拾 刻印魔法文字と魔道具
男が目を覚ましたのは開かれた窓から見える太陽が地平線の彼方に沈もうとしている頃であった。
赤く燃える景色を見ながら半日眠っていた事になるなと男は思った、もっとも同じ日だったらだが。
身体にかけられた布を除け寝台から降りる。
朝とは比較にならないほど体調が戻っていた、良く食べ良く眠れば自分でも驚くほど肉体が回復している。
全身に負ったはずの傷を動かす事によって検めるが最早何処にも残っていないと判断して包帯を解く。
打ち身、裂傷、骨折が綺麗に治っていた。
何処にも傷らしいものは見当たらない、こちらへ来てからの物は。
扉が軽く二度叩かれ開かれるとリレティアと名乗った少女が姿を現した。
リレティアは男の前まで歩いてくると取り出した水晶を両手で下から抱え男へ乗せろと目で訴える。
男は少女の示したとおり水晶に手を乗せ静かに気を送った。
朝と同じ様にリレティアの声なき声が頭に響く。
(傷の確認をしていたのですかムサシ、終わったのなら白衣を着てください。目のやり場に困ります)
全く困ったようには見えない少女の思考が頭に流れてくる。目のやり場に困るどころか男の肉体の隅々まで観察していた。
武蔵と呼ばれた男は水晶から手を離し絹で出来た白い上等の衣を身に纏う。
(これは失礼した)
再び水晶に乗せて頭で思う。
(あれ程の傷が僅か数日で治るとは己の身で起こった事でも俄には信じられぬ)
誰に言うとも無く思考が漏れる。
(貴方がいた世界では魔術は存在していなかったのでしたね、最高位の白魔術師になると死以外の全ての傷を治す事が出来ると言われています)
(ほぅ)
武蔵は目を細める。
ならば生半可な攻撃では相手に治療する機会を与えてしまう事になるなと男は思った。
勝つならば回復不可能な完全な死を相手に齎さなければなるまい、と。
(朝に比べて顔色が良くなっていますね、調子はどうですか)
リレティアが問いかける。
(自分でも驚くほどに回復しておる)
(そうですか、それは良かった。高位のマナ使いほど回復する期間が短いのです、流石は白猿を倒しただけの事はありますね)
武蔵はふいに森での不可思議な出来事を聞いてみたくなった。
(森でヴィジル殿に会うて水が湧き出る水筒を拝借したのだが、あれは如何なる絡繰なのか教えて貰いたい)
(あぁ、それは魔道具です)
(魔道具)
聞きなれぬ言葉に繰り返す。
(魔道具とは刻印魔法文字が印された道具の事です。中央に赤い石が嵌め込まれていたでしょう)
確かに気を放つ不可思議な赤い石があった。
(刻印魔法文字とは文字そのものに魔力が宿るのです、更に詳しく言えば文字の形に魔法と言う意味が込められています。ただそれだけでは魔法は発動しません。マナを供給する必要があります、その役割を果たすのが赤い石、魔石です。 魔石とはマナを秘めた石を指します)
赤い石を囲うようにあった紋様がその文字なのだろう。
(水が湧き出る魔法がかけられていたということか)
(厳密に言えば何も無いところから水を生み出す事は魔法でも出来ません。あれは大気中の水分を冷却する事で水にしているのです。朝露を見た事があるでしょう、あれと同じ現象です)
(大気とは?)
(大気とは我々を取り巻く空気の事です)
天の気を意味するのだろうとあたりをつける。
(大気を冷やすと水になる、ほぅ、森羅万象の理を利用していると言う事か)
(大雑把に言えばそうです。我々魔術師は無から有を創り出せる訳ではありません、それは神々が或いはそれ以上の存在のみが可能とします。ただ極限られた短い時間の中でなら御業に似た現象が可能となるのです)
(この世界には神が)
(御座します、聖典、古文書、聖伝あらゆる記録媒体に記されておりその存在は疑いようがありません)
(それは人の心の中にと言う意味ではなくて、か)
(無論です、神々は有史以来、幾度と無く奇跡を起されています。決して人を救う為のものばかりではありませんが)
顔を曇らせた少女を見て、無慈悲なのは何処の世の神も変わらぬらしいと武蔵は思った。不意に腹が鳴った。
(話の途中で済まぬが飯を所望したい。とにかく腹が朽ちて仕方なくてな、それと俺の着物と刀を返してくれぬか)
(分かりました、夕食をお持ちする時に貴方が着ていた衣服と剣を運んで来ましょう)
そう言うと少女は部屋から去っていった。
僅かの後、武蔵の衣服と刀を持って少女が再び入って来る。
着物は繕われ、綺麗に洗われていた。
リレティアよりそれらを受け取ると水晶を介して意思の疎通を図る。
(ヴィジルが復調したのなら一緒に夕食をと言っています、どうしますか)
(うむ)
武蔵はそう言うと白衣を脱ぐ、そこで視線を感じた。振り向けば少女が生真面目な顔で武蔵の肉体を眺めていた。
「目のやり場に困るのではなかったのか」
遠慮もなく観察でもする様な視線に、少女が分かるはずもない日ノ本の言葉が武蔵の口から漏れる。
それに反応したのか暫し無言の後、少女が口を開いた。その間に着替えを終え腰に大小を差す。
「貴方の肉体を見ていると人と言うより獣を連想してしまいます、獣の姿を見て嫌らしいとは思いませんものね」
武蔵と同様に通じないと分かっている言葉で話し、少女は微笑を浮かべていた。
「可笑しな娘だ」
恥じらいも無く己の肉体を眺めていた娘に思わず笑みが毀れた。
では行きましょうかと少女は男を誘う。考えればこの部屋から外に出るのは初めてだと武蔵は思った。
少女に連れられて大きな扉の前迄来た。それほど大きな屋敷ではないようだ。
家内には己と目前のリレティア、扉の中にいるヴィジル、他に料理人だろうか一人しか気配を感じられない。
少女が大きな扉を叩く、間を置いてヴィジルの声が届いてきた。
その声を聞きリレティアが扉を開く、中にいたヴィジルが立ち上がり武蔵を部屋内へと招いた。
大きな食卓机に豪奢な布が敷かれ幾つもの銀製の燭台から蝋燭の炎が辺りを淡く照らす。
ヴィジルが座れと手振りで示し、武蔵はヴィジルの正面に座った。
リレティアはその間に。
ヴィジルが合図をすると料理人自ら料理を運んできた。
ヴィジルが音頭を取り葡萄酒で乾杯をする。
匙と肉叉、小刀が置いてあり見よう見真似で口に運ぶ。
出て来る料理の全てが武蔵が初めて目にする食材と味付けであったがどれも美味であった。
食事の間ヴィジルとリレティアが言葉を交わしていたが何を話しているのかは武蔵には分からない。
気詰まりする間もないぐらい武蔵は料理を貪っていた。
あまりの食欲にヴィジルは苦笑いし、リレティアは呆れていた。
夕食は恙無く終わり武蔵はヴィジルへと礼を言うと自室となった寝台のある部屋へと戻った。
腹が満たされ満ち足りた気分で窓から夜空を眺めていた。
食事をしたことで身体に帯びた熱をひんやりとした夜風が攫っていき心地いい。
雲ひとつ無い天に輝く星辰が異邦の放浪者を冷たく睥睨する。
見上げる夜天は、祖国と変わらず、何処までも大きくそして美しかった。武蔵の胸に様々な想いが去来する。
男は半刻ほどそうした後、寝台にて眠りについた。




