第五話
朝霧の下で、木刀の素振りをする音が響く。
「……二千九百、……二千九百五十、……二千九百九十、……三千!」
タオルで汗を拭いた後、ランニングをする。
目的地は近くの裏山山頂にひっそりと佇んでいる小さな祠だ。
祠と言っても何もなかったところに自分で作ったので、あまり意味は無い。
麓から石段が続いており雰囲気のいい場所だったので作ってしまった。
自分の神社でお参りするのも、悪くない。
ここ数年でだいぶ様になってきた。
全盛期には程遠いが体も大きくなり、自力で三千回まで木刀を振る事が出来るようになった。
始めたころは散々だった。
百回木刀を振る前に手は血豆がつぶれて真っ赤になり、腕も痺れて上がらなくなってしまった。
ランニングをしようにも、1kmも走らないうちに息が上がり、脚はガクガクと言ったありさまだ。
あの有様で、自分で何とかしようなど考えていたとは、どうかしていたとしか思えない。
今なら違った結果を出せたはず。
自分でもどうしようもないなと思う。
ここ数年の事を思い出す。
襲撃の後なんやかんや有ったが、役所へ向かった。
結局、家族や家が見つかるわけもなく教会が運営する孤児院へ預けられたのだ。
今は、孤児院の簡単な仕事を手伝いながら修業をしている。
元の世界に帰る算段は全く付いていない状態だ。
崩れていた祭壇は修復してやればなんとか使えると思うが、エネルギーが足りない。
どこかに魔王がいないかと思っていたが、今のところ絵本の中にしかいないようだ。
ちなみに街に連れてきてくれた時に、ユーリ少尉とトルキス伍長の顔を見る事ができた。
街の中でマスクを装着する事は無いみたいだ。
ユーリ少尉は予想どおり。
イケメンの称号がふさわしい、金髪碧眼の好青年だ。
人族でもある。
物腰も柔らかで、なんでもそつなくこなす。
軍幼年学校から士官学校まで主席だったようで、今は実務経験を積んでいるとのこと。
この年齢で少尉を務めているのは、さすが超エリートといった感じだ。
対してトルキス伍長。
まさかの猫耳女性だった。
初見、見た事ある猫耳だが声が違うので誰だろうと不思議に思っていたら、マスクに声を変える機能があるらしい。
戦場ではその方がいろいろと都合がいいようだ。
ただ、マスクをしていなくても男らしい話し方だ
顔まで覆うゴッツイ軍服を着ていると、全く分からない。
二人が休暇のときには、会いに来てくれるので嬉しく思う。
孤児院のみんなも二人が来ると嬉しそうにしている。
ほとんどが戦争孤児で両親も家族もいない。
そのため、ユーリ少尉とトルキス伍長は、みんなの年上の兄と姉といった感じになっている。
二人も満更でもないようで、楽しそうに構ってあげていて、それがみんなから好かれている理由の一つだと思う。
ランニングから帰ってきて裏の井戸で火照った体を拭いていると足音が聞こえてきた。
なぜ井戸を使っているのかといえば、比較的敵地から近かったこの街は開戦直後に爆撃の対象となってしまったかららしい。
そのためインフラが破壊され、復旧が間に合っていない状況だ。
それにこの辺りの地域は昔から自前の井戸を持っているためか、水道の復旧が後回しになっているとのことだ。
足音が大きくなってくる、起きてきた幼年組の子が顔を洗いに来たようだ。
年少組の子が付き添ってきている。
「あっー、ハヤトだーー!」
「ハヤト! ハヤトー!」
「ゆげ、ゆげー!」
「あっ、こらっ!」
ルークとレオンとハルナだ、三人同時に水を掛けてくる。
火照った体から湯気が出ていて、それが面白いらしい。
なぜ水を掛けてくるのか分からないが、際限なく水を掛けられるのでたまったものではない。
反撃して風邪をひかれるわけにもいかないので、水が入ったタライを奪い空中にぶちまける。
上手く霧状にして、虹を作ることに成功する。
「「「おぉーー!!!」」」
後ろから歓声と拍手が聞こえる。
いい仕事ができた。
今までの鍛錬は伊達ではないのだ。
「朝から何やっているんですか、ハヤト兄ぃ」
呆れたような口調で声を掛けてくる。
三人を連れてきたのは、年少組のアリサのようだ。
金髪で少し垂れたキツネ耳がかわいい。
「おはよう。 いい天気だな」
「むぅー、ごまかさないでください! 今日の当番はハヤト兄ぃですよ! ちゃんと起こしてあげてください」
「わるいわるい、そんなに怒るな」
