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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
33/104

参拾弐 疑惑

 

 少女が自分と向き合い心の置き所を見つけた頃、数人の男が遠巻きに武蔵と娘を眺めていた。男たちが手に持つ松明が暗闇に燃え、煌煌と辺りを照らし出す。炎の動きと共に影も躍る。

 

 いくら物騒で警吏が宛になら無くとも一帯に響いた悲鳴を見過ごすことはできず、声を掛け合って集まったらしい。各々の手には棍棒や鉄棒が握られていた。弱い魔力マナしか発していないのでマナ使いではなく一般人なのだろう。悲鳴をあげさせたものが魔力マナを持っていたらと考えれば勇気あるものたちであった。いや、蛮勇と言うべきか。男衆は恐る恐る武蔵と少女に近づいて行くと口を開く。


「おい、貴様。その娘をどうするつもりだ?今、仲間が警吏を呼びにいっている、もう逃げられんぞ」


 先頭に立つ中年で体格の良い男が手に持った松明で武蔵と少女を闇から引きずり出した、自分達とは明らかに異なる風貌の男が浮かび上がる。男に身を寄せるようにしていた娘の顔はまだ幼さを残していた。顔立ちで異人と分かると血相を変える。


「貴様、蛮族の分際で年端もゆかぬ娘を嬲り者にしやがったのか、許さんぞ!!」


 男が怒りに任せて吼えた。憤激が後ろに控えていた者達へと伝染し一斉に気色ばむ。皆、両手で得物を握ると覚悟を決めた顔で距離を詰める。


「ほぅ、事が終わったあとにしか来れぬ臆病者が何をどうすると言うのだ」


 誤解を解こうともせず挑発する武蔵の低い声が男達に届く。


「な、何だと!?俺たちを臆病者と抜かしやがったな!!」


 事実を突かれ激昂する。男たちがこの場に現れたのは少女が悲鳴をあげて十分時間が経った後であり、事の終焉を待っていたのは明らかであった。しかしそれは魔力を持たない者にとって致し方ないことだ。相手がマナ使いであった場合、戦いになれば魔力マナを持たない者に待っているのは黄泉への旅路だけだからである。目前の異人がマナ使いであるやもしれぬという考えは怒りで何処かへ吹き飛んでいた。武蔵が尋常ではないマナを持っていることを鑑みれば、やはりこの男たちには蛮勇と言う言葉が相応しい。皆が頭に血を昇らせるなか先頭の男は初めて気がついた。晦冥の中、松明によって炙り出された異国の男が身に纏う血の臭気に。そして其処彼処そこかしこに散らばる物言わぬ躯に。


「ひっ」


 中年の男が思わず声を漏らす、その音に導かれるように他の男達も地面に横たわる異物に気が付く。松明を翳せば暗闇に伏せられていた惨状が浮かび上がる。


「何だ、これは!?」  


 男達の驚きの声が上がる。 

 その光景を見た途端、異臭が鼻についた。生臭い嫌な匂いが鼻腔を刺激する。今までも臭気は漂っていた筈なのに骸を見た瞬間から、より明確にはっきりと嗅覚が働きだした。

 松明が燃える音に混じり液体が地面と衝突する音が夜の空間に響く。激しく損傷した人の残骸とそれから漏れる匂いで二人の男が吐瀉物を地へと注いでいた。


 中年の男が酸鼻を極める地面から目を移し改めて娘を見てみれば、異人の物と同じ奇妙な服を着ていた。それらを結びつけ浮かんだ考えに疑問を持ちながらも問いかける。


「......おい、もしかしてあんた、その娘を助けてやったのか」


「ふん」


 武蔵は答えず少女を両腕で抱えると得物を構えた男達の前を通り過ぎようとする。


「待て、貴様」


 自警団の中から怒声が上がるが、か細い声がそれを遮る。


「大丈夫です、この人が私を助けてくれました」


 今まで一言も口を開かなかった少女が男達をとどめた。


「心配してくれてありがとう」


 赤く張らした娘の目が弱々しく閉じられ目礼の形を取る。武蔵は少女を抱えたまま呆然とする自警団の面々の前を横切って行く。男たちはただ異人と少女を見送ることしかできなかった。











