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4話 バーバルカトゥス


「あの」


 出発準備をしていたキースの背中にシェナは声をかけた。


「どうかしましたか?」


 物腰柔らかな声。その笑みがシェナには薄っぺらく見える。


「一つだけ、聞きたいことがあるんです。……フラクさんの水筒に、何かいれてましたよね?」


 シェナは見ていた。キースが皆に水筒を配る瞬間、フラクの水筒にだけ赤い種のようなものを手のひらですり潰して混ぜていたことに。


 キースの背中が僅かに震える。


「あーちょっとした滋養になるものですよ。頑張ってもらわないと困りますからね」


 あくまでもシラを切るつもりらしい。だが、シェナは知っていた。


「ドラシスの花の種ですよね」


 高山地帯に咲く赤い花である。その種には非常に強力な麻痺毒が含まれており、量を誤れば心停止にまで至る。


「……はぁ」


 キースはため息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。先ほどまでの優しい表情はなくなり、険悪な面持ちであった。


「あのなぁ、依頼人。世の中知っていても触れない方がいいことってのは多いんだぜ? 親から教わらなかったのか?」


 冷たく差すような視線がシェナを見下ろす。これがキースの本性だった。


「チッ、ガキだから大丈夫かと思ってたが、もう死んでもらうしかなくなっちゃったな?」


 腰に差していた剣が抜かれる。


「ウルちゃん……!」


 シェナの背中にいた白狐が彼女の前に躍り出る。全身の毛を逆立て、威嚇する。


「かわいいねぇ。でもそんなチビ助じゃ俺は止められねえぞ。 雷よ走れ―サンダーチェイン!」


 キースは一切怯まない。詠唱を唱え、剣に電気をまとわせる。


 一触即発の空気が立ち込める。シェナは息をのんだ――その時。


 何かが宙を飛んできた。


「は……?」


 地面に転がったもの……それは人間の首だった。


「……っ!?」


 シェナは息を止める。キースも動きを止めた。


「おいおい……なんだよ、これ……」


 次の瞬間、森が揺れた。低く、地鳴りのような唸り声。


「グニャアア……」


 木々をなぎ倒し、現れたのは熊より巨大な猫の魔物。


「バーバル……カトゥス……?」


 シェナの知識が告げる。三つ星の魔物。こんな人里近くに現れるはずがない。

 カトゥスは血まみれの死体を咥えていた。後衛にいたもう一人の死体である。キースの仲間二人が既に殺られていた。


「あ……ああああああ!!」


 キースは冷静さを失っていた。雷を纏った剣を振り下ろす。電流が走り、カトゥスの体を打つ。


「はぁ……はぁ……、なっ!?」


 カトゥスは微動だにせず、毛並みを一度震わせただけだった。

 次の瞬間、巨大な体が弾丸のように突進し――。


「ぎゃああああああ!!」


 キースの体が切り裂かれる。血飛沫が舞い、シェナは腰を抜かして座りこんだ。


「ひっ……」


 カトゥスの視線が、今度は彼女を捉える。


「グルルルル……」


 守護獣が守るようにしてシェナの前に再び立つ。


「ダメ! ウルちゃん! そんなことしたらウルちゃんまで……!」


 あの化け物と戦えばどうなるかなど分かりきってる。


「逃げてウルちゃん! せめてあなただけでもここから!」


 そう願うシェナの声はこの子には届かない。命をとしてでもシェナを守らなければならない。そんな使命感を瞳に燃やしていた。


 もう、止められない。鋭利な爪に引き裂かれる光景が目に浮かび、思わず目ぎゅっと目を閉じる。


 シェナの頬を涙が伝う。涙の雫が地面に落ちるその時だった――


 巨大な轟音が大地に響く。音は衝撃とともに周囲を震撼させた。

 シェナは顔を上げ、恐る恐る目を見開く。


 フラクだった。彼がその足でバーバルカトゥスの横っ腹を蹴り飛ばしたのだ。


「……え?」


 間抜けな声がでる。あの巨体が蹴りのひとつで小石のように吹っ飛んでいく。衝撃はすさまじく、まるでそこに竜巻が発生したかのよう。シェナ達は吹き飛ばされないよう地面にしがみつくだけで必死だった。


「おい、大丈夫かー?」


 フラクがこちらへ向かってくる。その背後に巨大な影が迫った。


「う、後ろッ!」


 シェナの叫びと同時に、背後からカトゥスが襲い掛かる。フラクは振り返りざまその前足を片手で受け止めた。威力がそのまま彼の足に伝わり大地にめり込み、亀裂が走る。


(なんなの……これは……)


 まるで獣と獣が戦っているかのよう。

 カトゥスはもう片方の手でフラクを切り裂こうとする。


「あっ……」


 まずい。そう思った時だった。フラクの体中を赤黒い雷光が走り抜ける。


「ふんっ!」


 彼は握り締めた左拳でパンチを繰り出した。その拳がカトゥスの手を砕き、そのまま体ごと粉砕する。天を穿つほどの衝撃。それは言葉通り、空に浮かぶ雲さえも貫いた。


 周囲にカトゥスの肉塊が散らばる。


「大丈夫か?」


 砂埃が舞う中、フラクがこちらへ手を差し伸べてくる。


「……」


 シェナは茫然としていた。


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