佰 決闘
魅惑の魔女との二つ名を持つファシェプルティが張った簡易結界により、音は遮断され会話は秘匿されている。興味津々な店内の全ての客の耳目を集めながらジェッソとファシェプルティ、武蔵の会話は続く。
「ムサシよ。あんた何か目的があってこの街に来たのか?」
「何も。行雲流水、気の向くままの当て所のない旅よ」
ジェッソの鼻から息が漏れる。昨日受けた印象そのままの、何にも捉われぬ風の様な男だと思った。
「寝床は決まっているのか」
「西にある街区の宿に泊まっておる」
武蔵が言う西の街区とは難民や下層民が住む貧民街であった。西の街区の宿はほぼ全て木賃宿であり、木賃宿とは相部屋で大勢が眠る安宿の事だ。
「何故そのような所に泊まっている?」
ジェッソの問いにも武蔵は瞑目するのみ。
「金がないのか?」
武蔵は答えない。見れば身に纏う黒の民族衣装は至る所がほつれ、酷くみすぼらしい。口が悪い者がいれば乞食のようだと言ったことだろう。これほどの腕を持つ男が何故とは思ったが言葉にはせず、巨人はじっと武蔵を見つめると
「俺達が居を構えている家屋に離れがある。あんたさえ良ければそこを使え」
「良いのか」
武蔵はジェッソではなくファシェプルティを見る。紅茶杯を掲げていた艶美な顔には厳しい表情が浮かんでいた。徐に見る者を誘惑する官能的な紅色の唇が開く。
「......構わぬ、なんちゃって!!歓迎するわムサシ」
眉根を寄せ張り詰めた面持ちから一転、満面の笑みとなる。
「では暫く世話になろう」
ファシェプルティの己の物真似を受けて、武蔵は口の端を歪めながら言った。愛する女の稚気に、自然と巨人の顔からは優しい笑みが溢れる。
「それと近いうちに虚ろのもの討伐の報償が出る。かなりの額になるだろう。勿論全てあんたのものだ」
「そうか」
武蔵の応えは何処までも素っ気ない。そんな武蔵にファシェプルティは天真爛漫に顔を輝かせ
「きっと凄い額よ、虚ろのものは何てったって深淵の魔物だもの。本体が健在だから復活するかも知れないけど、構やしないわ。くれるって言ってんだから黙って貰っておけばいいのよ。そうだ、何か美味しいもの食べに行きましょうよ。ムサシの驕りで!!」
ご機嫌な相棒の言葉に巨人の顔色が曇る。
「お前は何を言っているのだ。命を救われたファティナがムサシに馳走するのが筋だろう」
「あ~ジェッソは堅苦しいわね。冗談に決まってるでしょ」
腕を組み、眉を顰めてふんとそっぽを向く、そんな姿でさえも艶めかしい。何時もの事の様でジェッソはやれやれと溜息を一つ零すと
「では行くか。案内しよう。宿に何か預けてあるのか?」
武蔵は紅茶を口に含み嚥下すると静かに紅茶杯を受け皿に置く。
「俺にあるのは鬼丸国綱に万象砕き、そしてこの身一つよ」
「ふふ、名誉も求めず、お金にも執着がない。あるのは刀剣と木刀だけ。神に挑む者っていうより持たざる者ね」
ファシェプルティは卓に両肘をつき開いた両手の上に顎を乗せ、好ましいものを見るように微笑んだ。
其処は腕一本でのし上がったマナ使いや、商いで成功した商人ら、貴族以外の富裕層が住む区画であった。その中でも最も裕福な者たちが住む中央寄りの一角にその屋敷はあった。広大な敷地に建てられた、周囲の建物より一際大きい白亜の屋敷がジェッソとファシェプルティの居であった。瀟洒と言うよりは質実剛健の造りをした二階建ての建物は、扉や窓が全て大きく設えられている。常人より遥かに大きな身体を持つ、巨人族の末裔に合わせて作られているのは明白であった。色取り取りの花が咲き乱れる、良く整えられた庭があり、少し距離がある場所には立派な一軒家が立っている。それがジェッソの言う離れならば武蔵が一人で住む分には大き過ぎる位であった。ジェッソが指をさす。