「娘、お主の家は何処にある」


 暫く無言で歩を進めた後に武蔵が問う。


「ここを真っ直ぐ行って」


 顔を武蔵の首に寄せて囁くように言った。


「ありがとう、異人さん、助けてくれて。でもあたし汚れちゃったね」


 少女の声は大地に落ち何処までも深く沈んでいった。


「くっく」


 武蔵は低く笑う。


「安心せよ、お主の貞操は無事よ」


 娘は最初何を言われたのか理解出来ずにいた、かなりの間を置いて


「えっ!?本当?」


 力強い声で問い返す。


「信じられぬなら己で確かめて見ればよい」


 娘は喉を鳴らしおそるおそる手を股の間へと動かす。何もないのを確認すると


「なぁ~んだ、落ち込んで損しちゃった。そっかそっか」


 現金なものであった。


「降ろして、自分で歩けるわ。いやぁそれにしても恐ろしい経験しちゃったな」


 少女の声には張りが籠り目には強い意志の光。先程までの状態が嘘のようであった。地面に降り立つと武蔵の前を歩き始める。


「こっちよ、異人さん」


 そう言って細い路地へと入って行く。幾つか角を曲がると、やがて慎ましい小さな家の前に立ち振り返った。


「ここがあたしの家、寄ってって」


 武蔵が断る間もなく扉を開けて中へと誘う。


「さぁ入って、お母さん、お客さんをお連れしたよ」


 少女の声に母親が前掛けで手を拭きながら姿を現す。


「あれあれ、誰かと思ったら朝のお客さんじゃない。一体どうしたの?」


 軽い驚きの表情を浮かべる中年の女に武蔵は何も言わず娘に任せる。


「それが、あたし襲われちゃって。そこをこの人が助けてくれたの」


「え!?」


 娘の言葉に絶句する母親。よく見てみれば着ている服が夕方に別れた時とは違う異国の衣であった。乞食が羽織っているような襤褸は確かに朝、目の前の異人が纏っていたものであった。


「怪我は、怪我はないのかい!?」


 自分を案じる心底不安そうな母親の顔を見ている内に少女の顔が崩れ、目から涙が溢れ始めた。


「大丈夫、でも、怖かった、怖かったよぉ」


 身体に傷はつかず貞操は無事であった、だが気丈な振りをしていても未だ十代半ばの子供なのだ。一度は抑え込んだ感情が母親の前で曝け出された。母親は優しく娘の頭を抱き寄せる。


