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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
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参拾陸 闖入者

「そろそろ本題に入ろうかムサシ、護衛と言ったが具体的に私は何をすればいいのかな」


 顎に手を当て人差し指で髭を触りながら灰色の瞳が武蔵を見据える。

 アベルの視線を受け武蔵は持っていた酒杯を卓の上に置いた。


「お主にはある親子を護衛してもらいたいのだ」


「詳しく聞こう」


 陶器製の壺から空になった酒杯に葡萄酒を注ぎ話の続きを催促する。客たちの会話が途切れる事無く周囲に溢れる中、武蔵はリグテュスへした話をもう一度繰り返す。


「なるほど。まぁ話を聞くにムサシが屠ったのは十中八九灰狼に違いあるまい。君の仕業だと伝わるとすると灰狼は間違いなくその娘を狙ってくるだろうな。無論、君に対する人質として」


 葡萄酒を飲みながら黙って話を聞いていたアベルが酒杯で武蔵を指す。


「狙ってきますか?偶々通りがかって助けただけで関係が無いのに?」


 そのような希薄とも思える関係性が理由で再び襲われるのか、リグテュスには今ひとつ理解できない。


「いや、既に関係は構築された。助けたものと助けられたもの。その程度でも情が湧く、それが人間というものなのだよ、リグテュス。事実その少女のためにムサシはこうやって骨を折っている」


「確かに、そうですね」


穏やかな顔で武蔵を見つめる森人の瞳に理解の光が燈る。


「因果なものだ。少女はムサシによって助けられたが、今度はその助けられた相手のせいで襲われるのかも知れぬのだから」


「では今すぐにでも護衛を始めた方がよいのでは?」


 アベルの言葉に少女が襲われるのを想像したか、武蔵から視線を移し怜悧な声で問う。


「うぅむ、昨日の今日で流石に白昼堂々と襲うような事はすまい、それに今頃はまだ誰が仲間を殺したのか調べている段階だろう。が、なるべく早く切り上げて行くとしようか」


「失礼します」


 ツィンベルともう一人の女給が数人分は入るであろう一際大きい皿に、ぐつぐつと煮えたぎる料理を運んできた。大食漢であるマナ使い専用なのだろう。赤黒い粘性のあるそれは昨夜食べたラグーに似ていた。森人には湯気を上げる薄くすんだ汁に野菜が浸っている皿が運ばれる。時を置かず香ばしい臭いを漂わせ大量の焼きたての麺麭が食卓を埋め尽くす。麺麭に塗るための牛酪と蜂蜜もついていた。


「ありがとう」


 アベルが片目を瞑って礼を言うと女給は目礼し引き上げて行く。


「さぁ、食べるとしよう」


 祈りを捧げる事無く食べ始めるアベルを不思議に思い武蔵が問う。


「祈らなくとも良いのか」


「ん?あぁ、私は聖十字教徒じゃないからな。私は戦いと勝利の女神、ヴィクロナを信奉している」


「ほぅ、この国の民はすべて同じ神を崇めておると思っておった」


「最大の信徒を誇る宗教ではある、だが半分に満たない程度だ。残りの多くは私のように多神教を崇める者だよ」


「多神教?では聖十字教は何になる?」


「唯一神教だ。読んで字のごとく唯一つの神を崇める宗教さ。君の国には無いのか」


「でうす、か?」

 

 余りに遠くなってしまった祖国の記憶から伴天連より聞いた言葉を思い出す。

 

「デウス?神の名か?いや、違うな。ジェノヴァと言う」 


 じぇのばと反芻し頷くと森人へ眼を向け再び問う。


「リグテュス殿は何かの神を崇めておるのか」


 女は皿から掬って口元まで運んでいた匙を止め顔を上げると、僅かに思案して答えた。


「我々には神と言う概念がありません。何を崇めているのかと問われれば強いて言えば自然でしょうか。自然と共に生き、自然を敬い、畏れ、自然の恩恵を受ける、それが森人の生き方です」


「我が祖国では自然に、森羅万象に神が宿る」


「え?万象には何も宿らないでしょう」


 何を言っているのか全く理解できないと珍しく顔の表情に表れていた。

 異国人と森人と言う文化的背景も種族も異なる二人のちぐはぐな会話を面白そうに聞いていたアベルが武蔵を見やる。


「ムサシ、君は何かの神を信奉しているのかね?」


「神仏は尊べど恃まず。特に何かを信じておるということはない」


「はっは尊重はするが当てにはしない、か。実に君らしい、と言ってもまだ知り合って数時間しか経っていないがな」


 闊達に笑い声をあげるアベルの横でリグテュスは未だ疑問顔で何かを考え込んでいた。耳を澄ませば「現象にも神が宿る?」と呟いていた。


「数時間」


 武蔵はぽつりと漏らすと魔術師に学んだ知識を思い出す、日ノ本では無かった言葉であった。一日を二十四で分割し一時間と言うらしい、半刻だ。それを更に六十で分割すると分、更にそれを六十で割ると秒と言うと学んだ。祖国では一刻の長さは季節によって変わったが、この世界では不変のものだと教えられていた。