「あそこだ。家具や魔道具も一通り揃っているはずだ。好きに使ってくれて構わない。魔石は後で持っていこう」
「忝い」
「いいさ。あんたは俺の相棒の命の恩人なのだ。これぐらい安いものだ」
ジェッソは巨体に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべる。そこには異国の男に対する信頼が見て取れた。幾ら命を助けられたと言っても、未だ出会ってから余りに日が浅い、どのような人物かも定かではない。ましてや武蔵は異人で言葉こそ話せるようだが、信仰する宗教も違えば生まれ育った文化も異なる。本来ならば警戒すべき相手だ。だが赤い髪の巨人は何故だか得体の知れぬ異郷の男に好意を抱き始めていた。家を提供したのもそのためだ。武人たるジェッソの気質が武蔵のそれと呼応しているのかも知れない。
「これから宜しくね。お隣さん!!」
「宜しく頼む」
片目を瞑り、満面の笑みを向けてくるファシェプルティ。その余りの艶っぽさに思わず武蔵は苦笑する。
「では夕餉はムサシの歓迎会としよう」
「いいわね!!何処にする?わたしはオーギュスティーヌの店がいいと思うわ」
パンっと両手を合わせたファシェプルティは馴染みの店を提案した。
「そうだな。彼女の料理には外れがない。ヴォーゲンの肉料理が中心だが、どうだムサシ?」
「構わぬ」
「プッ!!本当、好きねその言葉」
最早聞き慣れた武蔵の構わぬに噴き出すファシェプルティ。
「ハッハ、決まりだな」
ジェッソもまた、その身に相応しく豪快に笑った。二人の笑い声が止まぬ中、武蔵は天を見上げる。日はまだ高く沈むには時間があったが武蔵の腹は既に次の食物を求めていた。
「ごめんなさい。突然貸し切りにされてしまって。今日は全てのお客様をお断りさせてもらってるの」
女料理人、オーギュスティーヌはすまなさそうに謝った。ファシェプルティがあからさまに不満な表情を浮かべる。本当に突然の事だったらしく、今も女給が店の入り口で、訪れた客を丁寧に断っている。納得のいかないファシェプルティが店の奥を覗き込むと、広い店内の中で僅か数人が卓を囲んで食事をし、談笑していた。が、声は漏れてこず、なにやら人物たちの輪郭がぼやけて誰だか判断がつかない。オーギュスティーヌに目を向けると「ごめんなさい、誰かは言えないわ。お忍びだそうで口留めされているの」との答えが返ってきた。人より遥かに高い視点から覗く巨人の目にも不確定な光景が映ったようで
「あれは隠蔽魔法か?」
「えぇ、なかなかの腕前ね。解析してやるわ、まぁ凡そ誰かは見当つくけど」
言って魔女は手印を組み、低い韻律で詠唱。魔法が展開され、薄く輝く両手の人差し指と親指で三角形を作り、食事をしている者達へと向ける。その人物を特定したファシェプルティの顔が更に険しくなった。
「やっぱり......バッハシュタイン達ね」
「バルトロメウスか」
名を聞いたジェッソも何やら面倒そうな表情を浮かべる。
「全く何も今日に限って!!せっかくムサシの歓迎会だったのに!!」
「本当にごめんなさい。貸し切りを断れればよかったんだけど......」
感情を素直に表に出すファシェプルティに、気の弱いところがあるオーギュスティーヌはおろおろしてしまう。
「いや、事前に連絡も入れずに来たこちらも悪い。貴女に咎はない。他の店へ行くとしよう」
