ブレンド・モーメント
お気に入りのブレンドを頼み、楓は窓際の席に腰を下ろした。
今日は花屋のお手伝いはお休みだしカフェで本を読んでゆっくりする予定。
少しだけ苦くて、でも香ばしい──そんな味が好きだった。ページをめくる指先にも、ほんのりとその香りが移るような気がして、なんとなく心が落ち着く。
今日は一人で過ごすつもりだった。だけど──
「……あ、楓さん? 花屋の……ですよね?」
声をかけられて顔を上げると、カナメが立っていた。
「え……カナメくん? あ、うん、そう。こんにちは」
「奇遇ですね。……ここ、いいですか?」
「もちろん。どうぞ」
少しぎこちなく笑い合って、向かい合う席に座る。
花屋で出会ったときとはまた違って、こうして静かな場所で話すと、彼の雰囲気が柔らかく感じられた。
カップを口元に運ぶ仕草も丁寧で、ふとした瞬間に目を細める笑い方も、どこか穏やかだ。
「今日はお手伝い休みですか?」
「うん。今日は休みで……ただ、本読みに来ただけ。カナメくんこそ?」
「たまたま通りかかって、ふらっと入っただけです。……もしかして、邪魔しちゃった?」
「ううん、全然」
カナメの目が、ふっと緩んだ。
「よかった」
そのひと言が、やけに嬉しく聞こえた──そんな時だった。
カラン。
ドアのベルが鳴った瞬間、楓の背筋に一瞬だけ、緊張が走った。
「あ」
声を上げたのは、カナメだった。
「……つかさ?」
「……あれ?カナメ?」
つかさは扉の前で、じっとこちらを見つめていた。
その視線に、カナメがちょっとだけ焦ったように立ち上がる。
「いや、ほんとに偶然で。たまたま、楓さんがここにいて……」
「へー……そうなんだ」
つかさはゆっくり歩いてきて、ふんわりとしたスカートのまま、二人のテーブルの隣に腰を下ろした。
アイスティーを頼み、ストローを指でくるくると回す。
妙に静かな時間が流れる。
「……つかさちゃんも、コーヒー好き?」
「ううん。そんなに。けど……香りは、好きかも」
それは、ほんの小さな会話の一片。
けれど、まるで試すような言葉だった。
そして、つかさはぽつりと──
「……カナメは、誰といるときの匂いが、いちばん好き?」
静寂が落ちる。
カナメは一瞬、固まった。
「え……あ、えっと……」
視線が揺れる。まるで心の中を見透かされているみたいだった。
楓の表情が曇ったのを、つかさは見ていないふりをする。
「……難しい質問だね」
そう言うカナメの声は、どこか逃げ腰だった。
つかさはそれ以上追及せず、静かにグラスを傾けた。
氷がカランと音を立てる。
──それだけで、何かが揺れた。
でも、まだ終わらない。
「じゃあ、カナメ」
つかさが小さな声で、でもはっきりと──それでいてどこか照れくさそうに尋ねる。
「好きな匂いって……誰かのこと、好きってことと、似てると思う?」
その声に、カナメの手が止まった。
「──えっ」
楓がかすかに息をのむ。
グラスの中の氷が、また音を立てる。
誰も、次の言葉を探せずにいた。
そのとき──
カラン。
また、ドアが開いた音。
新しい誰かが入ってきたはずなのに、三人の視線はテーブルの上から動かなかった。
そして、カナメは──
「……」
何かを言いかけて、けれどやめた。
その言葉は、まだこの午後の空気の中に、漂ったままだった。