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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
34/104

参拾参 依頼

朝五つ 8時ごろ

 

 夜も深くなりいとまを告げた武蔵をブリジットが留める。


「もう遅いから泊まっていきなさいな」


「そうだよ、宿決まってんの?」


 ブリジットの言葉にブリブリが続く。


「決まっておらぬ」


「今から探すの大変でしょ」


 武蔵は昨夜の吹っかけられた件を想起する。宿を出る際の、越え太った女将の怯えた顔が妙に滑稽だったのを思い出し、自然と笑みが零れた。


「どうかした?」


「いや、であるなら頼もう」


 確かに今から宿探しは億劫であった。昨日より身奇麗になっているとはいえ宿がどう判断するかは分からない、断られ野宿と言う事もありえる。武蔵は親子の誘いを受け入れる事にした。


「了解、寝床用意するからちょっと待ってて」 


 ブリブリは笑みを浮かべると心なしか浮ついた感じで奥の部屋へと入っていった。その様子を見ていたブリジットが武蔵へと漏らす。


「もしかしたらあの子、貴方に父親を見ているのかも知れないわ」


 哀れみを込めた目が見えなくなったブリブリの背を追っている。


「そう言えばお主の夫君はどうした」


 ブリジットは一瞬武蔵と目線を合わせ直ぐに逸らした。


「あの子が七つの頃、冒険者と揉めてね」


「殺されたか」


「えぇ」


 沈痛な声で言った。ここにも冒険者によって傷つけられた者がいた、その傷は被害者だけでなく残された者の心にまで及ぶのだ。癒える事のない傷は時を経れど家族の心を刻み続ける。


「正義感の強い人で冒険者の横暴な振る舞いに我慢できなくなってそれで」


 常に笑顔を絶やさなかったブリジットの顔に悔恨の情が浮かぶ。


「でも、あの人はブリブリを残してくれた。あの子は私と旦那の宝物なのよ」


 伏せていた目を上げると笑顔を作る、しかし武蔵にはそれが反って痛々しく見えた。ブリジットの真摯な瞳が武蔵を見据える。


「だから貴方にはもう一度感謝の言葉を。ムサシ、ブリブリを助けてくれてありがとう」


 ブリジットの心よりの言葉に武蔵は黙って頷いた。そこへブリブリが戻ってくる。


「なになに?どうしたの?寝台の準備できたよ」


「何も。ちょっとムサシにあんたを嫁に貰ってくれないかって話してただけ」


「なにそれ、馬っ鹿じゃない」


 からかわれたと思って顔を赤くするブリブリ。


「あたしまだ15になったばっかだし」


 呟くように言うと武蔵を盗み見する、するとくつくつと笑う武蔵と目が合った。自然と笑みが生まれる。二人を眺めるブリジットの口からも笑いが溢れた。


「はいはいどうせあたしは子供ですよー」


 ブリブリが頬を膨らませ子供っぽい演技をする。


「そうね、まだお嫁に行くのは早いわね。もう少し甘えてくれないと母さん寂しいわ」


 ブリジットが娘をその大きな胸に抱き寄せると愛おしそうに言った。


「ちょ、ちょっと母さん。ムサシが見てるわよ」


 武蔵を見ながら恥ずかしそうにするブリブリ。


「あら気にする事はないわ。母親と娘なんだもの。ねぇムサシ」


「甘えられるうちに甘えておけ」


 武蔵にも子供扱いされ、もうと言うとブリブリは母親の腕を振りほどき、武蔵へ向かって舌を出して寝室へと入っていった。武蔵とブリジットは顔を見合わせるとこれ以上ブリブリの機嫌を損なわないよう、笑いを押し殺した。穏やかな時が流れ夜が更けてゆく。


 翌朝、日の出と共に起きて屋台の準備を始めた親子をよそに武蔵は睡眠をとっていた。就寝前にブリジットより自分たちに構わず寝ていてくれていいと言われていたからだ。若返りの肉体に一晩や二晩の徹夜など然したる負担ではないにせよ、事戦いにおいては僅かな綻びから敗北に繋がることもある。

