肆拾弐 報い
アナクレトがエメルより貰った首飾りを両手で玩びながら歩いていると、道具屋の前で立ち話をする冒険者風の二人の男の会話が聞こえてきた。
「おい、聞いたかよ。冒険者組合から灰狼の残党に懸賞金がかかったってよ」
「ほぅ、幾らだ?」
背の低い革鎧を着用した男が言葉を投げかけ、外套を纏った魔術師風の男が問い返す。
「生き死に関係なく団長のロランに金貨五十枚、雑魚一人につき十枚だとさ。警吏も手を出してこないそうだし、俺達も狙ってみるか」
「金貨五十枚か、割りにあわねーな、あのクソ忌々しいロランだが腕は確かだぜ。一度あの野郎が冒険者とやってるところを見たことがあるが上級使程度の力はありそうに見えた」
「まぁあの荒くれ者どもを率いていた奴だからな。じゃぁ根城を探すってのはどうだ?情報提供にも金を払ってくれるそうだ」
「その話本当?」
背の低い男の話に興味を引かれたアナクレトが話しかける。
「何だ坊主、聞いてたのか。止めとけ止めとけ。お前もここの住人だから奴らの残忍さを知ってるだろうが、つけたり探ってるのが知られたら殺されちまうぞ」
突然喋りかけてきた子供にも戸惑う事無く手を振って自重を促す。
「幾ら貰えるの?」
「話聞いてねーのかよ、まぁいいわ。潜んでる場所を突き止める事が出来たら金貨で九枚、いや十枚だったかな?あっ、おい!!ぜってー止めとけよ!」
アナクレトは金貨十枚の言葉を聞くなり感謝を述べる事無く踵を返し駆け出した。小さな背中に向けた冒険者の警告の言葉は届かず、ただ空しく街の雑多な音の中に呑みこまれる。
金貨が十枚あれば母と妹の三人でも慎ましくすれば一年は生きていける。子供特有の楽観さで灰狼の根城なら幼い自分でも突き止められそうな気がしていた。
暗闇しかなかった自分たち家族の未来に僅かな光が見えたようで気分が高揚する。エメルとの約束など頭の中から吹き飛んでいた。
アナクレトはその日、月が天高く昇るまで足を棒にして街を彷徨ったが灰狼の拠点は見つからなかった。当たり前である、そもそもアナクレトは灰狼の団員の顔を知らないのだから。どうにか判断がつくのは二三遠目に見た事がある団長のロランぐらいだ、だがその記憶も不鮮明で覚束ない。
帰ろう、意気消沈してそう思った時であった。闇夜にも明らかな剣呑な空気を纏った男がアナクレトの目に入ったのは。灰色の髪を持つ男は絶えず周囲に注意を払い裏路地へと消えていった。
来た、子供は思わず叫びそうになり慌てて口を閉じる。辺りを見回すと今の男に誰も気付いた様子はない。宝物探しの様に目を輝かせてアナクレトは男が消えた路地へと駆けて行く。
闇が男児を飲み込んだ。
「水臭いじゃないか、エーレン。何故俺に声をかけてくれなかった?」
冒険者組合所内で二人の男が向かい合って酒を酌み交わしていた。服の上からでも筋骨の発達が見て取れる鍛え抜かれた身体を持った青年が口を開く。
青い眼が非難するように向かいに座る男へと向けられた。
「急だったもんでな。悪く思わんでくれ」
悪びれず壮年の男が酒杯を呷りながら返す。青年と比べても遜色ない締まった肉体に歴戦の空気を身に纏っていた。ツィトスに組合長と呼ばれていた男だ。バイロン冒険者組合、組合長それがこの男の肩書きであった。
「まぁいいさ。とうとう灰狼狩りが始まったんだ。これに参加しない手はない。俺たちは奴等に煮え湯を飲まされ続けてきたからな」
「そうだな」
手に持った酒杯をじっと見つめているエーレンに青年が問う。
「同盟と克肖会は参加しているのか?」
「いや、どちらからも連絡はないな」
「妙だな、奴らだって辛酸を舐めさせられたのに。何か聞いているか」
青年は顎に手を当て何かを考えるように視線を左上へとやり組合長へと戻す。
エーレンは黙って首を振った。
「なぁ、ずっと疑問だったんだが同盟のアルフレム達は今何処にいるんだ?」
青年が身を乗り出して尋ねる。灰狼と揉めた際、同盟の党首と幹部は警吏によってバイロンを追放された事になっていた。
「誰も知らないだろう。本人達さえもな」
目を瞑り酒杯を傾けながら重い言葉を吐いた。青年は椅子に腰を落とす。
「やはりそういう事か。だがあのアルフレムが灰狼や警吏如きに黙ってやられたとも思えん、一体何があった?」
「副長の、今は団長か、ジスカに聞いたが何も答えてくれなかったよ」
「あの一件以来あいつも人が変わっちまったようになったからな。それが全てを物語っている、か」
