弐拾肆 街
イルティア王国第三の都市バイロン
イルティアはエウロヴァ南西部に位置し、西には大海原、大グラン洋が広がる。北西へ目を向ければヴァーヴァル海峡を挟み、幾度と無く戦火を交えた不倶戴天の敵、諸島国家アルビオンがある。
北、東、北東部をそれぞれ祖を同じくするアウグラントリア、ネウグラントリア、ヴォルゲンに囲まれた屈指の大国であったがそれも今は昔。
グラン王国再興を夢見る分国王たちは分かたれた四国を統合しようと戦端を開いたが統一は為されず、互いに消耗し、ただ各国の緩やかな衰退を招いたのみであった。
イルティアにおいて王の権威は失墜し、権力は玉座より滑り落ち宮宰の手に握られていた。その力が宮廷の隅々にまで蔓延り有力貴族を牛耳る斜陽の国家であった。
南はピレネオス山脈が走りイスベリアとの国境となっている。この山脈は過去幾度となく異教徒の侵攻を阻む天然の要塞として機能していた。故にこの国を含む分王国の弱体化は聖十字教圏に属する全ての国をも脅かす喫緊の課題であった。
バイロンはそのイルティアの南部に位置する。
地下には迷宮が広がりそれを目的に数多くの冒険者がこの都市を目指してやってくる。
迷宮には地上にはない素材が生まれ、それは発見者にそして街に大金を齎す。
一つに呪鉄鉱、地下迷宮にのみ存在する赤黒い血肉のような色をした金属、冶金により呪鉄となる。魔導率が鉄より高く、強靭に優れ硬い為、冒険者の装備に愛用されている。
一つに暗床茸、珍味であり美食家に好まれ、その価値は黄金と同量といわれる。
一つに狂人草、精製して乾燥させ服用すれば精神が高揚し、痛みを感じる事無く、常軌を逸した力を発揮する、狂戦士の如く振舞う事から名付けられた薬草。あまりに強いその効能はマナ使いでなければ即、死に繋がると言われている。冒険者には興奮剤、鎮痛剤として重宝される。
他にも高額で取引される食材、薬草、鉱石に加えて迷宮に巣食う特定の魔物の各組織が高く売れたりもする。迷宮の探索を阻害する強大な魔物には莫大な懸賞金がかけられ、それもまた功名心に逸る冒険者を駆り立てていた。
名誉と一攫千金を夢見る冒険者たちが集い、徒党を組み迷宮を踏破するべく己の命も顧みず邁進するのだ。故にバイロンは沈みゆくイルティアにおいても活気に富む屈指の栄えた街となった。
長い行列に並び長い時間を待たされた末に漸く男の番が廻ってくる。後ろを見ればまだ暫くの間、人の列は絶えそうになかった。
冒険者と呼ばれるマナ使いたちが十人十色の装いで列に並んでいる、皆陽気で騒々しい。己の野望を高らかに謳いあげる者もいて、周りの冒険者から喝采と揶揄を同時に受けていた。訛りが入ったアンブリヌ語が交わされているのを見るとイルティア人だけではないのだろう。男が並ぶ列は冒険者専用のようである。隣の列には商人が徒歩で或いは馬車で行列を作っていた。それ以外の者は余り見かけない。更に目を横にやれば意外なほど多くの冒険者が街を離れていくのが見えた。簡単な審査とは言え時間を取られ列を成す入場とは異なり、街を出て行く者は検められる事がない。その顔には待たされる間も楽観的で嬌声を上げる者達とは対称的な、苦々しさを伴った負の感情が浮かんでいた。
男は門を固める衛兵に知り合いより持たされた通行証を見せ、安くない木戸銭を払う。男の外見に髭を生やした壮年の兵が不審な目を向けるが、身元が保証されている上、銀貨を払う際に革袋が重い音を立てた事で咎めるような真似はしなかった。
「ようこそ、バイロンへ」
城壁に囲まれた街の入り口を潜ると、内側に勤める門番が歓迎の声を上げる。
暫し足を止め街を眺めた、石造りの建物が道沿いに整然と見渡す限り連なって建っていた。
通りには人が溢れ一見活気に満ちているように見える。だが男には心なしか光の中に一抹の翳りが射している様に感じられた。熟し腐る寸前の果実のような甘い腐臭。だが男の感覚とは裏腹に道行く人の表情は明るく、市井の者に混じり革鎧、軽鎧、板金鎧などを着込んでいる冒険者が我が物顔で街中を闊歩していた。
「あんたも迷宮に潜るために来たんだろう?精々気をつけな、迷宮は金を生むがそれ以上に人の命を喰らうからな」
全身甲冑を纏い、長槍を掲げた門番の一人が男が佩刀しているのを見咎め、声をかける。隣に立つ兵は男を見て露骨に顔を顰めた。
