弐拾伍 獲物
蓬頭垢衣 乱れた髪とあか染みた衣服の意から。
玲瓏の娘に教えられた紋章を頼りに幾つかの宿屋を廻ったが、武蔵の風貌を見るなり全て空き部屋が無いと言う理由で断られていた。
一晩を過ごす仮宿を求める中、路上に出ている数多の屋台から漂う空腹を刺激する匂いに、此処で腹を満たそうと決める。幾つも立ち並ぶ屋台の中でとりわけ香ばしい匂いを放つ一つで足を止め、羊と言う生き物の肉を串に刺して焼き、塩と香辛料をかけた物を二十本とその羊の肉を挟んだ麺麭を十個注文した。
乞食同然の身なりをした武蔵に食い逃げの気配を感じ取ったのか、前払いだと言う屋台の主人に銭を出すと渋々と言った体で受け取る。
屋台の主は串を焼いている間、様々な冒険者が集うこの街でも一際異彩を放つ異国の男を胡散臭げにちらちらと盗み見ていた。そんな視線を知ってか知らずか武蔵は舌鼓を打っている。頑丈な歯と強靭な顎で肉食動物の様に音を立て油が滴る肉に喰らいつき、ちぎっては咀嚼し飲み込んでゆく。山の様にあった麺麭と肉を僅かのうちに平らげた。腹を満たし再び宿探しが始まる。
漸く今宵を過ごす宿が決まったのは月が天高く昇った頃であった。
其処は南の区画にある下層亭と言う名前の通り、貧しい者が集う宿屋で、帳場から中を覗けば相部屋で雑魚寝と言う有様だった。
主人はぶくぶくと肥え太った醜い中年の女で、武蔵を上から下へと嬲るように凝視すると陰険な目には侮蔑が燈る。
「銀貨一枚だよ」
吐き捨てるように言った。
木賃宿で銀貨とは吹っかけられた物だったが、今更夜の街を彷徨う気にもならず値切る事無く銀貨を払うと、瞬間女の目が光った様に見えた。女主人が面倒そうに顎で示した部屋へと入る。
人の脂と汗が混じった饐えた匂いが充満していた。
十畳ほどの広さに十人が押し込められている、その顔ぶれと言えばとてもまともな家業を持つ人間とは思えぬ者ばかり。
十人が十人、魔力を放っているマナ使いであった。入ってきた武蔵に向けた暗く澱んだ目に剣呑な光が宿る。
冒険者が持つ根拠の無い自信と楽観さとは相容れぬものであり、希望を擦り減らし諦観という名の暗闇に身を沈めたもの特有の眼差し。
舐めるような視線を気にする事無く、武蔵は部屋の隅に空きを認めると、壁に背を預け刀を立て抱え込むような体勢で目を瞑った。値踏みするような視線は暫くの間途切れる事は無かった。
深更。
「それ以上近付けば斬る」
鼾や歯軋りが壁に当たり反響している闇の中、重厚だがよく通る警告の声が部屋の隅にまで届く。此の場にいる全ての者は堕ちた狩人であった。虎視眈々と獲物を狙い、夜更けを待って行動を起したのだ。
切諌の言葉に部屋の殺気が最高潮に達する。今まさに襲い掛からんとしたその刹那、それは起きた。
突如、爆発的に膨れ上がった気が破落戸共をその場に張り付ける。気は現実的な力となって壁の窓を震わせていた。畏怖と感嘆を含んだ息を呑む音が安窓の振動に搔き消される。
窓を、壁を叩いていた気は瞬きする間に霧消し、後に残ったのは静寂。動くことを許された、ならず者たちはそれ以降、身動き一つせず息を潜め夜が明けるのを待った。
武蔵が目を開けると部屋は蛻の殻となっていた。襲う相手を間違えたと悟った男達は夜明けと共に退散している。
宿を出ようと帳場を通ると武蔵を目の端で捕らえた女主人の体が跳ねる。極端に太った肉体を震わせ目を合わせない様、ずっと俯いていた。醜く太った首に何重もの弛みが出来る様は別の生き物が喉に喰らいついているようであった。
通りに出て太陽の位置を見る、刻は五つだろうか、武蔵は腹が減っていたので屋台を探す事にした。昨日散策した記憶を頼りに足を運ぶと、同じ場所に朝にも拘らず、何店か立っている。
屋台の前に立つ十代半ばの少女が武蔵に声をかけてきた。
「そこの人、どう?朝食に家の店で買ってってよ」
蓬頭垢衣の武蔵に物怖じする事無く笑顔を見せる。
「どのようなものだ」
武蔵が買う気があると見て取ったのか大仰な身振り手振りで少女は捲くし立てる。
「ブリオチェ、お菓子の様に甘い麺麭だよ。お母さんが焼いたブリオチェは最高なの、買って試してみて、味は保証するわ。麺麭よりちょっと高いけどね」
そんな娘の様子に武蔵の口元が綻ぶ。
「一つ貰おうか」
「毎度!お母さん、ブリオチェ一つね」
少女は屋台の中にいる三十代半ばの女に勢い良く声を投げかける。
「はいよ」
その声を威勢よく受け取ると、代わりとばかりにブリオチェと呼ばれる菓子麺麭を娘へと渡す。
「どうぞ」
「幾らだ」
「半銅貨よ」
ブリオチェを貰い、懐より金を出し娘に渡す。早速その場でブリオチェなる物を食べてみる、甘みがあり麺麭よりも柔らかく食べ易かった。忽ちの内に食べてしまった武蔵を眺めていた少女が嬉しそうに笑う。
「どう?美味しかったでしょ」
「美味い」
「もう一個どう?」
「二十ほど貰おう」
「え、そんなに!?お金あるの?」
物乞いのような襤褸を纏った武蔵が金を持っているなど誰も思わない、少女が口にした疑問も当然の事であった。
「これ、ブリブリ。お客さんに向かって何言ってるの」
屋台の中から母親が娘を嗜める。
そのやり取りを面白そうに眺める武蔵は銅貨十枚を少女に手渡した。
「あら、そんな格好してちゃんと持ってるのね」
「ブリブリ!!貴女は何度言ったら分かるの!!」
ブリブリは、いけないと笑って誤魔化した。
「異国の人、御免なさいね、お詫びに一個おまけしといたから」
蔦で編んだ笊から溢れそうな量のブリオチェを武蔵へ渡す。
「有難く頂こう、一つ尋ねたい」
「何でも聞いて頂戴、あ、笊は返してね」
「着物を購いたいのだが良き店を教えてくれぬか」
武蔵の問いに人の良さそうな女は、顎に指をあてて少しばかり考えると
「そうね、そんな格好してたらブリブリじゃなくても乞食に間違えちゃうわ。アントンの店は値段の割にしっかりしてるからお勧めよ、きっとお客さんにも買える金額だわ」
「お母さん、お母さんも失礼な事言ってるわよ」
「あら、いけない。あたしとした事がつい本音を」
言って大袈裟に口を手で隠す。そんな母親を見て少女は溜息を零した。
「......お母さん」
くっくと笑う武蔵を見て母親と娘も一緒になって笑う。
「ゴメンね、でも見かけで人を判断するなって何時も言ってる母さんがこれだからしょうがないわよね」
「失礼な親子で御免なさいね、これに懲りずにまた来て頂戴」
ブリオチェを食べ終え笊を返すと、雀斑をつけた愛らしい少女と優しく柔和な顔をした逞しい母親に見送られ武蔵は屋台を後にした。




