玖拾玖 噂
迷宮へと続く街路を歩いている三人の若い男の冒険者が、何やら興奮気味である話題について語り合っていた。
「おい、聞いたか?昨日の迷宮前広場での騒動」
「おぉ!!何かすげーのが迷宮から出てきて大変だったんだって?」
「あぁ、俺も耳にしたぜ。幽鬼の特異種かなんかだったんだろ?」
「虚ろのものだってよ」
「虚ろのものって、魔導書にも載ってるあのお伽噺のか?」
「らしいぜ。ディルク達があっさりやられたってよ。他にも五十人を超える未帰還者がいるらしくて恐らく虚ろのものに、って話だ」
「へっ、いい様だぜ。俺ぁディルクのクソに殴られたことがあるんだ。調子こいてるからだ、ざまぁみろ!!」
「あれはお前が悪いんだろ。ディルクの女に粉かけたお前が」
「しかもしつこく、な」
「うるせぇ、大体誰が誰の女なんて知るかよ!!」
「ま、そりゃそうだ」
「で、その虚ろのものはどうなったんだ?」
「それはお前、炎頭のジェッソと魅惑の魔女ことファシェプルティが倒したってよ」
「あれ、もう一人誰かいたって聞いたが?」
「いやいや、あの二人と共闘できる奴なんか、そういるかよ」
「ん、まぁ確かに」
「星階位五位のマナ使い」
「星界の住人、一つ星のジェッソとファシェプルティ様かよ」
「ただのマナ使いじゃぁねぇ、真に選ばれしものってか」
「結局持って生まれたものが違うんだ、俺たちがいくら努力しようと逆立ちしたって敵わない。馬鹿馬鹿しくなるぜ」
「何当たり前なこと言ってんだ、そんなの誰だって分かってる。分かった上で今あるもの、持っているもので生きていくしかねぇんだ。マナ使いに限った話じゃねぇ、人生なんて多かれ少なかれそんなもんだろ」
「そりゃそうだ」
「と言う事で俺たちも上を見つつ地道に今日も迷宮に潜りますか」
「そうだな」
三人の若き冒険者の背は迷宮へと向かい遠ざかっていく。
ぎぃっと音を立てて並の人間では開ける事も出来ないであろう重厚で大きな樫の扉が開く。冒険者が多く集う、活気のある店内に入ってくる赤髪の巨人の姿があった。小柄な女の倍はある、その巨体を屈めないですむほど扉は大きく作られていた。それはこの街が長く巨人族の末裔と交流を持っている事を物語る。甲冑ではなく上等な綿の上下で身を包んだ巨人は店内を見回すと目当ての人物を探し当てたようで
「ここにいたのか、探したぞ」
巨人の視線の先にいるのは異邦人。遥か東方に住むという黄の民であった。異邦の民、武蔵が座る席へと向かおうとする巨人に店内が一気にざわつく。
「ジェッソ、聞いたぞ!!あの伝説の虚ろのものを倒したって!?またお前の武勇伝が一つ増えたな、それもとびきりの!!」
「流石だ。虚ろのものは深淵の魔物と呼ばれるほどの化け物だ。星階位は伊達じゃないな」
「ちくしょう、俺がその場にいればジェッソなんかより先に虚ろのものを倒したってのに。そうすればファシェプルティも俺に惚れて......」
「何言ってんだ、馬鹿。お前なんかやられた方に入ってたに決まってんだろ。お前とジェッソやファシェプルティでは格が違い過ぎるわ」
「違いない」
どっと笑いが起きる。
顔見知りや知り合いが次々と声をかけるが、ジェッソは困ったように赤い髪を搔く。人々の耳目を集めながら、そのまま進み武蔵の前に立つと
「座ってもいいか」
店内が虚ろのものに関する話で盛り上がる中、武蔵は静かに口を開く。
「構わぬ」
「あたしもいいわよね」
麗らかな声が響き、ジェッソの巨体の陰から艶やかなファシェプルティの顔が現れる。真夏に咲く向日葵の様な溌溂さで、片目を瞑って笑う女に武蔵は微笑をもって応えた。ジェッソが剣立てに収まりきらない重き波の大剣を壁に立てかけ対面に腰を下ろし、ファシェプルティが横に座ると武蔵の鼻腔を仄かな香水の香りが擽った。若い女の給仕が来て注文を聞き、ジェッソは炭酸水を、ファシェプルティは紅茶を頼んだ。
「すまん」
開口一番、申し訳なさそうにジェッソが謝罪を口にする。武蔵がじろりと巨人を見、無言で先を促す。