「無口な男かと思っていたが意外と好奇心旺盛なのだな、盛り上がるのもいいが今は食事をしよう、冷めてしまうからね」


 アベルの言葉に頷くと腹が減っていた武蔵は赤黒いとろみのある汁を匙で掬って口に運ぶ。その味に一瞬、驚愕の光が瞳を過ぎった。


「これは何だ」


「牛肉の赤葡萄酒煮だよ。どうだ絶品だろう」


「美味い」


「またそれか」


 アベルはわざとらしく大仰に溜息をつく。特に気にすることも無く、一人薄い色の汁を食べている森人を見て武蔵の顔には疑問の表情。


「リグテュス殿は何故違う物を食べておる」


 あぁと言うとリグテュスが口を開く。

 

「私は動物の肉を食べないのです」


「そう、彼女はと言うか森人は菜食主義なんだそうだ。魚、肉、卵に乳製品も食べないと聞いている」


 リグテュスの言葉を引き継ぎアベルが補完する。


「いえ、それが」


 中年男の知識の披露に割り込み、顔こそ無表情であったが恥ずかしそうに言った。尖った耳が小さく動いているのを見るとこれが森人の恥じらいの仕草なのかも知れない。


「通りかかった店にあった焼き菓子が余りに美味しそうだったので、上に乗っていた凝乳をそうとは知らず食べてしまいました。菓子職人に聞いた話では生地にも牛酪と卵を使っているそうで」


「何で席が空いてねーんだよぅ!!」


 森人の告白の最中、突然野卑た低い声が店内に轟いた。何事かと一斉に客が声の先に視線を向ける。店の入り口付近で、革鎧に身を包み武器を腰に下げた見るからに粗暴な五人の男が、赤毛の女給ツィンベルに詰め寄っていた。


「せっかく灰狼の俺達が来てやったんだからもてなせよ、何こっち見てんだテメー」


「おらおら、おめーらも人立たせておいて飯食ってんじゃねーよ。おいそこのクソ文官、テメー官吏の癖に昼間っから女と逢引か、この野郎」


 矛先が客に向けられ品位の欠片もない罵声が浴びせられた。次の瞬間女の悲鳴。


「きゃぁっ!!」


 先頭の男が立ち塞がって入店を阻止していたツィンベルを加減する事無く無慈悲に突き飛ばした。マナ使いである男の尋常ならざる腕力によって弾き飛ばされた赤毛の女給が、客が囲む食卓へ突っ込もうとした時、何時席を立ったのかアベルの長い腕が受け止めていた。店内は水を打ったように静まり返る。


「やれやれ、私の愛するこの店にまで土足で踏み込んでくるとはな」


 綺麗に整えられた口髭が不愉快そうに歪む。


「あ、りがとうございます」


 暴力を振るわれた事に顔面を蒼白にしつつ謝辞を述べた。女に怪我の有無を確認し大事無くて良かったと言うと、厨房の前で心配そうに立ち尽くしている料理人と女給の元へ行くよう優しく背中を押した。飄々としていた顔に珍しく憤怒の表情を浮かべ、灰狼と名乗った連中の前へと進み出た。暴漢らは眼前に立ち、怒りを露にした長身の男を訝しげに眺める。


「なんだぁ?てめーは」


「ここでは店の迷惑になる、表に出ようか」


 陽気で洒落た普段の様子からは伺えない低い声がアベルの口から零れた。

 圧倒的多数であり、更には灰狼の名を出した自分たちに挑んでくる痩身の男に僅かの怯えもないのを感じた先頭の男は、その理由を仲間がいるからだろうと結論付ける。


「おう、一人の癖に強気じゃねーか。連れでもいんのかぁ?あぁこら!?」


 険のある目でそれ程大きくない店内を見回すと、ある一点で止まり驚きに息を呑んだ。


「あの異人、テメーの連れか?」


 憎しみが篭った視線が、一心不乱に匙を口に運ぶ武蔵の位置で留まっていた。先頭の男の言葉に周囲の四人も客席を凝視する。


「あの野郎」


 武蔵の顔を知っている男が怒気と共に吐き出した。横にいた男が尋ねる。


「何だ?あいつがかしらが捜してる男か?リュファスさんたちを殺って、ピトーらも殺したかも知れないって言う?」


 その言葉には明らかな怯えが含まれていた。男は比較的新参であったため、仲間や幹部の面々が殺されて怒りに駆られるほど深い繋がりを持ってはいない。それよりも灰狼の荒くれ者だらけの中でも一目置かれていた実力者達を倒した事実に怖れをなしていた。


