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推しに恋した私はマナー違反ですか?

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/02/08

 

『推しの配信者が、壁一枚隔てた隣に住んでいました』


 そんなラノベみたいな設定、現実に起こるわけがない。


 そう思っていた時期が、私にもありました。




 ◇◆◇




 鉛のように重たい体を引きずって、私は築二十年の木造アパートのドアを開けた。


 届いていた置き配の荷物を山積みのダンボールの上に置いて、玄関にヒールを脱ぎ捨てると、そのまま埃っぽいフローリングに倒れ込む。


 ひやりとした床の冷たさが、残業で火照った頬に心地よかった。


「……つかれた、死ぬ。マジで……無理」


 喉の奥から、乾いた音が漏れる。


 スマホの画面をタップすると、時刻は深夜二時三十五分と表示されていた。


『佐倉さん、この資料、てにをはがおかしいよ。社会人何年目?』


『悪いけど、今日の飲み会、数合わせで来てくれない? あ、割り勘ね』


『あ、ごめん。君の分のタクシーチケットないわ』


 脳裏に蘇るのは、今日一日のハイライト。


 理不尽な上司の小言、終わりの見えないタスクの山、そして気疲れするだけの人間関係。


 社会人三年目、二十五歳。


 私のHPは、もう赤ゲージで点滅しているどころか、戦闘不能寸前だ。


 呼吸をするのも面倒くさい。


 このまま床のシミになってしまえばどんなに楽か。


 けれど、私にはまだ、今日という日を終えるための『儀式』が残っている。


「……回復、しなきゃ」


 這うようにして鞄を引き寄せ、命綱であるノイキャンイヤホンを探り当てる。


 耳に押し込み、外界の音を遮断する。


 冷蔵庫のブーンという音も、遠くを走る車の音も、すべてが消え失せる静寂。


 慣れた手つきでYouTubeを開き、履歴の一番上にあるアイコンをタップした。


 画面に表示されたのは、『ASMR配信者 Noa』の文字。


 登録者数は180万人超え。


 今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、超人気配信者だ。


 画面の中には、幻想的な間接照明に照らされた、白く美しい指先だけが映っている。


 私は祈るように再生ボタンを押した。


『……お疲れ様。今日も一日、よく頑張ったね』


 ――とぷん。


 その瞬間、世界が変わった。


 まるで温かいお湯に頭まで浸かったような、あるいは羊水に守られているような感覚。


 脳の芯が痺れるほどの、甘く、深く、それでいて透き通った低音。


 数百万円はするという最高級のバイノーラルマイクを通したその吐息は、鼓膜を通り越して、直接脳髄を撫で回されているような錯覚を覚えさせる。


 右耳から左耳へ。


 音が通り抜けるたびに、背筋がゾクゾクと粟立つ。


「はぁ……Noaくん……尊い……無理……」


 思わず、変な声が出た。


 彼の声には、麻薬的な中毒性がある。


 どれだけ嫌なことがあっても、上司に怒鳴られても、この声を聞けばすべてが浄化され、ドロドロの感情が溶けていく。


 私の生きる糧、精神安定剤、そして唯一の推し。


 画面越しの彼に向かって、心の中で深く合掌する。


 今日も生きててくれてありがとう。合掌。


 同じ時代に、同じ日本に生まれてくれてありがとう。


