弐拾参 終結
ゆっくりと歩んでくるパトリスは優しげな目で武蔵を見つめ、口元には笑みを浮かべている。その姿の何処にも敵意は感じられなかった。だが武蔵は一向に闘争姿勢を解こうとはしない。この村でマナ使いに精通している者は限られている、自ずとゲバルに薬を渡す事が出来る者は特定出来た。
村人は何がどうなっているのか分からないまま声一つ上げずに見守っている。歩みの途中にあったゲバルの亡骸を一瞥し朝星棒を拾うと腰の革帯に収め武蔵の刃圏の一歩手前で足を止める。その行為に武蔵は目を細める。
武蔵と微笑みを湛えたパトリスは暫しの間無言で対峙する。武蔵から視線を逸らし周囲を見渡すと、ただ呆然と事態の推移を眺めていた村人に向かい大きな声で叫んだ。
「さぁ、皆さん、お休みの時間です。今日起きた事は忘れてお家に帰りなさい」
言って二度手を叩いた。音が響いた後、不思議な事に村人たちの目は虚ろとなりパトリスに言われたように各々家へと帰ってゆく。あっと言う間にその場に残されたのは武蔵とパトリス、そして母娘だけとなった。
徐にルイーゼとソフィユへ歩み寄ると、恐怖に身体を硬くする親子を余所に触診を始める。ルイーゼの殴られた顔、蹴られた腹を触り、一つ頷くとソフィユの顔を優しく触りまた頷いた。どうしていい分からず二人は為されるがままである。穏やかな表情で患者を診ているその姿は、とても此度の計画を企てた者と同じとは思えない。
「ルイーゼさんもソフィユさんも大事には至ってないですね。私が少しばかり目を離した隙にゲバルが暴走してしまいました。女性に暴力を振るうとは鬼畜以下です」
瞑目し俯き加減に首を振るう、その様を見ていた武蔵が問うた。
「医者の顔とゲバルを唆した顔、どちらが本当のお主なのだ」
「これはまた異な事を。どちらも私に決まっているではありませんか。人は幾つもの仮面を心のうちに隠し持ち、時々において被るのではありませんか」
「くっく、なるほど」
楽しそうに武蔵は嗤う。
「祖国の坊主どもは武装し、戦いの鍛錬をしておった。お主もその類か」
武蔵の間合いを見定め距離を置いたところに闘争の心得があると看破した。
「さぁて、どうなのでしょうか」
曖昧な答えで武蔵に己を掴ませない。離れた場にある上半身が二つに分かたれたゲバルの骸を見つめ武蔵に向き直って言う。
「ゲバルには枷を外す薬を調合したのですが、貴方にも困った物です、それを物ともしないんですから」
「枷とは何だ」
「人にはある一定以上の力を出せないように此処に枷が嵌められているんですよ」
そう言って右手の人差し指で蟀谷を叩く。
「何故なら過ぎた力は筋骨を痛めるからです、ムサシさんにも覚えがあるのではないですか」
「ゲバルはその枷とやらを外されたか」
「その通りです、彼の力はそこらの力自慢を遥かに超越してたんですよ、それを貴方と言う人はまったく」
上を向いた両の掌を広げ大きく首を振る、芝居じみた大仰な身振りであった。武蔵の目が鋭く光る。
「何が狙いだ」
「それは勿論貴方ですよ、無能力者へのマナの譲渡に繊細な操作、十人からなる山賊を無傷で討ち、マナを失ってもそれ程の強さを誇る貴方の肉体に大変興味があります」
「ほう」
「男色家という事ではないですよ、私は白魔術とは別に屍霊術も少しばかり齧ってましてね、あ、これは此処だけの秘密の話です。もし教会にばれたら私は異端審問官に粛清されてしまいますから」
「屍霊術とは何だ」
パトリスの目を真っ直ぐ捉え武蔵が問う。
「字の如く屍となった人の骸を利用する魔術の事ですよ」
「それで俺の命を狙ったか」
然して興味もなさそうに言う武蔵を、目を輝かせたパトリスが見つめる。
「分かって頂けましたか」
「分からぬな」
「貴方が欲しくなってしまったんですよ、貴方の体を使ったら途轍もない屍士が生み出せる、ふふ、考えただけで逝ってしまいそうになる」
恍惚とした表情で己の身体を両腕で抱きながら言う。
「この茶番を謀ったと言うわけか」