「おい、まずいんじゃねーのか。あの異人は一人でリュファスさん達をやった凄腕だろ?俺たちだけじゃ勝てねーよ」


 弱気な言葉を漏らした男に返ってきたのは四人の殺意を伴った視線であった。新参の男は自分が拙い立場に置かれたことを悟る。


「テメーは頭に伝えに行け。お前みたいなクソがここにいても役に立たねーからな」


 仲間の一人がそう言って新参の男を扉へ向かって蹴り飛ばした。男は頭から往路へ飛び出し二転三転した後暫くの間悶絶、何とか起き上がると振り返りもせず全力で駆けて行った。おそらく帰っては来ないだろう。


「やれやれ、仲間割れかね」


 嘆息したアベルに先頭の男が悪相を更に歪めて、唾を撒き散らしながら怒声を上げる。


「テメーはあの異人の仲間かって聞いてんだ」


「ふ、だとしたらどうするね。ま、何にせよ此処では楽しい食事をしている客の邪魔になる。表に出たまえ」


「上等だぁ」


 怒りで充血し血走った目でアベルを見上げ、武蔵に憎憎しげな視線を置いて灰狼は扉から出て行った。その後をアベルが追ってゆく。扉が閉まると静まり返っていた店内に音が戻る。


「我々も行きましょう。アベルが後れを取るとも思えませんが大剣を置いたままです」


 言葉の通りアベルの大剣が立て掛けられたままであった。今の出来事を話のねたに会話が縦横無尽に飛び交う中、リグテュスが細剣を腰に掛け促すが武蔵は動こうとせず黙って皿から掬った匙を口に運んでいた。


「武蔵っ!!」


 白皙の額に皺を寄せ森人が初めて出した響き渡る大声。店内を再び静寂が包む。だが武蔵はそれにも動じず淡々と言葉を紡いだ。


「アベル殿には助けなど不要であろう」


 美しく大きな翠の目が胡乱気に武蔵を見つめる。


「私は貴方がよく分からない。関係の無い少女のために労力を惜しまないかと思えば、知り合った人間を助けようともしない」


 その言葉には明確な批難が込められていた。


「そうか」


 険悪な空気が流れるが我関せず、武蔵は麺麭を手に取ると千切っては口に入れてゆく。


「そうやって食べていなさい」


 蔑みの目で食事を続ける武蔵を見下ろすと森人は踵を返して急いで店を出て行く。沈黙が支配したまま無数の目が見えなくなった森人の背を追っていた。翻って事情を知る由も無い客の視線が批判の矢となって武蔵を突き刺す。気にすることなく武蔵は麺麭に蜂蜜をつけては食べ、牛酪をつけては食べ舌鼓を打っていた。






 激しい怒りを抱えたまま街路に出たリグテュスを待っていたのは、アベルの後ろ姿と地面に横たわる斬首された四つの躯であった。近くでは胴体より切り離された頭部が、虚ろな目で恨めしそうに生者を睨んでいる。首から流れ出た大量の血が大地を赤黒く染め上げ、一帯を濃い血臭が拡散することなく未だ強く漂っている。人通りの多い道ではなかったがそれでも十人以上の人間が野次馬と化し遠巻きに見物していた。近づいてくる森人にアベルが振り返る。


「あぁ、来てくれたのか。だが心配ない、この通り片が付いた」


 灰狼の構成員から奪ったのであろう持っていた剣を投げ捨てる。


「そうみたいですね。安心しました」


 顔は何時もの無表情で声にも感情が込められていなかったが胸を撫で下ろしたような感じをアベルは受けた。


「ムサシはどうしたね」


 もう一人の連れの姿が見当たらないので尋ねる。


「食事を続けています」


 一見しただけでは分からないが、それなりに付き合ってきたアベルには森人が苛立っているのが感じられた。


「何を怒っているんだね」


 言うかどうか迷ったように間を空け、やがて口を開く。溜まっていた鬱憤を吐き出すように。


「あの人は貴方を助けようともしなかった。助けなど不要と言って。今も食事をしているのでしょう」


「ほぅ、ムサシは私を信用してくれてるようだ」


「え?」


 思いがけない言葉に戸惑う森人。リグテュスには心なしかアベルが喜んでいるようにも見えた。


「私がこの程度の連中には万が一にも不覚を取らないと判断したのだろう」


 男の視線が大地に横たわる骸に落ちる。


「つまり貴方の強さを信用しているからこそ放っておいたということですか」


 リグテュスは自分の中で武蔵に対する怒りが急速に霧散していくのを感じていた。


「まぁ、断言も出来んがね。あの男も今一つ分からないからな」


 苦笑いを浮かべ森人へ灰色の瞳を向ける。僅か二日に満たぬ付き合いだが、そんな短い間にも度々感情を揺さぶられた武蔵の言動を思い出し


「確かに」


 言って笑った。様々な感情が入り混じった妙に人間臭い笑みであった。だがアベルにはその笑った顔がとても美しいと感じられた。


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