ふくらんでいるアリサのほっぺを指で突っつくと、拗ねてしまったのか向こうに行ってしまう。
頭の上のキツネ耳を見ると、片方がぴくぴくと動いているので大丈夫だろう。
それなりに機嫌がいいときの癖だ、分かりやすくていい。
アリサが行ってしまったので、三人の相手をする。
改めてタライに水を張り、顔を順番に拭いてやる。
ルークは人族でレオンは猫耳、ハルナはエルフだ。
そう、ハルナはエルフだ。
幸いなことに耳の長さは、いろいろな種族がいるせいか問題にはなっていない。
孤児院でもちょっと耳の長い人族という扱いだが、俺には分かる。
間違いなくエルフだ。
ハルナの体内を流れる魔力がそれを物語っている。
初めて会った時は、獣人もいるしエルフくらい居てもおかしくなか、どっかにドワーフもいるかもしれないな、と思っていたが。
知識を集めていくうちに、エルフやドワーフはドラゴンや妖精の様な空想上の生物扱いであることに気がついた。
絵本や物語には出てくるが、教科書や文献あたりになると全く出てこなくなるのだ。
ただ、ハルナは小さいころにこの世界に来たようで、自分の事を完全に人族だと思っているので、心配はしていない。
魔法は訓練しないと使えるようにならない。
魔力が暴走して街が消えた!とか。
幼い子供が悪戯に使って怪我をする!とか。
使っているところを組織に見つかって解剖される!とか。
そんなことは起こりようがないのだ。
俺自身ハルナに教える気は無い。
下手に教えて厄介事に巻き込まれるよりは、平穏に暮らしてほしいと思う。
「ごはんできたわよー」
おばちゃんがお玉でフライパンをたたいている音がする。
朝ごはんの時間だ。
食事の時間になると建物の中がにぎやかになってくる。
ボランティアで食事を作りにきてくれているのだ。
食堂に全員が集まる、もちろんおばちゃんたちも一緒だ。
孤児院の管理をしているシスターさんに合わせてお祈りをする。
戦時中ではあるが、食事の内容はよくて朝昼晩の三回食べる事ができる。
そのためか、ここにいる子はみんな血色がいいし、毛並みもいい。
つい撫でてしまいたくなるが、ぐっと抑える。
今は食事中だ。
食事が終わると、後のかたづけなどは俺たちの仕事だ。
食事を作ってくれるだけでもありがたい。
おばちゃんたちも家の仕事があるし、甘えてばかりでは生活できない。
昼食と夕食の分も作ってくれるので、荒熱がとれた事を確認して冷蔵庫に保管する。
小さい子にやらせる訳にもいかないので、アリサと一緒に洗いものをする。
「今日のホットケーキ、おいしかったぞ。 アリサが作ったんだろ?」
最近アリサは料理を手伝っているようで、食卓に一品追加されることがある。
まだ、簡単なもの多いが、日々成長しているようだ。
「えヘヘ、ありがとう。 でも上手に焼くのは難しいね、また教えてよ」
「あぁ、また見本を見せてあげるよ」
ある時どうしてもタコ焼きが食べたくなって、タコの入っていないタコ焼を作ったのだが、ついでに膨らまないホットケーキなども作っていたのだ。
アリサが調理場に入るようになってから、代わりに作ってもらっている。
材料は小麦粉がメインなので、練習にちょうどいいみたいだ。
ちなみにタコ焼きプレートは自作である。
ついに土魔法による錬金術を使えるようになったのだ。
ただ今までにない使い方だったので、鉄板に綺麗な丸い窪みを均等に作るのは、かなりの修行が必要だった。
今までの土魔法と言えば、土壁を作ったり、城壁に足場を作ったり、沼地にしてみたりと雑な使い方が多かったのだ。
鍛冶屋が使うような繊細な技術を取得するには時間がかかった。
魔法に関しては全ての時間を錬金術に費やしたと言っていい。
それにこの世界では土魔法がかなり有利に働く。
塹壕を作ったり、足場を崩したり、穴をあけたりと使い方は無限だ。
一つ問題があるとすれば、直接触っているところにしか効果がないことだが、解決方法が無い訳でもない。
朝の仕事がひと段落したところで、外へと出かける。
まだ一日は始まったばかり。
これから、小遣いを稼ぎにいくのだ。
孤児院の生活も楽ではない。
主人公が少し強くなりました。
少尉と伍長も昇進とまではいきませんでしたが、勲章はもらったみたいです。
孤児院に何も起こらなければいいのですが……。
世に平穏のあらんことを。