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武士 異伝  作者: 弁鳥有無
放浪編
14/104

拾参  幼子の命の重さ

 武蔵はソフィユから貰ったショコラなるものを口にしていた。

 幼子の言った通り甘かった、それは武蔵が口にした事のある砂糖の甘さではなく独特の苦さと旨さが並存した甘みであった。

 旨い、と感嘆する。

 世にはこのような甘味があったのかと。

 こちらに来て以来、見るもの食すもの、あらゆるものが驚嘆の的となる。

 世界は広く深みを持っていることを痛感させられるばかりであった。

 日の本に居ては決して味わう事の出来なかったものだ。

 僅か親指の先ほどの大きさでしかなかったが身体に染みる様な甘さで幾分空腹が和らいだ気がする。


 腰に下げた水筒より水を飲む。

 ヴィジルに持たされた魔道具である。

 魔石のマナが尽きなければ水を生み続ける魔法の水筒だ。


 流石に食い物を生み出す魔法は無いらしい。


 僅かに力が戻ったところで再び山に潜み獲物を物色する。

 貧しい娘の思いやりは男の心を打ったが貧すれば鈍する、男の行動を変えるには至らなかった。

 だが眼下の往来を通る者はおらず、見張るのにも飽いて男は知らぬうちに眠りについていた。






 何者かが争っている気配に目が覚める。

 かなりの人数が敵味方に分かれ戦っているようだ。

 気を探ればあの親子が向かった先であった。

 嫌な予感がした。

 足が速くなり駆ける。


 武蔵がその場所に辿り着いた頃には争いに決着がつき勝者は戦利品を得て既に姿を消していた。

 戦場と化した一帯には馬車が横転し数々の荷が散乱している、とは言ってもその殆どは踏み潰された野菜や穀物、肉などで金目のものは根こそぎ奪われていた。

 馬が見当たらないところを見ると連れ帰ったか。

 恐らくは商人を山賊が襲ったのだろう。

 辺りには十体以上の死体が転がっている。

 殆どは剣や斧と言った武器での傷であったが、中には致命傷が判別しづらいものも幾つかあった。

 護衛と思しき骸が四体、商人の亡骸が二体、盗賊と思われるものが十体、皆虚ろな目で世界に救いを求めているように見える。

 死体の数だけ見れば護衛は健闘したと言えるだろう、地面に刻まれた足跡から見れば盗賊の数は二十人近いと思われたからだ。

 護衛の死体を眺める武蔵の頭にリレティアの声が蘇る、そして納得した。

 成る程、確かにマナ使いへの依頼は死の危険が付き纏うのだな、と。


 武蔵は慎重に遺体を見て廻る、だがあの親子は見当たらなかった。

 しかしそれは親子の無事を必ずしも意味しない、山賊に遭遇しなかったのならばいい、だが途中で商隊と出会い護衛がついている事で安心して共に来た可能性は無いだろうか。

 その線上で考えれば今此処にいないというのは攫われた事を意味する。

 其処まで考えた時、幽かな気配、生きている者の気が感じられた。探してみれば横倒しになった馬車の陰にソフィユと名乗った幼子がか細い息をついて、うつ伏せに倒れている。

 抱え上げるとあの愛らしかった顔が倍近くに膨らんでおり見るからに重傷で、蟀谷から顎まで無残に砕かれている、息も絶え絶えで今にも尽きそうであった。

 このままでは危険だ、一刻も早く医者に見せねばなるまい。

 商隊が向かう先に街なり村があるはず、武蔵はソフィユを抱きかかえると商隊が目指した方向へと走り出した。


 僅かの後、道沿いに走り続けた結果、村らしきものが見えてきた、村と言ってもかなり規模が大きい。

 これほどの村なら医者もいるに違いない、武蔵は村に入るなり声高に叫んだ。


「この村に医者はおるか、この娘の命が危ない」


 村中に響き渡る大声に村人が何事かと飛び出してくる。一瞬、異国の汚らしい格好をした男に不信な目を向けるが男が抱えている少女の様子がただ事ではなかった為、皆男を取り囲んだ。