 一日の終わりの儀式を済ませ、少しだけ呼吸が深くなったのを感じて体を起こす。


 ――喉が渇いた。


 ふと玄関の隅に目をやると、置き配指定していた段ボール箱が鎮座している。


「あ、そうだ。さっきの荷物開けよ」


 今日届いたのは、先日、Amazonのセールでポチった『疲労回復セット』だ。


 大量の入浴剤に、ホットアイマスク、それにレトルトのお粥。


 今の私に必要な物資の詰め合わせ。


 重い腰を上げ、カッターナイフを手にする。


 疲れすぎていて、宛名のラベルをちゃんと確認する気力すらなかった。


 テープを一気に切り裂いて、箱を開ける。


「……んっ?」


 違和感があった。


 入浴剤にしては、梱包が厳重すぎる。


 大量の緩衝材をかき分けると、そこから出てきたのはレトルト食品ではなかった。


 奇妙な形の物体。


 それはどう見ても、人間の耳の形を模したシリコン製の模型だった。


 いや、ただの模型ではない。


 両耳がついた、高価な録音機材。


 いわゆる『ダミーヘッドマイク』というやつだ。


 しかも、私が知っている安物ではない。


『3Dio』のロゴ。


 プロが使う、本気のやつだ。


「え、なにこれ。私、こんなの頼んだっけ?」


 記憶を必死に手繰り寄せる。


 疲労で頭がおかしくなって、誤発注したのだろうか。


 いや、まさか。


 こんなプロ仕様の機材、値段だって十万……いや、オプションを含めれば二十万は軽く超えるはずだ。


 私の手取りよりも高い買い物を、無意識にするはずがない。


 その時。


 イヤホンから流れていたNoaくんのアーカイブ配信が、ふと耳に入ってきた。


『あ、そういえばね。僕、新しいマイク買ったんだ。3Dioの、ちょっといいやつ。次の配信で使うから楽しみにしてて』


 心臓が、早鐘を打った。


 いやいやいや。


 まさか。


 いや、そんな都合のいい偶然があるわけがない。


 ラノベかって。漫画かって。


「……まさか、ね」


 私は恐る恐る、箱に貼られた伝票を覗き込んだ。


 雨で濡れて滲んだ印字ラベル。


 目を凝らしてよく見れば、そこに印字されていた名前は、『佐倉紬(さくらつむぎ)』ではない。


成瀬響(なるせひびき)』。


 そして部屋番号の末尾も『201』ではなく『202』だ。


 Amazonのロゴが入った段ボール箱。


 サイズもいつも届くのと大体同じ大きさ。


 配達員さんが雨の中急いでいて、隣同士で置き間違えてしまったのか。


「……ありえない……よね?」


 血の気が引いていくのが分かった。


 隣人の成瀬さん。


 引っ越しの挨拶で一度だけ顔を合わせたことがあるけれど、黒縁メガネで…………顔もよく覚えていない地味な青年だ。


 いつも静かで、生活音すらほとんど聞こえない。


 会うとしても、たまにゴミ捨て場で一緒になるくらい。


 でも、待って。


 昨日の配信で、Noaくんは言っていた。


『新しいマイクを買った』と。


 そして今、私の手元には、隣人宛の新しいマイクがある。


 隣人の名前は成瀬響。


 ASMR配信者の名前はNoa。


 Noa、N、成瀬……?


「…………ッ!」


 点と点が、線で繋がってしまった。


 いや、ありえないってのは分かってるけど、こういう時、オタクってこじつけちゃうのよ。


 もしかしたら……じゃん。


 私の隣に住んでいるのが、あのNoaくんだったら?


 雲の上の存在だと思っていた推しが、壁一枚隔てた向こう側にいる?


