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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
迷宮都市 バイロン
32/104

参拾壱 悪鬼

「す、けて」


 蚊の泣くような声が男達の耳に届く。仲間の異変に、初めて闇に溶けるような全身を黒に染めた男が眼前にいることに気がついた。影のような男は背を向けているため表情は窺えない。


「な、何者だてめー!!」


「何時の間に現れやがった!?」


 その存在に全く気付くことができなかった事実に、吃驚の怒号が夜の静寂を切り裂く。

 

「どうした、ピトー!?」


 黒衣の男に背後をとられているのに微動だにしない大男を不審に思い声を掛ける。


 ピトーと呼ばれた大男の頭部から木が折れる時の様な軋む音が小さく響き、限界まで見開かれ充血した目は助けを懇願するが、その救命の信号は死角となって仲間には届かなかった。男たちはピトーが剣でも突きつけられて動けないのだろうと判断。 気配もなく忍び寄った男に驚きはしたが混乱することもなく、暴漢らは目線で合図を交わすと抜刀して構える。


 男達の体から溢れたマナが昼とは打って変わった夜の冷えた空気に溶けてゆく。四人の凶漢には想定外の出来事に対処できる冷静さがあった。かなりの場数を踏んでいるのだろう。突如として現れた謎の男に臆することなく仲間を救うため、未だ振り向きもせずにいるその無防備な背へと左右背後から一斉に襲いかかった。


 黒衣の男は振り返ると、暴漢らの攻撃を手に持った盾を無造作に掲げて防ぐ。盾は男の全身を覆って余りある巨大なものであった。その盾から小さな悲鳴が零れる。


「ひっ、ぃたぁぃぃぃぃ」


 ピトーの巨体に男達の武器が埋まっていた。黒衣の男はピトーの頭部を掴んだまま恐るべき膂力で持ち上げ身を防ぐ盾としたのだった。生命の危険を感じるほどの痛みで魔力マナが拡散したピトーの肉体に、魔力によって強化された仲間の攻撃が深く潜り込んでいた。大男の眼窩からは涙が流れ、口からは無音の言葉と共に黒い血が溢れる。内臓が傷ついたのだろう。頭部を支点に振り回されたため頚椎が外れ大男の首が異様に長くなっていた。


「ピ、ピトーおおおおおおお!!」


「貴様、何てことをしやがる」


「許せねぇ、許さねぇぞ」


「ぶっ殺してやるよ、お前ぇぇぇ!!」


 仲間を傷つけてしまった凶漢達から怒りの言葉が吐き出される。憎悪に顔が歪んだ屈強な男達の視線を、だがまるで気にすること無く異形の男は大男の頭部を掲げ掴んでいた右手を握り締めた。


「あひっ」


 ピトーの口から場違いな音が漏れ、そのまま大地に吸い込まれていった。

 然程力を入れたようにも見えなかった男の手により、ピトーの後頭部は熟れた西瓜のように握り潰され破砕した。砕かれた頭蓋骨から骨片と脳と共に左右の眼球が零れ落ち、薄い桃色の脳漿がぶちまかれる。

 血で濡れた黒衣の男の手から落下、首から上の大部分を失った巨体が大地と交錯すると重い音を立てる。

 暴漢達の顔に体に、血と赤みがかった液体が降りかかった。娘を一番に犯すのを許されたようにピトーは仲間の内で最も強者である、いや、あった。そのピトーが一矢も報いることなく容易く屠られたのを見て男達の心に間隙が生まれた。呆然と開かれた四対の目は眼前の男に吸い寄せられ離れられない。

 

 黒衣の男の目には鬼火が点り口には凄惨な笑みが張り付いていた。暗闇に浮かび上がったその表情は人のものではあり得なかった。それは悪鬼羅刹の嗤いであった。


「な、何なんだてめーーーーーはあああああ」


 荒事に慣れた男達の思考をも逸脱した光景に、遂に錯乱を来す。我を失いかけながらも四人の男達はピトーの体より抜いた各々の武器で、目の先にいる人の形をした何かを排除せんと動き出す。ただ先程とは異なり連携に齟齬が生じ動きが乱れていた。


 黒衣の男は一瞬早く迫った左の男の剣を握った拳ごと掴み、右から襲い来る男へと突き出す。右の男の剣を掴むと左の男の胸へと誘う。マナ使いでも異常ともいえる男の膂力と前進する力を利用され抵抗する術無く、二人の凶漢は互いの武器で互いの胸を刺し貫いていた。正面にいた男達が降り下ろした剣は勢いを殺しきれず、黒衣の男の盾となった仲間へと吸い込まれてゆく。二振りの剣は二つの頭部を正確に破壊した。心臓を貫かれても未だ息があった仲間に止めを刺す形となったことに唖然とする二人の男。


 異形の男は両の手で二人の胸から二本の剣を引き抜くと左右の手に握る。支えを失った二体の亡骸は寄せあうように大地に倒れこみ道が現れる。骸の道だ、その道を跨ぐ。二度までも仲間を手にかけてしまった暴漢らが気がつけば、黒衣の男は目の前で獣の笑みを浮かべていた。二人の凶漢は剣を振り上げる間もなく額に剣先が潜り込むのを感じた。男が繰り出した剛剣は額から入り股間まで直線で走り抜ける。

 左右二つに両断された計四つの元人間であったものは血と臓物と糞尿の臭いを撒き散らし、地面へと沈んでいく。全ての玩具が壊れ遊びの時間が終わりを告げた。男の嬉々とした表情は形を潜め、投げ捨てた剣が大地に触れて誰もいなくなった空き地に空疎な音を響かせる。


 黒が支配する空間の中でそれを拒絶するように、ぽっかりと白が浮かび上がっていた。夜気に裸体を惜しげもなく晒している少女の前まで歩いてゆく。黒衣の男は胸に結んであった着物を解くと魂が抜けたようになっている娘へと着せてやった。娘の頭を抱え状態を確認する。目は虚ろで全く反応しない。体に傷はないようだが精神に強い衝撃を受けてしまったようであった。

 

 男は両の手で娘の頭を優しく包み


「ふんっ」


 掛け声をかけ軽い気を少女へと放つ。宙に浮いていた娘の目は少しずつ光を取り戻し始めた。やがて焦点が合った瞳に男が映る。瞬間


「きゃああああああああああああああああああああ」


 絶叫が響き渡る。何区画も先に届くような叫声であった。狂ったように頭を振り男から逃れようとする。男は少女の肩を抑え静かに、だが良く通る低い声で言った。


「娘、こちらを見よ。朝にお主から麺麭を買った者だ。覚えておらぬか」


 狂乱していた少女はその言葉に動きを止め、月の光だけを頼りに男の顔を見る。数瞬後、驚きに目が大きく開かれ涙と鼻水と涎で歪んだ顔に安堵の表情。


「あっ、あっ、あたしっ」


 娘の声を受け止めると男はゆっくりと一つ頷いた。


「安心せよ、悪漢は退けた」


「あぁぁああぁぁぁ......」


 声を上げ強い力で男にしがみつく。少女の目から恐怖と錯乱の為ではなく安心し気が抜けた事による涙が溢れる。しかし心に負った傷は簡単に癒える事はない、嗚咽は止まず何時までも少女は泣き続けた。


月光が翳る。


その姿は心優しい雲によって天高い老婆の目からも覆い隠されたのであった。

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