「こりゃ酷い、ついてきな、案内するよ」


 その中にいた中年の女がソフィユを見るや否や案内役を買って出た。

 砕かれた顔を動かさぬよう注意して女についていくと白い煉瓦造りの大きな家の前で女の足は止まった。

 屋根には十字の装飾が施されている。


「ここさ」


「感謝する」


 謝辞を述べると女が開けてくれている扉を潜り中へと入る、部屋には何やら厳かな雰囲気が漂っており宗教施設を思わせた。

 白衣を着た青年が武蔵と幼子を出迎える。


「どうしましたか」


 汚いなりの武蔵を見ても拒否する事無く青年は穏やかな声で尋ねる。

 武蔵は細心の注意を払いそっとソフィユを青年へと差し出した。


「この娘の治療を頼む」


 青年はソフィユを覗き込むと、これは酷いと呟いた。


「こちらへ」


 青年に誘われ清潔な寝台の上へとソフィユを降ろす。

 砕かれた顔の骨を丁寧に触診する、芳しくない結果が出たのだろう、青年の顔が曇る。


「顔だけではなく頭骨にまで損傷を負ってしまっています、どういう状況での傷か分かりますか」


「分からぬ、見つけたときには既に傷を負っていたのでな」


 青年の顔からは表情が消えていた。


「そうですか、申し訳ありませんが私にできるのは彼女が安らかに眠るお手伝いをする事のみです」


「なに」


 怒気を含んだ武蔵の声にも動じず青年は淡々と事実だけを述べる。


「治療する手立てがないと申し上げているのです」


「お主は治癒の魔術を使えぬのか」


「私は白魔術の幾つかを修めていますが、この娘には使えません、彼女は魔術に耐えうる魔力を持ち合わせていないのです」


 そういえばリレティアがそのような事を言っていたのを思い出す。


「他に方法は無いのか」


「残念ながら」


 術士と言葉を交わしている間にもソフィユの息が細く小さくなってゆく。時折指先が細かく痙攣している。


「もしこの娘に気が、マナがあればどうにかなるのか」


「仮定の話をしても意味が無いですが、もしあれば治る可能性もあったというところでしょうか」


「人から人へマナを伝えると言うのは可能か」


 白衣の術士は武蔵が言わんとする事を正確に読み取る。

 

「それは貴方から彼女にマナを送りそのマナを持って治癒術をかけると言う意味ですか、馬鹿な。それが出来たとしても彼女の体が耐えられない」


「この娘の気に同調し耐えうる事が出来る限りまで送る」


 青年は困惑する。そんな事が果たして可能なのだろうか。

 魔術師には集団魔術と言う何十人ものマナを同調させて一つのマナへと収斂し、個人とは比べようも無い強大な魔術を行使する秘術がある。

 しかしそれは魔力を持つ者同士の話だ、それも長い月日をかけて積み上げた修練があって初めて可能とする。マナ使いから一般人に送るなど聞いた事が無い。

 青年は半信半疑であった、だが男の目には確信が燈る。

 どのみちこのままでは少女に生きる可能性は無い。

 男の案に賭けてみる他無いのも事実であった。青年が奥の部屋に向かって叫ぶと、青年と同じ様な白い服を着た若い女が現れた、青年の助けをする者と思われる。

 何言か交わすと女は心得たのか作業を始めた。


「分かりました、ではこの娘の手から少しずつ本当に少しずつ同調したマナを送って下さい。私が細心の注意を払って監視します」


 青年は覚悟を決めた。

 助士は棚の引き出しから出した粉を水に溶かすと水差しに入れ、ソフィユの口へと持ってゆき少量ずつ飲ませる。


「これは体の痛覚を麻痺させる薬です、少しでも身体にかかる負担を減らすための物です」


 動きながら武蔵へと説明をした。

 武蔵はソフィユの手を取り目を閉じて気を探る、たとえマナ使いでなくとも全ての人間は気を持っている。

 ソフィユが持つ気を波紋として捉える、時が止まったような波一つ無い漆黒の水面に少女の波紋が起こる。

 武蔵はその波紋を己の中に作り上げてゆく。

 ソフィユの持つ僅かな気と同調し、徐々に徐々に気を送る。感覚を麻痺させる薬を飲ませたはずなのだが時折ソフィユの顔が歪む。

 己の持つ本来以上の気は、やはり苦痛を伴うのだろうか。

 それでも送り続ける、青年術士が良いと言うまで。


「そこまで、今の量を常に一定に保てますか。これ以上は彼女が耐えられません、しかし、これ以下では治癒術が発動できない。ここがギリギリの線です」


「うむ」


 助士はソフィユから出る汗を拭っている。


 武蔵は今の量を送り続ける事のみに専念する。

 青年術士が言葉を紡ぐ、朗々と高らかに謳いあげられるその言葉は魔法式にマナを注ぐ道筋となり式からは力となって幼い少女へと働きかける。


 手印と紡ぐ言葉を幾度と無く替え骨をあるべき位置に戻し再生させてゆく。助士は青年に言われるまま少女の頭を固定して血を拭い、時に治癒術の補佐をしていく。

 治癒術士にとっても、とても細かな作業が要求されているのが分かる、青年の身体からは緊張から来る大量の汗が噴出す。

 それでも僅かな過ちを起す事無く半刻以上の時をかけて治癒術は続く。

 武蔵はぶれる事無く正確に気を送り続けた。


 やがて青年術士は長い息を漏らすと助士と目線をかわし掲げていた手を下げ武蔵へと声をかけた。


「無事、完了しました。もう彼女は大丈夫です」


 青年の言葉にソフィユを見るとあれ程か細かった息が安定しており顔の腫れも僅かだが引いたように見える。


「彼女はマナ使いではないので完治するまで時間がかかるでしょうが危機は脱しました。脳に損傷が無かった事が本当に不幸中の幸いでしたよ」


 滝の様な汗を掻き、床に水溜りを作りながら青年は治癒術の成功を告げた。


「治癒術士殿、この武蔵感謝の言葉も無い」


 武蔵は一つ息を吐くと深く頭を下げた。


「貴方こそよくあんな繊細な作業を長い時間続けてくれました、完璧でしたよ。だからこそ私の術も成功したのです」


 青年は目前の男の技量に素直に驚嘆していた。白魔術師でもない素人が、あれほどのマナの精密な作業を長時間可能とするとは。

 しかも一般人相手に。

 青年は今でも無謀と思われたこの術式が成功した事を信じられないでいた。

 そんな青年医師の驚きを知ってか知らずか武蔵は頷くと助士の女にも礼を言った。

 女は血がついた布や桶の後片付けをしながら、これが私の仕事ですからとにべも無かった。

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