「えっ?ええ、でもゲバルにはもう少しばかり頑張って欲しかったですね、貴方は未だ無傷だ。でもまぁマナ殺しが効いてるから良しとします」
暫し己の妄想に浸っていたパトリスは我に返り、ゲバルの骸を軽侮の光が燈った目で見る。
「医者が戦えるか」
「先程の答えになりますが私たち教会の者は近接戦の鍛錬も積んでいるのですよ、当然前衛職の様には行きませんが、それでも一般の者とは隔絶した力の差があります。つまり今の貴方ともね」
マナ使いでもある治癒術士は傲岸不遜に言い放った。
「そうか」
「ではムサシさん、お相手を願いましょうか。あ、貴女達は下がって、怪我をしてはいけませんから」
パトリスは親子にそう告げると革帯から朝星棒を取り出し正眼に構えた。朝星棒には武蔵が刻んだ刃による傷が柄頭に残っていたが破壊するまでには至っていない。それに対し武蔵は構えらしい構えを取らず、だらりと下げた手に刀を握っている。
医療術士の身体からはマナが溢れ大気に溶ける、陽炎のようなそれは強い力を放っていた。容易な相手ではない、気を練る事が出来ない今なら尚更だ。それにしてもマナが見えると言う事は全ての気が消えたわけでもないのだろうか、武蔵はふと疑問に思った。
パトリスの軸足が勢いよく地面を蹴る。鋭い踏み込みから朝星棒を、木の棒のように軽々と振り下ろした。武蔵は刀を横にして受けるがゲバルとは比べようも無い重い打撃が刀身を撃つ。支えきれず刀を縦にし力の流れを変え朝星棒の向きを逸らせた。力任せに受けていたら折れていたかも知れない、それ程の打撃であった。後退し距離を取る。
「流石ですね、マナ使いの私の一撃をいなすとは。そうでなくては面白くない」
パトリスは余裕の笑みを浮かべる、双眸には今迄見せ無かった加虐の光が燈る。本人に言わせれば、また新たな仮面を被ったといったところか。
「今のは小手調べです、じゃぁ次行きますね」
パトリスは言うと棘のついた柄頭を目にも留まらぬ速さで突き出した。頭部へと迫ったそれを顔を背けることでかわす武蔵。棘の先端が僅かに頬を抉り肉が削げた。
突いた武器を戻さずそのまま横に振る、起こりを見極めるがそれ以上の速さが武蔵を襲う、かわし切れず髪の毛が数本宙に舞う。更に斜めに振り下ろされた朝星棒が、避けるため捻った胸元をかすめ、傷を付ける。着物が大きく破かれ出血した胸が覗く。
再び突いてくると見せかけ半歩踏み込み水平に振ってきたパトリスの攻撃を避け切れず刀で受ける、が人外の如き力によってその場に踏み止まれず大きく体が崩れる。そこへ追い討ちの一撃が加えられるが、体勢を崩しながら三度刀で防いだ。刀身が悲鳴を上げる。体が宙に浮き勢いのまま二転三転、すかさず起き上がる。追撃はない。マナ使いとしてのパトリスの単純な腕力に翻弄されていた。
治癒術士の連撃に、武蔵は忽ち満身創痍となった。一度としてまともに食らってはいないが、避けきれない攻撃によって着物は破れそこかしこから血が流れていた。息が弾む。
刀で受けようにも一撃一撃が途轍もなく重いので、その度に体が弾かれてしまう。
武蔵の見切りを越える速度で繰り出される攻撃は常人の域を超えていた、マナ殺しという薬を盛られ、気を失った事により初めてマナ使いの恐ろしさに気付く。パトリスは特別剣技に優れているわけではなかった、だが技を超える力が其処に存在する。気を使えればと思わずにはいられなかった。
これ以上攻撃を受ければ身体はともかく、刀が持たない。となると取る手段は一つ。
武蔵はパトリスの息を読み、二歩分の距離を取るべく後ずさった。刀を鞘に戻し右手を柄に当てたまま左手は鞘を握り、身体を僅かに捻る。刀身が隠れた。体中朱に染まり、大量の汗を掻き、息は乱れている。限界は近い。
勝機は一度。
「刀身を隠して間合いを分からなくするつもりでしょうが既に貴方の刃圏は見切りました。無駄、無駄ですよ」
パトリスの嘲笑に武蔵は何も言わず静かに集中している。
「いいでしょう、私の渾身の一撃、喰らいなさい」