 休養を取れる時に確りと取っておく事は戦うものにとって必須であった。無論安心しきっているわけでは決してない、寸毫の殺気にも応じるだけの意識は残して眠っている。


「じゃぁ、ムサシ、ゆっくりしてってね」


 ブリブリは武蔵に届くか届かぬかと言った小声で言うと、そっと扉を閉め屋台広場へと発って行った。意識の端で受け取りながら武蔵は眠り続ける。太陽が南中への軌道を駆け上がろうとする朝五つ頃起きた武蔵は、用意されてあった数人前はあろう朝飯を食べるとブリジットの家を出た。空は雲も少なくよく晴れていた。今日は鉄の精霊人に頼んだ刀を受けとる日であったが、流石に未だ出来ていまいと陽が暮れてから行くことにする。

 武蔵にはもう一つ大事な用事ができていた。その件をどうにかするには他者の助けが必要であった。この街で信頼に足る者など極限られている。その者を探さねばならない。

 

 武蔵は目を閉じ意識を集中すると気を探り始めた。脳裏に己を中心に水面を思い描く、市井で暮らす者の、或いは冒険者の気が反応し至る所で波紋が浮かぶが、それらは皆、捜し求める者ではなかった。その水面の淵を少しずつ広げてゆくと、そう遠くない場所に朧気ながら感じるものがあった。目を開き何かを確信したように武蔵はその方向へと歩き出す。








 太陽の光を授かった様な輝きを持つ金色こんじきの髪が、歩く拍子に合わせて揺れていた。長身に長い手足、玲瓏な顔が加われば、ただそれだけで人目を引いてしまう。

 美しい金髪の持ち主は俄に足を止める、先が尖った大きな耳が髪の中より現れ小さく左右に動いた。数瞬したのち北の方角へと視線を向ける。彼方から一人の男が此方へと歩んでくるのが見える。その男は金髪の持ち主ともこの国の者とも違う、遠い異国の顔立ちをしていた。黒い髪に黒い瞳、黒衣に身を包む黒尽くめの男だ。

 印象的なのはその双眸であった、絶えず何かに飢えている獣のような光を目の奥に湛えている。その光は何かで満たされても決して満足する事のない危うさを孕んでいた。そしてそれを隠そうともしていない。


 異国の男、武蔵は森の精霊人リグテュスの前まで来ると歩みを止める。互いに目礼を挨拶とし武蔵が口を開いた。


「昨日は世話になった。借りは返すと言った矢先に何だが、お主に頼みがある」


 武蔵は単刀直入に切り出した。


「聞きましょう」


「助けを請いたい」


「助け?」


 訝しむリグテュスにお主の他に縋る者がいなくてなと付け加えた。


「具体的に仰って下さい」


「護衛を頼みたいのだ、誰ぞ適当な者はおらぬか」


 武蔵はリグテュスの翠の目を見て言った。


「護衛の対象とそれを狙うものをお話しください」


「ある親子を護ってもらいたい、相手はおそらく灰狼であろう」


「詳しくお聞かせ願いましょう」


 興味を惹かれたように森人の視線が鋭くなる。


「夕べ娘が凶漢に襲われておったのを助けた、その下手人が灰狼と思われる。目にした者がいたので屠ったのが俺という事は既に知られておろう。賊の事だ、もしかすれば俺を呼び出すためにその娘を拐かしかねぬ。大した繋がりは無いのだがな」


「大した繋がりも無いのにその娘のために護衛を雇うのですか」


 何故そこまでと問うような森人の視線を武蔵は受け止める。


「見過ごす事も出来まい」


 武蔵の言葉にリグテュスはふっと笑うと目を細めた。


「そうですか、それにしても灰狼はこの街でやりたい放題のようですね。そういった無頼の輩を取り締まるべき警吏が賊と繋がっているとは信じられません。人属には悪い意味で毎回驚かされます」


