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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
放浪編
16/104

拾伍  最愛の娘

 歩きながら食べられる物を用意して貰い直ぐに村を出た。

 既に商隊が襲撃されてから一刻近くが経っている。

 とは言えソフィユの母親が直ちに命の危険に晒されるとは思っていない、それならば態々連れ帰る真似はしない。

 だが嬲り者にされている可能性は高い、女は旅の埃に塗れていたが美しい容姿の持ち主であったからだ。

 出来うる限り早く助け出す必要があった。


 武蔵は正確な場所が分からない賊の根城を気を探る事で見つけようとしていた。

 護衛の中には中級一位のマナ使いもいたそうだが賊はこれを討ち破っている、当然賊の全てか或いは何人かは間違いなくマナ使いであろう。

 こちらに来て気付いた事があった、不思議な事に彼らは気の扱い方に長けていないのか抑える事も無く垂れ流しにしている。

 マナ使いから漏れる大きな気は武蔵にしてみれば居場所を大声で叫んでいるような物であった。

 

 山の中を少し歩けば気を、マナを殺そうともしない何人もの賊の気が山腹より感じられる。

 そう遠くない距離に賊共は留まっているようだ。燻製肉を挟んだ麺麭を齧りながら武蔵は走りだした。





 



 木立の中を肌色を持った影が過ぎる、獣ではない。その影は懸命に何かから逃げているようであった。

 背後からは怒号が森閑な山野に響き渡る。

 見れば全裸の女が盗賊然とした男から遠ざかろうと必死に足を動かしていた。何も身に纏わない柔肌を枝が幹が傷を付け、みるみる赤く腫れ上がってゆく。

 だが女は逃げるのに必死で気付きもしない。

 女の名をルーゼルと言った、ソフィユの母親である。

 ルーゼルは今、賊の手から逃れようともがいていた、己を見張る監視の一瞬の隙をついて逃げ出したのだ。

 

 「はっはっ、はっ」


 慣れぬ全力での疾走で直ぐに息が上がってしまう、しかしここで捕まるわけにはいかない。ここで捕まってしまえば自分には二度と逃げる機会は与えられないだろう。

 娘のソフィユを思う。

 見るからに重傷であったあの子はまだ息があるだろうか、まだあの場所にいるのだろうか、考えただけで涙が出てくる。

 手遅れでも構わない、あの子の元に行かなければ、その思いだけが女を突き動かしていた。

 

 山賊の男の怒声が少し前から止んでいた、恐る恐る振り返れば何処にも姿が見当たらない。諦めたのだろうか。

 体力が限界に近づき大地に腰を下ろして息を整える。すると血だらけの足が目に入った。

 素足で山の中を走り回れば当然の結果である、足だけではなかった、体中が擦り傷、切り傷で赤くなっている。

 だが女は意に介さない、娘が味わっている苦痛を思えばどれ程の事もなかった。

 呼吸が整うや、すぐさま立ち上がり、また走り出す。 


 太陽の位置を基に、当て十方で襲われた方角、娘がいる場所を目指して走っていたが どうやら正解だったようだ、細い街道が見えてきた。

 似た景色の山中は慣れた者でも迷いやすい、しかも追われながら街道に出られた事は女のような山に縁遠き者にとって奇跡に近い。

 神が私を導いてくれている、そう思い女は神に感謝する、そして娘の命もお救いくださいと願った。

 

 あともう少し、もう少しであの子に会える。そう考えていた時、突如横から抱きかかえられるような形で地面に押し倒されていた。

 叩きつけられた衝撃に眩暈を感じながら視線を上げると、目の前に汚い山賊の男の下卑た笑いを張り付かせた顔があった。


「よくも逃げてくれたな、女ぁ。テメーに逃げられたら俺もトンズラしなきゃいけねーところだったぜ」


 そう言って女の剥き出しの腹を強く殴った。


「っは」


 女の口から苦痛と主に息が漏れる。暫く息が出来ず悶える。その目には疑問の光。


「くっけっけ、テメーは真っ直ぐ逃げてるつもりで大きく遠回りしてんだよぉ、山に慣れねー奴はみんなそうさ。だから俺は近道して待ち伏せてたって訳さ。撒いたとでも思ってたのかぁ。

 いいか、二度と逃げようなんて思わねー事だ。次はこいつで足の筋でも斬ってやるぜ」


 女の疑問に答えがてら腰にぶら下がっていた山刀を抜き、これ見よがしに女の前で刃を舐める。


「おら、立て」


「お、お願いします。娘の処へ行かせて下さい、あの子が、あの子が私を待っているんです」


 腹を殴られ苦しみながら、掠れる様な声でルーゼルは男に懇願する。


「お願いします、このままではあの子は手遅れになってしまう」


 山賊に縋りつき涙を流しながら絶叫した。しかし娘を思う母親の必死の気持ちは男にはまるで届かない。蟲でも見るような目で自分の服を掴む女の手を払いのけた。


「あのガキはもう駄目だぜ、おめーを攫った時に既に瀕死だったじゃねーか。あれからどんだけ経ってると思ってんだよ、あぁ」


 それでもお願いしますお願いしますと、しがみついてくる女に辟易した山賊の男は足で女の顎を蹴り上げた。鈍い音を立てて女は気を失う。


「こいつに逃げられてたらを思うとゾッとするぜ、あの色ボケ頭は俺を生かしておかなかっただろうよ」

 

 一糸纏わぬ痩せた身体を見つめ、独白しルーゼルを肩に担ぎ上げると男は来た道を引き返して行った。

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