パトリスが一歩を踏み出す。
次の瞬間右の蟀谷に強い衝撃を受けていた。思考と共に視界が揺れる。
「なっ!?」
武蔵の刀身の長さを読み、届くはずが無い距離にいたはずのパトリスの顔には、未だ余裕の笑みが張り付いたままになっていた。何故この距離で自分に剣が届いたのかパトリスの揺らされた脳は全く理解出来ていない。何より恐ろしいのは、眼前にあった武蔵の動きが全く見えなかった事だ。
武蔵が抜いた刀の刀身が倍に伸びていた、正確には刀身を滑った鞘がパトリスの頭部を強かに叩いていた。術士の体が如何にマナで強化されていようとも武蔵の膂力はパトリスの脳を揺らし、隙を作り出す事に成功する。
刀を下に向け宙にあるまま自重で鞘から抜くと間合いを詰め、振りかぶり上段から切り下ろす。早くも脳の揺れから回復したパトリスは咄嗟に首を横に振り頭部への斬撃をかわそうとしたが左の鎖骨に受けてしまう。だが刀は其処で止まっていた。
「ぬぅ」
武蔵の力を持ってしてもそれ以上斬る事は叶わなかった、まるで鉄の如き感触。マナ使いの肉体とはこれほどに強化されるのか。一瞬の驚嘆に固まった武蔵を見て勝機を見出したパトリスは左手で武蔵の袖を掴み、右手に握った朝星棒を掲げ武蔵の頭を狙って振り下ろす。当たると見えた瞬間、武蔵は身体をパトリスへ寄せ密着する事で打撃をかわした。
突如赤い雨が降り出し大地を濡らす。青みがかった黒い夜空に雲はなく月が真円を描き煌煌と大地を照らし出す。空からではなかった。赤い雨はパトリスの首筋から噴き出ていた。血が勢い良く天に向かって噴出し弧を描いて地面に振り注いでいる。
武蔵の左手は刀を離れ脇差を掴みパトリスの頚動脈を切り裂いていた。身体を寄せ朝星棒をかわすと同時に左手で逆手のまま脇差を抜き首を薙いでいたのだ。常人のそれより遥かに硬く、また強靭な肉をそれでも断ち割り、肉の隙間からは白い頚骨が覗いていた。
「なんですかこれ?」
己の首から溢れ出る血をきょとんとした顔で見つめてパトリスは言った。忽ちに意識が遠のいていく。出血による意識混濁であった。
「そ、んな、馬鹿、な。わ、私が無能者に敗れる、なんて」
力なく言うと手から朝星棒が地面に落ち鈍い音を立てる、パトリスは天を見上げるように仰向けに倒れていった。左手には破れた着物がしっかりと握られている。パトリスが倒れ伏すのを見届け勝利を確信すると、強烈な虚脱感に襲われた武蔵は、地に膝を突き四つん這いとなって倒れるのを防いだ、大地には武蔵より流れ出た汗と太い血、そして荒い息が毀れ落ちる。喘ぐ武蔵の横を何者かが通り過ぎていった。目を向ければ少女の姿があった。
既に朧気にしか見えないパトリスの目に助士として務めていたアナイスの姿が霞んで映る。
「あ、あ、あないす、いい、とこ、ろ、に、ちゆ、ちゆを、おね、がい、しま、す」
何故この場にいるのかといったところまで頭が廻らない。殆どない意識の中で治癒魔法を懇願した。首を半ばまで断ち切られ、大量の血が失われたと言うのに凄まじい生命力であった。
「残念ですがそれは叶いません、貴方はここで死ぬべきです。異端者ではなく善良で優しい神父として」
そう言うと呪文を唱え始めた、その言葉を霞みゆく思考の内で理解すると嫌々する子供の様に首を大きく振る。
「凍結血晶槍装剣突」
呪紋が浮かび上がりアナイスの言葉と共に魔法が発動する。パトリスの血液が幾つもの巨大な赤い棘となって、肉体の内部から大きく外に突き出す。目を限界まで広げ苦悶に満ちた表情を凍り付かせたままパトリスは絶命していた。巨大な棘は僅かの後、赤い結晶となって粉々に砕け散る。瀕死のパトリスに止めを刺すのにわざわざ魔法を使う必要はない。これは武蔵に対する示威行為であった。
突如起こった予想もしない事態に息を整え何とか立ち上がると武蔵はアナイスと対峙する。しかし精も魂も尽き果てていた。少しでも気を緩めれば忽ち意識を失いそうになる。立ち竦む武蔵の顔が赤く染まる、返り血ではなく朝星棒が額を掠めた傷、パトリスの置き土産によるものであった。
