法陣が描かれていく。
「癒天復精使霊」
一際高く謳われた言葉と共に魔法陣から眩い白光が迸った。輝きを失った魔法陣の中には慈愛に満ちた表情を浮かべる老婆が存在していた。
時折輪郭が霞み向こう側が透けて見えるその姿は老婆が人間ではない事を雄弁に物語っている。
「慈母精霊よ、お願いします。この娘を助けて下さい」
この場の誰もが解しない精霊言語で頼むと老婆は静かに頷き、森人が一歩引いて開けた道を滑るように移動してエメルの傍らに佇んだ。
老婆がエメルの頭から足元まで手をかざし一つ間を置くと、天に向かって両手を広げた。老婆の身体から無数の魔法式が溢れ、血の凝固によって黒ずんだエメルの身体を繭の様に包んでゆく。
その場にいた誰もが無言で成り行きを見守る。
女の身体を包んでいた魔法式は青い光となって散乱、再び裸体が露となる。如何なる故か体中にこびりついていた血は綺麗に拭われた様に消え、傷ついた箇所も薄い桃色の膜が張り回復の兆しを見せていた。
それは最も傷が深かった手首と足首に顕著であった。寝台布もまた清く浄化され一滴の染みもなくなっている。
老婆の姿を借りた精霊は森人に向かって微笑むと、霞むように姿を消した。消えゆく精霊に向かってリグテュスが一言言葉を漏らす、感謝の意を告げた様であった。
森人は息を飲んで事態の推移を注視していたベアーテに振り向くと
「今出来る事は為しました。あとはこの娘の生命力次第です」
その言葉にほっとした様に腰から地面へ崩れ落ちた。クララとコルドナは抱き合って号泣。リグテュスは浄化された白布をエメルの身体にかけてやる。
寝ている女の目は窪み、頬はこけ唇はひび割れかさついていた。先の魔法によって体力と魔力を極限まで消費された結果であった。顔色などは魔法の行使前より悪くなっているほどだ。依然として危険な状態は続く。
「疲弊しておるようだ」
武蔵が声をかける。
何時もと変わらぬ無表情であったがリグテュスから感じる魔力が減衰している。
「えぇ、かなり高位の召喚魔法で彼女が行使した魔法もまた高位の治癒魔術だったので」
召喚した精霊が使用した治癒魔法もまた術者であるリグテュスの負担となったようであった。今の治癒魔法によって二重に魔力を消費したのだ。治癒魔法は万能ではない。
術者は行使の際、大きな魔力を求められ対象者もまた魔力の負担を強いられる。
「私に出来る事はしました、ですが危険な状態に変わりはありません。彼女の体力も魔力も著しく衰弱していますから」
そう言うと気怠げに目を伏せる。
「送ろう」
「いえ、今日はあの娘についていようと思います。もう私に出来る事はありませんが」
リグテュスの視線が寝台に向く。そこではベアーテとコルドナとクララが安堵と不安を同時に浮かべた表情で付き添い、瓶に入った薬水をエメルの口に含ませていた。
「そうか」
武蔵が背中を向けた。
「武蔵」
その背に森人の声が投げられ武蔵が振り向く。
「何故貴方方人属はこの様な愚行を繰り返すのですか?」
森人の目は武蔵を、否、武蔵を通して人類全体を蔑みそして哀れんでいた。
武蔵はただ黙してその視線を受け止める。
「失礼しました。貴方に問うことではなかったですね」
澄んだ翠の瞳は武蔵の顔から逸らされ自嘲的な笑みと共に伏せられた。
「どうも感傷的になっているようです。森の精霊人は感情を表に出さないと言ったのに」
武蔵とリグテュスの間には人と森の精霊人という決して超えられぬ隔たりが存在していた。
「リグテュスよ」
武蔵の言葉に森人が顔を上げる。
「善きところも悪しきところも含めて人なのだ」
武蔵の炯炯たる黒い瞳が正面からリグテュスを見据えていた。
「そうですね」
それが人なのですね、そう呟いて寝台へと歩いて行った。ただでさえ華奢なその背中はさらに薄く見え、そして酷く寂しそうであった。




