弐拾玖 食べ処 地走り亭
食べ処"地走り亭"に入った武蔵を待っていたのは室内を満たす食欲を促す匂いと静寂、そして客達の怯えた視線。店にいた多くの冒険者は武蔵と灰狼の闘いを観るために外に出て野次馬と化していたが一般の人々は店内にとどまっていた。マナ使い同士の戦闘を見物するのは命懸けになるからだ。
人外の如き力で振るわれる剣撃や物理現象を励起する魔法など、時に思いも拠らぬほど殺傷圏が広がり、僅かに掠めた程度でさえマナを持たない無能者には致命傷となりうる。
そのため店外へ逃げるのも侭ならず嵐が過ぎ去るのを息を潜めて待っていた。武蔵が入ってきたことで戦いの終了を悟ったのだろう、皆ほっとした表情を見せる。衣類が襤褸切れの様になっていた為、僅かの間視線を集めたが、この街では珍しくないのか少しずつ会話が生まれ、それに合わせて無機質な食器の音が響き始める。
この街で暮らす無能者は常に命の危険が付き纏う。
此処では突発的に起こる冒険者同士の諍いに巻き込まれて怪我をしたり命を落とす者が後を絶たなかった。
そうなれば悲惨である、冒険者の多くはその日暮らしで現金を所持している者は極端に少ない。当然補償などあるはずもなく、街を運営するバイロン商工組合と冒険者が加入する冒険者組合から雀の涙ほどのお見舞金が支払われる事で事件は終結とみなされ、泣き寝入りも同然であった。
都市内で施行されている法はマナ使いに対して極端に優遇されており、過失とはいえ無能者の命を奪ってしまった場合でも拘束もされない事もありえた。
当然、無能者からは怨嗟の声が上がるが組合が重い腰を上げる事は無い、冒険者は金を産み街に金を落とす上客だからだ。迷宮より価値あるものを齎し、それによって得た金の殆どを街で消費する。為政者からしてみれば都合のいい最上の顧客であった。
少しでも良識ある冒険者ならば自身に金が無くとも方々を駆け回ってそれなりの金を作り、謝罪と共に何とか遺族に納得してもらうのだが、ただでさえ魔力と言う一般人とは隔絶した大きな力を持ち、特権意識が芽生えがちな上に街によって保護されている冒険者の中には、自らを選ばれし者と選民思想を肥大化させる者も少なくなく、彼らは殺傷した家族を相手に居丈高に臨んだ。
ならば謝罪も無く賠償もされずに愛する家族を傷つけられ奪われた人々はどうするのか。
高額の報酬でマナ使いを雇い復讐するのである。
目には目を、毒には毒を。
遺族に雇われ冒険者を相手に復讐する者を処刑人と呼んだ。
処刑人と対峙した場合、冒険者が辿る道は二つ。
勝って生き残るか負けて死ぬかだ。
処刑人は熟練の高位マナ使いである場合が殆どで新人や駆け出しの冒険者では相手にならない。それゆえ倫理ではなく損得勘定で遺族と金銭で和解する者もいる。
だが多くは己の力を、徒党を組んでいる事で仲間の力を、大きな団に所属している事で組織の力を過信して処刑人の力を侮り、結果闇に葬られている。その数は年間20人以上にもなり、処刑人の存在は膾炙しているにも拘らず不思議なほど増長する冒険者が減る事は無かった。
上手く復讐がなったとしても殺された者の仲間や所属する組織から報復される可能性もあり、一度始まった復讐の連鎖は終わる事のない円環となる。
武蔵は店内を見渡し空いた席に座る。店を仕切る中年の女が注文を取りに来たのでお勧めを聞き五人前頼んだ。武蔵の後を追うように野次馬となっていた冒険者たちが中断した食事を再開しようと戻ってくる。
忽ち店内は満席となり活気を取り戻した。女将や女給が忙しなく動き回る。冒険者は遠巻きに武蔵を見て仲間内で話すだけで誰も声をかけようとはしない。
目を瞑り食事が運ばれてくるのを待っていると、武蔵が座る席へと近寄る者がいた。
武蔵の後から入ってきた子供であった。
「何か用か」
目を閉じたまま子供へ問う。子供は何かを言いかけては口を閉じ、閉じては開くといった事を繰り返していたが、やがて意を決したように言葉を漏らした。
「さっき表の通りで闘ってたのってあんただろ?」
武蔵は何も答えない。
一度開いた子供の口は滑らかに滑り続ける。
「相手の魔法でうちの店が滅茶苦茶になったんだ、弁償してくれよ」
武蔵は目を開き初めて子供と目線を合わせた。栗色の髪と灰色の瞳を持った十歳ほどの童子であった。
