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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
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参拾漆 疑問

 店に戻ったアベルとリグテュスを、客からの好奇の眼差しとツィンベルの心配そうな顔が出迎えた。自分を救った恩人の何処にも傷がないのを確認すると


「無事でよかった。アベルさんの事だから大丈夫とは思っていましたけど」


「君こそ怪我がなくて良かった」


 言って目尻に皺をつくり顔を綻ばせる。ツィンベルの眼には安堵の涙。同僚の女給が優しく肩を抱いてやっていた。客に呼ばれたようで、ツィンベルを気遣い私がと言って客席へ注文を取りに行く。背後に控えていた店の主人と思われる料理帽を被った中年の男がアベルへと声をかける。


「ありがとう、アベル。貴方がいたおかげで助かったよ。でもこれで灰狼の連中に目をつけられたかも知れない」


「安心したまえ、ブリス。君に迷惑をかける事はない。この件は私がきっちり引き受ける」


 暗鬱そうに灰狼の報復を想像してしまっている料理人の男へ、アベルが胸に手を当て請け負う。


「いや、すまない。決して貴方を責めたわけじゃないんだ。クソ、これも警吏があいつらをのさばらせておくからだ。どれだけ街の皆が被害をこうむってると思っているんだ」


 積りに積もった市井の民の警吏に対する怒りが吐き出された。


「店長、注文が入りました」


 客席へ注文を受けに行っていた女給が厨房の前からブリスへと告げた。幾度となく中断された客たちの食事が再開されたようだ。


「あぁ、分かった。アベル、本当に感謝している。ではこれで」


 ブリスは料理帽を取り謝意を表すと客からの注文に応えるべく厨房へと戻っていった。白い調理服の背中を見送った後、客席にいる武蔵を見れば卓の上にあった料理と麺麭は食べ尽くしたようで、手持ち無沙汰に葡萄酒を飲んでいた。

 尖った大きな耳を萎れさせ佇んでいた森人はアベルに背中を押され卓へ近付き、ばつが悪そうに武蔵へと話しかける。


「武蔵、その、先程は言い過ぎました。貴方はアベルを信用していたからこそ手を貸さず食事を続けていたのですね。私が浅はかだったようです、ここに謝罪します」


「気にしておらぬ」


 中年の洒落た男は、酒杯に口をつけながら無愛想に言う武蔵と安堵の表情を浮かべたリグテュスを交互に見やり


「さぁ、和解も済んだことだし我々も食事を再開しよう。更なる厄介事の前に」


 武蔵はアベルの言葉に引っ掛かるものを感じたが口に出して問うことはなかった。席に腰を下ろし葡萄酒煮を口に含んだアベルが無念そうに首を振る。


「すっかり冷めて味が落ちてしまっている、残念だ」


 嘆いているアベルに武蔵が


「安心せよ、そう思い赤葡萄酒煮なるものを頼んでおいた」


「もしかして先程の注文は貴方が?」


 冷たくなった野菜汁を匙で掬っていたリグテュスが、あの量でまだ足りないのかと呆れ顔で問うた。


「マナ使いでも十分な量を頼んだつもりだったが足りなかったかね?」


「足らぬ」


 武蔵の言葉に二人は顔を見合す。はっは、ふふとアベルとリグテュスの笑い声が重なった。武蔵は赤葡萄酒煮が早く来ないかと未だ満たされぬ腹を抱え酒杯を傾けていた。






「馳走になった」


「ご馳走さまです、アベル」


 武蔵とリグテュスの礼の言葉に支払いを済ませたアベルが目で頷く。


「親睦を深めたければ食事を共にすればよい。私の持論だ」


「本当ですね。たった一時間ほどでしたのに、色々あって昔からの知己の様な気さえします」 


 色々と口に出したころで森人の翠の瞳が隣に佇む異国の男を見る。武蔵は何の表情も浮かべることなく何も答えない。若干の皮肉を込めた森人の視線も異邦の剣士には全く届いていなかった。ありがとうございましたと三人を見送るツィンベル。


「では、行こうか」


「あの、アベルさん」


 店を出ようとしていたアベルに声がかかる。


「ん?どうしたねアイリーン」


 呼びかける声にアベルが振り向けばアイリーンという名の女給がツィンベルの隣で憂鬱そうな表情を浮かべていた。先に行っていますとリグテュスが言い武蔵を伴って店を出てゆく。女給は喉まで出掛かっていた言葉を飲み込んでは戻しやがて意を決したように口を開く。


「本当にこの店は大丈夫なんでしょうか。店長がアベルさんに任せておけば問題ないなんて言ってましたけど」


「勿論大丈夫だよ。君やツィンベル、この店には面倒はかけない、約束しよう」


 口角を上げ自信に満ちた物言いで答える。眩しいほどの笑みであった。その顔を見て安心するアイリーン。


「すみません、でもあたし心配で」


「あぁ、そうだろうとも」


 中年の紳士は再び翳りを帯びた女給の視線を受け止め頷く。


「灰狼がここに来たのは初めての事かね?」


「え?あぁ、はいそうです。でもこの近くにも出没はしてたそうです。街の皆もあの人たちには本当に迷惑してるんです」


 アイリーンはねぇと同僚に同意を求め、頷くツィンベル。


「だろうね。街の様子はどうだね?」   


「灰狼が暴れてるせいで都市の経済活動が停滞しているなんて言ってました。うちの店は客層が比較的裕福な方々ですので今は未だ大きな落ち込みはありませんが、他の店、特に冒険者を相手にしている所は目に見えて客足が落ちてきていると聞いています。どうやら冒険者がここを見限って他の都市へ出ていってるみたいです。迷宮がある都市はバイロンだけじゃありませんから」