「いやいやいや! 落ち着け私! 深呼吸だ!」


 私は部屋の中をぐるぐると歩き回った。


 まだ決まったわけじゃない。


 たまたま同じマイクを買っただけかもしれない。


 ……そうだ、検証だ。


 私は震える指でスマホを操作し、昨日の配信アーカイブを再生した。


『届くのは明日かな。楽しみだな』


 配信の日付は昨日。


 そして今日、荷物が届いた。


 タイミングは完璧。


 さらに、彼の過去の雑談配信を思い出す。


『僕の家? うん、結構古いアパートだよ。壁が薄いから、業務用の防音ブースを入れてるんだ』


 うちのアパートは築二十年。


 壁はベニヤ板かと思うほど、うっすい。


 だからこそ、防音設備のない私の部屋の音は筒抜けだろうけど、彼が防音ブースに入っていれば、こちらの音は聞こえないはずだ。


 逆に、彼の声が聞こえてこないのも納得がいく。


 条件は、一応一致してる。


「仮に、仮にそうだとして…………。まあ……詰んでるわな」


 その場にへたり込む。


 もし本当にそうだとしても、ファンには守るべき『マナー』がある。


 配信者のプライベートを詮索しないこと。


 彼らの生活圏に土足で踏み込まないこと。


 それが、推しを推しとして崇めるファンの鉄則であり、越えてはならない一線。


 もし彼が本当にNoaくんなら、私は今、最もタブーな領域に踏み込んでいることになる。


「と、とりあえず返さなきゃ!」


 私は震える手で箱を閉じた。


 テープを切ってしまったけれど、中身には触れていない。


 いや、一瞬触ってしまったかもしれない。


 指紋がついていたらどうしよう。


 尊い機材を、私の俗世の手で汚してしまったなんて、万死に値する。


 もしこれが原因で彼の配信にノイズが入ったら?


 もし私が開封したことで、彼の『新品開封の儀』を台無しにしてしまったら?


 罪悪感と焦りで、冷や汗が止まらない。


 ふと、鏡に映った自分の顔が目に入った。


「うわ……酷い顔」


 化粧は崩れ、目の下にはクマ。


 髪はボサボサで、着ているのは高校時代のジャージ。


 まるで落ち武者だ。


 こんな姿で推し(仮)に会うの?