椅子にもたれ青年は天を仰いだ。
「ここには怪物がいるのかも知れない。俺達が想像もつかないほどのな」
エーレンは酒杯を掲げその中に何かがいるかのように見つめる。
青年は腕を組み目を閉じていた。
それ以降二人は言葉を交わさず気鬱な空気の中、黙々と酒を呑み続けた。
後をつけていた長身の男が建物に入って行ったのを見届けたアナクレトは歓喜に震えていた。
やった、灰狼の根城を突き止めたぞ。これで暫くは組合から貰えるお金で家族三人暮らしていける。僕にだって出来る事はあるんだ。少年は達成感に包まれていた。追っていた男が灰狼と確定されたわけでもないのに。
急いで冒険者組合に知らせなければ、少年が振り向いた時気配もなく一人の男が立っていた。眼前の建物に入っていったはずの男だ。
何で、と子供は混乱していた。
驚きと困惑で言葉もない男児を見下ろす細い目には酷薄そうな光。その男を朧げな記憶と照合しアナクレトの脳は灰狼の長、ロランと断じていた。
「何故俺をつけた、ガキ」
険のあるロランの灰色の瞳が少年を射竦める。口調には子供相手にさえ隠せない苛立ちが含まれており、それほど追い込まれているのだろう。
未だ混乱から抜け出せず声も出ない男児に舌打ちすると
「あぁ、そうか。俺たちの塒を探ってたのか、そうだよな、この情報を組合にでも持ってきゃ金になるものな」
「し、知らない。たまたま通りがかっただけだよっ」
漸く言い訳にもならない言葉が口から搾り出された。
僅か十歳の男児の鳩尾に男の容赦ない蹴りが入る。
「かはっ」
瞬間目の前が真っ暗になりそして激しい鈍痛が全身を支配した。息が出来ない。空腹だったため胃液が逆流して口から溢れる。
男は辺りを見回すと独り言の様に
「中を汚すと面倒だ」
そう言って子供の髪を掴むと軽々と持ち上げ人気の無いほうへと歩いていく。少年は痛みで声も出ず為されるがままであった。
希望の光が射していたはずの男児の未来には何も見えない。絶望と言う名の暗闇だけがあった。
灰狼が壊滅状態となって街全体が浮かれ騒々しい夜の街路を、外套で身を包む一人の男が歩いていた。立ち止まると賑やかで喧騒な場所とは別の、ある方角へと顔を向ける。
男の鋭敏な聴覚が人の身体を打つ微かな音を捉えたからだ。その方へと足を向ける。
人通りの皆無な裏路地を行った小さく開けた場所に子供がうつ伏せに倒れていた。微動だにしない事が傷の深さを物語る。その横には暴力的な雰囲気を漂わせる残忍そうな表情を浮かべた男が一人。ロランであった。
「何をしている?」
外套を纏った男が尋ねる。ロランは手に持った首飾りを懐へしまうと細く眠そうな目を向けた。
「さぁね、俺も通りがかっただけでよく分からん」
ロランが横を通り過ぎようとするのを男が手を掲げて止めた。
「待て、貴様の身体から血の匂いがする」
「なんだと?」
男が腰に下げた鞘から白銀に光る剣を抜く。男から魔力が溢れるのを見たロランは相手に悟られぬよう腰に据えられていた双剣を左右の手に握った。
「おいおい、穏やかじゃないな。あんたそのガキの知り合いか?」
「知りはしない、だが貴様の様に躊躇なく子供を痛ぶる輩を放置するわけにはいかん」
聞いたロランの口が三日月の形に歪み、瞳に蔑みの光が燈る。
「この街で善人ぶるやつは長生きできないぜ。みんな死んじまうんだ、この様にな!!!」
ロランの左手に握られた剣が銀閃となって真下から浮かび上がる。男は咄嗟に頭を上げるが前髪が宙に散る。それで終わりではなかった。右手に持った剣を避けにくい腹部へと走らす。
その刺突を仰け反っていた体勢を利用して後方へ回転する事でかわした。距離を開けて対峙する。
「くく、なかなかのものじゃないか。テメー冒険者か?」
男は無言で剣を構え踏み込んだ。勢いそのまま突きを放つ。ロランは左手に持った双剣でいなし右手で反撃を試みる、が男は更に踏み込み肩からロランへとぶつかりに行った。
「ぐっ」
胸を強打され肺から空気が押し出され呻く。男はその隙を逃さない。
「糞がっ」
男の放った袈裟切りを身を捻る事で何とかかわすが攻撃は止まらない。反撃する機会を見出せず守勢一方となる。
一撃でも喰らえば致命傷となる連撃を、体術と双剣を巧みに使いロランは凌いでいく。灰狼という破落戸を纏め上げていたその腕は確かなものであった。防がれ、かわされようと構わず男は攻め続ける。
魔力が篭った剣と剣が激しく交差し、夜空に剣戟の音が響き渡る。