 茶色の髪と瞳を持つアイリーンが商人の人脈から仕入れた情報を披露する。そこへ厨房から女給を呼ぶブリスの大きな声。アイリーンが苦笑して自分に任せろとツィンベルに手を上げ、アベルに深深と一礼してから去っていった。中年の紳士はありがとうと言って見送る。


「経済が停滞、か。その辺はどうだね?」


 残ったツィンベルに話を振るアベル。


「確かに物価が徐々に上がってますね。これも全部灰狼と警吏のせいだわ」


「と言うと?」


「灰狼に影響されたのか警吏の中にも小銭を稼ごうと商人達に賄賂を要求してる奴がいるらしくて。今までは割とその辺しっかりしてたみたいだけど、それが小売価格に乗せられるんです。商人も強かですからね、結局割りを食うのは私たち庶民」


「それは問題だな」


「灰狼じゃない冒険者の中にもこの町では少しぐらい犯罪をおかしても捕まらないって悪さする人もちらほら出てきたようです。警吏は何を考えてるのかしら、まるで自ら治安の悪化を招いてるよう」


「ほぅ」


 顎に手を当て思索に耽る。


「自ら治安を悪化させている、か。これは言い得て妙だな。何か裏がありそうだ」


 灰色の瞳が壁の向こう側、ここではない遠くを見つめていた。


 お役に立ちましたか、と問うたツィンベルに感謝の言葉を告げると店をあとにした。








 中央区画にバイロンを運営する商工組合の執行府が置かれている。周りの建物より一際大きい白亜の建築物は、だが華美にならず商人らしい質実な物であった。建物の入り口では引っ切り無しに人が出入りしており、商人、文官、貴族の従者、市井の民、そして冒険者、様々な生業の人々が行き交う。そんな中一人の男が鬼のような形相で大きな音を立てて扉を開き出てきた。怒りが収まらないのか顔を赤く染め上げ歩きながら悪態をついている。すれ違う人々は目を丸くして時折空に向かって吼えているその男を興味深げに見物していた。



「クソ商人め」


 建物を震わせるような太い声の怒声が響き渡る。中背で壮年の男が更に罵声を吐きながら部屋へと入ってきた。引き締まった身体を持ち、所作に無駄が無い歴戦の戦士のような男であった。


「どうしました?組合長」


 男の剣幕に然して動じる風も無く、椅子に座り机の上で書類を整えていた痩身の若い男が尋ねる。


「どうしたもこうしたもない、商工組合の連中、自分らには権限が無いからどうにもならないそうだ」


 組合長と呼ばれた男が大声でがなりたてる。


「あぁ、例の件ですか。冒険者からの苦情が絶えませんもんね。警吏に掛け合っても門前払いで警吏長に会うことさえ出来なかったからなぁ。確かに言われて見れば警吏は領主直属でしたね、てっきり治安関係も商工組合が請け負ってるとばかり思っていました」


 痩身の男は整えた書類を机の脇に置きながら言った。


「そうか警察権はあくまで警吏なんだな」


 呟くように独白する。


「それにしても警吏も何を考えているんですかね。金を掴まされてるのは確実でしょうが、灰狼の狼藉が過ぎ、最近冒険者の数が明らかに減少しています。迷宮探索も滞り気味で領主の懐へ入る税も減るだろうに」


 腕を組み椅子を後方へと傾けながら天井を見上げる。


「もしかすると領主と反目しているのか」


 漸く怒りが収まった組合長は、重厚な声で部下である若い男の疑問に何気なく返す。


「なるほど、確かに。警吏官長は領主の遠縁でしたか?」


「そう聞いている。あまり良い噂のある男じゃないからな、これは何かあるぞ」


 組合長は先程まで会っていた商工組合の幹部との話し合いを思い出す。


「そしておそらく商人連中は何か情報を掴んでいる、だから傍観する事に決めたように見える」


「傍観?しかし幾ら警察権が無いからって灰狼の暴挙を見て見ぬ振りをして街がこのまま衰退すれば商工組合の連中も困るのではっ」


 傾けていた椅子が倒れそうになり慌てて平衡を取ろうと手をばたつかせる。


「だから何か裏があるのだろう、街からの利益を失っても手を出さない理由、或いは手を出せない理由、か」


「彼らの情報網は各国に跨り、国の諜報機関以上とも言われていますからね、どうにかして聞き出せないかな」


 何とか椅子を倒さずにすんだ若い男は天井を見上げながら言う。何かを考え込む時上を向く癖があるようであった。


「誰かいないか、機密に関われて口が軽い男」


「そうですねぇ」


 そう言うと二人の男は同時に何かを思いついたように顔を見合わせた。


「いる」


「いますね」


 組合長と部下の男の声が重なる。二人の脳裏には一人の男の姿が浮かんでいた。


「あの豚は最近オーベール娼館に通ってるんだったか」


「パメラという女に入れ込んでるそうです」


 上司の問いに間を置かず嫌らしい笑みを添えて答える。利害関係にある人間の情報は絶えず把握するよう努めていた。


「その女はどうだ、使えそうか?」


「分かりません、ちょっと接触してみます」


「頼む。もしかするとこのバイロンを揺れ動かす事態にあるかも知れん」


 組合長は腕を組み何かを考え込むように虚空を睨んでいた。





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