拾陸 狂気
山腹の開けた場所に山賊たちの姿はあった、戦勝の宴か、十人余りが戦利品の酒を呑み肉を喰らい大声で騒いでいる。仲間の多くが襲撃時に命を落とした事など、まるで意に介していないようであった。
ルーゼルを肩に担いだ男が息を切らしながら隠れ家に戻ると中肉中背で爬虫類の顔をした男が声をかけてきた。傷だらけの使い込まれた革鎧で身を包み腰の左右には鈍く光る双剣が下がっている。
「ティッゼ、遅かったじゃないか、逃げたのではと思い探しに行こうかと考えてた処だ」
「すまねぇ、エンリケ。ちょっと目を離した隙に逃げられちまって」
エンリケと呼ばれた男は肩に担がれているルーゼルを見やった、その瞬間、瞳に氷の刃が宿る。あれ程騒いでいた山賊たちの声が一斉に止んだ。皆が二人のやり取りを注視している。痩せた長身の男だけ一人離れたところで気にする事無く酒を呑んでいた。
「なぁティッゼ、俺はお前にこの女を川で綺麗にして来いって言ったよな。なのに何で全身傷だらけの土塗れになってるんだ」
感情の全く篭らない声と突き刺さるような視線を受けてティッゼは竦み上がった、上手く返さなければ命の危険が伴う。
「お、俺はしっかり見張ってたんだ、だがこの女が見られてちゃぁ恥ずかしくて体が洗えない、厭らしい目で見られてたとアンタに言いつけるとか抜かしやがったもんで服と靴はこっちにあるし、一寸、ほんの一寸目を逸らしただけなんだ。確かに俺の失態さ、だがそれも女を綺麗にしてアンタに気持ち良くなって貰おうと思ってのことさ、本当だぜ。まさか裸で逃げるとは思わなかったんだ」
「そうか、それではしょうがないな。まぁ、よく捕まえて戻って来たよ」
ティッゼの話を聞き爬虫類の笑みを浮かべてエンリケは首肯した。それを見て安堵するティッゼ。
「って言うと思ったか」
エンリケの両手が目にも留まらぬ速さで交錯しティッゼを襲った。
一瞬の間にティッゼの顔に数十本もの線が刻まれていた、線はやがて赤く染まり桃色の肉が更には白い骨が露出する。目も鼻も口も形を留めず石榴になっていた。反射的に両手で顔を覆い、その動きでルーゼルは地面に投げ出された。
「ごががががっ」
意味不明な言葉を吐き出し余りの苦痛に奇妙な踊りをする。周囲の山賊は息を呑んだ。
「言われた事も出来ない無能者が。戦力にならない、雑用も出来ないじゃ生きている意味が無いだろう」
相も変わらず感情を込めない言葉に熱を伴わない目で、興味なさげに呟く。
「ひぃやぁぁああぁああああ」
ティッゼの絶叫が辺りに響く。両手で顔を掴み地面に身体を投げ出して海老の様に反ったり、くの字になってのた打ち回る。
「そうそう、マナも無い、頭も無い、無い無い尽くしなんだから、せめて身体を張って楽しませてくれないと」
酷薄な笑みを張り付かせティッゼを見下ろす。命の危機を伴わない激痛を与える為だけの斬撃がエンリケの腕と性格を表していた。その背後で倒れたままになっているルーゼルに視線をやると、黙って事態を見ているだけの仲間に告げる。
「そこの女好きにしていいぞ、あんな傷だらけの汚い身体を抱く気にはなれない。おい、女、気絶した振りしてても逃げ出す隙なんかないぞ」
その言葉に思わず体が反応してしまうルーゼル、先程地面に投げ出された衝撃で目を覚ましていたが気を失った振りで逃げる機会を伺っていたのだ。エンリケはそれを見抜いていた。ティッゼの必死の叫びは絶える事無く続き、辺り一帯に響き渡る。
「げひゃっ」
不可解な声を上げるとティッゼの叫声が止む、頭部が身体に別れを告げ大地に沈んだ。頭を失った首の断面からは凄い勢いで天に向かって血が噴出する。その光景を呆然と見つめるルーゼル、突然の惨劇に頭が追いつかない。エンリケは詰まらなさそうに一人離れた場所で酒を呑んでいた男を見る。
「五月蝿かったのでな」
長身の男は手に持った酒を見つめながら言葉を漏らした。男から斬首されたティッゼまでかなりの距離があった。武器が届く範囲ではない、何より男は武器を帯びていなかった。
「辛気臭いぞ、イヴォン。もう少し楽しそうに飲んだらどうだ」
口調からエンリケがイヴォンと呼んだ男に一目置いているのが分かる。イヴォンは変わらず酒を呑み続けていた。反応が無いのは何時もの事のようで気にする風でもなくルーゼルの元へ歩いていく。
「こいつらが一巡したら売り飛ばしてやるから安心しろ。俺は博愛主義者だからな、命は保証する」
膝を突き両手で漸く我に返ったルーゼルの頭を抑える、心の中まで覗き込むように冷温の瞳がルーゼルを射抜く。それだけで逃げ出す気が失われていた、恐怖で体が震える。ルーゼルが接した地面が濡れていた。それを見て
「全く汚い女だ。小水を漏らすなど淑女にあるまじき行為だぞ」
立ち上がると汚物を見る目でルーゼルを見下ろす、その目には怒りの火が燈る。
「おいザック、酒を持って来い、何でもいい。いや度数の高いのがいいな」
「火酒がある、これでいいか」
これから起こる事態を予想し躊躇しながらザックと呼ばれた小男が幾つも並んでいる陶器の壺の一つを選び手渡す。
「火酒か、これはいい」
恍惚とした表情で受け取るとルーゼルへと勢い良く振りかけた。未だ体が細かく震えているルーゼルはエンリケの為すがままにされている。イヴォンは興味の無い目で二人をただ見つめていた。賊の中にエンリケを止めようとする者はいない。
「汚物は消毒しないとな、これで小水塗れの汚いお前も少しは綺麗になるだろう」
壺の中身を全てぶちまけると焚き火の火を手に持った棒に移す。
「くっくっく さぁ、お前はどんな踊りを踊ってくれるんだ」
赤く燃える火が顔を照らす。この男は自分を焼き殺すつもりなのだ、恐怖と混乱の中ルーゼルは死を意識せざるを得なかった、最後に脳裏に浮かんだのは、やはり愛娘のソフィユであった。最愛の娘を置き去りにした事だけが心残りだった。助けてあげられなくてごめんなさい、後悔を胸にルーゼルは目を閉じた。エンリケが手に持った火をルーゼルへと投げようとした瞬間。
その場に火球が現れ爆発した。余りの衝撃に全ての者の動きが止まる。エンリケも例外ではない。しかし己の身体を見れば何処にも損傷は無く、山賊の視線が一点に集まる。
男が立っていた。
異国の顔を持ち、獣の目をした異形の者がそこにいた。