「ごめんね、ごめんねブリブリ。私が早く帰ったばっかりに。許しておくれ」


 暫く母親の胸に縋って大いに泣くとブリブリは勢いよく顔をあげ


「もう大丈夫!!」


 母親と武蔵へ明るい笑顔を向けた。母親はじっと娘の顔を眺め、武蔵へ向き直ると


「本当にありがとう、異国の人。貴方がいなければ娘は、ブリブリは今頃こうして笑っていられなかったでしょう」


 涙ぐんだ目で言った。


「気にする事はない、たまさか通りかかったまでだ。ではこれで失礼する」


 武蔵はそう言うと踵を返し扉へと向かう。ブリブリと母親が顔を見合わせる。


「ちょっと待って。夕食がまだでしょう?何も出来ないけど御礼に食べていって頂戴」


 武蔵は立ち止まると振り返った。激しく腹が減っていたからだ、全くこの身体は我が事ながら一体どうなっているのだろう。一日中腹を空かせている気がする。


「良いのか?俺の腹は一寸やそっとでは膨れぬが」


「へぇ、そりゃ作り甲斐があるってなもんね」


 母親が人の良い顔で笑う。


「ブリブリ、手伝える?」


 娘を気遣う母親。


「勿論よ、母さん」


 微笑んで肯定する娘。


「じゃぁ、ご馳走を作るとしましょうか」


「うん、異人さん、ちょっとここで座って待ってて」


 ブリブリは椅子を持ってくると座るよう促す。そのまま奥へ行き僅かの後に着替えて戻ってきた。母親を手伝うためくりやへ向かう。


「何作るの?」


「そうだねぇ、量があるものが」


 母親と娘の他愛無い会話が聞こえてくる。暫くすると空腹を刺激する匂いが部屋を満たし始めた。


「出来たわよ、異人さん、椅子持ってこっち来て」


 ブリブリに朝方の明るい声が戻っていた。食卓につくと勢いよく湯気が上がる乳白色の汁と大きな焼き立ての麺麭が置かれていた。


「一杯あるから沢山食べてね」


「これは何だ」


 武蔵が少女へと尋ねる。


「羊のラグーよ。異人さんの国にはない?」


「ない」


「じゃぁ食べようか」


 ブリブリと母親は両手を合わせ胸の前に出し祈りだす。武蔵が黙って見ていると気づいた少女が顔を上げる。


「あぁ、これ?食事の前にお祈りするの。夕食を授けてくれてありがとうございますって神様に感謝してんのよ」


「食うても良いか」


 武蔵の興味は既に目の前の食べ物にしかなかった。

 

「食べて食べて」


 武蔵はブリブリが言うが早いかラグーと言う汁を匙で掬って口に運ぶ。ブリブリと母親は固唾を飲んで見守っている。


「ど、どう?美味しい?」


「お口にあえばいいんだけど、どうかしら?」


 二人が武蔵に尋ねる。


「美味い」


 言うと二人が驚くほどの速度で胃の中に納めてゆく、羊の肉が美味い、日の本では薬食い程度で滅多に口にしなかった動物の肉が今では常食となっていた。目を丸くしている親子に武蔵は言った。


「代わりを貰えぬか」


「あ、熱くないの?」


 ブリブリは素朴な疑問を口にする、出来立てのラグーはそのまま口に含めば火傷するような温度を保っていた。


「熱い、だがそれ以上に腹が減っておる」


「す、凄いわね」


 ブリブリが絶句し、母親が笑いながら大きな鍋を食卓の上へと持って来た。武蔵の皿を取るとお代わりをよそう。


「どうぞ、異国の人。あら、やだ、まだ恩人の名前も聞いてなかったわね、失礼したわ。私はブリジット、この子はブリブリ」


 ブリジットは人当たりのよい笑顔で武蔵へと告げた。ブリブリも「よろしくね」と笑う。


「俺の名は武蔵、遠い異国よりこの地に参った」


 それだけ話すと再びラグーを食べ始める。ブリブリとブリジットが一皿食べ終えるまでに武蔵は鍋を空にし焼き立ての麺麭を全て平らげていた。親子はこれほどの早さと量を食べる人間を初めて見た。


「美味い夕飯であった、礼を言う」


「いえいえ、お気に召して良かったわ」


 ブリジットは嬉しそうに微笑んだ。立ち上がると後片付けを始める、武蔵はそれを手伝おうとするブリブリに声をかけた。


「娘、ブリブリと言ったか。少し話がある。良いか」


 ブリジットがブリブリに「こっちはいいわよ」と言うと少女は武蔵へと向き直った。


「うん、何?」


「お主には少し辛い事を思い出して貰う事になるが」


 ブリブリの顔が強張る、が意を決したように


「いいわ」


 武蔵は頷くと

 

「お主を襲った者らに心当たりはあるか」


「ない、でも多分灰狼の連中だと思う」


「何故そう思う」


「最近あの辺で灰狼の団員が屯してるの、灰狼を知っている人があいつらは危険だから気を付けろって。近頃の暴行事件もあいつらが犯人じゃないかって疑ってた」


「そうか」


 ブリブリの言葉はアントンから聞いた話と一致している。

 ふと目を向ければブリブリが間近まで顔を寄せ武蔵を凝視していた。


「どうした」


 ブリブリは真剣な顔で武蔵を見つめ続ける。


「異人さん、ムサシってよく見ると中々の男前ね。髭もじゃで今迄気付かなかったわ」


 娘の言葉を耳聡く聞きつけたブリジットが


「あら、私は朝会った時に気が付いていたわよ。乞食の割りに良い男だって」


 皿を洗いながら大きな声で叫んだ。母親の言葉に娘が苦笑する。


「お母さん、乞食の割りにって、失礼よ」


「あら、やだ。あたしとしたことが。ムサシさん、ごめんなさいね」


 朝方の親子の掛け合いが戻ってきたようであった。武蔵はくっくと笑うと「構わぬ」と言った。


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