子供のいう魔法とは恐らく魔術師の放った短槍の群れの事だろう。かわした短槍が背後で轟音をたてていたのを思い出す。
「何故俺に言う?お主が今口にした通り店を壊したのは灰狼とかいう賊であろう」
重く低い声が子供に届く。それだけで気圧された子供は僅かに間を空けて言った。
「灰狼なんかに請求したら殺されちゃうよ、あいつら警吏とつるんでるからやりたい放題なんだ」
童子の言葉に武蔵の瞳が妖しく光る。
「俺なら殺されぬとでも思ったか」
武蔵の双眸が剣呑に瞬いた。子供にまで分かる殺気がゆらゆらと漂う。異様な気配に騒々しかった食堂が波が伝わるように静まり返っていく。耳目が武蔵と子供に集まった。
獣の如き眼光に射抜かれた子供は小さな悲鳴を上げ、腰を抜かしそのまま床に落ちた。尻をついた床から尿の臭いと湯気が上がる。
「お、おい。相手は子供だぞ。脅かし過ぎではないか」
隣の席で食事をしていた十代後半と思しき冒険者の女が椅子を立ち、気圧されながらも武蔵と子供の間に割って入る。同じ卓を囲む仲間の冒険者たちは関わり合いになるのを恐れ傍観を決め込んだ。
「悪いが話は聞こえていた、確かに貴方に請求するのは筋違いだろう、この子もきっと分かっている。だが他にどうしようもなかったんだ」
女は哀れみを込めた目で床に踞っている子供を見ると、その思考を掬い上げるように言った。
「どのような理由であれ、幼い子供相手にやり過ぎだ。見ろ、震えてしまっている」
手で子供を示し武蔵を睨みつける。女の言うように童子の小さな身体は小刻みに揺れていた。
「戯れよ」
咎めるような女の視線を受けると目を閉じ言った。
ふっと音でもした様に殺気が消える。店内にさざめきが戻った。好奇心を擽られるが巻き込まれては敵わないと客たちは会計を済ませ、次々と店を出てゆく。残ったのは武蔵と子供、冒険者の女とその仲間、そして老人が一人。
「冗談で子供をこんな目に遭わせたのか」
義憤に駆られ女は怒っていた。
子供は呆然自失となり宙に定まらない視線を向けている。
武蔵は両手を掲げ一度打ち合わした。音の波が子供の身体を叩き、軽く痙攣すると目の焦点が戻る。
「えっ、俺」
我に返った子供の肩を女が優しく抱いた。子供は事態を飲み込めなかったが、肩に置かれた手の温もりが男児の心を落ち着ちつかせた。
その様子を黙って見ていた武蔵が子供へと詫びる。
「許せ童、些か悪ふざけが過ぎたようだ」
子供は武蔵の顔を見上げ、訳も分からず頷いた。
女は童子に優しく微笑み顔を引き締めると立ち上がって武蔵と対峙する。それを心配そうに見つめる仲間の冒険者。
「この子の店を壊したのは灰狼の魔術師なのだろう、しかし貴方との闘いの中で起きた事なんだ。全く関係が無い訳でもないはずだ」
女の口から出た言葉は剣となって武蔵に斬りかかる。
「ほう」
武蔵の目が面白そうに輝いた。
「お主の言うとおり関わりが無くもない。だが俺は降りかかる火の粉を払うただけよ。その俺に責があると?」
「全額とは言わない、多少の金は払ってやってもいいのではないか。それでこの子供も納得するだろう」
女は足下で自分を見上げている童子に視線を移して言った。
「俺が払うかは別として当然灰狼へもゆくのであろうな」
「え?」
女は虚を突かれた顔をする。
「因果も無く巻き込まれた俺に金を無心して、当事者たる灰狼へゆかぬのでは道理が通るまい」
強い眼光が冒険者を貫く。
女は耐え切れず視線を逸らし、か細い声で否定する。
「それは......私には無理だ。行けば屍が一体、街の何処かに転がるだけだ」
武蔵は距離を置いて傍観する女の連れを一瞥。
「一人で心許ないのであれば、見れば徒党を組んでおるようだ。その者らと共に灰狼へ交渉に行けばよい」
「これは私の一存だ、仲間を巻き込むわけには」
「俺には金を払え、当の賊徒には怖ろしくて言えぬでは話にならぬ」
黙りこむ女。悔しそうに俯き、手は握り拳を作って震えている。
「見も知らぬ子供のために世話を焼くのだ、いっそお主が払うてやれば解決するのではないか」
「駆け出しの私にそのような金は無い」
搾り出すように言う。
「ならば口を噤む事だ、未熟なお主が手出しする事ではない。去れ」