「ごめんね、オーギュスティーヌ。貴女が悪いわけじゃないのに。悪いのは貴族なのをいいことに勝手に貸し切りにしたバッハシュタインよ!!」
ジェッソが尚も憤懣遣る方ないファシェプルティを宥め店外へ促そうとしていると
「誰が騒いでいるのかと思えば、巷の噂を掻っ攫っている、話題沸騰中のむさ苦しいジェッソと麗しのファシェプルティではないか」
三十に届かぬであろう、二十代半ばと思われる覇気に満ち精悍な顔をした若い男が姿を現した。女としてはかなりの長身であるファシェプルティより頭半分ほど高い。その長身を鍛え抜かれた分厚い筋肉が、全身均等よく覆っている。漫然と放たれる魔力は強く大きい、一流のマナ使いだった。
「ごきげんよう。バッハシュタイン卿」
瞬く間に憤りを覆い隠し、ファシェプルティは貴族の礼に則って優雅に挨拶をする。
「その様な礼など不要。今日は無礼講だ」
言って呵々(かか)と笑うバルトロメウスはジェッソとファシェプルティの背後にいる武蔵に気が付いたようで
「その者は?」
「我らが客人です。バッハシュタイン卿」
無遠慮に胡乱気な視線を武蔵に注ぐバルトロメウス。晴れていた顔色が俄に曇る。
「今日は私が開く細やかな宴でな。丁度良い。お前たちも参加を許す」
言って傍若無人な男は妖艶な女のよく張った尻に手を回す。それをさりげなく躱すファシェプルティ。
「いえ、卿。私たちはご遠慮......」
「今、丁度お前たちの話が出ていたところだ。虚ろのもの撃破、詳しく聞かせてもらおうか。あぁ、そこの蛮族、貴様は遠慮してくれ。下賤の者が近くにいると食事が不味くなるのでな」
バルトロメウスが当然のように言い放った武蔵への誹りで、ジェッソの瞳に不快な色が浮かぶ。
「いい加減にしておけ。いくら公爵家の嫡男と言えど、それが初めて会った者に対する、いや、人に対する態度か」
「ふむ、今何か言ったかジェッソよ。何をするファシェプルティ?」
ファシェプルティが尻に廻されたバルトロメウスの手を思い切り叩き落していた。相棒である巨人の横まで下がると
「もう、あったまきた。いいわジェッソ、こんな奴やっちゃいましょ。骨の一片も残さず消しちゃえば証拠不十分で公爵も文句言えないでしょ。それでも何か言ってきたら返り討ちよ」
滅茶苦茶な言いようであった。
「くっく、あいも変わらずお前の物言いは興があるな、ファシェプルティ。いいだろう、いくら星持ちといえど無敵でも不死でもないという事を思い出させてやろう」
星階位五位の二人を前にしてもバルトロメウスは不敵に笑う。
「おやおや、中々戻ってこないから様子を見に来てみれば」
バルトロメウスと同世代、良く整った顔立ちの、一見しただけでは男か女か判断がつかぬ中性的な人物が奥より現れた。よく仕立てられた絹の装束の胸の部分に膨らみがない事から男だとわかる。バルトロメウスには抑えきれぬ覇気があり、その者には隠し切れない品があった。男は突然の荒事に呆然と立ち尽くしていたオーギュスティーヌを気遣う。
「オーギュスティーヌ、君は食事の続きを頼むよ。ここは物騒だからね。大丈夫、君の店の無事は僕が保証するよ」
「......はい、アーレ様。失礼します」
女料理人は後ろ髪をひかれながら厨房へと戻っていった。ファシェプルティがバルトロメウスにした時と同じように礼をとる。
「ごきげんようアーレ卿」
「消し炭にしてやるなんて物騒な事が耳に届いてきたけど、なるべく穏便に頼むよ。こんなのでも有能は有能なんだ。万が一彼が命を落としたら、国家の損失。どのような理由があろうとも、僕も君たちに何らかの責を負わさざるを得ない。それは君たちの望むところではないだろう?」