顔立ちは異人、身なりは薄汚れ、着ている衣服は襤褸布を継接ぎしている粗末なものであり、足元を見れば麦藁を編んだような物を履いている。乞食同然の容姿に、こちらまで臭ってきそうであった。その風体はどう見ても堅気の人間には見えない。
黒い髪は蓬髪、鼻から下は濃い髭で覆われており、何より目を引いたのはその双眸であった。見るだけで射竦めるような獣の光を眼の奥に湛えていた。
解れた袖から出る腕は太く、ゆったりとした異国の衣類の上からでも分かる強靭な肉体を見れば、男がただの乞食や浮浪者ではない事が分かる。物見遊山でこの街を訪れたのではない事は確かであった。
声をかけた門番に返答をする事無く男は町の喧騒の中へと消えていった。
「見たか、あの男、あれは只者じゃないな。問題を起こさなければいいが」
男の姿が見えなくなってから横の同僚に問いかける。
「確かにな、だが奴はマナ使いじゃないだろう?剣を佩いていたので迷宮に潜るのかと聞いてしまったが魔力の欠片も感じなかったぞ」
マナ使いと無能者との間には隔絶した力の開きがある、魔力を持たない人間が幾ら強かろうとマナ使いの敵ではない。
「そういえばそうだな、あの異様な風貌に騙されたか」
「それより今日は俸給の払い日だ、呑みに行かないか」
「いいな、いや駄目だ、払い日は早く帰って嫁に金を渡さないと五月蝿いんだ、これが。悪いな」
「もう所帯を持って三月か?どうだ、家庭ってのはやはりいい物なのか」
「そうだなぁ、良い事も悪い事も」
往来の雑音に言葉が飲まれてゆく。何時もと変わらぬ街中の日常が繰り返されていた。
武蔵は日の本とは違う石造りの街並みに暫しの間見入っていた、家だけではなく道までも石畳であり、街自体も場当たり的な建て増しではなく長期的視野での計画によって整然と整備されているように見える。
興味深く見ている武蔵の前を、荷物を大量に積んだ馬車が体格の良い商人に操られ通り過ぎて行く。
幾千幾万と行き交ったであろう轍の跡が石の街路にしっかりと刻み込まれていた。
通りの片隅では冒険者と思しき何人かが言い争っている、だが往路を歩く冒険者の誰もが一瞥したのみで何事も無かったかのように通り過ぎてゆく。中には立ち止まって囃し立てる者までいる。この街では当たり前の光景のようだ。
異国の情緒を楽しむべく街を歩く中で、その冒険者向けに開いている店が街のそこかしこに見受けられた。通りから中を覗けば武器、防具などの装具に魔道具、治癒呪符、薬を売る店、その全てが冒険者の命に直接関わる大事なものであった。どの店にも数人の冒険者が入っているのが見える。酒場らしき場所からは未だ昼だと言うのに中からの嬌声が通りにまで響いていた。
周囲を見渡せば家屋の壁に旗が掲げられている、旗には紋様が描かれておりこれで職種を示すのだと言う。武蔵が探していたのは宿屋であった。しかしどの形が宿屋を示すのか分からない。
「もし、そこな娘。一つ尋ねたい」
そう言って武蔵が声をかけたのは長身の薄い金色の髪を持った年若い女であった、六尺を超える武蔵と女の翠の目の位置が殆ど変わらない。
透き通るような輝きを放つ白銀の軽鎧を華奢な体に纏い、細い腰には同じ金属であろう細剣を佩いている。
「何か」
武蔵へ向き直り見せたその顔は端麗であった。大きく美しい目が胡乱げに武蔵を見つめている。
「宿屋を教えてもらえぬか」
女は武蔵の全身を一瞥。視線を戻し武蔵の目を覗き込むように見ると、何故か身構えていた気が多少緩まる。
「家屋に立っている旗があるでしょう、宿屋を示す紋様はこう描きます」
宙に指で宿屋の簡略化された紋様を表した、襤褸を纏った乞食同然の格好をした異国の男に僅かの嫌悪を示す事無く丁寧に説明する。通りを歩く人々が美しい女と異様な風体の男の組み合わせに好奇の目を向けていく。が、女も武蔵も気にしない。
「この辺りは武器屋街です、道を南東にゆけば宿屋の集まる一画に着けます。この街には五十軒以上あるので、御自分の財布と相談してお決めになるのが良いでしょう」
「かたじけない」
いえ、と言うと女は人混みの中へ姿を消した、その背を暫く眺めていた武蔵もまた歩き出す。今宵の宿を探しに。