女は苦悶に満ちた表情を一瞬浮かべ武蔵を見ると、込み上げて来る感情をどうにか抑えながら子供を立たせ店を出て行った。慌てて女の仲間が勘定を済ませ追いかけてゆく。店内は武蔵と老人だけとなった。老者は店内を吹き抜けた騒動など何処吹く風か、茶碗を口元へ運びゆっくりと味わっていた。武蔵も老人も互いに無関心。そこへ注文した料理が香ばしい匂いと共にやってくる。広い食卓が皿で埋まっていく。足下では女将と女給が子供が濡らした床の掃除を始めた。
肉叉と小刀が皿に当たる感情の無い無機質な音が、広くなった店内に寂しく響く。面倒になり肉叉と小刀を置くと、蒸気を立て油で照りかえる鶏肉を手で掴み食らいついた。肉汁が溢れ、指を伝い食卓に毀れ落ち黒い染みを作る。
犬歯が肉に食い込み引きちぎる、咀嚼し味を堪能して飲み込む。皿は見る見るうちに空になっていった。
「女将、これと同じ物を五つくれい」
静まり返った空間に武蔵の声が隅まで届く。
卓の前までくると女将は数瞬の間無言で武蔵を見つめ、長い息を吐いてから口を開いた。
「気を悪くしないで聞いておくれ、お客さん。あの子の父親も今回と同じ様に冒険者の争いに巻き込まれて亡くなってね、それから母親と幼い妹と三人で何とか小さな店を守ってきたんだ。爪に火を点すような暮らしってやつさ。それがさっき大きな音がしたから覗いてみたら壁が崩れていて店が半壊してたんだ。あの子と妹は無事だったみたいだけど母親の方がちょっと怪我したらしくてね」
女将は気分を害してないかと武蔵の顔色を伺う。
「続けよ」
「蓄えも無いらしくてこのまま店を閉める事になりそうって話さ。そうなりゃおまんまの食い上げだ、怪我で働けない母親に幼い子供二人。身売りでもする他ないだろうよ。だからあの子、アナクレトってんだけど、あんたにあんな事言ったと思うのよ」
子供の声は女将にまで届いていたようだ。
「で、俺にどうしろと」
黙って女の話に耳を傾けていた武蔵は言った。
「いや、聞いといて欲しかっただけさ。鳥の香草焼き五人前だね、ちょっと待ってておくれ」
女将が恰幅のいい身体を揺らして厨房へと戻ってゆく。
武蔵の腹は満たされず卓上に置かれた籠から麺麭を取ると齧りつき水で流し込む。店内はとても静かであった。聞こえてくるのは厨房から届く料理を作る音のみ。沈黙を破ったのは我関せずを通していた老人であった。
「貴方様は暴風の如きお方ですな」
武蔵は何も答えず突然口を開いた翁を見た。繁盛する大きな店を恙なく息子に継がせ、悠々自適の隠居の身で趣味と孫の相手をして日々を暮らす好々爺然とした風貌。品のある穏やかな眼差しを武蔵に向けていた。武蔵の炯炯として射るような目にも全く臆さず老人の言葉は続く。
「きっとこの街に溜まった臭気も吹き飛ばされるのでしょう。しかし強すぎる風は弱い者も同じように吹き払ってしまいます。その事をお忘れなきよう」
老人は淡く微笑むと
「僭越でしたかな」
「いや、ご老体の言葉、胸の内に留めておこう」
「それは重畳。では私はこれで」
老人は柔和な顔に笑みを浮かべたまま目礼すると、席を立ち矍鑠とした足取りで勘定を済ませ店を出て行った。
四半刻足らずで五人前の食事を平らげ店を後にする、幾らも歩かぬうちに見た顔が武蔵を待っていた。女冒険者の仲間であった。
「先程はエメルが生意気な事を言ってすいません」
少年の面影を顔に残した男が武蔵に詫びる。
エメルとは子供を庇い意見してきた女の名前であろう。
「お気に触ったのなら俺が謝るのでエメルに危害を加えるような真似はしないようお願いします」
何やら武蔵は野蛮な人種に見られているようであった。
答えることなく歩き出す。男は若干の怯えを顔に浮かべながら武蔵の動きに集中していた。すれ違い様に足を止める。男の顔に緊張。
「あの娘に言うておけ。己の面倒も見られぬうちに他人の厄介ごとに首を突っ込めば命を落とすことにもなりかねんとな」
そう言うと武蔵はその場を後にした。後ろ姿が見えなくなってから冒険者の男は長い安堵の息を吐く。
「怖い、異人は何考えてるか顔からはまるで読み取れない。でもまぁ襲われる事もなさそうだし良かったかな」
誰に言うことなく独白する。
「それにしてもエメルの奴、灰狼を引かせた強者相手に向かって行くなんて無謀すぎる。今のうちに何とかしないと、あいつの正義感は何れ身を滅ぼすな、ありゃ」
男は首の後ろに両手を組んで歩き出す。口からは高い口笛が奏でられていた。