「安心しなさい、貴方と剣を交わすつもりはありません。貴方を殺した方が都合が言いのですが神は無益な殺生を好まれないので」
これを、と言うと大きめの銭袋を武蔵へと放って寄越した。思うように体が動かず地面に落としてしまう。
「金貨が120枚入っています、貴方の本来の報酬の二倍の額です。これでこの村の事は一切忘れて下さい」
重い身体を動かし拾い上げる。僅かでも気を抜けば、そのままへたり込んでしまいそうであった、だが何者か分からぬ、この女に弱みを見せる事など出来はしない。
「口止め料というわけか」
「そう取ってもらって結構です」
「よかろう」
この様な有様では如何なる条件でも呑むしかない。もとより吹聴する気など無かった。一泊置いて武蔵は問うた。
「お主、何者だ」
「私はパトリス神父が口にした審問官です。彼の内偵をしておりました、と言うのは嘘です。他に申し上げる事はございません」
武蔵は目の前に立つ、これと言った特徴がない顔をした金髪の女に底知れぬ気を感じた、気配に敏な武蔵にまるでその力を感じさせなかった事がまた女の力量を表している。一見何の力もなさそうなこの少女がその気になれば、今の己など為す術無く叩き潰されるであろうと武蔵は思った。
「お疲れとは思いますが今からこの村を発って頂きたく存じます。貴女方も」
言葉を発する事無く傍観していたルーゼルとソフィユに視線を移し言った。
「えっ、あの」
二人の元まで歩いてゆくとルーゼルの顔と腹、そしてソフィユの顔を触れて傷を確かめる。
「神父が仰ったように大事はありません。お二人ともこのまま自然に治癒すれば問題ないでしょう。大人の方の足の傷は、清潔に保ち細目に包帯を代えてください」
武蔵の額の傷に初めて気付いた様にこちらへと言うと懐から取り出した小瓶から水をかけて傷口を洗う。武蔵は言われるまま素直に従っている、と言うより気力も体力も尽きかけていた。清潔な布で拭うと取り出した軟膏を塗りつけた。額が疼くように熱い。血が止まったように感じる。
「俺の気、マナは何時戻る」
憔悴した顔で武蔵が尋ねた。
「あと数時間もすれば効果は切れるでしょう、ただ貴方は相当消耗しているみたいですからマナの戻りも遅いでしょうね」
どういう事かといった顔をしている武蔵に
「マナの回復は体力に依存しています、覚えておくといいでしょう」
「礼は言わぬ」
「構いません、さぁ直ぐに発って下さい」
「水と食料を貰おう」
水は魔道具があるとは言えとても三人分には足りない、次の村までどれだけ距離があるのか不明な事から水と食料は必須。殊更この身体は腹が減るのが早い。
「この村から半日も歩けば小さな集落があるので其処で調達して下さい」
アナイスの返答はにべもなかった。
「傷を負った幼子を連れての徒歩は辛かろう、なにより母親の足の裏の傷が癒えておらぬ。馬は用意できぬのか」
「貴方がおぶればよいでしょう、何も渡すものはありません」
強い拒絶の言葉が返ってきた、交渉の余地はないらしい。
「ゆけるか」
武蔵はソフィユを抱えているルーゼルへと声をかける。母親の腕の中にあるソフィユは、命を脅かされた事による精神的な衝撃からか、今も呆然としていた。武蔵の言葉にルーゼルが娘を一瞥してから頷く。
「はい、痛!!」
ルーゼルが立ち上がった拍子に顔を顰め、体勢を崩しかける。武蔵は手を貸し支えながら幼子を受け取ると、背を向けて膝を突く。
「負ぶされ」
「......お世話をおかけします」
遠慮しようにもこの足では一歩も歩けない、ルーゼルは素直に武蔵の言葉に従った。母親を背負い娘を胸の前で抱えて武蔵は立ち上がる。体力気力共に限界の身体に鞭を打ち、震える足で一歩を踏み出す。
得体の知れぬ少女に見送られながら、武蔵はルーゼルとソフィユを抱え村を後にした。村を出て最後に一度振り返ると村の名も聞いていなかった事に気がついた。