「エルマーよ、こんなのとはなんだ、こんなのとは」
バルトロメウスはエルマーと呼んだ男の中性的な顔を見、不平を零す。友の言葉を床に落としたままエルマーがファシェプルティを見て目を細め微笑する。
「君は今日も美しいね、ファシェプルティ。君だったらどうやってこの場を綺麗に収める?」
「決闘でいいのではないでしょうか?」
その言葉にエルマーはほぅと表情を造り、バルトロメウスを見た。屈強な全身から溢れる魔力が強まる。
「俺は構わんぞ」
「俺もだ」
バルトロメウスに続く巨人の同意にエルマーはゆっくりと首を横に振る。
「いやいや、ジェッソ。君じゃ無くそこの彼がやるべきだよ。なんてたって誹謗中傷されたのは彼なんだから」
エルマーは視線で武蔵こそバルトロメウスの相手だと指した。バルトロメウスが武蔵を貶したのはエルマーが現れるより前だったことに対しファシェプルティが反応する。
「気配を消して立ち聞きとは趣味が悪いですね。だったらもっと早く出てきてバッハシュタイン卿を止めるべきだったのでは?」
「これは手厳しい」
苦笑いするエルマー。
「だそうだが、どうするムサシ?」
ジェッソが武蔵に問うた。その隣でファシェプルティは顔を横に向け、思いの他上手く自らが望む事態に持って行けた事に、込み上げる笑いを必死に堪えている。小刻みに肩が震えるその様を見たバルトロメウスは、女が異人の身を案じ、恐ろしさで震えていると錯覚した。「はて、そんな女だったかな」という思いは精神の高揚の中に消えた。バルトロメウスはジェッソとファシェプルティを掻き分け、武蔵の前まで進み出ると威圧するように見下ろす。武蔵はその視線を平然と受け止めながら
「構わぬ」
「くっく、決まりだ」
言って楽しそうにバルトロメウスは笑った。笑いながら武蔵の双眸を見た瞬間、項が逆立つ。何処までも暗い漆黒の狂気の炎が瞳の奥でじりじりと燃えていた。
それはバルトロメウスがこの世に生れ落ちて二十余年、初めて味わうものであった。マナ使いという宿命を背負ったが故に、命の危機には幾度となく遭ってきた、だがその何れとも違う異質な何か。突如として己を襲った極限を超えた緊張により、全身から脂汗がどっと溢れ出し、口の中はからからに乾いていた。自分の意思とは無関係に一歩退いたバルトロメウスは、横に立つジェッソに掠れた声で囁いた。
「......ジェッソよ、正直に答えろ。......俺は死ぬのか」
「安心しろ、人は必ずいつか死ぬものだ」
バルトロメウスは乾ききった口から喉へと無理やり息を飲みこんだ。
「......そうか。おい、そこの異人」
そう言って頭と腹を抑え、脂汗を滴らせた顔を苦痛に歪ませる。
「いたたたた、持病の腹痛と頭痛が出てきた。いや、この激痛はもしかすると腰痛もか!?これでは闘いなど到底無理だ。決闘は取り消す......よいな?」
「好きにせよ」
何の興味もなさそうに言った武蔵の言葉に、満足そうに頷くバルトロメウス。
「ふむ、当然だ。まぁ高貴な俺が下賤の輩に詫びる必要はない。ないのだが、まぁ、何だその......今夜は俺の払いだ。好きなだけ食していくがよい」
「はっは!!何それバルトロメウス。君も意外と天然だよな!!!」
エルマーは人目も憚らず大貴族にあるまじき振る舞いで、腹を抑えて息が出来ぬほど笑い転げていた。ジェッソとファシェプルティは互いの顔を見やり苦笑い。武蔵は勝手に空いている席に着くと目を閉じ、食事の時が来るのを空腹を堪えながら待った。