 いや、でも着替えている時間はない。


 早く返さないと、泥棒だと思われてしまう。


「私はただの隣人。私はただの隣人……」


 呪文のように唱えながら、私は深呼吸を一つすると、重たい箱を抱えて部屋を出た。


 深夜の廊下は静まり返っている。


 隣の202号室の前に立つ。


 たった三歩の距離が、永遠のように感じられた。


 震える指で、インターホンを押す。


 ピンポーン、という乾いた音が、静寂に響き渡った。


 心臓がうるさい。


 口から飛び出しそうだ。


 数秒の沈黙の後、ドアの向こうから足音が近づいてくる。


 パタパタ、というスリッパの音ではない。


 もっと静かな、忍び足のような気配。


 ガチャリ、と鍵が開く音がして、ゆっくりとドアが開いた。


「……はい?」


 現れたのは、ボサボサの髪に、分厚い黒縁メガネをかけた青年だった。


 大きめのグレーのスウェットを着ていて、いかにも寝起きといった風情。


 全体的に色素が薄く、儚げな印象を受ける。


 けれど。


 その声を聞いた瞬間、私の背筋に電流が走った。


 あー。これは、もう、間違いない。


 いつもイヤホン越しに聞いている、あの声だ。


 エフェクトも何もない、生の肉声。


 それなのに、鼓膜がとろけそうなほど心地よい低音と、独特の柔らかい響き。


 本物だ。


 本物のNoaくんだ。


「あ、あのっ!」


 私は反射的に頭を下げていた。


 直視できない。


 推しが生身で目の前にいるなんて、網膜が焼き切れてしまう。


「隣の、佐倉です! これ、私の荷物と間違えて、うちの方に置いてあったみたいで……!」


 勢いよく箱を突き出す。


 彼は少し驚いたように目を丸くし、それから私の手元の箱に視線を落とした。


「あ……」


 彼は状況を理解したのか、ふわりと表情を緩めた。


「すみません、わざわざ。ありがとうございます」


 その笑顔を見た瞬間、思考が停止した。


 地味だと思っていたメガネの奥の瞳が、驚くほど綺麗だったからだ。


 切れ長で、少し濡れたような瞳。


 廊下の薄暗い照明の中でも、星のように輝いて見える。


「あの、箱……開けちゃいました。宛名ちゃんと見てなくて、自分の荷物だと思って……! 本当にすみません!」


「いえいえ、中身が無事なら全然大丈夫ですよ。わざわざ声をかけていただいて、こっちこそ、すみません」


 彼は箱を受け取ると、ひょいと軽々と抱えた。


 その腕の筋が、意外と男らしいことに気づいてしまい、私は慌てて視線を逸らす。


 ふわ、と甘い香りがした。


 香水じゃない。


 柔軟剤のような、あるいはもっと本能的な、清潔で落ち着く香り。


 って、ダメだ。


 これ以上ここにいたら、心臓が持たない。


「い、いえ! それじゃあ、私はこれで!」


 逃げよう。


 これ以上関わってはいけない。


 私が踵を返そうとした、その時だった。


「あ、待ってください、佐倉さん」


 呼び止められて、足が止まる。


 名前を呼ばれた。


 推しに、名前を呼ばれた!


 それだけの事実で、膝から崩れ落ちそうになる。


 恐る恐る振り返ると、彼は少し困ったように眉を下げていた。


 その表情が、計算なのか天然なのか分からないけれど、あざといほどに破壊力がある。


「実は僕も、最近通販をよく利用するんです。またこういう間違いがあるといけないし……」


 彼は言葉を切り、少しだけ言い淀んでから、意を決したように私を見つめた。


 その瞳には、なぜか必死な色が混じっているように見えた。


「も、もしよかったら、連絡先を交換しておきませんか? 不在の時の受け取りとか、何かあった時のために」


「えっ」


 思考が真っ白になった。


 連絡先。


 推しの、連絡先。


 それは、ファンとして絶対に越えてはいけない一線なのではなかろうか?


 いや、でもこれはあくまで『隣人トラブル防止』のための業務連絡だから。


 下心なんてない。


 ない。


「あ、もちろん、迷惑でなければで構わないんですけど。隣人が男だと、不安ですよね……すみません、いきなりこんなこと、気持ち悪いですよね」


 彼がシュンとしたように肩を落とす。


 捨てられた大型犬のようなその姿が、私の理性と母性本能を同時に粉砕した。


「め、迷惑なわけないです! むしろ私でよければ!」


 食い気味に答えていた。


 マナー? 鉄則? ファンの矜持?


 そんなものは、この笑顔の前では無力だった。


「本当ですか? よかった……」


 彼は安堵したように息を吐き、ポケットからスマートフォンを取り出す。


 その手つきが妙に早い気がしたのは、気のせいだろうか。


「じゃあ、これ僕のIDです。……あ、名前は『響』でやってます」


 画面に表示されたQRコード。


 それを読み込む手が震えて、なかなかピントが合わない。


(落ち着け、私。これはあくまで業務連絡用。ファンとしての節度は守るんだ。絶対に、個人的なメッセージなんて送っちゃダメだ)


 自分に言い聞かせながら、震える指で『友だち追加』のボタンを押した。


 ピコン、という通知音が、やけに大きく響く。


「あ、追加できました。佐倉です。よろしくお願いします」


「はい、確認しました。ありがとうございます、佐倉さん」


 彼は満足そうに目を細め、スマホを大切そうに胸ポケットにしまった。


 その仕草が、まるで宝物を扱うかのように丁寧で。


 私は顔が熱くなるのを感じながら、逃げるように自分の部屋へと戻った。


 ドアを閉め、鍵をかけ、その場にへたり込む。


「……夢じゃ、ないよね」


 スマホの画面には、『成瀬響』という新しい友だちの名前。


 現実だ。


 私は、推しと繋がってしまった……!


 壁一枚向こうに彼がいる。


 そして、このスマホの中にも彼がいる。


「どうしよう……これから毎日、生きた心地がしないかも」


 私は熱い頬を両手で包み込み、壁の向こうへと思いを馳せた。




 ◆◇◆




「(……っしゃあぁぁぁぁッ!!)」


 ドアを閉め、鍵をかけた瞬間、俺は音にならない叫び声を上げながらガッツポーズをした。


 膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


 心臓が、早鐘のように打ち鳴らされていた。


「やばい、心臓止まるかと思った……」


 震える手でスマホを取り出し、画面を確認する。


『佐倉紬』


 その三文字が、確かにそこにあった。


 つむぎさん……って読むのか?