「今のあの者らの言葉を聞いて分かったと思うが、虚ろのものを倒したのが俺たちって事になってしまっている」
「構わぬ」
瞑目して答えた武蔵は本当に何とも思っていないようで、その様を見たファシェプルティがジェッソへと言葉を投げる。
「ほら、わたしの言った通りじゃない。ムサシは名誉や功名に頓着するような人じゃないって」
「しかしだな」
困惑するジェッソを余所にファシェプルティが武蔵を上目遣いで見つめる。
「ごめんね、こういう事なの。貴方が虚ろのものを斬った後の爆風で皆気絶しちゃってたでしょ?そのせいで記憶が朧げな人も結構いて、ムサシはさっさと帰っちゃったじゃない?で、目を覚ましたら虚ろのものは消えていて私たちがいた、と。あぁ、倒したのはジェッソとファシェプルティだって事になっちゃったの。勿論ムサシの事を覚えてる人もいて、本当の事も話してるんだけど私達ってこの街じゃ有名人でね、こう言ってはなんだけどムサシの事は誰も知らない。こういう時って話を盛り上げるために皆が食いつくよう名が通った人が使われて、そっちの方が真実と思われちゃうのよ。警吏連中は事の推移をしっかり把握してたけど治安維持に協力的な私たちに更に箔をつけたほうが利になるって思ったみたいで、敢えて貴方の事は公表しない方針みたい」
「そうか」
「そうかって、それだけか。実質あんた一人で倒したのに手柄を俺達に取られた格好になっているのだぞ?」
ジェッソが腰を浮かせ巨体を乗り出して武蔵に迫る。
「構わぬ」
「プッ!!ムサシ貴方さっきから何回構わぬって言ってるのよ。もしかして構わぬ病の人?」
ファシェプルティはけらけらと幼子の様に笑い声をあげる。横目で笑い続ける女を見て腰を下ろすジェッソ。
「人にどのように伝わろうとも俺には関り無き事。俺にとって大事なのは強きものとの闘争、ただそれだけよ」
「だから気にする必要はない、と」
ジェッソの言葉を武蔵は無言で肯定した。笑い終えたファシェプルティの美しい双眸がふと剣立てに立てかけられている鬼丸国綱とその横にある木塊を見る。特に何か気になったわけではなかったが、気にかかるものが在った。
「......ねぇムサシ。昨日は気づかなかったけどオニマルクニツナの横にある木剣?あれも相当の力を持ってるわよね?銘はあるの?」
「......万象砕き」
背に万象砕きの気配を感じながら武蔵はぼそりと答える。
「バンショウクダキ?オニマルクニツナに続いて奇妙な響きね。貴方の国の言葉なんだろうけど、どんな意味なの?」
「あらゆるものを砕く、そういう意よ」
「あらゆるもの、また仰々しいわね。由来は?貴方の事だからバンショウクダキにも凄いのがあるんでしょう?」
武蔵は何も答えない。
「そう易々と何度もぺらぺら話さないって訳ね?」
ジェッソは口を挟まず一歩引いた形で、給仕から受け取った炭酸水を飲みながら黙って二人の会話を聞いている。
「貴方、昨日自分の事を神に挑む者って言ってたわよね、そしてオニマルクニツナで神を斬ったとも」
またも武蔵は答えない。構わず続けるファシェプルティの顔には、先程までの陽気さとは打って変わって翳り。
「神を、神は殺せるの?」
武蔵は透徹した黒い瞳で、雰囲気を一変させたファシェプルティの魂の奥底を覗くように見ると答えた。
「知らぬ。少なくとも俺は未だ神を殺せてはおらぬ。ただ斬ったのみ」
「そう」
一瞬、ファシェプルティの端麗な顔に暗く重いものが浮かび、そして直ぐに沈んでいった。その様子を敏感に感じ取った武蔵は珍しく問う。
「お主は神殺しに惹かれる訳があるのか」
「さぁね、教えな~い」
言ってファシェプルティはいつもの陽気で蠱惑的な笑みを返す。僅かな間に二転三転する女の情動に武蔵は苦笑する。
「面白き女性よ」
「美しいだけじゃなく謎めいている、それがいい女の条件でしょ」
妖艶な女は右手で艶のある黒髪を鋤きながら艶然と片目を閉じる。
「くっく」
武蔵は愉しそうに笑った。