 常に冷静に思われた森人に若干の感情の揺れが見て取れた、己に向けられた視線に気付いたリグテュスは武蔵を見やると


「申し訳ありません、貴方も人属でしたね」


「構わぬ。人の薄汚い面を見れば誰もが同じ感情を抱く」


「襲撃者が灰狼となるとそれなりの者が必要になりますね」


「うむ、灰狼と決まったわけではないがな」


 分かっていると頷きリグテュスは僅かに思考すると言った。


「丁度今から会う予定の人物がいます。その方がご期待に沿えるかもしれません」


「お願いする」


「では行きましょうか」


 武蔵はリグテュスと連れ立って歩きだす、美しい金色の髪が風に揺らめく。颯爽と歩く姿に、すれ違う者の多くが老若男女を問わず立ち止まり、森人に羨望の眼差しを向けた。武蔵の隣を行く女は慣れているようで、周囲の反応をまるで気にしない。

 男の中には麗人の隣に立つ武蔵へ、あからさまな嫉妬の光を宿した眼光を向けてくる者もあった。男たちの負の感情が籠った視線が矢となり、背に何本も突き刺さる。武蔵は苦笑を浮かべ暫く歩く、とリグテュスがある茶店の前で足を止めた。何やら香ばしい嗅いだ事のない匂いが店の外にまで漂っている。

 ここですと言うと華奢な扉を開け店に入って行く。心を弛緩せさせるような香りが一段と高まり店中を満たしていた。リグテュスはそう広くない店内を見渡すと件の人物が見つかったようで近付いてゆく。


「ご機嫌よう、アベル。待たせてしまったようですね」


 装飾が施された椅子に座る男の背中へと声をかけた。卓の上には紅茶茶碗が置かれ、その中に湯気を上げ先程からの香りを放つ黒い液体が揺蕩たゆたっていた。

 

「構わんよ、女は待たせるもの、男は待つものさ。そうだろう?異国の戦士殿」


 そう言って黒い液体をすすりながら顔を向けたのは、三十代半ばほどの彫りの深い端正な顔をした男であった。殊更気配を消していたわけではなかったが武蔵の存在に気付いていたらしい。

 黒い髪を撫で付け生やした髭をよく整えてある。立ち上がると武蔵を上回る上背で体の線が出るような衣類を纏っていた、細身に見える身体にはしなやかそうな筋肉がついている。強い魔力が体中に漲っており、卓に立てかけてある幅広の剣の使い込まれ様は歴戦を思わせた。


「お初にお目にかかる、異国からの客人よ。私はアベル、以後お見知りおきを」


 相好を崩し手を差し出す。男の表情からは好意にも近い感情が読み取れた。

 武蔵はその手を握り返す事無く


「初めてではなかろう。お主の顔は野次馬の中に見た」


 その言葉に軽い驚きがアベルの瞳に浮かんだ。確かにリグテュスと共に武蔵と灰狼が闘っていた場面に出くわし観戦していたからだ。しかもアベルは決着がついた直後にあの場を離れていた。それはつまり激闘の最中、野次馬にまで気を配る余裕があったと言うことだ。アベルは目の前の異国の男の認識を修正する。


「気配を消して見ていたつもりだったのだがな」


 苦笑いしているアベルを武蔵は一瞥すると


「この者なら心配なかろう」

 

 リグテュスへと言った。


「彼は位階で言えば上級使になるそうです。実際に間近で見ましたが相当の使い手である事は間違いありません」


「何の話かね?」


 アベルが森人へと問う。


「あぁ失礼しました、この方が貴方を護衛に雇いたいそうです」


 リグテュスが優雅な仕草で武蔵を示す。武蔵がアベルへと向き合い言った。


「我が名は武蔵、依頼をお受け願いたい」


「他ならぬリグテュスの紹介だ、無下には出来んな。だが私は高いぞ」


 柔和な表情を湛えながらアベルが茶目っ気たっぷりに言う。


「幾らであろう」


「五日で金貨一枚というところか」


 武蔵は未だこの国の物価に明るくない、だが上級使を雇う値としては破格という事は分かった。リグテュスへの好意が効いているのだろうがそれだけではない気がした。


「承った、依頼の内容は聞かぬのか」


「ふん、そんなものどうせ碌なものではあるまい」


 アベルは口の端を歪める。


「違いない」


 言うと武蔵とアベルは互いに笑いあった。リグテュスはそんな二人を不思議そうに見ていた。

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