 可愛すぎだろ……!!


「連絡先……交換できた……マジか……」


 夢じゃない。


 あのお隣さんと、繋がることができたのだ。


 俺、成瀬響こと配信者Noaは、ここ数年、隣人の佐倉さんに一方的な片思いをしていた。


 ……ストーカーではないから!!


 築二十年の、壁の薄いアパート。


 正直、もっといい部屋に引っ越す金はある。


 でも、ここを離れられない理由があった。


「あー、くそ……佐倉さん、今日は辛そうだったな……」


 俺は壁に背中を預け、ズルズルと座り込む。


 仕事中は部屋の中に設置した防音ブースに籠もっているから、外の音は聞こえないし、俺の声も漏れない。


 でも、一歩ブースを出れば、このアパートの壁は薄すぎる。


 聞こうと思っていなくても、彼女の生活音が聞こえてしまうのだ。


 帰宅した時のため息。疲れ切った独り言。


 そして、俺の配信を聞いてくれている時の、「尊い……」という小さな呟き。


 本当は、聞いちゃいけない。


 もっと防音性の高いマンションに引っ越すべきだ。


 でも、彼女が今日も無事に帰ってきて、俺の配信で癒やされていると知ると、どうしようもなく安心してしまう。


 これは俺のエゴだ。


 ただのストーカーまがいの片思いだ。


 だからこそ、俺から声をかけるなんて出来なかった。


 でも。


 配送業者が荷物の場所を間違えたと気づいた時、俺は天を仰いで感謝した。


 雨で伝票を滲ませてくれた天気にも、箱を間違えた配達員にも。


 これは運命だと言い張ってもいいだろうか?


 寝癖がついた頭を必死に整え、伊達メガネをかけ(こっちの方が真面目そうに見えるから)、彼女が来るのをドアの前で十分間も正座待機していたなんて、口が裂けても言えない。


「……それにしても」


 俺は自分の胸ポケットを押さえた。


 彼女は気づいていないだろうけれど、俺は知っている。


 彼女が俺の配信を命綱にしてくれていることを。


「マナー違反、だよな。これ」


 俺は苦笑しながら、画面の中の彼女の名前を指でなぞった。


 ファンと配信者。


 その境界線を踏み越えようとしているのは、彼女じゃない。


 俺の方だ。


 本来なら、俺は彼女に「癒やし」だけを提供する存在でなきゃいけない。


 でも、欲が出てしまった。


 壁越しじゃなくて、直接彼女を癒やしたい。


 その疲れ切った顔を、俺の手で笑顔にさせたい。


「覚悟しててね、佐倉さん」


 俺は壁の向こうにいる彼女に向けて、小さく呟いた。


「俺は、ただの隣人で終わるつもりなんてないから」


 マイク機材よりも重たい愛を抱えて、俺はニヤけそうになる口元を必死に抑え込んだ。

 

 そして、震える指でスマホを操作し、さっき交換したばかりの彼女のトーク画面を開く。


 送信するのは、お辞儀をするクマのスタンプ一つ。


『よろしくお願いします』


 送信ボタンを押した、直後だった。


『きゃうっ!?』


 壁の向こうから、素っ頓狂な悲鳴と、ドサッという何かが倒れるような音が聞こえてきた。


 おそらく、通知音に驚いてスマホを取り落としたか、あるいは……俺からの連絡に動揺してくれたのか。


「……ふっ」


 壁越しに伝わってくるその初々しい反応に、抑え込んでいた笑みがこぼれてしまう。


 壁が薄いのも、悪いことばかりじゃないな。


 これからは、俺のメッセージに対する彼女の反応を、リアルタイムで(壁越しに)楽しめるんだから。


「(これからよろしくね、お隣さん)」


 俺は壁にコツンと額を当て、愛しい隣人の慌てる気配に耳を澄ませた。


 今度の週末……カフェにでも誘ってみようかな……。

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